宗像大社辺津宮から宗像神社頓宮に参拝 | 希望と光のブログ

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~疎外感や孤独を感じている人たちへ~

 

パソコン教室を営んでいる

和田基博と申します。

 

 

 

 

 

宗像大社と言えば日本神話に出てくる日本最古の神社でもあり、

 

日本各地に七千余ある宗像神社、厳島神社、

 

および宗像三女神を祀る神社の総本社で、

 

神社本庁の別表神社です。

 

 

 

または裏伊勢、別名の田島様とも云われているようです。

 

 

 

宗像市田島にある宗像大社に行くとわかるのですが

 

鳥居には宗像神社と銘打ってあり、この神社は九州本土にあって

 

辺津宮(へつみや)と言い、市來島姫の神が祀られています。

 

 

そして11kmほど離れた沖合に浮かぶ宗像大島に中津宮が鎮座し、

 

さらに沖合49km先の絶海の孤島、宗像沖ノ島に鎮座する

 

沖津宮の三社を総称して宗像大社と言うのが正しいようです。

 

 

 

 

私が子供の頃からの風習として、

 

年始参りは太宰府天満宮、宮地嶽神社、宗像大社を参る

 

というのが三社参りのステータスとして既にあったように

 

記憶しています。

 

 

 

三社は何れも総本社、総本宮だったからなのか、

 

と思いますが、年末の忙しい時に車が渋滞して

 

神社へついても中々お参りするまでに相当時間がかかり、

 

子供ながらに家族で参る神社は神様という意識よりは、

 

出店の綿菓子やイカ焼き、焼きそば、金魚すくい、

 

玩具などが目的で、にぎわう人込みの中、

 

それらを買ってもらうのが楽しみだったのです。

 

 

 

 

高校生あたりから、親と何処かに出かけるのも

 

恥ずかしいという意識が芽生え、

 

部活をやっていたこともあって正月には初稽古があり、

 

それから神社等には行かなくなってしまいましたが、

 

大学時代に筥崎宮の放生会に誘われて行ったのが

 

最後でしょうか、今でも記憶にあります。

 

 

 

 

宗像神社は交通安全の神様として有名であったことから

 

福岡県と山口県や熊本、大分、佐賀といった

 

隣県の車には宗像大社のステッカーを貼った車が

 

普通に見られたのです。

 

 

 

 

今思えば宗像大社との繋がりのご縁を感じるのは、

 

私が20代後半仕事上で知り合った人と仲良くなり、

 

私よりも14歳くらい年上の方でしたが、

 

海釣りをやっているから一緒に行ってみないか

 

と誘われたのがきっかけでした。

 

 

 

そこで漁港から55km離れた宗像沖ノ島へ

 

渡船で1時間半ほどかけて磯釣りに出かけたのです。

 

 

 

数回行って、神職が一緒に乗り合わせていたことで

 

沖ノ島に常駐している神主がいること、

 

女人禁制、島へ上がるのは、神職が認めた関係者、

 

祭事の時以外は島に上がれないことや、

 

その時でも海につかり、禊をしないと上がれないこと、

 

沖ノ島全域が神域であることも知ったのでした。

 

 

 

 

また中津宮がある宗像大島も何度もフェリーで渡って

 

釣りに出かけたこともあり、中津宮があるのは知っていました。

 

 

 

地図上で見ると

 

見事に辺津宮、中津宮、沖津宮が一直線上にあるのが分かり、

 

凄いなと思ったことがありました。

 

 

 

同じ宗像市東郷にある摩利支神社へ参拝した後、

 

ここまで来たら宗像神社に行かないと勿体ないなと思い、

 

摩利支神社の裏道を抜けて宗像大社へとやってきました。

 

 

辺津宮本殿で参拝者も少なかったので時間をとって

 

祝詞を上げました。

 

 

それから高宮斎場へ行こうとお札授与所を見ると

 

一人の巫女さんと目が合い、ニコッと会釈して

 

高宮斎場へと続く参道に入ったのですが、

 

その途中のいつも参っている神木の賽銭箱と

 

神木に掛けてあった紙垂が無くなっていたのです。

 

 

 

あれ?と思って引き返し、またその場にやってきましたが、

 

その神木に間違いないので、祝詞だけ上げて

 

高宮斎場へとやってきました。

 

 

 

何組かお参りされたりしていましたが、

 

裏の道からブロワーを持って落ち葉を掃き飛ばす

 

関係者の方がやってきました。

 

 

2組待って後ろに誰もいないことを確認して

 

天津祝詞を上げると誰かが並んでいるのを感じ、

 

隣に女性の方が来られたのがわかりましたが、

 

天津祝詞に続けて略拝詞を奏上し参拝をしました。

 

 

 

その間も業務用のブロワーで

 

枯葉やゴミを吐き飛ばす音はしていましたが、

 

その音もだんだんと気にならなくなり、

 

髪の毛が引っ張られ、顔や体のあちこちに

 

ビリビリした感覚を覚え、耳鳴りが最高潮に高くなり

 

キーンという音だけが響いて、

 

神が働いているのを感じて感謝の気持ちが溢れたのです。

 

 

 

上を見あげると精霊たちがいるのを感じ、

 

降りていく途中の大木が気になって近寄り、

 

手を当てて気を感じてみました。

 

 

 

まず下の方へ明るい光のエネルギーを感じ

 

根が相当に広がっているのが分かりました。

 

 

樹肌から手のひらを通じて

 

マイナスのエネルギーを吸い取ってくれたお礼にと

 

口角を上げて息を吸い、天からのエネルギーを

 

送ってみると、今度は樹上へ枝葉の先まで全体が分かる光を感じ、

 

その生命力そのものが神の働きであると感じたのでした。

 

 

 

目を開けると上がってくる人や降りていく人達が

 

数組いましたが、それまで笑い声や騒ぐ声、

 

会話する声が聞こえていたのが静かになり、

 

何事もなかったかのように、大きな木に両手を当てている

 

私に誰もこちらを見ることもなかったのを、

 

これが守られているということかなと

 

何故かそんな風に感じたのです。

 

 

 

 

それから宗像神社を出てその先にある神湊(こうのみなと)

 

へとやってきました。

 

 

駐車場は神社のものではないようで

 

数台が止められていましたので、その先の道の民家の塀の横に止め、

 

鳥居をくぐって参道を歩いていきました。

 

 

 

大きな枝がところどころに落ちていて

 

道の端へどけながら、参道を登っていきました。

 

 

 

 

開けた場所に出た途端、神社がない?と見渡したのです。

 

 

 

よく見ると右手、登ってきた道の方向、折り返すように

 

祠があるのが分かりました。

 

 

 

 

法螺貝を持って祠へ行くと、風が吹いてきて

 

神の働きを感じたのです。

 

 

 

 

左の開けた場所まで行くと

 

港から大島まで一望して見渡せる場所で

 

海に面しているので風は吹くのは当たり前にある

 

と思うのですが、私の直感は自然の風とは

 

違うような感じを受けとり呼ばれたことを感じたのです。

 

 

法螺貝を石塔の上に置いて祝詞を奏上し、

 

感謝とともに法螺貝を吹き鳴らしました。

 

 

またお礼参りに来ることを述べ法螺作法を唱え

 

参拝を終えました。

 

 

下の方に見える港には、かつてよく来ていた釣具屋や

 

港からフェリーに乗って大島へと釣りに行っていた時期があり、

 

今ここで参拝をすることなど

 

当時は思いもよらなかったことが思考に浮かび、

 

参拝させていただいたことへの感謝を感じながら

 

一礼して参拝を終え、参道を下っていきました。

 

 

 

 

 

 

 

 

続きは次回以降アップしていきたいと

思いますので

少しでも、何か参考になったとか

興味があるとか気が落ち着いたと

思って下さると幸いです。

 

 


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