魔法使いルーフィー | たまふの書物語まりふ

魔法使いルーフィー

鳴門のうずしおに感動している神様、
ロビーの廊下を車掌が通る。


神様は、もちろん出雲ゆき編成の乗客であるから

高松ゆきの乗車券を持っていないけれど



それをもって云々する必要もない。


勿論、規則では

行く先変更をして、差額を精算する必要がある。


でもまあ、残り1時間にも満たない旅であるし

それで楽しい旅の思い出が変わってしまわない
とも限らない。




ふつう、乗客が申し出なければ

特に検札を繰り返す事もない。


(笑おそらく、精算するとお金を返す事になるだろう)




高松で乗り換える時に、駅でのんびり
精算すればいい事である。






そういう、人間的な柔らかさがあるのが
ふつう、であるし


そうでないと車掌は務まらない。




相手の立場、社会の役割。



そういうものを学ぶのは、生まれてからすぐ。


家族と言う最初の社会が、それにあたるのである。




そうして育って、学んで行くのだが



父親が居て、母親が居て、おじいちゃん、おばあちゃんが居て。


近所の人々がいたり。




そういう、友好的な、社会的な付き合い方を

子供は、幼心に学んで行くのである。



自分勝手ではなく、お互いに助け合って
笑いながら楽しく補い合う姿勢。




そういうものを不幸にして学べないと
心の中に、どことなく不幸なものが残る。



父親や母親が一方的に押し付ける場合。


おばあちゃんおじいちゃんが居たりすれば

そういう父親母親を諌めるが



そうでなければ、不服ながら

その人々が居る間、一方的な押し付けに
服従したふりをする。



不満が、心に残るし


命令する人々がいなければ、勝手にして
良いものだ、と学ぶし



目下の事は考えなくて良いものだ、と学ぶ。




それは間違いなのだけれども。






松下幸之助は、温情ある経営者だったが
大企業の経営者になってから、それだけでは
経営が出来なくなってしまって、苦境の際に

従業員の数を減らしたりする事もした。



そう、大きな会社になると
色々な事をするので
失敗するときのリスクを考えると
大きな事業はできない。





それで、大企業といえども

時折、失敗して従業員を解雇したりする
事がある。(笑筆者も経験した)。






でもそれは、会社や国家を信じて
安定感ある人生を送ってゆく事ができないと
人々に告げるようなものだから




人々は、不安定な生き方をする事もある。
(笑筆者がそうだ)






人々は自衛の為に、仕事をしていく技術や
能力、研究開発をして


色々な現場で、技能を使って働くような
そういう生き方をしていったりする


(笑筆者はそうだ)




そういう人々にとって、国家や家族は
それほど重要なものでもない。



でも、友情と正義が
その代わりに重要になる。


そうでないと、仕事が得られない。



面白いもので、自分勝手だと

仕事が出来ないので、使ってもらえないのである。





つまり排他、というのは
使えない人々の独善なのである。


そういう事をしている人々と言うのは

結局、社会から排除されている事になる(笑)


元々、渡来人とか被差別者が始めた
イジメ、だったりするが


そういう事をしていると、結局社会の底辺で

差別されてしまうのは面白い傾向である。




そうでない人々が社会を動かして行くので




どう繕っても、立ち居振る舞い、所作、顔に
そういう生活態度が現れるので(笑)



魂を磨くのは大切なのである。



悪に染まって、利益を得ても

所詮、端金である。