左から 町田隆要「横綱太刀山」 1917年
ピーター・ブラウン「神社夜景」 1930年
吉田初三郎「beautifle japan」 1934年
「ようこそ日本へ
1920-30年代のツーリズムとデザイン展」を
近代美術館で観る。
第一次世界大戦後、
鉄道や航路の発展・整備が整ったこと、
シベリア鉄道と満州の鉄道の連絡が
できるようになったことから、
日本への観光客が増え、
その誘致のためのポスターやPRの雑誌が
作られるようになった。
まさに「エキゾティック・ジャパン」。
いまの目で見るノスタルジックで郷愁を感じるが、
その当時はとてもスタイリッシュで、
夢をさそうものであったか、と。
会場にはフィルムセンターに所蔵される
「日本観光三週間」の映像も流れている。
横浜に船で上陸した外国人が、
東京、日光、鎌倉、富士山、
名古屋、京都、大阪、厳島神社、阿蘇、鹿児島など
観光している映画。
この展示のためか、海外の方も多い。
2月28日(日)まで。
◆「ようこそ日本へ」ホームページ
「鉄道や航路などの交通網の整備を背景に、
第一次世界大戦後には世界的な海外旅行ブームの
時代が到来しました。
シベリア鉄道との連絡による
南満州鉄道の国際線化(1911年頃)や
パナマ運河(1914年)の完成によって、
日本にも海外から観光客が押し寄せてくるようになります。
日本政府は1930年に国際観光局を発足させ
「観光立国」をめざして外客誘致キャンペーンを展開、
画家やデザイナーを動員し「美しい日本」を
対外的にアピールしました。
こうした観光キャンペーンが功を奏し、
また円安効果もあって1930年代中頃には
外国人観光客は4万人を超え、その消費額は1億円を突破、
観光産業は綿織物、生糸、人絹織物に次ぐ第四位の外貨獲得高を
占める重要産業として大きく成長を遂げました。
この展覧会ではジャパン・ツーリスト・ビューローや
国際観光局などの政府機関、
また、日本郵船や大阪商船などの船会社が制作した
ポスター、グラフ誌、パンフレットなどを通じて、
当時の日本の観光資源と
そこから浮かび上がってくる日本のイメージを探ります」。