ベイのコンサート日記

ベイのコンサート日記

音楽評論家、長谷川京介のブログです。クラシックのコンサートやオペラなどの感想をつづっています。

『音楽の友』2026年3月号に、私のレポートが掲載されました。

まず、トゥガン・ソヒエフ指揮NHK交響楽団1月定期では、
マーラー《交響曲第6番》を軸に、ソヒエフの劇的で求心力の強い音楽づくりを詳細に検証しています。三つのプログラムを通して見えた、この指揮者ならではの構築力と表現の振幅に注目しました。(64p-65p、カラーページ)

 

続いて、セバスティアン・ヴァイグレ指揮読売日本交響楽団の
1月3公演。(124p、白黒、イヴェントレポート)
ドイツ音楽の本流に根ざした造形美と、オーケストラの機能美が高い次元で結実した充実のシリーズとして論じています。
特にプフィッツナー「カンタータ《ドイツ精神について》」の日本初演は今年の大きな話題のひとつとして注目しました。

 

お手に取る機会がありましたら、ご一読いただけましたら幸いです。


NHK交響楽団第2059回定期公演Bプログラム(指揮:ヤクブ・フルシャ)の速リポが、CLASSICNAVIに掲載されました。
同郷のヨゼフ・シュパチェクとのドヴォルザーク《ヴァイオリン協奏曲》、そしてブラームス《セレナード第1番》という意欲的なプログラムで、フルシャの精緻で生命力あふれる音楽づくりが強く印象に残る演奏でした。
ご興味のある方は、ぜひお読みいただければ幸いです。

ヤクブ・フルシャ指揮 NHK交響楽団 第2059回 定期公演 Bプログラム | CLASSICNAVI


東京フィル第1028回サントリー定期。チョン・ミョンフンは《魔弾の射手》序曲でオペラ指揮者としての統率力を示し、岡本誠司のブルッフ「ヴァイオリン協奏曲第1番」は第2楽章の美音が際立った。

メンデルスゾーン「交響曲第3番《スコットランド》」では、解釈が難しいとされる終結部の凱歌を旅の帰結として温かく描いた点が印象的である。

詳しくは「音楽の友」コンサート・レヴューに書きます。


大阪フィルハーモニー交響楽団第58回東京定期。
尾高忠明のエルガーへの深い共感が随所ににじむ好演であった。《弦楽のためのセレナード》では温もり豊かな抒情が印象的に響き、《海の絵》ではアンナ・ルチア・リヒターの代役、林眞暎が終曲でスケール大きな歌唱を聴かせた。

ペイン補筆による《交響曲第3番》も、尾高の確信に満ちた指揮により作品の説得力が強く打ち出され、第1・第2楽章の推進力、第3楽章の深み、終楽章における迫力と静謐の対照が鮮やかであった。

詳しくは「音楽の友」3月号(予定)の札幌交響楽団、名古屋フィルハーモニー交響楽団の東京公演とあわせてレポートいたします。



今日がインバルの90歳の誕生日。終演後、ソリスト、オーケストラ、コーラス、バンダ全員による《ハッピーバースデー》が、本番さながらに壮大に演奏された。

 

それにしても、90歳のインバルの指揮のエネルギーと、演奏の完成度、密度の濃さには圧倒される。

都響と新国立合唱団、そしてステージ奥に横一列に並んだ大人数の東京少年少女合唱隊は、インバルの指揮に見事に応えた。新国の合唱は強声だけでなく、弱音の表情も正確かつ繊細で印象的である。

 

ソリストは昨日今日と2日続けての登壇で疲れも感じられたが、ソプラノⅠのファン・スミは透明感とよく通る声で素晴らしかった。テノールのマグヌス・ヴィギリウスも疲労の色は見えたものの、「マリアを崇める博士」では大健闘。他のソリスト陣も総じて充実した歌唱を聴かせた。初日はP席2列目での歌唱だったが、今日は最前列に並んだことで、声の飛びとバランスの面でも好結果だったのではないか。

栄光の聖母を歌った隠岐彩夏はLC席横での歌唱。


第I部「賛歌:来たれ、創造主たる聖霊よ」クライマックスにおける声楽と管弦楽のバランス、鉄壁の強さ、明快さは、まさに演奏の頂点であった。しかし、それをなお上回ったのが全曲のコーダ。バンダの金管に向けてインバルがさらに強い音を要求すると、金管の厚みは一段と増し、四方から包み込まれる音響の迫力は、サントリーホールならではの体験であった。

 

都響の弦は透明度、結束力、細やかさのいずれも見事。金管、木管、打楽器、ハープ他もベストを尽くした。初日を聴いた方によれば、さらに完成度は高まっていたという。

明日は東京文化会館大ホールで3日目の公演。出演者にとって負担の大きい日程だが、インバルの90歳のエネルギーに負けぬ健闘を祈りたい。

 

指揮/エリアフ・インバル
ソプラノⅠ/ファン・スミ
ソプラノⅡ/エレノア・ライオンズ
ソプラノⅢ/隠岐彩夏
メゾソプラノⅠ/藤村実穂子
メゾソプラノⅡ/山下裕賀
テノール/マグヌス・ヴィギリウス
バリトン/ビルガー・ラッデ
バス/妻屋秀和
合唱/新国立劇場合唱団
児童合唱/東京少年少女合唱隊

 

東京シティ・フィル創立50周年記念特別演奏会の第1回は、マーラー「交響曲第6番《悲劇的》」。総勢112名の大編成による演奏は、厳格で徹底して絶対音楽的な構築を志向するものだった。第1楽章は鋭く引き締まり、アルマ主題も甘さを排した造形。新全集版を使用し、楽章順はアンダンテ、スケルツォ。

終楽章で真価が現れる。第2のハンマー以降、金管の結束が一気に高まり、勝利へ向かう推進力が漲る。だが最後に叩きつけられるイ短調の和音は容赦なくすべてを断ち切った。純度を極限まで磨いた先に現れた終結は、意外なほど人間的で強い説得力を備えていた。


詳しくは「音楽の友」にレポートいたします。

 


ジョルダンの指揮については、昨年のウィーン国立歌劇場来日公演で《ばらの騎士》を聴き、その生き生きとしたテンポ感と流麗で華やかな音楽づくりに強い魅力を感じた。今回はN響への初登場となったが、そうした持ち味がオーケストラとともに存分に発揮されていた。

 

シューマン「交響曲第3番《ライン》」では、N響は14型の編成で臨んだ。

第1楽章は序奏を置かずいきなり開始されるが、第1主題は明るく軽やかに歌われる。第2主題のオーボエとクラリネットが、歌心に満ちた滑らかなフレーズで印象的だった。

第2楽章のスケルツォは、躍動感のある流れが際立ち、ここでもジョルダンのリズム感と統率力が光った。またホルンが好調で、楽想の躍動感を支えていた。

第3楽章で提示される木管の優しい主題は、N響の木管セクションの品格ある音色と相まって、ジョルダンらしい温かみのある表現となった。

ケルン大聖堂の印象を描くとされる第4楽章では、初めて現れるトロンボーンとホルンの柔らかなハーモニーが印象深かった。コーダでは金管によるファンファーレが加わり、厚みのある響きを作り上げた。

第5楽章は明るく開放的な性格で、軽やかな推進力が全体を締めくくった。

総じて、ジョルダンのシューマンは、いわゆる「ドイツ的な堅牢さ」というよりも、明るさと品格を併せもつ演奏であった。

後半はタマラ・ウィルソン(ソプラノ)を迎え、ジョルダンが得意とするワーグナーの楽劇《神々のたそがれ》から、「ジークフリートのラインの旅」「ジークフリートの葬送行進曲」「ブリュンヒルデの自己犠牲」が演奏された。N響は16型に拡大。

 

シューマンで感じられたジョルダンの音楽性は、ワーグナーにおいてさらに鮮明に表れていた。いわゆるドイツ的な重厚さを前面に押し出すワーグナーというよりも、明晰さと色彩感を重んじたワーグナーと呼ぶべきだろう。もっとも、オーケストラの厚みが失われているわけではなく、響きの土台は堅固に築かれている。

 

「ジークフリートのラインの旅」は明るく色彩的な響きが印象的で、金管が爽快なまでに鳴り響いた。ホルン首席の今井仁志がいったん袖に下がり、舞台裏からジークフリートのホルン・ソロを披露する演出も効果的である。「ジークフリートの葬送行進曲」では、N響金管の実力があらためて示され、トランペットの長谷川智之による〈剣のモチーフ〉が、とりわけ突き抜けた強靭さで響き渡った。

 

四部作のフィナーレ、第3幕終結部にあたる「ブリュンヒルデの自己犠牲」では、タマラ・ウィルソンが堂々たる歌唱を聴かせた。出だしはやや抑制的で、本調子ではないようにも感じられたが、クライマックスとなる炎を投じる場面からは、ほとんど絶叫とも言うべき強烈な声で一気に歌い上げた。ジョルダンとN響も、炎が渦を巻きながら吹き上がるかのような巨大なエネルギーと分厚い響きで応え、聴き手を圧倒する。
 

ただし、ライン川が氾濫し、ラインの娘たちが指輪を取り戻した後に高らかに響く〈愛による救済の動機〉の場面では、期待したほどの感動には至らなかった。抜粋演奏ゆえにドラマの累積が十分でなかったためか、あるいはジョルダンの持つ明るさの資質によるものか、またはウィルソンの表現がなお深みに届かなかったためか、その要因は一つに定めがたい。

とはいえ、ジョルダンがタクトを止めたまま訪れた静寂を、NHKホールの聴衆全体が息を詰めて受け止め、やがてタクトが下ろされた瞬間に沸き起こったブラヴォは、この演奏の充実ぶりを雄弁に物語っていた。

 

NHK交響楽団 第2057回 定期公演 Aプログラム

2026年2月7日 (土) 開演 6:00pm

NHKホール

曲目

シューマン/交響曲 第3番 変ホ長調 作品97「ライン」

ワーグナー/楽劇「神々のたそがれ」 ─「ジークフリートのラインの旅」 「ジークフリートの葬送行進曲」 「ブリュンヒルデの自己犠牲」*

指揮 : フィリップ・ジョルダン

ソプラノ : タマラ・ウィルソン*
 

 


(2月5日・サントリーホール)
札響東京公演は、エリアス・グランディ首席指揮者就任後のオーケストラの若々しい推進力としなやかな響きをあらためて印象づける一夜だった。

後半のR.シュトラウス《英雄の生涯》は、颯爽とした英雄の登場から、獅子奮迅の戦い、静かな完成と引退まで、明快で色彩豊かな音楽が一気に描かれた。

そして本編以上に忘れがたいのがアンコールの一幕だ。
アンコールに際して新たに一人現れた奏者は、札響正指揮者であり、名古屋フィルハーモニー交響楽団音楽監督の川瀬賢太郎だ。気づいた方はどれほどいらしただろう。

ヨーゼフ・シュトラウスのポルカ・シュネル《憂いもなく》では、楽団員の「ハハハ!」という笑い声に、ひときわ大きな声で加わり、客席を和ませた。友情出演とも言える光景である。

川瀬と名古屋フィルは2月24日の東京公演で、同じく《英雄の生涯》を披露する。サントリーホールでの名古屋フィル東京公演は2021年以来4年ぶり。グランディ率いる札響との同曲比較も楽しみだ。

詳しくは「音楽の友」3月号の「札響・大阪フィル・名古屋フィル東京公演レポート(仮題)」に書きます。

 

出演を予定していた指揮者マリオ・ヴェンツァーゴは急な体調不良のため来日できなくなり、ニューヨーク生まれのジェームズ・フェデックが代役を務めた。フェデックはブルックナー《交響曲第7番》で明快極まる演奏を成し遂げ、大成功を収めた。ブルックナーを得意とするというプロフィール通りであった。

 

一言で言えば、鉄壁のように強固な建造物を組み立てるかのようなブルックナー。
がっしりとした構造と磨き抜かれた外壁、そして豊かな内装を備えている。

 

切れ味鋭く輪郭の明確なヴァイオリン、密度の高いチェロとヴィオラ、重厚なコントラバス、明るく引き締まった響きのトランペットとトロンボーン、柔らかなハーモニーを形づくるワーグナーテューバ、伸びやかなホルン(わずかな疵はあったが)、透明なフルート、よく歌うオーボエとクラリネット――こうした充実した木管群に至るまで、読響の持てる力を最大限に引き出し、見通しの良い響きと滑らかな流れを作り上げた。

隅々まで明快であるがゆえに、陰影の奥行きや感情の高まり、瞑想的な神秘性はやや後退する。しかし、緻密で切れのある弦と、痛快なまでに伸びやかな金管の響きは、スケールの大きな交響曲としてのブルックナーを聴く喜びに満ちていた。

 

前半は、諏訪内晶子による細川俊夫《ヴァイオリン協奏曲「ゲネシス(生成)」》。
作曲者自身の言葉によれば、タイトルの Genesis(英語で「生成」「創世」「起源」)は生命の始まりと音楽的存在の成立過程を指し、同時にヴァイオリン独奏者ヴェロニカ・エーベルレの出産(2019年)への贈呈としての意味も持つ。細川は「ソリスト=人間、オーケストラ=自然や宇宙」という象徴的関係を想定し、生成の過程を音楽によって描き出した。

 

諏訪内晶子は、かつて日本財団貸与のストラディヴァリウス「ドルフィン」を使用していたが、現在は日本にルーツを持つ米国在住のDr. Ryuji Uenoから長期貸与されたグァルネリ・デル・ジェス「チャールズ・リード」(1732年製)に替えている。骨太な演奏は、ときに力強く、ときに繊細に展開された。フェデックの指揮も細やかで、代役とは思えない緻密な対話を諏訪内と繰り広げた。

 

個人的な感想を付せば、現代音楽における不協和音は、すでに過去の様式になりつつあるようにも感じられる。

 

■《第655回定期演奏会》 

2026年2月4日(水)19時開演 会場:サントリーホール

指揮=ジェームズ・フェデック  ヴァイオリン=諏訪内晶子

 

細川俊夫:ヴァイオリン協奏曲「ゲネシス(生成)」

ブルックナー:交響曲第7番 ホ長調 WAB107(ノヴァーク版)


■ジェームズ・フェデック(プロフィール)

ニューヨーク生まれ。シカゴ・トリビュート紙から「明らかに次世代を担うであろう逸材」と称された。これまでシカゴ響、クリーヴランド管、ベルリン・ドイツ響、フランス国立管、リヨン管、ウィーン放送響、BBC響、ヘルシンキ・フィル、ダラス響、シアトル響などに客演し、欧米で活躍している。26年6月にはボローニャ歌劇場にデビューする。日本では大阪フィルと広島響を振り、好評を博した。クリーヴランド管のアシスタント指揮者、ミラノのイ・ポメリッジ・ムジカーリ管の首席指揮者などを歴任。数多くのレパートリーの中でもとりわけブルックナーの解釈には定評があり、サンフランシスコ響との第8番、ベルギー国立管との第5番でのツアー、バーミンガム市響との第6番や第9番などで絶賛を博している。今回、読響に初登場を果たした。