ベイのコンサート日記

ベイのコンサート日記

音楽評論家、長谷川京介のブログです。クラシックのコンサートやオペラなどの感想をつづっています。

 


(7月27日・ミューザ川崎シンフォニーホール)
チャイコフスキー「交響曲第2番《ウクライナ(小ロシア)》」[1872年初稿版]を生で聴くのは初めて。改訂版もまだ生では聴いていないが、初稿版の面白さを堪能できた。第1楽章冒頭のホルンのソロで吹かれるウクライナ民謡「母なるヴォルガを下りて」が初稿版では次々と展開されて圧巻。第4楽章も後半が150小節も長く、聴きごたえ充分。

 

今日はコンサートマスターにドイツのハーゲン歌劇場のコンサートマスターを10年以上務めている景山昌太郎が客演した。父はヴァイオリニストの景山誠治。オーケストラのまとまりもあり、弦もきれいにそろいとても良いコンサートマスターぶりだった。

 

ノット東響の演奏は、先日のサントリーホールでのラヴェルとブルックナーに続き絶好調。第2番の演奏もいつも以上に輝かしく切れが良く、弦も木管も金管ものびのびと吹かれ、実力を最高度に発揮した。ホルンの客演首席は読響の松坂隼。冒頭からノットの細やかなタクトの動きにあわせ、歌心にあふれたスケールの大きなソロを聴かせた。

ノットのチャイコフスキーは都会的でしゃれている。ヨーロッパに憧れ、ヨーロッパ音楽とロシア音楽の良い点を融合しようとしたチャイコフスキーの意図通り、洗練された演奏を聴かせた。

 

特に第4楽章は「ゾーンに入った」演奏で、冒頭にファンファーレが壮大に奏でられ、民族舞踏的なウクライナ民謡「鶴」に基づいた主題が活気に満ちて盛り上がっていく。

第2主題も優しくチャイコフスキーらしい抒情性に満ちたもの。銅鑼が鳴らされてから始まるコーダは一段階上に上がった集中ぶりで、東響のメンバー自身もノットと共に音楽に乗せられてしまった、あるいはいつの間にやら高い世界に到達してしまったという印象があった。金管が輝かしく爽快だった。ノット東響はこの作品の魅力を十二分に伝えてくれたと思う。

 

 

後半はチャイコフスキー「交響曲第6番《悲愴》」。東響と一度予定されたが、コロナ禍で中止となった曲。ノットは公の場で指揮するのは初めてのようだ。昨年のインタヴューでは4番と5番は指揮したことがあるが、第3番は初めてと話している。《悲愴》については触れられていないが、指揮していないと推測できる。
サマーミューザ特別寄稿 ジョナサン・ノット チャイコフスキーへのチャレンジ「これまで経験したことのない興奮を創り出す」(インタビュー・文:青澤隆明) | ミューザブログ (kawasaki-sym-hall.jp)
 

そのためか、あるいはそういう耳で聴くからか、ノットの指揮自体が初々しくて(失礼!)新鮮。第2番と同じくヨーロッパの洗練されたセンスを感じさせる演奏で、演奏中何度も『素敵!』と叫びそうになった。

 

チャイコフスキーに付きまとう情念に塗りつぶされた演奏とは異なり、作品を一から見直し、対向配置の東響から、有機的でバランスよく組み立てられた響きを導き出す。

 

第1楽章序奏のファゴットはそれでも少しおどろどろしい。第1主題はあっさりめ。第2主題は思い入れが少なめ。他の指揮者ならたっぷりと感傷的にロマンティックに歌わせるだろうが、さらりとしている。正直もう少し感情を入れてもいいのではと思ったが、カラヤンの演奏を聴いて育ち、今聞き直すと納得できないと語るノットにとって、このメロディは優美で詩情に満ちたものなのだろう。

 

提示部最後の通常クラリネットからバスクラリネットが引き継ぐpppppp(p6つ)の下降する最弱音はスコア通りファゴットが吹いたが、低音は難しいのかめずらしくミスがあり音も大きめだった。

 

展開部の頭の強迫的な一撃は、驚かせるような誇張はなく、スコア通りフォルティシモで始めた。ここでの金管が目覚ましい。特にトランペットのローリー・ディラン

冴えている。

 

再現部の2つのクライマックスは、やはり「ソーンに入った」演奏で、速めのテンポで気高く頂点を築いていく。慟哭にも品が感じられた。コーダはきれいなハーモニー。ここも「素敵」だった。

 

第2楽章の5拍子のワルツは繊細な表情。中間部は甘美でこれも粘らない。ワルツの再現での木管のアンサンブルが美しい。これらもノットがチャイコフスキーの表現で目指す優美さなのだろう。

 

第3楽章の行進曲は「騒々しい金管とほとんど軍隊のような力でモティーフがくり返される演奏」ではなく、激しいがバランスが良い。ここでもコーダは「ゾーンに入った」高揚感があった。ブラヴォが起きないことに、聴衆の集中力の高さを感じた。

 

第4楽章へは一瞬の間を置いたが、ほぼアタッカで入っていく。

冒頭の主題はメランコリックな表情。これもまた大仰さとは無縁のどこか都会的な悲しみに満ちて、ここも「素敵!」と叫びそうになる。ファゴットの下降する低音は見事。先ほどのミスを帳消しにした。

アンダンテの中間部も甘い表情にとても品がある。コントラバスの豊かな音がまた素晴らしい。次第に音が厚くなり、号泣するような再現部のクライマックスは引き締まり、潔い。銅鑼は柔らかく鳴らされた。コーダも絶望的ではなく、どこか高貴さを秘めた表情。チェロ、コントラバスもディミヌエンドにスフォルツァンドの表情をきっちりと入れて弾いていく。息絶えるような弾き方ではない。

 

感傷と激情の坩堝に巻き込まれない、知的なアプローチのすっきりとしたノットのチャイコフスキーは大好きだ。いい音楽を聴かせてもらったという充足感に満たされた。

マグヌス・リンドベルイ:EXPO(2009)

リンドベルイは1958年フィンランド生まれ。ギルバートがニューヨーク・フィル音楽監督に就任する2009年に彼に委嘱、同年初演された。10分ほどの曲だが、緩急のリズムの変化、場面の移り変わりがめまぐるしく、どこに向かうのかわからない側面もある。スペクタクル映画の音楽のようでもあり、先日ヴィンツォー読響で聴いたギョーム・コネソンとも重なる印象もある。ギルバート都響は色彩と切れのある演奏。

 

エドゥアルド・トゥビン:コントラバス協奏曲 ETW22(1948)

トゥビン(1905-82)はエストニアの作曲家。ソ連に併合される前にスウェーデンに亡命した。この曲はボストン交響楽団のコントラバス首席で同じくエストニア出身のルトヴィク・ユフトのために書かれたが、BSOの常任指揮者でコントラバス奏者でもあったクーセヴィツキーの横やりでユフトは初演できなかったという。初演は1957年、マヌエル・ヴェルダゲーアのソロ、オラフ・ルーツ指揮でコロンビアで行われた。

 

ソリストは都響首席池松宏。池松は実演の難しさとして、コントラバスは音の輪郭が丸く他の楽器と溶け合いやすいので、ソロになったさい聞こえなくなることを上げる。

今回は解消策としてPAを入れた。ギター協奏曲ではおなじみだが、この方策は大正解。コントラバスがオーケストラと良いバランスで聞こえる。人工的な響きは皆無。池松の演奏は、滑らかで流れが良く、第2楽章の長大なカデンツァの超絶技巧も素晴らしかった。

 

 

池松はアンコールに映画「ディア・ハンター」のテーマ曲、スタンリー・マイヤーズ「カヴァティーナ」吉野直子のハープとともに弾いたが、これが絶品。駒の近くで弾くチェロとは異なる柔らかさと広がりのある高音が美しい。吉野直子の品格のあるハープも素晴らしかった。

 

後半は、リムスキー=コルサコフ:交響組曲《シェヘラザード》op.35。ヴァイオリン独奏はコンサートマスターの矢部達哉。今日は水谷晃がトップサイドに座る。

 

ギルバート都響は、ニューヨークのエネルギーと活気を感じる華麗な演奏。都響の響きは時にモノトーンに感じることもあるが、今日は色彩に溢れ華やかだった。

 

池松宏はプログラムのインタヴューでギルバートについて『ヴァイオリンやヴィオラを弾き、室内楽の名手でもあるギルバートは耳の使い方がプレイヤーに近く、阿吽の呼吸がわかっている気がする』と語るが、ギルバートは緩徐部分で弦をよく歌わせ、その響きに一緒に乗っていくような指揮ぶりだった。

 

またギルバートの指揮は細部まで目が行き届いており、各楽章のクライマックスでも、最強奏と各セクションのバランスをギリギリの線で保つところはさすがだった。


《シェヘラザード》の主題を弾く矢部達哉のソロは、これまで聴いた中ではソヒエフN響で聴いた篠崎史紀と双璧の素晴らしさ。

篠崎が妖艶な美女とすれば、矢部は楚々とした品の良い美女というところか。曲の最後を締めるフラジョレットの音程も正確だった。

 

《シェヘラザード》は各セクションの首席のソロが頻出する作品であり、楽員にとって腕の見せ所。各自しっかりと準備をしてから本番に臨んだことだろう。みなさん素晴らしかったが、特に印象に強く残ったのは、フルート松木さやの涼やかな音。そして客演で入ったシュターツ・カペレ・ドレスデンのクラリネット首席ロバート・オーバーアイグナー(Robert Oberaigner)のソロ。軽やかで柔らかく自由自在、全身これ音楽という演奏ぶり。今回は室内楽のコンサートやマスタークラスのため来日しているようだ。

 

プロフィール:チロルのホールで生まれ、ウィーン国立音楽大学とハーグで学び、ヒストリカルな演奏に重点を置いた。リューベック音楽大学でサビーネ・マイヤーに師事。ドレスデンに移る前は、ケルン・ギュルツェニヒ管弦楽団の首席クラリネット奏者を務め、ベルリン・フィルやウィーン・フィルにも客演している。

 

オーボエ広田智之ファゴット岡本正之ホルン西條貴人のソロも良かった。そして1曲目からステージに出ずっぱりのハープ吉野直子の演奏も華やかで存在感があった。

 

ギルバートはソロカーテンコールで矢部達哉と一緒に登場したが、矢部を先に歩かせ自分は後からついていった。

 

写真:©都響

 

都響スペシャル(7/23)(平日昼)

サントリーホール

 

指揮/アラン・ギルバート

コントラバス/池松 宏(都響首席奏者)

 

マグヌス・リンドベルイ:EXPO(2009)

エドゥアルド・トゥビン:コントラバス協奏曲 ETW22(1948)

リムスキー=コルサコフ:交響組曲《シェヘラザード》op.35(ヴァイオリン独奏/矢部達哉)

(7月21日・東京芸術劇場)

パシフィックフィルハーモニア東京(PPT)の客演コンサートマスターは豊嶋泰嗣。新日本フィルのコンマスもいつの間にか辞めており、在京オーケストラで弾く姿を久しぶりに見た。10型という小さな編成だが、PPTを全身でリードしていく姿は頼もしい。

 

チャイコフスキー:ヴァイオリン協奏曲ニ長調作品35のソリストはロシアとウクライナの血をひくベルギー人で、2019年6月チャイコフスキー国際音楽コンクールにおいて2位となったマルク・ブシュコフ

チャイコフスキーは自分のものとしており、安定した演奏。弓圧は強すぎず繊細さも持っている。第2楽章は甘い表情でたっぷりと、品よく聴かせた。第3楽章も余裕があり、コーダに向かって熱く盛り上げていく。

PPTはフルートに都響首席の柳原佑介がゲストで入っており、第2楽章ではしみじみとした美しいソロを披露。PPTは木管の各首席、オーボエの石井智章、クラリネットの亀井良信、ファゴットの渡邊眞理愛がブシュコフを巧みに盛り上げていく。

飯森範親の指揮もメリハリのあるものだった。

 

ブシュコフのアンコールは、イザイ「無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第5番第2楽章」。「田舎の踊り」という副題もあるリズミカルな舞曲。後半の左手の高速ピッツィカートとコーダの重音も正確。演奏も余裕綽々で軽くこなしたという印象。

 

後半は、ベートーヴェン:序曲「レオノーレ」 第3番 作品72b。再現部を導く大臣の来訪を告げるバンダのトランペットは、ステージ下手奥から。カーテンコールで飯森が呼ぶと、若い女性のトランペット奏者が登場した。

オーケストラにはトランペット客演首席として、東響のローリー・ディランが入っていた。

演奏全体は引き締まり、集中力もあった。

 

飯森とPPTは、ベートーヴェンの弟子でベートーヴェンの生涯の重要な資料《ベートーヴェンに関する伝記的覚え書き》をヴェーゲラーと共著したフェルディナント・リース(1784-1838)の交響曲第1番を今年2月に演奏しており、今回はそれに続き、交響曲第2番 ハ短調 作品80 日本初演した。

最近再評価の動きが高まっており、アマチュアオーケストラでも演奏機会が増えているという。

 

ベートーヴェンの影響も感じられると同時に、親しみやすく素朴な曲想や、緊張と浮遊感、加速していく劇的な展開など、古典派からロマン派に向かう流れも感じられる。

知れば知るほどはまるような魅力もある。

第1楽章の変ホ長調の第2主題はベートーヴェンのエロイカのようでもあり、第2楽章のアンダンティーノは愛らしい。第3楽章メヌエットは緊張しつつ哀感もある主部と伸びやかな中間部の対比が面白い。終楽章はベートーヴェンのフィナーレのようだが、もっと軽やかで伸びやか。コーダの加速は激しい。

飯森PPTは引き締まり一丸となった演奏を展開した。

 

帰りにお会いした平野昭先生から『リースのピアノ協奏曲第3番もいいですよ』と伺ったのでナクソス・ミュージックライブラリーで聴いてみたが、第2楽章ラルゲットは、ショパンを先取りするようなロマンティックな作風で、とても魅力的だった。

 

第167回定期演奏会

指揮:飯森範親

ヴァイオリン:マルク・ブシュコフ

プログラム

チャイコフスキー:ヴァイオリン協奏曲 ニ⾧調 作品35

―休憩—

ベートーヴェン:序曲「レオノーレ」 第3番 作品72b

フェルディナント・リース:交響曲第2番 ハ短調 作品80 《日本初演》


(7月20日・サントリーホール)
やはりノットと東響は素晴らしい。

ラヴェル「クープランの墓(管弦楽版)」から一気に聴き手を引き込む。繊細で透明感があり、幻想的。視覚に訴える色彩感とは異なり、繊細な響きが醸し出す詩的で幻想的な世界が広がった。

 

ブルックナー「交響曲第7番(ノヴァーク版)」は繊細で明晰、金管も引き締まった響きで芯が盤石。第1楽章のコーダは秘境の静まり返った湖面が目に浮かぶよう。第2楽章は神聖な世界へといざなわれる。コーダのワーグナーテューバのハーモニーは天上的。第3楽章スケルツォの最後は壮絶。終楽章は切れ味が鋭い。

 

詳しくは「音楽の友」コンサート・レヴューに書きます。

 

話は飛びますが、この日の東響のプログラムに、7月7日(日)東京オペラシティでの大友直人指揮、フセイン・セルメットの曲目解説も掲載されています。これに関連して、「大友直人とエルガー」というエッセイを12p、13pの2ページにわたり書きました。大友のエルガー演奏歴にも触れています。お手元にあればお読みいただけたらうれしいです。

 

 


「音楽の友」8月号が発売されました。

13ページ(カラー)に小澤征爾 水戸芸術館館長・室内管弦楽団総監督 お別れ会のレポートを書きました。

その他コンサート・レヴューは、
4/27小泉和裕指揮都響(3p)
5/14ドミンゴ・インドヤン指揮ロイヤル・リヴァプール・フィルハーモニー管(9p)

5/18阿部加奈子指揮神奈川フィル(11p)

5/19小泉和裕指揮新日本フィル(11p)

の4本を書きました。

 

お読みいただけたらうれしいです。

 

 

第162回定期演奏会

(7月15日・東京オペラシティコンサートホール)

1曲目は鈴木優人のオルガンソロでディートリヒ・ブクステフーデ《プレリュード ト短調》BuxWV 149が弾かれた。目も覚めるような鮮やかで華麗な作品に驚く。
オルガニストにとってブクステフーデはモーツァルトやベートーヴェンの100倍は重要な作曲家だという(プログラム解説より)。バッハがブクスフーデの作品に憧れた理由がわかる傑作。

 

続いて、ミーントーンで調律されたバッハ・コレギウム・ジャパンの演奏で、ブクステフーデ《我らがイエスの四肢》BuxWV 75が演奏された。イエスの御足、御膝、御手、御脇腹、御胸、御心、御顔と7つの部分にそれぞれに「寄す」歌詞が歌われていく。各曲の冒頭にはソナタとして前奏曲が演奏される。

ミーントーンのピュアなハーモニーにのせ、文字通り清らかに天国的に音楽は進んでいく。ソリスト5人のソロも素晴らしく、特にソプラノの松井亜希とアルトのテリー・ウェイの声に魅了された。

 

バッハがブクスフーデの主宰する「夕べの音楽」を聴くために、アウンシュタットから500キロ近く離れたリューベックまで出かけたことは有名なエピソード。バッハに与えた影響の大きさは作品を聴くと納得できた。

 

後半のJ. S. バッハ:カンタータ第106番《神の時こそいと良き時》BWV 106はバッハの最初期の素朴なカンタータ。葬送のためのカンタータにしては明るい雰囲気の漂う作品で、バッハの意外な一面を知った気がした。

 

プログラム

D. ブクステフーデ:

《プレリュード ト短調》BuxWV 149

《我らがイエスの四肢》BuxWV 75

 

J. S. バッハ:

カンタータ第106番《神の時こそいと良き時》BWV 106

 

指揮・オルガン独奏:鈴木優人

 

ソプラノ:松井亜希、望月万里亜

アルト:テリー・ウェイ

テノール:櫻田 亮

バス:加耒 徹

 

合唱・管弦楽:バッハ・コレギウム・ジャパン

マウリツィオ・ベニーニ指揮東京フィルの演奏が評判通り素晴らしかった。

よく揃った弦の繊細な表情と心に刺さる音、金管のまとまり。木管の歌。細やかな演奏でありながら、ここぞというクライマックスでは、目の詰まった芯の強い音が響く。

これまで聴こえてこなかったフレーズがいたるところに表れる。歌唱との一体感はバランスがとれ、理想的だった。

 

作品の中核を占めるスカルピア役が、ニカラズ・ラグヴィラーヴァから青山 貴に代わったことは残念だった。青山も健闘するが、準備期間も少ないためか役になりきれず、主役とも言うべき悪役の存在感が薄れてしまった。

結果的にカヴァラドッシとトスカの二重唱がハイライトとなる第3幕が最も充実していた。

 

トスカのジョイス・エル=コーリーとカヴァラドッシのテオドール・イリンカイは、安定はしているが、飛びぬけた個性はあまり感じられない。脇を固めるアンジェロッティの妻屋秀和、堂守の志村文彦は好演。

 

第1幕フィナーレのテ・デウムの場面では新国立劇場が誇るアントネッロ・マダウ=ディアツの豪華絢爛な舞台を見るのは二度目だが、やはり圧巻。新国立劇場合唱団も引き締まった合唱を聴かせた。

 

 

19日(金)19時、21日(日)14時からも公演がある。

トスカ | 新国立劇場 オペラ (jac.go.jp)

 

スタッフ

【指 揮】マウリツィオ・ベニーニ

【演 出】アントネッロ・マダウ=ディアツ

【美 術】川口直次

【衣 裳】ピエール・ルチアーノ・カヴァッロッティ

【照 明】奥畑康夫

【再演演出】田口道子

【舞台監督】菅原多敢弘

 

指揮

マウリツィオ・ベニーニ

 

演出

アントネッロ・マダウ=ディアツ

 

キャスト

【トスカ】ジョイス・エル=コーリー

【カヴァラドッシ】テオドール・イリンカイ

【スカルピア】青山 貴

【アンジェロッティ】妻屋秀和

【スポレッタ】糸賀修平

【シャルローネ】大塚博章

【堂守】志村文彦

【看守】龍進一郎

【羊飼い】前川依子

【合 唱】新国立劇場合唱団

【合唱指揮】三澤洋史

【児童合唱】TOKYO FM少年合唱団

【管弦楽】東京フィルハーモニー交響楽団

1990年から始まった日本製鉄音楽賞
今年はヴァイオリンの金川真弓(かながわ まゆみ)が、「曲の本質を理解し自分の感性をしっかりと通した説得力ある演奏を聴かせる、柔軟な対応力と包容力を持つ注目すべきヴァイオリニスト」として《フレッシュアーティスト賞》を、
音楽プロデューサー平井 滿(ひらい みつる)氏が「数十年にわたり地道に手作りで演奏会制作を続け、室内楽振興に果たしてきたその功績は高く評価されるべきである」として《特別賞》を受賞した。

 

今日は受賞記念コンサートが行われ、第1部は平井滿氏が司会の大林奈津子とトークを行い、第2部に金川真弓のミニコンサートがあった。

 

平井氏が企画運営する「鵠沼サロンコンサート」は400回を超える。2008年には横浜楽友会を設立、港南区民文化センター「ひまわりの郷」のコンサートを企画するほか、2011年に開館した鶴見のサルビアホール(音楽ホール)で弦楽四重奏を中心に室内楽のコンサートを多数企画している。2011年には海老名楽友協会も設立し、海老名市民会館でのコンサート企画も行っている。

 

最も大切にしていることは?の質問に『安定的にお客様に来ていただくこと。セット券で3,4公演まとめて販売。いいものだとわかっていただければ続けて買っていただける。定着するまで3年、4年と続けることが大切』と答えた。

 

今後のクラシック界の展望は?という質問に対しては、『東京から一歩出ると全国的に砂漠化している。1980年代の文化会館の設立ラッシュで公的ホール主催のコンサートが激増、民間の主催者が撤収してしまった。バブル崩壊後は税収が悪化、文化予算が最初に削減され、会館主催がなくなり、民間主催もすでになくなっていた。これが日本の現状です。市民会館への応援が必要。(私たちの運営方法が)こうすればコンサートができますよという参考になればうれしい』と語った。

 

第2部は金川真弓のミニコンサート(とはいえ中身は極めて充実)。

いきなりJ.S.バッハ:無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第2番ニ短調BWV1004から始まる。第20変奏と第24変奏の2つの頂点に向かって劇的に盛り上げていく構成が見事。外連味のない、純粋な演奏だった。

 

続いて3年前から室内楽の共演で意気投合している小菅優とファリャとプーランクという強烈な個性の作曲家の作品を弾いた。
小菅優も2002年に《フレッシュアーティスト賞》を受賞している。

ファリャ:7つのスペイン民謡では、バッハと打って変わってスペイン情緒豊かな世界が広がる。ピアノの小菅優も素晴らしい。小菅は強いアタックでファリャの土着的エネルギーを掘り起こしていく。金川のヴァイオリンは、そのエネルギーを取り入れながら、高みに向かって登って行った。

 

プーランク:ヴァイオリン・ソナタ FP119は、スペイン内戦の際、フランコの率いる反乱軍により銃殺された詩人・劇作家のガルシア・ロルカの思い出に捧げられた作品。
洗練された表現の中に、ドキリとするような激しい怒りの感情があり(特に第3楽章コーダのヴァイオリンの鋭いピッツィカートとピアノの激しい一撃)、一筋縄ではいかない作品でもある。小菅優とがっぷり四つに組む金川のヴァイオリンの説得力が抜群だった。

 

アンコールは、フォーレ「夢のあとに」が緊張を和らげるようにゆったりと演奏された。

 

先週7月4日、紀尾井ホールで記者会見があり、開館30周年を迎える2025年4月からホール名称が

「日本製鉄(にっぽんせいてつ)紀尾井ホール」となることが発表された。

以下はプレス・リリースです。

また、開館30年を機に、大規模なリニューアルを実施、舞台設備、客席の更新、バリアフリー対策を行い、配管など目に見えない部分も整備する。そのため、2025年8月から2026年12月まで、1年4か月にわたり休館。リニューアルオープンは2027年1月を予定している。紀尾井ホール室内管弦楽団のコンサートは東京オペラシティコンサートホールなど別会場で行われる。
 

 

1995年オーストリアの音楽一家に生まれ、24歳でファビオ・ルイージが音楽監督を務めるダラス交響楽団の副指揮者に就任し注目を集め、欧米のオーケストラとのコンサートを次々と成功させているカタリーナ・ヴィンツォー。日本でのデビューでもその実力を発揮した。

 

詳しくは「毎日クラシックナビ 速リポ」をご覧ください↓

https://classicnavi.jp/newsflash/post-18982/

 

 

 

 

コロナ禍で5年ぶりの来日となったタリス・スコラーズ。実は生で聴くのは初めて。客層は合唱を歌っている方や古楽ファン、あるいは声楽ファンだろうか、オーケストラや器楽のリサイタルなどのコンサートと異なる印象。

タリス・スコラーズは女声6人、男声4人の構成。指揮は創立者のピーター・フィリップス

 

ルネサンス音楽に詳しくない者としては、ピーター・フィリップスがインタヴュー(註)で語った

『私たちが歌っているのは、コンサートで聴くための音楽、お客様にお届けするものであって、必ずしも宗教的な関係があるわけではありません。私たちの音楽を聴いていると、まるで天国にいるかのように感じられるとすれば、それが私たちの狙いなのです。皆さんにその体験をしていただきたいのです』

という言葉にとても共感した。

 

実際に、プログラムも教会や礼拝で歌われる曲もあれば、現代アメリカの作曲家、ニコ・ミューリーが英国の南極探検家ロバート・スコットの日記から歌詞を採った作品もあり、またアルヴォ・ペルトもあるなど様々。

 

フィリップスが言う通り、女声の透き通った高音のハーモニーと男声の高音や低音のハーモニーが美しく溶け合い、正確な音程と隅々までコントロールされた表現力で完璧に歌われると、いずれの曲も文字通り天国的に感じられた。

 

全ての合唱が完璧だったが、最もインパクトがあり心に刻まれたのは、カトリックの聖地バチカン宮殿システィーナ礼拝堂にて400年前の礼拝で歌われた門外不出の秘曲、アレグリ作曲「ミゼレーレ(神よ、憐れみたまえ)」。モーツァルトが一度聴いただけで記譜したというエピソードでも知られる。

 

ホール4階下手のテノールが先唱者(カントル cantor)として歌うと、4階上手のソプラノ1、2、アルト、バスの合唱と、ステージ上のソプラノ1、2、アルト、テノール、バスの合唱が応唱する。特に4階のソプラノ1の装飾音をまじえた超高音はホールの天井に反射し、天から声が降ってくるように感じられ、この世とは思えない雰囲気に包まれた。

 

昨晩の東京オペラシティコンサートホールでは正面バルコニー2階のオルガン席の左右に配置されたと聞く。東京オペラシティとミューザ川崎の応唱の違いをぜひ聴き較べてみたかった。

 

タリス・スコラーズはミューザ川崎シンフォニーホールに初登場。ピーター・フィリップスはホールの評判を知っているのかアンコールに際してマイクを持ち、『この素晴らしいホールで歌えることは限りない喜びです』と語った。

 

アンコール曲はArvo Pärt:Bogoroditsye Dyevo (アルヴォ・ペルト:おお、神の御母)

フィリップスは『ペルトがケンブリッジのキングズ・カレッジ合唱団から委嘱され書いた作品で、同合唱団による「9つの聖書日課とクリスマスキャロル」の一環として、1990年クリスマス・イヴに初演された。ロシア正教会の「祈りの書」にある教会スラヴ語のテキストに基づいている』という趣旨の説明を加えていた。

 

 

(註) タリス・スコラーズ 結成50周年日本ツアー特別インタビュー〔後編〕 | アーティスト&コンサートマネージメント 株式会社テンポプリモ (tempoprimo.co.jp)

 

 

出演

指揮:ピーター・フィリップス

合唱:タリス・スコラーズ

 

曲⽬

ギボンズ:手を打ち鳴らせ

ウィールクス:高みでは神に栄光あれ

トムキンズ:おお神よ、奢り高ぶった者たちが私に抗って立ち上がり

ミューリー:ラフ・ノーツ(なぐり書きのメモ)

パーソンズ:おお、やさしきイエスよ

(休憩)

アレグリ:ミゼレーレ・メイ・デウス

パーセル:ミゼレーレ

ゴンベール:ダヴィデはアブサロムのために嘆き

ジョスカン・デ・プレ:わが子アブサロムよ

ペルト:それは・・・の子

 

[アンコール曲]

Arvo Pärt:Bogoroditsye Dyevo