開放感。
以前、自動車が苦手だ、と、ここで 書いたけど
実は飛行機も同じくらい私は苦手だ。
自動車に比べれば、この思いには賛同してくれる人も多いはず、
と思ったんだけど、
ただ、この話を友人との間でしたときには、
思っていた以上に冷たい反応が返ってきてしまって、
口にした私はすぐ後悔してしまった。
「だって、嫌いかどうか断言できるほど、飛行機に乗ったことなんてないもん」
「私なんて、飛行機そのものに乗ったことない」
いや、これは乗った回数とか、そういうことじゃないんだよぉ・・・・・・。
「いいなぁ、飛行機に何度も乗れるような生活をしてる人は」
「ただ、それで友達の気持を理解できなくなってしまうのは、ちょっと、どうなんだろう」
ちがうんだよっ!
そもそも、私だって飛行機は数えるくらいしか乗ったことないぞっ。
それに、飛行機に乗れる回数と、人の気持を理解する能力はまったくの
別物じゃないかよお・・・・・・。
飛行機の私はなにが嫌いなのかといえば、
空を飛んでいるときはそうでもないんだけど、
離陸の瞬間と、着陸のときに感じるあの独特の浮遊感が
どうしてもダメなんだ。
遊園地のジェットコースターなんかと変わらないじゃないか、
といわれれば、確かにそうだという気もするんだけど、
直に身体に風を受けながらそれを感じるのと、
巨大な鉄の箱に閉じ込められて感じるのとでは、
やっぱり全然違うからなのかもしれない。
だって、ジェットコースターは、楽しいものだよ、慣れてしまえば。
あの開放感て、なかなか他では味わえないもん。
人によっては、わざわざお金を出して
怖い思いをするなんて信じられない、という人もいるけど、
私はむしろ、怖い瞬間から開放されるときの開放感こそ、
みんなが求めているんじゃないかと思うんだけどなあ。
どうだろう。
そう考えると、飛行機はあくまでも移動の手段であって、
恐怖もそこからの開放感も、ただの乗り物としての副産物だから、
私のように苦手だ、という人間がいて当然なのかもしれない。
移動しながら、味わうか。
グルグル同じところを回りながら、味わうか。
うーん、難しい問題だ。
同じ場所をずっとグルグルするのも問題だけど、
飛行機の場合は一度乗って、ちょっと近くの酒屋さんまで、
てわけにはいかないもんなぁ。
ちょうど、その中間にあたるものがあればいいんだけど・・・・・・、
と、そこまで考えて、ふと気づいたのは、
私にとってその中間に当たるものこそが自転車なんだ、ということ。
これなら手軽に乗れるし、スピードもでる。
時には出すぎてしまうこと もあるくらいだし。
直接、風をうけながら走ることだってできるぞ。
おお、これっていきなり問題解決じゃないか!?
「ああ!それに、なによりも、お金はかからないというのがいいよな!」
うーむ・・・・・・。
お別れ。
「今日で、このゲームをやめるんだ」
ネットワークゲーム上での別れは、いつも突然やってくる。
みんなが集まる場所があって、目指すべき同じ目的があって、
協力しあってトコトン遊びあった仲であっても、
そこにあるものは現実の世界とは違うから。
ベッドに潜り、朝になる度に目を覚ましても、
必ず私たちの目の前にいてくれる、この、現実の世界とは違う別世界。
そこにあるのは、ネットワークの中にしか存在していない世界。
次の瞬間には全てが消えるかもしれない世界だ。
触っている気になることもあるけれど、実は絶対にさわれていない世界。
家庭用ゲーム機初のオンラインRPG、「PSO」が発売される!
怖いもの知らずな私は、そのゲームを迷うことなく予約、
オンラインゲームどころか、ネットワーク接続さえもほとんど初心者だった当時の私は、
それでも少しずつを目の前の問題を克服していったのだった・・・・・・、
ということは、テーマの「オンラインゲーム」の過去の記事にも、
少しずつ書いている途中なんだけど、
実は今の私は、そのオンラインゲームをまったく遊んでいない。
一時期は本当にたくさんの時間を費やして遊んでいたにも関わらず、
現実世界を優先し、仕事や私用に追われていくうちに、
どうしても少しずつ疎遠となっていってしまったんだ。
最初の言葉のように、別れ際に挨拶していく人は実は、稀だ。
私たちは残念だな、と言いながら、お別れの冒険に行く。
思い出話をする。
また、どこかで会う約束をする。
私たちは誰一人、それが叶わないだろうことを知っている。
叶えばいいのに、と思っている。
もっといえば、やめないでくれたらいいのに、と思う。
もっと一緒に遊びたかったな。
でも、そんなことをわざわざ発言する人はいない。
時間がくる。
別れを惜しむ。
もう一度だけ、いつか再会しよう、と約束。
そして、友達は消える。
立ち去るんじゃない。
消えるんだ。
一人の人間のデータが消しゴムでこすったようにネットの世界から消えてしまう。
私たちは、もう二度と会うことはない。
会ったとしても、きっとわからない。
そのときはまた、違う名前、違う姿だろうから。
挨拶がない場合はもっと簡単だ。
ゲームの世界と違い、絶対に消えることなどありえないこの現実の世界が、
オンラインの世界に頻繁に通うことを許さない。
最初は一日だ。
どうしても現実を優先する。
ネット上の仲間は、お、きたきた、と何事もなく迎えてくれる。
次が数日。
お、今日は来られたんだ。
やさしいみんな。
数週間。
数十日。
気がつくと、ネットの世界に帰る理由とキッカケを失ってしまっている。
ああ、でもさ、あなたのことを気にかけてくれた、あのときの仲間は、
今もあなたを気にしているはずなんだ。
待ってはいないかもしれない。
待つのは大変だから。
そこは全てがいつ消えるかわからない世界だ。
でも、きっと、完全に忘れ去ることもない。
いつか、もし再会できたら、それはすごい奇跡だと思っている。
PSOの世界では友達になった証として、カードを交換しあう。
それを持っていれば、次にまた一緒に冒険したいな、と思ったとき、
そのカードを使って検索することで、ゲームにログインさえしていれば、
すぐにその持ち主と再会することができるようになっていたのだ。
当時、私が交換しあったそのカードは200枚あった。
オンラインゲームの世界で出会った、そして別れた、たくさんの人たち。
いつか、どこかのネットワーク上の世界で、私にも奇跡は起こるだろうか。
ああ、起きたらいいな。
モンスターメーカー。
私の実家では、お正月になると、親戚、知り合い一同が集まって、
みんなで花札を楽しむという、楽しげな会がある。
私の知る限り、私の家族、それに連なる親戚の誰もが、
たとえ、宝くじのようなものであってさえも、
「どうせあんなの、当たらないんだから買うだけ無駄よっ」
といって、買うことも考えないような、
ギャンブルや、賭け事といったものにとても疎い人たちばかりなのだけど、
そのときばかりは少し様子が違う。
だって、一度それが始まると、テーブルを挟んで札を睨みあう、
全員の表情は真剣そのもの。
少しでも相手を出し抜こう、少しでも相手より上回ろうと
目は血走って、誰一人として喋りもしない。
一度勝敗がついても、笑っている人はほとんどいない。
黙々と札を集める人、今の負けを反省する人、すぐに次の勝負の戦略を練る人。
その場の空気は殺気だって、お正月気分も一気にさめるような、
ほとんど修羅場。
うっ、怖いよぉ・・・・・・。
ただ、大人たちが毎年をこれを楽しみにして来ていることを、
幼いながらも、なんとなくわかっていた子供たちは、
お正月の華やかな食事会と。お年玉の受け渡しが終わり、
そろそろ花札大会が始まるな、ということを察すると、
決してジャマをすることなく、子供たちは子供たちで遊ぶために、
別の部屋へと移動を開始する、というのが暗黙の了解となっていたのだった。
あーっ、子供てホント、損な役回りだなあ。
ただ、集まっている家族の数も決して少なくはないので、
子供も7人、8人は当たり前。
となると、それだけの人数で、しかも屋内でみんなで遊ぶとなると、
これが、なかなか難しいのだ。
しかも毎年がそんなだから、遊ぶこともだんだんなくなってくるしさぁ。
そんな中で、私があるとき、ふと玩具屋さんで見つけた一つのゲーム。
それがみんなにものすごく好評で、
それ以降、そのときにみんなで遊ぶゲームの大定番となったのだった。
それは「モンスターメーカー」というカードゲームで、
私の記憶では他にもいくつかのバージョンが存在していたように思うんだけど、
実はそれ以降、このカードゲームを一度もお店などで見かけたことがないので、
私も詳しいことを知らないという、不思議なゲーム。
ただ、子供でもとっつきやすい絵柄で、ルールも簡単。
トランプなどと違ってかなりの大人数でも同時に楽しめるということで、
みんなですごく盛り上がったのだった。
今思うと、これが私たちにとっての花札だったのかなぁ。
一緒にしてしまうのは、なんだかちょっと心外なんだけどさ・・・・・・。
あなたに、「こんにちは」。
このネットワークの世界では、喋らなければいけない。
発言しなければ、そこにいることさえ、誰にも気づいてもらえない。
でも、たとえば、すぐ目の前に話すべき人が立っている現実の世界であっても、
喋るということは、誰かに伝わる、てことなんだ。
怖くない人がいるだろうか。
だって私たちは、いつも自分の心の内を全て晒して生きているわけじゃない。
だって私たちは、相手の心の内を全て読みとれる力があるわけでもない。
人とうまく付き合える方法なんて、私は知らない。
実はすでに大勢の人たちを自分は怒らせているのに、
私だけ、それに気づいていないのかも知れない。
それを知る本当の方法なんて、きっと、どこにもないのだと思う。
だったら、人と関わること自体をやめてしまう?
人と関わりあうことを拒否するのなんて、実は簡単だ。
自分は人と関わっている、というフリをしたらいい。
この世界にはそんな人たちが、実はたくさんいる。
どうしていいか分からない、という気持ちを隠すために笑顔を作り、
共感できるかどうか試すより、ずっと早くできるからだといって人を責め、
優しくするのは、嫌われたくない、という気持の裏返しでしかない。
それがいいことなのかどうか、何も分からないまま、
気がつくと、いつか、それが当たり前になっている。
でも、それはやはり、いけないんだと思う。
自分のことが全て相手に伝わるわけではないからこそ、
相手のことが全て伝わってくるわけではないからこそ、
だからこそ、思い違いや勘違いは、ときには誰との間にでも起きることなんだ。
それがネット上ともなれば、発言する、ということは、
現実より更に広い世界の、更にたくさんの人たちに伝わるということだ。
だから、確かに、誰でも怖いだろうと思う。
私もやっぱり怖かった。
今も怖い。
でも、自分を守ろうとしているだけの私では、いつまでも一人だ。
人とは大勢でいられたほうが楽しいに決まってる。
6年前。
私は「PSO」に繋いだ。
そして、初めて知り合った人に挨拶をした。
戦闘。
そのとき、
バリバリッ、
剥き出しにした爪をはるか頭上からいっきに振りおろしてきた。
右手に持ったセイバーで、特殊攻撃を繰りだそうとしていた私は、
慌てて体を返して、
相手の爪は私の背中をわずかにかすめて地面を削りとる。
私は無我夢中で所持品を探ると、
指先の震えが止まらない。
口の中はカラカラに渇いていて、
そのとき、もう一体の別のエネミーが首を仰けぞるように咆哮をあげて、
逃げる間もなかった。
口が怪しく輝いたかと思うと、そのまま一直線にとんできた光の束が目の前で炸裂し、
私の体は地面に押しつぶされるかとおもうような強烈な衝撃で
叩き落されていた。
ちきしょう!
手も足も出ない。
悔しいけど、
最後の回復アイテムを使いながら立ちあがり、
とたん、
私の鼻先をかすめて振り抜けていった。
うそ
薄暗い暗闇の中に、
こっちを見下ろしている。
もう一匹、
しかも、
聞き覚えのある、
目の前にいるエネミーが一歩こちらに踏み込んでくる。
やられるっ。
私が、
振り向くと、
その横で、そこだけ
ライフルを構えたもう一人仲間が、
微動だにしない姿勢のまま遠くにいたエネミーたちを撃退する。
「
ようやく出た言葉は、
「
う、
一人では倒せない、
頼もしい仲間。
掛け合う言葉。
道中の
そして、
買い物、雑談、
戦闘、
作戦、
普通なら、行き詰って挫折していてもおかしくなかった私のオンラインゲーム挑戦。
その辺りのところは、
テーマの「オンラインゲーム」の過去の記事を参考にしてもらうとして、
そんな私を救ってくれたのは、オンラインゲームの持つ魅力そのものだった。
それをわかってもらえるように説明するのって、きっとすごく難しい。
想像してはいたことだけど、
それで、ブログでオンラインゲームのことを書いている人たちのところを
渡り歩いて覗いて見た。
ゲームの中身は多種多彩。
決して詳しくない私でも知っているような有名なタイトルから、
初めて見るタイトルまで。
私の遊んだ「PSO」の後継作にあたる作品、「PSU」もあった。
そして、ああ、やっぱりそうだ。
私が魅力を説明する必要なんて、一体どこにあるんだろう。
だって、
でも、
と思うんだけど。
うーん、できるかなぁ。


