釣りの師匠と出会った | 希望と光のブログ

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~疎外感や孤独を感じている人たちへ~

 

パソコン教室を営んでいる

和田基博と申します。

 

 

 

 

 

 

今から33年前私が28歳、亡き父からやっていた

 

商売を引き継ぎ、仕事の取引先で知り合った方と、

 

近くにある池でフナを釣っているのですが、

 

ルアーが流行って子供たちがやってきて

 

ビュンビュン投げまくり騒ぐので釣りにならないと

 

話していた時、一緒に行ってみないかと誘われたのが

 

海釣りを始めたきっかけでした。

 

 

 

 

 

狙う魚は海の弾丸と言われるヒラマサという青物の魚や

 

クロ、全国的にはメジナという魚で40~50センチクラスの

 

サイズのものはゴロゴロいるのです。

 

 

 

確か、メジナに関しては70センチクラスと最大種が

 

この宗像沖ノ島での釣りあげた日本記録だったと記憶しています。

 

 

 

 

何か所か波止釣り、防波堤や漁港に行っての釣りの事を言いますが、

 

に行ったあと、宗像沖ノ島に行ってみないかと言われ、

 

それなりの装備と道具が必要だからと釣具屋で釣り用の防寒着、

 

スパイク付きの磯長靴、万一海に落ちた時のライフジャケット、

 

大型魚用の大きな竿やリール、ハリスや道糸といった竿の糸、

 

それに対するウキや糸を結ぶサルカン、

 

ジンタンやガン玉といったオモリ、バッグや竿ケースなど

 

一通り買い揃え、生まれて初めて

 

渡船に乗り込んだときのワクワク感は普段の生活では

 

なかなか味わえないものでした。

 

 

 

 

夜9時過ぎに出船して1時間半ほど大型高速船で揺られてというより、

 

船底で鳴り響くエンジン音と多くの釣り客が

 

隙間もないほど寝転んでいて、出船後から飛び跳ねるくらいに

 

揺られたのを覚えています。

 

 

もともと車やバス等には長時間乗っていると

 

酔いに弱いことは自覚していましたが、

 

船底で大勢の人たちと寝ているのに、

 

やはり考えていることは同じようで

 

無事着くかなという不安と、体が飛び上がり、

 

船底が波をたたくのに沖ノ島に着いてエンジン音が

 

ゆるくなった途端、置いてあるタライに吐き戻す人もいて、

 

それを見たばかりにもらいゲロ、(失礼しました)

 

気分が悪くなったものでした。

 

 

 

 

その後何十回となく渡船に乗りましたが、

 

船酔いに慣れることなく本島についてエンジンが

 

静かになりドアを誰かが明けた途端、外に急いで出て

 

船の脇から海へ吐き戻していました。

 

 

 

 

船が沖ノ島に着くと本島周り、

 

離れ島というより海から突き出ている岩場と言った方が

 

正しいような小屋島周りとそれぞれの磯場、岩場に

 

釣り人を下ろしていくのです。

 

 

 

まだ酔いが冷めないうちに荷物置き場の船倉から

 

バッグや竿ケースを次々とリレーで取り出して

 

釣り場に飛び乗った人にそれぞれ荷物を渡して

 

下ろしていくのですが、押切と言って

 

エンジンをふかしたまま船首のタイヤを岩場に押し付け

 

その間に渡るのです。

 

 

 

波が高いと船は安定してつけられず、

 

時には波を見切って飛ぶ人も、船長や常連の人たちから、

 

飛べ!と声かけられる人もいましたし、

 

飛べるかー!と怒鳴り返す人もいました。

 

 

 

船から落ちれば、ただでは済まないこともあって、

 

今の時代あまりガキん子のように勇気を出すように

 

追い立てることもしないでしょうが、

 

恐ろしいところだなというのが最初の印象でした。

 

 

 

 

本島の避難港から島の周りにホンワレ、長瀬、平瀬、

 

ケーソン、クジラ、タコアシ、ポン、コボレ、サクライ瀬、

 

北の瀬、ノリゼ、フナイリ…等々、

 

離れ島の小屋島にも天狗のタカリ、ヒデサキ、

 

ホームグラウンド、西のハナレといった磯場に

 

名前がついていて、皆1級ポイントに

 

上りたがっているのが分かりました。

 

 

その人と5年ほど沖ノ島に釣行に出かけたでしょうか、

 

その間何も釣ることができずに丸坊主が当たり前のようになり、

 

キャンプ気分で行くには渡船料とエサ代などを合わせると

 

一人2万円ほどかかるので勿体ないなと思っていた時、

 

今でも付き合いのある釣りの師匠から

 

一緒に釣りに行ってみないかと誘われたのが、

 

釣りに行くという本当の意味を知ったのです。

 

 

 

 

師匠とはその前から顔見知りだったのですが、

 

私が連れてきてもらっていた人と一緒にいるので

 

それまで声はかけなかったそうです。

 

 

 

 

あまりボウズが続くと、絶海の孤島で大きな魚はいるのに

 

何故釣ることができないと思うのは当然です。

 

 

 

それまでは狭い磯場に5人とか6人で上焦し、

 

投げては隣へ移動していく観音釣りというやり方では、

 

釣ることができる人は1人か2人で

 

あと技術のない人は丸坊主で帰ってくるのです。

 

 

 

この釣り方自分の性に合わないなと、

 

かねがね思っていたところ、師匠も同じ考えで、

 

静かに池で釣るフナと同じ釣り方の

 

ウキをつけてのフカセ釣りしか

 

やらないということだったのです。

 

 

 

上がる釣り場に関しては、師匠は別の考えを持っており、

 

1級ポイントよりも誰も上がっていないところはないかを

 

船長に聞いて、次の日の朝早くに釣り場へ上げてもらうのです。

 

 

 

それも今までそんな人に会ったことはありませんでした。

 

 

 

それは何故かを師匠に聞いてみたところ、

 

前日、人が釣った場所はエサを撒きすぎて

 

荒れているからという理由と、主流のカゴ投げ釣りを

 

されたのでは、釣り方が違うウキ釣り・

 

フカセ釣りをするにしても、大人数では

 

上がれないこともあったので、なるほど、

 

と納得したのです。

 

 

 

 

夜、船で寝るとなると時間もあるので、

 

避難港に上がったりしたこともありましたが、

 

一般の釣り客は夜間に着いた時に

 

それぞれ磯場に上がるので、師匠はかつて

 

この釣りクラブの会長だったこともあって、

 

船長たちと一杯やりながら船で寝るのです。

 

 

 

私もそれに見習い、

 

船で寝させてもらうようになりました。

 

 

そもそも他の釣り客は沖ノ島特有の

 

大きなカゴをつけて遠くへ飛ばし、

 

場所を移動しながら釣るという釣り方が主流だったのです。

 

 

 

私と師匠はフカセ釣り、一般的なウキにエサをつけ

 

流して釣るという川や池でのフナ釣りと

 

同じ釣り方で2人だと何かと助け合えるので便利なのです。

 

 

 

 

ただ、いる魚が大きいので、竿とリールは

 

4~5キロくらいの魚が耐えられるサイズを想定し、

 

釣り番組で見るような釣り方はしないし

 

できないのです。

 

 

 

 

魚がかかった時点で、釣り番組で紹介される

 

サイズの竿や糸では、糸どころか仕掛けはいっぺんで切れて

 

持って行かれてしまうからなのですが、魚に対峙して

 

向こうを向かせないように巻けるだけリールを巻いていき、

 

魚が大きいと判断したときは糸を出して

 

余裕を持たせることがポイントでしょうか、

 

何匹も釣り上げていくと、掛けている魚の種類や大きさ、

 

重さが大体分かるようになるのです。

 

 

 

 

えらい引くけれど竿を叩いているからバリ(アイゴ)で

 

持って帰るにしても背びれに毒があるから、大きめの

 

ビニール袋に入れようか、それとも針を外し糸を切って

 

海にお帰り願おうかなど、針につけたエサを魚に食わせた

 

ことで初めて釣りが成立するということを

 

師匠から教わったのでした。

 

 

 

 

何回もかけては魚の動きや

 

竿裁きで向こうを向かせ無くしたり

 

引っ張り合いになると魚が大きいので糸が切れて

 

後ろにひっくり返ったこともありました。

 

 

それを師匠が見て大笑いし、極限まで力比べするからだ

 

と言われたりもしました。

 

 

 

大きな魚がかかったときボーっと突っ立ていると

 

そのまま海に引きずり込まれてしまうので

 

そのまま岩の上に寝転がり、竿は立てたままで

 

足を踏ん張りますが、そんな体制を見るのも

 

ここ沖ノ島や離れ島での大型魚の釣り方なのです。

 

 

 

 

 

 

可笑しなもので、近くの運動場へ行って竿の糸に

 

紐をベルトにつけ小学生低学年くらいの

 

男の子に走ってもらうということをやった人がいましたが

 

同じような強い引きと感覚を味わうことができるそうです。

 

 

 

 

大人でも竿を伸ばしたままだと引っ張られてしまうのです。

 

 

 

 

そこで初めて自分が使っている竿やリールの良し悪しが

 

判断できるようになることもわかりました。

 

 

 

 

釣りではよく、釣れた、と言いますが、

 

概念としてはそうではなく、エサを食わせた結果、

 

針を掛けさせた、自分で釣ったという

 

とらえ方が正しいのではないかと

 

師匠から教わったことでした。

 

 

 

針のエサを食わせたとしても

 

釣り上げられるかどうかは運次第、

 

食いついた魚次第だから分からないと

 

師匠も船長も同じように話していたのが印象的でした。

 

 

 

成り行き任せで糸を垂らしていて、

 

たまたま魚がかかったのは交通事故と同じで、

 

皆が皆釣れるとは限らないと師匠は云うのです。

 

 

 

その間釣り場の磯の状況、風、潮の流れ、

 

そして魚がいるという感、魚に人が見えないように

 

音を立てないように釣るのがコツだとも教わったのでした。

 

 

 

そして磯というのは海岸や波止とは違って

 

バカ波やうねりがあるので

 

決して海に背を向けないことも

 

教わったのでした。

 

 

その証拠に磯から数メートル離れていても

 

何回も頭から大波を被ったこともありました。

 

 

それは前向きだから対処できるもので

 

後ろを見ていない状態では

 

海にさらわれてもおかしくはないのです。

 

 

 

その間ずっと糸とウキ、海の状況に集中するので

 

長時間、それが続くはずもなく夜11時過ぎから

 

次の日の昼過ぎまで釣るには時間が長すぎると

 

感じていたのでした。

 

 

それから師匠に誘われて行った釣行は

 

大型のクーラーボックスを空にして帰ってくることは

 

無くなりましたし、師匠も他の弟子といったときには

 

如何しても釣れない日、ボウズと言いますが、

 

あったそうですが、私との釣行では

 

満足のいかない日はありませんでした。

 

 

 

私が、次はもっと大きくサイズアップを望んだり、

 

大漁を望むこともしなかったので、

 

連れて行って楽しませる責任が楽だったと

 

話しておられました。

 

 

 

連れて行ってもらっても、釣るのは本人で、

 

釣れなければ何故釣れないのかを、考えてできることを

 

やるだけなのです。

 

 

 

竿裁き、糸裁き、潮にあったハリスや針、ガン玉の打ち方、

 

棚の深さを変える、ウキを変えてみるなど

 

いくらでもやることはあるのです。

 

 

 

 

 

あれこれちょこまかと何かをいじるといのは、

 

気が短いから釣りに向いているとも感じたのです。

 

 

 

また釣る条件としては、魚が釣れる時間帯、

 

時合と言いますが、その時々の海の状況や潮の流れや、

 

どこらに流して回収するかまで師匠の頭に

 

入っているのです。

 

 

 

それは長年経験してきたことの積み重ねで、

 

私が一人で釣りに来たとしても、師匠には追い付かないな

 

と思うのです。

 

 

 

釣りはあくまで漁師でない限り、遊びですので、

 

遊ぶにしてもある意味、命がかかっているという

 

責任と義務があることを知ったのでした。

 

 

 

母が倒れて介護が必要になり釣りには行かなくなり、

 

道具も竿も知人にすべて上げて竿仕舞いをしたのですが、

 

その経験は師匠の家に行って会話をしていて、

 

今でも尽きることがないのです。

 

 

 

 

 

船長が釣り客全員を回収して港へ帰る時、

 

宗像沖ノ島の全景を船の上から

 

次第に遠くなっていくのを見る光景は

 

今でも私の記憶に焼き付いているのです。

 

 

沖ノ島は宗像大社の沖津宮で

 

島全体が神域だそうです。

 

 

宗像神社の辺津宮、頓宮と参拝したとき

 

過去に釣りという形で関われたのも

 

何かのご縁だと感じるのです。

 

 

 

 

 

 

 

続きは次回以降アップしていきたいと

思いますので

少しでも、何か参考になったとか

興味があるとか気が落ち着いたと

思って下さると幸いです。

 

 


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