「月球儀」&「芭蕉座」  俳句を書くメゾソプラノ山本 掌のブログ -337ページ目

「月球儀」&「芭蕉座」  俳句を書くメゾソプラノ山本 掌のブログ

第四句集『月球儀』
「月球儀」俳句を支柱とした山本 掌の個人誌。

「芭蕉座」は芭蕉「おくのほそ道」を舞台作品とする
うた・語り・作曲・ピアノのユニット。
    



俳句を金子兜太に師事。「海程」同人・現代俳句協会会員。



朱夏の柩




句集『朱夏の柩』、

俳人・安部完市による評。

金子兜太主宰「海程」に掲載された。


                         安部完市


 鎖骨美し月光のはりさけん

鎖骨――肋骨でも四肢骨でも、まして背骨もないーーを思う。

月光がとどいて、ふと「はりさけるよ」と思う。

思いが散乱して、イメージがばらばらに光って、

乱れて、豊かで、虹彩陸離である。


そして、そのイメージは散って、

きらきらしてまとまってしまわず、

一点に集中しない。

光が散って、

光が一塊一点に集中するその直前のかがやきを見せて、一句。
 

この作者の好む色はーー黒と銀とのこと、なにか合点できる。
 

そしてこの作者に、

  
  しなしなとゆびほぐれずやいぬふぐり

  
  眼をのこし衣脱ぐ蛇のかまえ

  
  天幕のおとこの寝息夏はじめ

  
  煮えたぎる水するどくて霧籠



などの、ひどく自然で、直感すぐさまの

一句一句も示し得ている。

いぬふぐり、の一語をよく解きほぐす一感覚。

蛇のかまえ、強さよわさ。

おとこの寝息へのやさしさ。

水への新しい一直線。

佳いと思う。



 


◆阿部 完市(あべ かんいち、1928年1月25日 - 2009年2月19日)

俳人、精神科医。東京生まれ。
金沢医科大学付属医学専門部(現金沢大学医学部)卒。

1950年より勤務先の病院の俳句グループで作句をはじめる。
1951年、日野草城の「青玄」入会、
1952年西村白雲郷の「未完」入会、
1953年高柳重信の「俳句評論」入会。
1962年、金子兜太の「海程」4号より入会、同人。
1965年第2回海程賞、
1970年第17回現代俳句協会賞。
1974年より「海程」編集長。
現代俳句協会、国際俳句交流協会、日本ペンクラブ会員。
現代俳句協会では1997年から2008年まで副会長を務めた。

句集『無帽』『絵本の空』『純白諸事』『軽のやまめ』
評論『俳句幻形』『俳句心景』など。

 
 少年来る無心に充分に刺すために

 ローソクもつてみんなはなれてゆきむほん

 栃木にいろいろ雨のたましいもいたり

 精神はぽつぺんは言うぞぽつぺん

 きつねいてきつねこわれていたりけり


有季定型や客観写生に縛られない独特の韻律で、
内容的に意味の取れないような句もしばしばある。

意味性以前の言葉の無意識性にまで遡ろうとする
前衛的な句風である。

医師であった完市は30代のころ、
LSDを服用してその様子を自己観察し、
その上で俳句を作るという実験も行った。

このときの体験は完市にとって
「無意識」を実感させた一大事件であったという。
このときの句は未刊句集『証』として全句集に収録されている。

                      (ウキペディア)








朱夏の柩




『朱夏の柩』は山本 掌の第二句集。

現代俳句協会青年部の発行の

「フリーダム句集9」。

1995年刊。


表紙は青金、

左上に題字と著者名のシンプルな造り。

表紙はフリーダム句集トータルして

この装幀で、色を選ぶ。


句集の構成は

 金子兜太による序、

 朱夏(しゅか)

 白秋

 玄冬

 春

 寒牡丹


それに<花唱風弦>と題した

俳句の曲の楽譜を載せている。

この曲は山本 掌の句にギタリストで

作曲家の書き下ろしたオリジナル曲。


当時はこの<花唱風弦>のコンサートを

上野の奏楽堂を初め各地で上演していた。


自作の句をメゾソプラノが歌い、

作曲したギタリストがギターを弾く。

(このシンガーソングライターズは

クラシックではもしかしたら初めて?)


この奏楽堂でのコンサートに

『朱夏の柩』を置くことになり、

一晩のコンサートの準備だけでも

すざまじいエネルギーを要求されるに

それに本造りが同時進行だったので、

非常にたいへんな思いをした。



◆句集『朱夏の柩(しゅかのひつぎ)』山本 掌

 発行:現代俳句協会青年部

 発売:邑書林























  
 冬三日月月の匂いの月を研ぐ            掌
















       ひとがた
 冬三日月人形の盲いたる


 冬三日月月の匂いの月を研ぐ


ともに第二句集『朱夏の柩』におさめた句。


作曲家・野澤美香によって、

声楽曲となっている。




















                      








         ひとがた  めし
  冬三日月人形の盲いたる               掌





























  胸に砂 寒月光のつらぬけり              掌

















ようこそ日本へ





左から 町田隆要「横綱太刀山」    1917年
     ピーター・ブラウン「神社夜景」 1930年
     吉田初三郎「beautifle japan」 1934年



「ようこそ日本へ 

1920-30年代のツーリズムとデザイン展」を

近代美術館で観る。


第一次世界大戦後、

鉄道や航路の発展・整備が整ったこと、

シベリア鉄道と満州の鉄道の連絡が

できるようになったことから、

日本への観光客が増え、

その誘致のためのポスターやPRの雑誌が

作られるようになった。


まさに「エキゾティック・ジャパン」。

いまの目で見るノスタルジックで郷愁を感じるが、

その当時はとてもスタイリッシュで、

夢をさそうものであったか、と。


会場にはフィルムセンターに所蔵される

「日本観光三週間」の映像も流れている。

横浜に船で上陸した外国人が、

東京、日光、鎌倉、富士山、

名古屋、京都、大阪、厳島神社、阿蘇、鹿児島など

観光している映画。


この展示のためか、海外の方も多い。


2月28日(日)まで。



◆「ようこそ日本へ」ホームページ

「鉄道や航路などの交通網の整備を背景に、

第一次世界大戦後には世界的な海外旅行ブームの

時代が到来しました。

シベリア鉄道との連絡による

南満州鉄道の国際線化(1911年頃)や

パナマ運河(1914年)の完成によって、

日本にも海外から観光客が押し寄せてくるようになります。


日本政府は1930年に国際観光局を発足させ

「観光立国」をめざして外客誘致キャンペーンを展開、

画家やデザイナーを動員し「美しい日本」を

対外的にアピールしました。


こうした観光キャンペーンが功を奏し、

また円安効果もあって1930年代中頃には

外国人観光客は4万人を超え、その消費額は1億円を突破、

観光産業は綿織物、生糸、人絹織物に次ぐ第四位の外貨獲得高を

占める重要産業として大きく成長を遂げました。


この展覧会ではジャパン・ツーリスト・ビューローや

国際観光局などの政府機関、

また、日本郵船や大阪商船などの船会社が制作した

ポスター、グラフ誌、パンフレットなどを通じて、

当時の日本の観光資源と

そこから浮かび上がってくる日本のイメージを探ります」。


















恩地孝四郎展ちらし




東京近代美術館で

「恩地孝四郎展」を観る。


恩地作品、

昨秋の「月映展 田中恭吉・藤森静雄・恩地幸四郎」の

印象も深く残っているところでのこの展示はうれしい。

再会できた作品もあって。


このような構成。

第一章 「月映(つくはえ)」に始る 1902-1924年

第二章 版画・都市・メディア    1924-1945年

第三章 抽象への方途       1945-1955年



萩原朔太郎『月に吠える』田中恭吉の版画による初版の装丁、

第二版では題字も恩地の手による。

黒地に白抜きの『月に吠える』が映え、

書体が瀟洒。

装丁、造本には生涯かかわっている。


朔太郎

            恩地孝四郎による「萩原朔太郎」



1943年の朔太郎のリアリスティックな肖像画

(油絵のように見えるがこれも版画)。

恩地自身による刷り、他2名による刷りの差異。

思っていたより大きい。

その版木の展示まである。


北原白秋、山田耕筰の肖像も。

この二人の組んだ楽譜の表紙も多くあり、

「小人の地獄」は真っ赤な地に白抜きの小人が描かれて、

「青蛙」では青緑と白で半々に塗られたモダンな蛙がいる。

2曲とも歌ったことがあって、

こんなすてきな楽譜がいまでもあったら、と。



戦後の抽象作品も62点、

海外の美術館からの里帰り。


この展覧会、400点もの展示の大回顧展。

(ゆっくり時間をとって、どうぞ)


2月28日(日)まで。



ちらし裏







◆近代美術館 ホームページ
 
日本における抽象美術の先駆者であり

木版画近代化の立役者でもある恩地孝四郎の、

20年ぶり3回目、当館では実に40年ぶりとなる回顧展です。


恩地は抽象美術がまだその名を持たなかった頃、

心の内側を表現することに生涯をかけた人物です。

彼の創作領域は一般に良く知られ評価の高い木版画のみならず、

油彩、水彩・素描、写真、ブックデザイン、

果ては詩作に及ぶ広大なもので、

まるで現代のマルチクリエイターのような活躍がうかがえます。


本展では恩地の領域横断的な活動を、

版画250点を中心に過去最大規模の

出品点数約400点でご紹介いたします。


また見逃せないのは、里帰り展示される62点。

戦後、特に外国人からの評価が高かった恩地の作品は、

その多くが海を渡っていきました。

本展では海外所蔵館(大英博物館・シカゴ美術館

ボストン美術館・ホノルル美術館)の多大な協力のもと、

現存作が一点しか確認されていない作品や摺りが

最良の作品など恩地の重要作をご覧いただきます。
























  愚者やわれ寒月光の砕け散る            掌





















 あらなみだ
  粗泪人魚に青き寒の月               掌

 





















  寒月光たまゆら蜜をささげん              掌














◆寒月・冬の月・冬三日月・冬満月・月冴ゆる


鏡のように澄んだ満月、

冴えて鋭い三日月など、

冬の月は冴え冴えと美しい。


冬の季語。


このところの月、畏いほど耿耿として。