初心者同志 -120ページ目

地方劇団。

学生時代、親しい人に連れまわされて、たくさん、地方劇団の公演を見て回った。


私はお芝居に詳しくはない。

当時、色々と連れまわされたときには、興味も全然なかった。


そのときに私が連れて行かれたお芝居というのは、

誰でも知っているような有名な劇団の公演などというのは一つもなく、

すべて、世間的には、ほぼ知られていないだろう人たちが、

近所に頼んでやっと公演を知らせるチラシを壁などに貼ってもらって

活動しているようなものばかりだった。


そんなだから、小さくても劇場を借りられている場合はまだいいほうで、

小学校の教室を借りて公演していたり、

一度は、立ち上がったら頭が天井についてしまいそうな

古くて狭い公民館で行われた公演なんてものもあったんだよ。


お世辞にも、面白いお芝居だった、といえないものもたくさん観たなあ。

あまりにも質素なセットや小道具で、この人たちはどれくらい真剣にやっているんだろう、

なんて思わず考えさせられてしまうような芝居もたくさんあった気がする。


でも、自分でお金を払い、会場にまで足を運んで、最後まで見届けてみると

たとえ、妥協とあきらめが見え隠れするような決して満足のいくものではなかったお芝居であっても、

限られた予算、時間の中で、なんとかこれだけは見せたい!という

その人たちの執念のようなこだわりが見えてくることがあって、


そんなときは、否定したり、ツマラナイ部分を指摘したりするのは簡単だけど、

本当に何かを評価するってことは、ただ拒絶することではなく、

なんでもいいので一つ認めてあげるところから始まるのかな、と

思ったのだった。


ただ、どんなお芝居を見ても私は褒めるので、

私を連れまわし、芝居を見るきっかけを作った親しい人も、最後には


「ちゃんと本当に見てた?あれの一体、どこがいい芝居なんだ!?」


と、怒りだしてしまって、

それで、今ではあまり一緒に見に行ってはくれなくなってしまった。

ちえっ、心が狭いぞ。

ふきだしチャット。

PSOというオンラインゲームの中では、ゲーム中、キーボードを叩いて発言をすると、
自分が作成したキャラクターから、その言葉がふきだしとなって表示される。
一体、最初に誰がこんなことを考えたんだろう。
だって、これって、凄くすてきなんだよ。
遊んでいると、画面の中にいる私のキャラクターが、現実の私に代わって、

まるで本当に喋っているみたいに感じられるんだ。


オンラインゲーム。
特に何度かここで書いた この、RPGと呼ばれているようなゲームでの目的は、

大抵が自分の分身となるキャラクターを成長させて強くし、
仲間と一緒に敵を倒し、その先に広がっている世界へと進んでいくことだ。
その為に、時には、チャットが邪魔になることもある。


人によっては、いつまでもお話なんてしていないで、

早く先に進もうよ、という人もいる。
反対に、先に進むことも敵を倒すことも後回しにして、
ずっとチャットをしている人もいる。


時にはそんな人たちが一緒になってパーティーを結成することもあって、
私もそんな中に入ったときは、どちらの気持ちもわかるから、困ってしまう。


だって、これって、考えてることが正反対のように思えるけど、
でも実は、どちらもその世界を楽しもうとしている、という点で同じなんだよなあ。


じゃあ、私自身はどうなのかというと、私は欲張りなので両方やるのだ。
わっはっは。


つまり、凶悪な敵を倒し、先へ先へと進みながらも、ずっと喋っている。
今倒したばかりの敵にあだ名をつけてみたり、
見えている景色について話しつづけてみたり。
攻撃のための手も動かすし、発言のための言葉もどんどん書き込む。


だから、気がつくとさっきまで周囲で一緒に戦っていた筈の

仲間たちがいなくなっていて、よく怒られたりする。


「あれ?一人いないぞ」

「ホントだ。戦力が変わらないから気づかなかったなあ」


両方やるといっても、器用に完璧にできるわけではないので、
むしろ不器用な私は、その欲張りな考え方が失敗に結びつくことも多い。
それで反省してちょっと無口になってしまったりすると、
周り人たちはすぐにその変化に気づいて、


「回線切れた?大丈夫?画面映ってる?」


わーん、私だって考え込むことくらいあるんだよっ!!
でも、心配してくれているわけだから、喜ぶべきなのかなあ、これって。

それで、元気を出してまた、みんなと戦いに行くんだけど・・・・・・、


「おーい、誰かさんが、また喋ることに夢中でトラップに捕まったぞお」


うーん、仲間て、本当にありがたいなあ・・・・・・。


PSOparty

怖いもの知らず。

子供の頃、将来は何になりたいか、という質問に

「警察官になりたい」

「野球選手」

と答える友達を横目に、私は、


「自転車のタイヤのパンクを修理する人になりたい」


とよく答えていた。

最近はあまりすることがなくなったのだけど、

私はこれがすごく得意だっだからだ。


子供のころ、パンクした自転車を修理してもらいにお店に持っていき

直しているところを見て、その手際に私は惚れ惚れとしてしまった。

うーん、鮮やか!

車輪部分からゴムチューブだけをはがして、

水の中にくぐらせて穴の開いている箇所を見つけるところなんて、

ウナギをさばく職人さんみたい。

ほとんど迷うそぶりもなく、ほんの五分ほどで直しちゃう。


あまりに見事なんで、当時の私はその場でお店の人に弟子入り志願!

次からは自分で修理できるようになりたいから、と

かなり強引に、その場で一からやり方を教わってしまったのだった。


でも、よく考えたらこれって、お店のお客を確実に一人減らしている行為だよなぁ。

心の広い店長さんだったからよかったけど、子供のころの私も

けっこうな怖いもの知らずだ。

思い出しはじめると、実はこんなことって一つや二つじゃ済まないもんな。

恐ろしいから自分で自分に忘れたフリをしているんだけどさ。


とにかく、そのおかけで、それ以降は全部自分で修理できるようになって、

しかも、やるたびにどんどん手際がよくなっていくものだから、

自分でもタイヤを修理するのがどんどん好きになっていったのだった。


最近では、将来の夢はなに?と聞かれると、

サラリーマン、とか、お金持ち、なんて夢のない職業を口にする子供が増えた、

なんて言われたりもするけれど


私の「タイヤ修理」の場合は、はたしてどうだったんだろう、と

ちょっと考え込んでしまった。

これも、夢がないって言われてしまうのかなあ。


それで、気になってしまって友人たちに第三者としての

冷静な意見を聞いてみようと思ったんだけど、すぐに後悔することになった。


「夢がないっていう以前に、想像力が乏しいよ」


ぐっ。


「なにかさぁ、まるで、戦後すぐの子供が語る夢みたいだよな」


ぐっ、ぐっ・・・・・・。


「実現しなくてよかったな。世の中には、実現しなくていい夢もあるんだな」


ぐっ、ぐっ、ぐう~~~~!

言い返したいけど、全部その通りなだけに一つも言い返せんっ!


くっそ、子供なんだからさ、少しは大目に見てあげてくれてもいいじゃないかよぉ!

死期。

私がずっと使いつづけていた通学路には、

一匹のとても人懐っこい飼い犬がいた。


部活の朝レンのため、時にはかなり早い時間に家を出ないと

いけないこともあった私は、あまりひと気のない中を、

朝から一人きりで登校する寂しさもあったからなのかも知れない。

その犬と顔を会わせるのが毎日の楽しみだった。


私に気づくと嬉しそうに尻尾をふりながらやってくるんだ。

私がそれをクシャクシャ、と乱暴に撫でてやると、

犬は気持よさそうに目を細めて、私に体を預けてジッ、とおとなしくしていた。


ほんの一分にも満たないような時間のことなのだけど、

私にはとても貴重な時間となっていたのだった。


とはいえ、毎日そうして触れあえていたわけでもなくて、

ときには寝ていて自分の小屋から出てきてくれないこともあったし、

機嫌が悪くて私が近づいていっても、喜んでくれないこともあったりした。


あるとき、しばらく小屋にこもりきりで

その犬が外に出てきてくれない日が何日か続いた。

私の足音を聞けば、小屋から出てきてくれないことはあっても

顔を出して私の姿を探すくらいは、いつもしてくれていたので、

その数日の様子は私にとっても不思議な思いだった。


その理由がわかったのは、それからさらに数日後のこと。

久しぶりに小屋から出てきていたその犬の姿を見たときだった。


犬は繋がれたロープが届く範囲の中で、ゆっくりと円をかくようにして歩いていた。

私が近づいていっても顔を上げようともしない。

私のことなど目にも入らないかのように、

ただ黙々と小さな円を作るように歩き続けていたんだ。


私は自分で犬を飼っていたことはない。

犬の生態に詳しいわけでもない。


でも、そのとき、その現場を目撃した私は、瞬間的に

なぜか、その犬に何が起きているのか分かった気がしたのだった。


その犬は老犬だった。

小屋に閉じこもって出なくなる少し前から元気をなくしてもいた。

だから、私はそのとき、すぐにそうだと確信したのかも知れない。


その翌日、その犬はもう、いつもの小屋からいなくなっていた。

私はその家の人に確認をとったわけじゃないのだけれど、

でも、きっと間違いないと思っている。

あのときの不思議な行動は、犬が自分の死期を前にしての行動だったんだ、と。


neco sanpo

よく、ネコは自分の死期を悟ると飼い主の前から姿を消す、と

いわれているけれど、これは実はネコだけのことではなく、

野生の生物であればどんな生き物でも、

自分の体が衰弱すると、その身を守るためにより安全な場所へと

身を移そうとするのが本能なのだと、

以前、本で読んだことがある。


ネコはペットとして飼われている場合でも、

どちらかというと野性的な面を常に持ちつづける生き物だから、

体調を悪くしたりすると、干渉の多い飼い主のそばよりも、

自分だけの秘密の場所にいくことを考えるのが普通なのだそうだ。


逆に、犬の場合はというと、人間との信頼関係が

他のペットの場合よりもずっと深く結ばれている場合が多いので、

自分の体が弱まると、人間を頼ろうとすることが多いらしい。


ただ、それはあくまでも自分の体調が、よくないのを感じている場合のこと。


動物が、よくいわれるように、

本当に自分で自分の死期を悟ったりできるのかどうかは、

現在ではわかっていないのだと、

たしか、本に書いてあったのを読んだことがある気がする。


だとしたら、あのときの犬はどうだったんだろう。

あの不思議な行動は、ただ、自分の体調のことを飼い主に知らせたくて

やっていただけだったんだろうか。


ロープつながれた自分が行ける、限られた自分だけの狭い世界を

まるで一歩一歩、確認して記憶に留めようとするように歩く、

あのときの犬の姿が、今も、私にはどうしても、忘れられずにいる。

食事制限。

自分がヤセの大食いだということを、最近になって

友人に指摘されて初めて知った。


そういわれてみると、確かに一緒に食事をする人からはいつも、


それだけのものが一体、体のどこに消えていくんだろうなあ」



なんて、よく言われていたけど、

それは私のただの「大食い」というの部分に対して

言われているのだと思っていた。

でも、よく食べるのに相応しいだけの体型をしていれば、

どこに消えるのか、なんて驚かれることはないはずで、

ただ、よく食べるな、で終わるはずだから、

私の場合には当てはまらないのかも知れないな、と気がついたのだ。


そういえば、子供のころ、親戚の家に遊びにいったりして、

そこで食事をご馳走になったりすると、

料理を作ってくれたおばさんなどは私の食べっぷりに


「あら、よく食べるわね。

それくらいキレイに食べてくれると気持ちいいわ。

たくさんあるから、もっといっぱい食べてね」


なんていってくれて、ほんとうにイッパイ食べたら、あとで両親に


「ああいうのは、どこの家でもそういうのっ!ただのお世辞で、本心じゃないのっ!!」


と、なんだか生々しく注意されて、それ以降、あまり人の家では

本能の赴くままに食事したりしないようになった、ということがあった。

うーん、なんだか私ってば、成長してないのかなぁ。


いわれてみると、確かに私はそれくらい、いつもかなりの量を食べるのに、

自分の体を見て、少し痩せないと・・・、なんて思ったことがないし、

むしろ、夏を前にした健康診断などに行くと必ずといっていいほど、

少し痩せすぎですね、なんていわれてしまう。


「このままだと夏をのり切れませんよ、もう少し食べましょう」


なんて言われてしまったときには、

うっ、これ以上食べるなんて、逆に危険だよっ!

と思わず言ってしまいたくなったことがある。


大食い、というとなんだか、いつも食べていないとダメな人、

というようなイメージがある気がするのだけど、

私の場合は、食べるときには食べるのだけど、

実は、しばらく食べないようにしよう、と決めてしまえば、

どこまでも、食べずにいられることもできる。


学生時代、夏休みだった一ヶ月を利用して、

実際にどれくらい食べないままでいられるか実験しようとして、

両親には夏バテで食欲がないから、とウソをついて

一ヶ月間をほぼ一日一食程度の、しかも簡単な食事のみで過ごしたことがあった。


やってみると、本当に夏バテの影響もあったからなのか、

意外となんの問題もなくて、そのまま過ごせてしまった。


ただ、それ以降、夏場に食事を控えるクセが身についてしまったらしくて、

自制をしているわけでもないのに、なんとなく夏になると

毎年、普段のようには食べられなくなってしまい、

私にとってはちょっとだけ恐怖の時期になってしまっている。


うーん、もう、今年も夏が近いんだけど、どうなるかなぁ・・・・・・。