神社へ参拝も日常の一コマ | 希望と光のブログ

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神社へ参拝も日常の一コマ

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~疎外感や孤独を感じている人たちへ~

パソコン教室を営んでいる

和田基博と申します

 

 

 

 

 

 

 

祝詞も随分となれたもので、神社仏閣を出来るだけ数多く参るようにと

 

メッセージを受け取ってからもう2年以上になりますが、

 

仏閣に関しては30歳代の若い時、真言宗のお寺に通い

 

お手伝いまでするようになった頃からお勤めがあるので

 

勤行次第で般若心経や諸仏の真言を覚え、教本が無くても

 

それなりにお参りすることが出来るので

 

改めて覚えることもないのです。

 

 

 

 

 

ただ神社に関してはお寺に和尚たちと同行して

 

あちこちの神社に参拝したりしましたが、その時覚えた天津祝詞だけで

 

大祓詞などは神社の神職が奏上するものと思い込んでいました。

 

 

 

それに祝詞が祓詞、略拝詞、に始まり鳥居之祓まで

 

いろいろあることを知ったのでした。

 

 

 

大黒天祈願文や恵比寿天祈願文、六根清浄祈願文といったものは

 

お寺でも教本を見ながら本尊の前で唱えていましたが、

 

まさか龍神祝詞や多くの祝詞を目にして知ったことで、

 

それを奏上するとは思ってもみませんでした。

 

 

 

 

 

神社仏閣に参拝する、出かけるということは平たく言えば

 

神仏のいる場所、神域へ行くということになります。

 

 

 

日本人の凄いところは他の神様を受け入れ、それを自分たちのものにできる、

 

祀っていくことが出来るという八百万の神の思想、

 

あらゆるところにたくさんの神がいると、神と仏と呼び方が違って、

 

その働き≒ご利益とも言えると思いますが、信仰されて来たことではないかと思います。

 

 

 

 

例えば仏教では、大黒天は元々インドの暗黒神で、

 

神道では大己貴神(おおなむちのかみ)大物主神(おおものぬしのかみ)、

 

また大黒天祈願文祝詞にあるように「八千矛神(やちほこのかみ)」、

 

「大国魂神(おおくにたまのかみ)」、「顕国魂神(うつしくにたまのかみ)」

 

と本来別々の神様ですが、神仏習合で同一視され信仰されている神様でもあり

 

祝詞も違えばマントラもあってややこしいことになっています。

 

 

 

まあもっと気楽に考え、詳しくは知らずとも、神社での祭神や

 

仏閣での諸尊としての見たまま、また神の働きを感じたままの

 

神様として尊崇すれば良いのではないかと

 

あちこち参拝していて思ったりします。

 

 

 

 

 

また神仏に呼ばれたと感じた時、頭に浮かんで出てきた祭神や神社などが

 

気になったときに参詣して、個人的な願い事はせず、

 

神や仏に成り代わり、何か私に出来ることがあればと伺いを立てに行っている、

 

そのために作法に則り、神仏や他の参拝者や関係者に迷惑が掛からないか、

 

失礼が無いようにと心がけて参拝しています。

 

 

 

 

 

 

これも神仏は畏れ多く敬うべきものとして染みついているからだと思いますが、

 

畏れのあまり媚びへつらうことになっては却って失礼になったりもします。

 

 

 

 

 

これも人付き合いと基本同じで、目上の尊敬する人と考えれば良い

 

と思ったのですが、人は宇宙から御霊を分けてもらった神様でもありますが、

 

人は人、神とは違うので人を拝んではいけないと口酸っぱく

 

お寺の和尚から言われたことがあり、それはそうだと腑に落ちたことがありました。

 

 

 

 

多くの神社仏閣に行くのも山や海という自然の場所にいくのも

 

そこに神の働きがあるから魂がそれを求めているのを感じます。

 

 

 

 

 

それは浄化で心が癒され明るい優しい気持ちになれる

 

働きがあるからだとも思うのです。

 

 

 

 

 

 

その感覚はだれでも元々魂が持っているもので、それを過去世

 

または現世でも記憶から思い出し、それに触れ、見つけるためでもある

 

と感じるのです。

 

 

 

 

今日も午前の受講を終え、生徒さんを送り出した後、お昼の空き時間に

 

母の入所している施設へ洗濯物を受け渡しの帰りに

 

秋松の天満宮へ行ってお参りをしてきました。

 

 

 

天津祝詞、大祓詞、神社拝詞と祝詞を奏上して、それがあっという間に感じたのです。

 

 

天津祝詞を奏上し始めると、同じテンポでカエルが鳴き始め

 

神の働きと同調しているのを楽しみながらというと祭神に怒られそうですが、

 

大祓詞の最中も強い風が吹き、紙垂が揺れ、鳥たちが鳴いて

 

一緒に祝詞を奏上しているような感覚になったのでした。

 

 

 

 

拍手の音も気持ちよく響き渡り、神様もそれで良いと

 

言ってくれているような気がしたのです。

 

 

 

午後も13時から受講なので早々に帰ってきて、汚れがひどいもの、

 

オシッコが付いたりしているパジャマや肌着ものは

 

ビニール袋に別に入れてくれているのが分かるので、水洗いしてから槽へ入れ、

 

洗濯機のスイッチを押しました。

 

 

 

神社に参拝するのも日常の一風景として違和感なく気負いもなく

 

お参りできることに感謝の気持ちがわいてきます。

 

 

 

 

6月10日時点で参拝回数も1000柱を超えましたので

 

一昨年も昨年も1300柱くらいだったのが

 

今年は2000柱くらい行くのかなと思ったのでした。

 

 

 

 

 

 

神は愛と光です。参拝することで、ワクワク感で楽しく感じ、

 

明るい気持ちになれるのなら、それは正解で、

 

正しいことをしている、間違いないと腑に落ちるのです。

 

 

 

 

 

 

 

続きは次回以降アップしていきたいと

思いますので

少しでも、何か参考になったとか

興味があるとか気が落ち着いたと

思って下さると幸いです。

 

 

 

 

 

 

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