神社でリュックの紐が切れた | 希望と光のブログ

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思いついたことを書いていきます。

リュックサックの紐が切れた

~疎外感や孤独を感じている人たちへ~

パソコン教室を営んでいる

和田基博と申します。

 

 

 

 

 

 いつものように欠かさずに、休日以外の日には

ウォーキングをして神社にお参りをしているのですが、

教室から見て北東の方角の弥栄神社に行って法螺を吹こうと

リュックを背負い、胸を張り大手を振って大股でテクテクと

出かけて行きました。




ディスカウントショップの横を通ったり、途中の溜池で

フナ釣りをしている人たちを見ながら、今日はこっちと

直感で道を選択し、抜け道を歩いて二の鳥居の前に出てきました。




鳥居から見える桜満開の眺めに写真を撮り、今の時期だけの

最高の景色に出会えたことが、なんだか嬉しくて

石段を登りました。



拝殿前の柱にリュックを置いて

 

今日は略式でなく、

とほかみと天津祝詞を上げ、神が働いているのを感じました。





感謝の言葉と世界平和を祈り、後程境内で法螺を立てることを

お許し下さいと述べ、お参りを終えて、神域での精霊たちや

鳥や虫たちがざわざわしているのを感じながら、

法螺を吹き鳴らしました。





甲音(かんおん:高い音)がイマイチかなとも思いましたが、

気持ちよく法螺を吹くことが出来て清々しく感じられ、

法螺作法を唱えました。




しばらく境内で当たる陽光に飛び交う虫たちや

鳥の鳴き声を聞きながら、法螺貝をリュックに仕舞い、腕に下げ

一礼して、有難うございました、と言った途端、

肩紐ではなく取っ手の紐が切れ、ドスンと落ちたのです。






なぜドスンと表現したかというとリュックの中身は

財布やケータイ、灰を入れた香炉や燭台、線香とロウソクの箱など

神具一式と法螺貝が入っていて結構重たいのです。






私は思わず嬉しくなって神に有り難うございますと

改めて頭を下げました。




神社の神の御前での出来事で、直接神様が私に知らせてくれたのです。



ヒモや何かが切れるということは縁起の面においても

スピ的でも良いことなのです。




悪縁が切れたり、何か今までとは違った新たな縁がやってくる

という意味として私は捉えているのです。




過去お寺に通っていた時に、念珠、数珠(じゅず)のことですが、

糸が切れて玉がバラバラになったことがありました。



当時和尚は、それを縁起が良いと言われ、普通は切れたのだから

何か悪い知らせかなと考えたりしがちなのですが、

何か不吉な事の身代わりになってくれたのだと

教えてくれたことがありました。




念珠ですからこすり合わせることは毎回何度やるかわからないし、

数珠送りといって、真言や経を唱えた分一つずつ指で

送っていたりするのですが、何年も使って

使いやすくなったものでも切れたりすることも無いものや、

短い年数で切れたりすることもあるのです。







これもウォーキングをして神社参拝をやったことで、

毎日違う神社に参り、一回りして10日に一回ほど

お参りをしてきた事に対して、神が知らせてくれた

褒美かなとも思ったのでした。







 

続きは次回以降アップしていきたいと
思いますので
少しでも、何か参考になったとか

興味があるとか気が落ち着いたと
思って下さると幸いです。

 

 

 

 

人気の記事でもあり

画像がすべて飛んでいましたので

再アップいたします。

 

 

 

 

 

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