宗像神社頓宮で三女神 | 希望と光のブログ

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宗像神社頓宮で三女神と出会う

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~疎外感や孤独を感じている人たちへ~

パソコン教室を営んでいる

和田基博と申します

 

 

 

 

 

 

宗像神社、鎮国寺と参拝した後、宗像神社の頓宮へ参拝する前に

 

津加計志神社へ参拝しようと神湊のフェリー乗り場へ続く道を

 

やってきました。

 

 

狭い道を左折して鳥居の前にまでやってきましたが、止めるところがなく、

 

道の先まで行ってUターンをして路肩に止めようとしましたが、

 

年配の女性が農作業をされるためでしょうか一輪車を押して

 

神社前の家から出て来られました。

 

 

 

声をかけ、神社に参りたいのですが、駐車場はありますか?と尋ねてみました。

 

 

 

ありません。ありませんが、良かったら家の敷地に止めていかれたらいいですよ、

 

と言われたのです。

 

 

 

 

いいですか!助かりますと言葉に甘えて車庫と畑のある庭へと

 

車を止めさせてもらいました。

 

 

 

 

早々に頭を下げ、法螺貝を持って神社へと歩いて行きました。

 

 

 

鳥居には津加計志宮とあり、何時か調べた資料では、

 

ツカケシとは「綱懸けし」の意味で、舫(もや)い綱を懸けた杭の神格化されたもの、

 

神湊(こうのみなと)という地名は中津宮のある宗像大島と

 

沖津宮のある宗像沖ノ島を隔てる神の港という意味で、この神社の本宮は

 

宗像神社頓宮とありました。

 

 

 

鳥居之祓を奏上し参道の石段を登って拝殿へやってきました。

 

 

 

賽銭を上げ、氏素性、初参拝のお礼と感謝を述べ祝詞を奏上し、

 

法螺貝を吹き鳴らしました。

 

 

 

神社を出て止めさせてもらった家まで戻り、鎮国寺で買った饅頭を

 

車を止めさせてもらったお礼にと渡そうとしましたが、ご夫婦ともに

 

受け取ろうとはされずに、押し問答の末、親切に車まで止めさせてもらったお礼で

 

饅頭は余分に買ってあるから大丈夫ですと言うと、ご夫婦で頭を下げられ

 

こちらが恐縮したのです。

 

 

礼を言って宗像神社頓宮へと向かいました。

 

 

鳥居之祓を奏上して参道の道を上がっていくときに前回ほどではなかったのですが、

 

枝や葉が落ちていて大きな枝だけを道の端に寄せてやってきました。

 

 

雑草が伸びて海に見晴らしがよくありませんでしたが、折り返すように

 

右手の祠へ行こうとした時、何か白いものが見えました。

 

 

何だろうと祠の方に近寄っていくと白いものは女性が来ていた服の色で

 

3人の若い女性がお参りをしていたのです。

 

 

祠まで来るとお参りを終え3人で何か話していたようですが、

 

私が、「こんにちは!」と挨拶して、

 

「ここにお参りに来られる方がいるとは思わなかったものでびっくりしました」と

 

笑って話すと、白い服の女性が、私が腕に抱えた法螺貝を見て、

 

目を丸くして、「それは法螺貝ですか?聞かせてもらっても良いですか?」と

 

興味津々なようでした。

 

 

「ええ、お参りの後で吹きますから、どうぞ!」と笑顔で応えました。

 

 

 

この神社はどういう神社ですかという質問に

 

ここは鳥居にもあるように宗像神社の頓宮と云い、大島の中津宮、

 

沖ノ島の沖津宮を隔てる港の神社ですと一応の説明をしました。

 

 

 

賽銭箱がなく、祠の周りに古くなった賽銭の錆びたコインが

 

たくさん置いてありましたが、その辺りに賽銭を置いて

 

住所、氏名、年齢、性別、お参りさせていただくことへのお礼を述べ、

 

天津祝詞、トホカミを奏上しました。

 

 

 

一礼して振り返ると、3人が頭を下げ一列に並んでいるのが目に留まり、

 

そんなに畏まられなくても、と思いましたが、法螺作法を唱え、

 

天を仰いで吹き鳴らしました。

 

 

甲音(高い音)を吹き鳴らすたびに風が強く吹き神が働いているのを感じました。

 

 

 

歌口を過去現在未来でポンポンポンと三拍したあと法螺作法を唱え終えると、

 

この神社がどういう神社で、お参りに来た訳、法螺貝を吹くときに

 

空を見ていたのは何を見ていたとか矢継ぎ早に、質問されました。

 

 

「何を見ていたかは、あまり問題ではなく感じていただけです」と答えると、

 

訝しげに、もう一度「何を感じていたのですか?」と質問されました。

 

 

 

物質的にどうとかではなく、ただ感じるのです。

 

 

 

神が働かないと音は出ず、神と同調するのに空を見ていたこと

 

そして法螺貝を吹く意味は、不動明王に成り代わり

 

この音を聞く者の障碍を祓うものという

 

意味がありますと、私は答えました。

 

 

 

 

「では、私は祓われましたか?」という質問に

 

静かにその女性の目を見て、感じたままに

 

「ええ」と答えました。

 

 

 

 

 

感じるのは雲の中に龍神を感じるとか、森でたくさんの精霊たちを感じるとか、

 

神社で神様を感じるとか、それは小さな無邪気な子供の頃に

 

だれでも持っていたもの、感じていたものです。

 

 

 

 

 

大きくなるにつれ、いろいろなものを身に着け大人になるころには、

 

そういった感覚が無くなって感じ無くなったりします」と答えているのを

 

静かに聞かれていました。

 

 

 

 

これから何処かへお参りされるか、頓宮(とんぐう)とはどういう意味か

 

という質問に最初に言ったつもりだったがと思い、

 

詳しくは分かりませんが、宗像大社を辺津宮(へつみや)、中津宮(なかつみや)、

 

沖津宮(おきつみや)、頓宮というように私は呼んでいますと答えました。

 

 

 

これから何処かにお参りに行かれるなら、一緒に行ってもいいかどうかを聞かれ、

 

「10数神仏を参って、もうずいぶんと参拝してきたので私はこれで帰りますが、

 

御一緒出来て良かったです。」と挨拶を交わしました。

 

 

 

 

最後に、「私たちは北九州から来ているのですが、

 

何処か行った方が良い神社はありますか?」と聞かれました。

 

 

 

そうですね北九州であれば、瀬織津姫が祭神の和布刈神社と

 

若松の戸明神社は良いですよとお勧めしましたが、

 

メオ?神社と聞き間違いされ、

 

「め・か・り神社、関門海峡大橋のたもとにある神社で、

 

ニュースなどで和布刈神事の映像が流れたりします」と答えました。

 

 

 

 

 

 

神社はたくさんあって参拝したところが神様に呼ばれた神社で、

 

行けば心地よくなる神社があり、本当はパワースポットと言われる

 

有名な神社ではなく、その土地の産土神、氏神の神社へ参ってから、

 

パワースポットへ行くようにすると導きがあるように感じますが、

 

それを人に言って押し付けになってはいけないと感じ、

 

人それぞれがしたいように、行きたいようにするのが一番良いと思ったのです。

 

 

 

それを感じることが神に呼ばれる意味だとも思うのです。

 

 

 

私にとっては祝詞と法螺貝を聞いてくれ、宗像三女神が使わせてくれた

 

三女神ならぬ三美人で、生徒さん以外でお参りや神社仏閣のお喋りする機会も

 

余りなくて、やはり一人ではなく魂の片割れと二人で一緒に来たいという

 

思いがよぎりましたが、そのうち一緒に来れるようになる日を

 

楽しみにしようと思い、その女性たちと鳥居を出て分かれました。

 

 

 

 

 

 

 

続きは次回以降アップしていきたいと

思いますので

少しでも、何か参考になったとか

興味があるとか気が落ち着いたと

思って下さると幸いです。

 

 

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