アムステルダムのロイヤル・コンセルトヘボウで2019年から年3回のシリーズ公演を展開してきた室内楽団「バロックの真珠たち」 が、日蘭交流425周年を記念して初来日を果たした。
芸術監督 を務めるのは、オランダ在住のチェンバロ奏者、
天野乃里子 である。バロック音楽が誕生した社会的・思想的背景を重視し、絵画や舞踊と結びつけて総合芸術として提示するその知的なアプローチは高く評価されている。
メンバーは、音楽監督 でもある寺神戸亮 (バロック・ヴァイオリン)を中心に、ルイス=オッターヴィオ・サントス (バロック・ヴァイオリン)、丸山韶 (バロック・ヴァイオリン)、秋葉美佳 (バロック・ヴィオラ)、ライナー・ツィパーリング (バロック・チェロ/ヴィオラ・ダ・ガンバ)、角谷朋紀 (コントラバス)、そして宮廷舞踊を担う絵美里・ファン・バーレン (バロック宮廷ダンス)と、多彩な顔ぶれがそろった。
A.コレルリ《聖夜のための合奏協奏曲》ト短調 Op.6-8 (寺神戸、サントス、丸山、秋葉、ツィパーリング、角谷、天野)では、ガット弦が放つしなやかな倍音と、ノンヴィブラートでありながら濁りのない完璧な音程がTOPPANホールを満たした。古楽器のイメージを覆す、精度の高いアンサンブルであった。
天野と寺神戸によるレクチャーでは、終曲〈パストラーレ〉の牧歌的音形が羊飼いのバグパイプに由来し、キリスト降誕を象徴する“聖夜の音楽”としてヨーロッパで共有されてきたこと、ヘンデル《メサイア》の間奏曲も同じ語法に属することが紹介された。
続くコレルリ《ラ・フォリア》(Op.5-12より) (寺神戸、ツィパーリング、天野、絵美里)では、宮廷衣裳をまとった絵美里・ファン・バーレンが変奏ごとに舞踊を添え、音楽と身体が本来一体であったバロックの姿を示した。
〈フォリア〉はバロック期に最も広く用いられた変奏主題のひとつであり、コレルリのほか、リュリ、パーセル、ジェミニアーニ、さらにはバッハやラフマニノフにまで受け継がれた歴史的素材であると天野が説明した。王侯貴族が宮廷舞踊を幼少期から学んだという文化的背景を想起させる、説得力のある演奏であった。
クープラン《リュリ讃》(L’Apothéose de Lully) (寺神戸、サントス、ツィパーリング、天野)に移ると、ここでも天野と寺神戸 が作品の背景を丁寧に導いた。原題が示す通り、これはフランス音楽の巨匠ジャン=バティスト・リュリ(1632–1687) の死後、その功績を称え“神格化(アポテオーズ)”する意図で書かれた作品であり、イタリアとフランスの二大様式を統合するというクープランの美学が根底にある。
音楽は寓意的な情景描写として展開し、リュリが死後エリュシオン(ギリシャ神話に登場する死後の楽園)の野に到達し、オペラの精霊たちと合奏する場面に始まり、メルキュールの到来、アポロンの降臨と続く。アポロンはリュリを讃え、栄誉を授け、パルナッソス山へ導く。物語の途中には、同時代の作曲家たちのざわめきや嘆きが挿入され、作品に生き生きとした表現をもたらす。後半にはイタリアの巨匠コレッリやミューズたちが登場し、最後はリュリ自身の感謝の楽章で結ばれる。
天野の作品解説があり、絵美里が流暢なフランス語で各曲標題を朗読し、寺神戸が簡潔に訳して演奏へ入る形式が取られた。
第5曲〈リュリの同時代の作曲家たちが起こした、地下のざわめき〉 は、太陽王ルイ14世の寵愛を受け絶大な権力を得たリュリに対する同時代作曲家の嫉妬心を、不協和音まじりの“歯ぎしり”のような音で風刺した楽章である。深刻さより茶目っ気が勝り、楽壇の裏面史を垣間見るようなユーモアがあった。
第6曲〈リュリと同時代の作曲家たちの嘆き。フルートもしくは最弱音のヴァイオリンで〉 は、リュリがシャルパンティエら有力なライバルを宮廷やオペラ座から遠ざけた史実を踏まえ、干された作曲家たちの嘆きを最弱音で描いたものとされる。この楽章では弱音器を付けたヴァイオリンが用いられ、Violon très adoucis というクープランの指示に従った、くぐもった弱音が響いた。弱音は哀れでありながら、どこか可笑しみを帯び、クープランがリュリの栄光と横暴の双方を記憶にとどめようとした姿勢が読み取れた。
第8曲〈コレッリとイタリアのミューズたちがリュリに対して示した優しさと軽悔の念が入りまじった歓迎〉 は、表向き穏やかな歓迎の場面であるが、パルナッソス山には“先に殿堂入りした”コレッリが鎮座しており、優しさの中にわずかな距離感がにじむ。その複雑な関係を、音楽は冷ややかな陰影として刻んでいた。
終曲へ向かうにつれ、作品は単なる賞賛ではなく“和解と統合”の物語として姿を現す。様式の優劣を競うのではなく、互いの長所を尊重することで新たな美を切り開こうとするクープランの理念が明確になる。
第11曲〈リュリが主題を奏し、コレッリがその伴奏をする。次にコレッリが主題を奏し、リュリがその伴奏をする〉 では、寺神戸(リュリ)とサントス(コレッリ)が主題と伴奏を交替しながら奏し、フランス風の優雅さとイタリア式の重厚な語法の対比を鮮やかに示した。とりわけ両者の呼吸の一致は際立っており、装飾音の細部に至るまで緻密に揃えられた演奏からは、長年にわたる深い信頼関係が感じ取れた。
第12〜15曲 では両様式が交錯し、表情記号もフランス語とイタリア語が併置されている。
曲名には、イタリア語の「ソナタ」 ではなく「ソナード」 という表記が用いられているが、これは単なるフランス語化ではなく、クープラン自身による造語である。作品内部にはその意図を示す詳細なテキストも用意されているが、今回は演奏会という性格上、時間的な制約もあり詳細な説明は省略された。
演奏全体を通して、寺神戸とサントスの見事なバロック・ヴァイオリンの妙技とともに、ツィパーリングの奥行きの深い豊かな音が際立っていた。
第1部の最後には、当初のプログラムには記載されていなかったルクレール《タンブラン 》が追加された。ここで天野が言葉を添える。「フランス音楽の半分は踊り付きの舞曲であり、J.S.バッハもその語法を受け継いでいる。彼はイタリアへ行くことなく《イタリア協奏曲》を書き、フランスへ赴くことなく《フランス組曲》を書いた。ドイツの宮廷ではフランス文化が取り入れられ、フランス語が話されていたほどです」。
絵美里・ファン・バーレン の踊りは、私の抱いていた宮廷舞踊のイメージを鮮やかに覆した。バロック舞踏と聞けば、ゆったりとした所作と優雅な身振りを想像しがちだが、彼女の動きは舞台の隅々を駆け抜けるように俊敏で、鋭い切れ味を帯びていた。瞬時に軸を移し替えるステップや、身体を鋭角的に使うポーズは、現代バレエのようでもあり、時にフラメンコ を思わせる瞬間すらあった。
調べてみると、バロック期のフランス宮廷舞曲はスペイン舞踏の身振り語彙から強い影響を受けていたという。つまり、《タンブラン》の中にスペイン的な躍動が感じられたのは偶然ではなく、フランス宮廷が周縁文化の身体性を吸収しながら洗練させていった歴史そのものが、踊りのうちに刻み込まれていたのである。
第2部 はヘンデル(1685-1759) から始まった。
天野は再び語る。「ヘンデルの活躍した時代は日本でいえば江戸中期、そして彼が仕えたハノーファー選帝侯は、のちに英国王ジョージ1世へと即位した。ヘンデルは王侯の“専属作曲家”ではなかったが、神話や聖書、寓意的物語世界を巧みに音楽へ織り込み、王が公言できない政治的・文化的メッセージを作品に託した」。
その後、天野のチェンバロ独奏で《メヌエット ト短調》(ハープシコード組曲第2集第1番 HWV434第4曲) と、《パッサカリア ト短調》(ハープシコード組曲第1集第7番 HWV432第6曲) の2曲が、柔らかな表情で演奏された。
続いて天野は「メヌエットは踊りの音楽であり、ステップがある。踊りやすく演奏するためのテンポ設定が大事です」と説明し、絵美里・ファン・バーレン が再び舞台に現れ、サントスと天野の演奏に合わせて《メヌエット ト短調》(ハープシコード組曲第2集第1番 HWV434第4曲) で踊りを披露した。メヌエットの踊りとはこういうものなのか、という発見があった。
最後は、A.ヴィヴァルディ《四季》
(《和声と創意の試み》Op.8 より)
(寺神戸、サントス、丸山、秋葉、ツィパーリング、角谷、天野)である。
これもまた、従来の古楽器演奏のイメージを刷新する、鮮やかでありながら温かみを備えた、生き生きとした演奏であった。音楽そのものが呼吸するかのように躍動し、まるでヴィルトゥオーゾ集団の演奏に立ち会っているかのようである。
しかも今回の《四季》には、ソネット(原作に付随する詩) の朗読が加えられた。それを担ったのは、先ほど《リュリ讃》で流暢なフランス語を披露していた絵美里・ファン・バーレンである。今度は日本語による朗読で、その柔らかな語り口が、演奏全体に親密で温かな空気をもたらした。
特筆すべきは、その朗読が演奏と“演劇的”に密接に連動していた点である。たとえば《秋》第1楽章 、絵美里が「酔っぱらう」と言葉を発した瞬間、寺神戸がふらつきながらヴァイオリンを構え、酒に酔ってよろめく村人の姿を身振りで表現する。これは単なる視覚的な冗談ではない。音楽と身体の動きが噛み合うことで、音楽が立体的に立ち上がるのである。
私はこれまで数多くの《四季》を聴いてきたが、ここまで“音の意味”が身体を通して具現化された演奏は記憶にない。
「冬」 でも圧巻の瞬間が訪れた。第1楽章 で寺神戸のソロは、凍てつく風を切り裂くように鳴り響く。冷気が皮膚に触れるかのような鋭さと、そこに宿る自然な音楽的呼吸は、まさに名人芸であった。続く第2楽章 では、他のメンバーがピッツィカートで雨音を紡ぎ出す。その一音一音は、ガット弦ならではの温かさと湿度を帯び、しとしとと落ちる雨粒の気配を描き出す。
「夏」第2楽章 の蠅の羽音の描写は、音の粒子が空中に浮遊するかのように繊細で、自然の情景が間近に感じられた。そして終楽章 の嵐では、古楽器の表現力の豊かさをあらためて実感する。ガット弦が羊の腸から作られた素材であることを思わせるように、自然の気象の荒々しさ、生々しさが眼前に展開した。全員の演奏がソリスト級であったが、寺神戸はさらにその先を行く存在であった。
忘れてはならないのが、バロック・チェロ のライナー・ツィパーリング である。その音は単なる低音ではなく、響きの“地平”を定める存在であった。温かく豊かでありながら、演奏の陰影を自在に変える柔軟性を備え、彼が支えるハーモニーの厚みがあるからこそ、アンサンブルはどれほど自由に振る舞っても決して崩れない。寺神戸が大胆に動いても、音楽は常にツィパーリングの重心によって、帰るべき場所を与えられていた。
この《四季》は、単に巧みな演奏ではなかった。「名曲をもう一度聴いた」のではなく、「作品が眼前で生まれ直す瞬間」に立ち会ったのである。
プログラム
第1部
A.コレルリ: 聖夜の為に作曲された合奏協奏曲 ト短調 Op.6-8
1. ヴィヴァーチェ- グラーヴェ
II. アレグロ III.
アダージオ・アレグロ -
アダージオ
IV.ヴィヴァーチェ
V.アレグロ
VI. ラルゴ
パストラーレ
(寺神戸亮、L-O.サントス、丸山韶、秋葉美佳、R.ツィパーリング、角谷朋紀、天野乃里子)
A.コレルリ: ラ・フォリア (ヴァイオリンと通奏低音のためのソナタ Op.5-12より)
(寺神戸亮、R.ツィパーリング、天野乃里子、絵美里・ファン・バーレン)
F. クープラン: 「リュリ讃」
1.エリゼの野にいるリュリ、オペラの霊たちと合奏する
II. リュリとオペラの霊たちのためのエール
III. エリゼの野にメキュールが飛んで来て、アポロンが降りてくることを知らせる
IV.アポロンが降りてきて、ヴァイオリンとパルナソス山の席をリュリに贈る
V.リュリの同時代の作曲家たちが起こした、地下のざわめき
VI. リュリと同時代の作曲家たちの嘆き。フルートもしくは最弱音のヴァイオリンで
VII. リュリが、パルナソス山へ連れていかれる
VIII. コレッリとイタリアのミューズたちがリュリに対して示した優しさと
軽悔の念が入りまじった歓迎
への
IX.アポロンへのリュリの感謝
X. リュリとフランスのミューズたち=コレッリとイタリアのミューズたち
XI. リュリが主題を奏し、コレッリがその伴奏をする
XII. トリオによるソナード(重々しくアフリース
X IV.トリオによるソナード(躍動)
XV.トリオによるソナード(生き生きと)
(寺神戸亮、L-O.サントス、R.ツィパーリング、天野乃里子)
ルクレール《タンブラン》
(寺神戸亮、L-O.サントス、R.ツィパーリング、天野乃里子)
第2部
G.F.ヘンデル:メヌエット ト短調 (ハープシコード組曲第2集第1番 HWV434第4曲)
G.F.ヘンデル:パッサカリア ト短調 (ハープシコード組曲第1集第7番 HWV432第6曲)
(天野)
G.F.ヘンデル:メヌエット ト短調 (ハープシコード組曲第2集 第1番 HWV434 第4曲) (サントス、天野、絵美里・ファン・バーレン)
Aヴィヴァルディ: 四季(「和声と創意の試み」 Op.8 より)
協奏曲第1番 ホ長調 RV.269「春」
1.アレグロ
II. ラルゴ
III. アレグロ
協奏曲第2番 ト短調 RV.315「夏」
Lアレグロ・ノン・モルト
II. アダージオ
III. プレスト
協奏曲第3番ヘ長調 RV.293「秋」
1.アレグロ
II.アダージオ・モルト
III. アレグロ
協奏曲第4番ヘ短調 RV.297「冬」
1.アレグロ・ノン・モルト
II. ラルゴ
III. アレグロ
(守神戸売、L-O、サントス、丸山韶、秋葉美佳、R.ツィパーリング、角谷朋紀、天野乃里子)