たまふの書物語まりふ -2ページ目

魔法使いルーフィー

鳴門のうずしおに感動している神様、
ロビーの廊下を車掌が通る。


神様は、もちろん出雲ゆき編成の乗客であるから

高松ゆきの乗車券を持っていないけれど



それをもって云々する必要もない。


勿論、規則では

行く先変更をして、差額を精算する必要がある。


でもまあ、残り1時間にも満たない旅であるし

それで楽しい旅の思い出が変わってしまわない
とも限らない。




ふつう、乗客が申し出なければ

特に検札を繰り返す事もない。


(笑おそらく、精算するとお金を返す事になるだろう)




高松で乗り換える時に、駅でのんびり
精算すればいい事である。






そういう、人間的な柔らかさがあるのが
ふつう、であるし


そうでないと車掌は務まらない。




相手の立場、社会の役割。



そういうものを学ぶのは、生まれてからすぐ。


家族と言う最初の社会が、それにあたるのである。




そうして育って、学んで行くのだが



父親が居て、母親が居て、おじいちゃん、おばあちゃんが居て。


近所の人々がいたり。




そういう、友好的な、社会的な付き合い方を

子供は、幼心に学んで行くのである。



自分勝手ではなく、お互いに助け合って
笑いながら楽しく補い合う姿勢。




そういうものを不幸にして学べないと
心の中に、どことなく不幸なものが残る。



父親や母親が一方的に押し付ける場合。


おばあちゃんおじいちゃんが居たりすれば

そういう父親母親を諌めるが



そうでなければ、不服ながら

その人々が居る間、一方的な押し付けに
服従したふりをする。



不満が、心に残るし


命令する人々がいなければ、勝手にして
良いものだ、と学ぶし



目下の事は考えなくて良いものだ、と学ぶ。




それは間違いなのだけれども。






松下幸之助は、温情ある経営者だったが
大企業の経営者になってから、それだけでは
経営が出来なくなってしまって、苦境の際に

従業員の数を減らしたりする事もした。



そう、大きな会社になると
色々な事をするので
失敗するときのリスクを考えると
大きな事業はできない。





それで、大企業といえども

時折、失敗して従業員を解雇したりする
事がある。(笑筆者も経験した)。






でもそれは、会社や国家を信じて
安定感ある人生を送ってゆく事ができないと
人々に告げるようなものだから




人々は、不安定な生き方をする事もある。
(笑筆者がそうだ)






人々は自衛の為に、仕事をしていく技術や
能力、研究開発をして


色々な現場で、技能を使って働くような
そういう生き方をしていったりする


(笑筆者はそうだ)




そういう人々にとって、国家や家族は
それほど重要なものでもない。



でも、友情と正義が
その代わりに重要になる。


そうでないと、仕事が得られない。



面白いもので、自分勝手だと

仕事が出来ないので、使ってもらえないのである。





つまり排他、というのは
使えない人々の独善なのである。


そういう事をしている人々と言うのは

結局、社会から排除されている事になる(笑)


元々、渡来人とか被差別者が始めた
イジメ、だったりするが


そういう事をしていると、結局社会の底辺で

差別されてしまうのは面白い傾向である。




そうでない人々が社会を動かして行くので




どう繕っても、立ち居振る舞い、所作、顔に
そういう生活態度が現れるので(笑)



魂を磨くのは大切なのである。



悪に染まって、利益を得ても

所詮、端金である。

魔法使いルーフィー

そう、国があったりすると
産業の
在り方も変わって来たりする。


アメリカで鉄道より自動車が栄えたのも
そうで、自動車産業を保護した
国の意思である。




燃料が豊富にあったせいもある。





線路のような、きちんと敷かないと
列車が脱線してしまうような代物は


大様なアメリカンには不向き(笑)とも言えるし



そのあたりは、国民性もあるし風土もある。



比較的温暖な国だと、人間も活動的になるから

細かい事にこだわるより、能動的になる。




食べ物の違いもそうで、肉をよく食べると

体温が上がるから、行動的になったりする。




そんな理由もあってか、アメリカは
自動車の方が栄えたようだった。



アメリカの車は、広い国土の途中で
故障しても直せるように

構造が単純で壊れにくい車が多かったりする。



対し、ヨーロッパの車は
比較的小型で、安価で長持ちするものが
多かった。


しかし階級社会だから、ブルジョアの持ち物は
豪華なものもあったりする(笑し、よく壊れる)。



それぞれに合わせて、細かい配慮のできる
日本製が、結局どこの国にも多かったりするが


それは、日本の環境が
様々で、一貫性がなく
主張のない人々だったりするあたりが
根源だったりもする。




北は寒帯で、南は亜熱帯。


バラエティーに富んだ国である。

魔法使いルーフィー

めぐの国の神様は、ひとりだけ
サンライズ瀬戸号に便乗して、高松へ向かう。

道すがら、元々ローカルだった
瀬戸大橋への鉄路を、茶屋町、児島、と
進み

トンネルを抜けると、瀬戸内海の上。


計画されている四国新幹線は、ここと
淡路島とのふたつにルートが築かれているが

こちらは既に、レールを敷くだけになっている。


吊り橋だから、列車が通ると5mも沈むそうだが


貨物輸送の物量は、トラックとは
比較にならない程である。


石油依存が起こらなかったので
従って、鉄道貨物は衰退しなかった。



元々、トラック輸送はコスト的に
鉄道にはかなわない代物なのは誰が見ても
分かる。



単に政策的にどちらを優先するか、と
言うだけの理由である。

807 魔法使いルーフィ

そう、桃太郎伝承は
日本人の心に根差した自然な物語であるから

その本筋は、日本人の魂に合ったものだろう。

桃太郎は、犬や猿、雉をお供にして

旅に出るのである。



そこには、西洋のように

差別的に動物を見下す感覚はないし


桃太郎は、桃、と言う植物から生まれた

象徴的には、桃の精、つまり八百萬のような

多神を信じる感覚に通じる。



人間が格上だとか、神はもっと、と言う
ような階級的なもののない、フラットな
日本的発想。




そういう調和的な自然さこそ、旧来の
日本にあった心であり

だからこそ桃太郎は皆に愛される物語なのだ。


でも、鬼退治になるとそこに、島国日本での
排他性がやや見える。


鬼、象徴的な悪に対してなら
集団で攻撃しても良い。



それは、確かにそうだが


善悪が曖昧な日本、そのせいで



損得勘定、に

それが置き換わると




イジメの対象を集団で攻撃する事に


あまり躊躇のない民族性が、そこに
描かれている。


正義を、死力を尽くして戦って勝ち得た
フランスのような国と違い
曖昧に生きて来てしまったから



戦争が終わって、アメリカに占領される
本当の怖さを気づく事なく


致ってしまった。



その事への反省が、アメリカンの神様の
行動に表れたのだった。

807 魔法使いルーフィ

讃岐うどんなら、岡山駅でも食べられるが(笑)
やはり、本場でないと、と言うのは
気分の問題だろうか(笑)。


岡山駅ビルには、スーパーマーケットもあるし
綺麗なコンコース、自由通路は
地上に下りなくても、国道を越えて
雨に濡れずに向こうのビル街に行ける。

その路上には、路面電車の軌道。


MOMOと名付けられた電車。岡山はそう、桃太郎の伝承のある土地である。


そんな景色を見下ろしながら、讃岐うどんを
食べられる店が、岡山駅にあるのだ。

うどん粉や、だし、材料を
讃岐から鉄道で運んだ店。




その駅と、駅前、路面電車MOMOは

鉄道好きのデザイナーの作品であるが



そんな、鉄道趣味もすっかりと

表舞台に出られるような、そんな時代になった。





その時代を駆け抜けるサンライズエクスプレス、四国ゆき編成は
山陽本線のオーバークロスして、貨物線に停車している
貨物機関車[桃太郎]を見下ろして

四国へ向かった。

806 魔法使いルーフィ

2編成に分かれたサンライズエクスプレスの
一方は、瀬戸内海を渡り四国へ。

もう一方は、中国
山地を越えて山陰へ。

ややもすると、間違えて乗って行って
しまいそうになるが(笑)


それもまた、旅としては楽しい。


山陽新幹線は、何故か世界が変わっても
そのままだった。

でも、違うところは
夜行の新幹線が通るので、設計仕様通りに
単線並列で、片側ずつ電車が走っている事だった。


東北新幹線にも、一部そういう仕様があるのは
事情に詳しい人々なら知っている事で


北海道から九州までを、夜行でつなぐ事は
新幹線なら十分可能で


その為の試作電車まで、作られていた。




採算性、と言う切り捨てで
JRでは作られなかったが。


利用者の為の国鉄なら、十分実用化レベルである。






それは別にして、神様たちの乗る
出雲市ゆき編成は、山陽本線を倉敷に向かった。



でも。



めぐの国の神様は、ちょっといたずら心を出したのと


もう、自分の国への侵略が無くなった安心感からか



「ちょっと、讃岐うどんを頂いて来ようかの」と、四国ゆき編成に乗り込んだ(笑)。

805 魔法使いルーフィ

即ち、男にとって愛すべき対象は
(笑ふつう)女である。

でも、経済が不安定で
ギャンブルのようだった1980年代の半ば。

女たちが、自らを高く売ろうと画策して


本当に大切な心を失っていった頃。



つまり、それは言って見れば売春よりも劣る(笑心をも売っているので)そんな女たちに

愛を見出だせなくなっていった男たちは


つまり、愛すべき対象が
人間世界にいなくなってしまった訳であるから



暴力に走る訳であり



その頃、虐めも増えたし




例えば、女の子アイドルが
売れなくなっていったりもしたし(笑)



アニメーションや、ゲームの女の子に
空想で心を満たしたり。



そうして、世の中から潤いが失われて行ったのは

つまり、環境適応である。


環境が悪いので、アメリカの神様は
環境を変えたのだった。

804 魔法使いルーフィ

即ち、男にとって愛すべき対象は
(笑ふつう)女である。

でも、経済が不安定で
ギャンブルのようだった1980年代の半ば。

女たちが、自らを高く売ろうと画策して


本当に大切な心を失っていった頃。



つまり、それは言って見れば売春よりも劣る(笑心をも売っているので)そんな女たちに

愛を見出だせなくなっていった男たちは


つまり、愛すべき対象が
人間世界にいなくなってしまった訳であるから



暴力に走る訳であり



その頃、虐めも増えたし




例えば、女の子アイドルが
売れなくなっていったりもしたし(笑)



アニメーションや、ゲームの女の子に
空想で心を満たしたり。



そうして、世の中から潤いが失われて行ったのは

つまり、環境適応である。


環境が悪いので、アメリカの神様は
環境を変えたのだった。

803 魔法使いルーフィ

この世界は、アメリカンの神様のいたずら(笑)で


そういう不安定から、解放された人々は


本来あるべき人間性のままに育った。


だから、母親は時間のゆとりと気分の安定のもと

子供と戯れながら、柔らかい時間を過ごす。


そうして育った人間は、心に大きな安定感を
持って育つから



仮に、イジメにあったとしても

自分は正しい。



そういう気持ちを持って、悪い連中など
ものともせず駆逐する(笑)




そういう姿勢なら、イジメなど出来ないのである。




様子見で、イジメられないように怯えているから

付け込まれるのである。



そういう時、母の愛に育まれて育った子供は


その愛に恥じないように生きようとする。



言い換えれば、損得勘定しかない母親を
作るような環境がいけないのである。




ともあれ(笑)それが消えたのは
喜ばしい事だ。



1970年代には、鉄道趣味は
大人の、趣味であったのだし。






その光景が蘇っった岡山駅。

802 魔法使いルーフィ

動物には皆、子供を育てる本能がある。
それがないと、滅びてしまうので
生き残った動物には、みな、それが
備わっている。

しかし、人間は社会が不自然なために
子供を育てる本能、仮に母性とすると

それが、歪んだ。


1980年代の終わり頃になると

経済が不安定になった事が原因で


女たちも、母親として安定した家庭を
得られるかどうかが
怪しくなった。


それなので、自分達を高く売ろうとする
術が流行する(笑)。



それは商売と同じで、愛なき世界である。


故に、高く売った後は抜け殻しか残らない(笑)。


相手を騙す術ばかりを考えた女たちは
母性を忘れている。


自分を着飾る事は余念がなくとも
子供への思いやりはお留守(笑)。




そういう子供たちは、自己愛しか知らない。


そういう母親を見て育つからである。


思いやりを知らず、弱い、我が身を邪険にする
母親を見て育つので


そういうものだと思って生きるから



イジメ、が起こる。



つまり、根源は損得である。