Cherry Blossum~約束~
人は別れ行く運命だ。
それでも「再会」という名の希望を抱く。
それは「約束」という形で、各々の心に刻まれる。
再会を約束する者は多い。
だが、実際に再会を果たせた者達はどれ程居るだろうか。
果たされぬままに消えた約束は、それこそ、星の数より多いだろう。
彼は約束した。「この場所で、必ず逢おう」と。
彼女は約束した。「覚えていてね、忘れないから」と。
約束の時が近付く。
儚い夢の様に、薄く蕾がほころんでいく。
それでも「再会」という名の希望を抱く。
それは「約束」という形で、各々の心に刻まれる。
再会を約束する者は多い。
だが、実際に再会を果たせた者達はどれ程居るだろうか。
果たされぬままに消えた約束は、それこそ、星の数より多いだろう。
彼は約束した。「この場所で、必ず逢おう」と。
彼女は約束した。「覚えていてね、忘れないから」と。
約束の時が近付く。
儚い夢の様に、薄く蕾がほころんでいく。
楽園~彷徨~
楽園とは、探し続けること。
自らの眼で見て、自らの耳で聞くこと。
しかし、それは真実ではない。
触れたものが、歩いて探したものが全てではない。
楽園とは、彷徨うこと。
蜃気楼を追い求めること。
それは、信じるということ。
楽園は創られる。今この瞬間も。
それは、終わらない物語。
楽園は崩壊する。今 この瞬間も。
それは、始まりへの物語。
自らの眼で見て、自らの耳で聞くこと。
しかし、それは真実ではない。
触れたものが、歩いて探したものが全てではない。
楽園とは、彷徨うこと。
蜃気楼を追い求めること。
それは、信じるということ。
楽園は創られる。今この瞬間も。
それは、終わらない物語。
楽園は崩壊する。今 この瞬間も。
それは、始まりへの物語。
夢幻の楽園
ハムレットは言った。「死ぬと言うことは眠ると言うことだ」と。
そして「眠る。多分夢を見るだろう」とも。
死ぬ。それを人は、永眠と言う。
二度と醒めない眠り。二度と醒めない、夢の始まり。
安らかな眠りを、穏やかな眠りを、そう祈りの言葉と共に口ずさむ。
死が眠りならば、生は覚醒…起きているとでも言うのだろうか。
限られた時間を起き続け、そして二度と醒めない眠りにつく。果たして、どちらが夢に近いのだろうか。
―――私はまだ、闇の中にいる。
全ての生在るものは、その限られた時間の中でも微睡み、眠る。
来るべき時の為に備えるためか、それとも、時折生きながら死んでいるのか。
死という眠りの中で生を夢見ているのか、それとも、どちらも夢でしかないのか。
泡沫の夢の中を生き、久遠の時を眠り続ける。
人は、夢を見る為に産まれてきたのだろうか。それとも、私自身が誰かの夢なのか。
今私が見ているのは夢?それとも、現実?
起きているのは、それが夢の続きだからなのだろうか。
―――闇の中、誰かの呼ぶ声が聞こえる。
誰かに尋ねられたことがある。
「君の夢は何なのか」「将来の夢は何なのか」
私は答えた。
「何故生きているかを知るためだ」
そうしたら「君には夢がない」と言われた。ただ、それだけ。
下らない、そう、本当に些末で下らないやり取りだった。
別の誰かは私にこう尋ねた。
「君は何故生きているのか」
私は答えなかった。答えられなかった。
―――私を呼ぶ声が、聞こえる。
目を開けると、誰かが興味深そうに私を覗き込んでいる。
見覚えのある顔。だけど、誰だか思い出せない。ぼやけた記憶を必死で手繰り寄せる。
「無理はしなくて良いから。しばらく休んでて」
ああ、と思い出す。
この人は専属の研究員。私は、この人の実験台。
夢や記憶を保存する為の機械に繋がれた私の身体。
私は、夢を作り出すための装置でしかない。
「君はとても良い素材だよ。とても良い夢を作り出してくれる」
彼が囁く。また、意識が遠のく。眠る。私は、眠らされる。
「おやすみなさい」
その言葉を最後に、私の意識はまた闇の中へ墜ちていく。
墜ちる意識の狭間で、私が私に訊いてくる。
私は、夢を見ていたのだろうか。
それとも、今夢を見ているのだろうか。
私は―――誰かが見ている夢に過ぎないのだろうか。
答えを出せないまま、私はまた、墜ちていく。
そして「眠る。多分夢を見るだろう」とも。
死ぬ。それを人は、永眠と言う。
二度と醒めない眠り。二度と醒めない、夢の始まり。
安らかな眠りを、穏やかな眠りを、そう祈りの言葉と共に口ずさむ。
死が眠りならば、生は覚醒…起きているとでも言うのだろうか。
限られた時間を起き続け、そして二度と醒めない眠りにつく。果たして、どちらが夢に近いのだろうか。
―――私はまだ、闇の中にいる。
全ての生在るものは、その限られた時間の中でも微睡み、眠る。
来るべき時の為に備えるためか、それとも、時折生きながら死んでいるのか。
死という眠りの中で生を夢見ているのか、それとも、どちらも夢でしかないのか。
泡沫の夢の中を生き、久遠の時を眠り続ける。
人は、夢を見る為に産まれてきたのだろうか。それとも、私自身が誰かの夢なのか。
今私が見ているのは夢?それとも、現実?
起きているのは、それが夢の続きだからなのだろうか。
―――闇の中、誰かの呼ぶ声が聞こえる。
誰かに尋ねられたことがある。
「君の夢は何なのか」「将来の夢は何なのか」
私は答えた。
「何故生きているかを知るためだ」
そうしたら「君には夢がない」と言われた。ただ、それだけ。
下らない、そう、本当に些末で下らないやり取りだった。
別の誰かは私にこう尋ねた。
「君は何故生きているのか」
私は答えなかった。答えられなかった。
―――私を呼ぶ声が、聞こえる。
目を開けると、誰かが興味深そうに私を覗き込んでいる。
見覚えのある顔。だけど、誰だか思い出せない。ぼやけた記憶を必死で手繰り寄せる。
「無理はしなくて良いから。しばらく休んでて」
ああ、と思い出す。
この人は専属の研究員。私は、この人の実験台。
夢や記憶を保存する為の機械に繋がれた私の身体。
私は、夢を作り出すための装置でしかない。
「君はとても良い素材だよ。とても良い夢を作り出してくれる」
彼が囁く。また、意識が遠のく。眠る。私は、眠らされる。
「おやすみなさい」
その言葉を最後に、私の意識はまた闇の中へ墜ちていく。
墜ちる意識の狭間で、私が私に訊いてくる。
私は、夢を見ていたのだろうか。
それとも、今夢を見ているのだろうか。
私は―――誰かが見ている夢に過ぎないのだろうか。
答えを出せないまま、私はまた、墜ちていく。
石櫃の楽園
"それ"には、形容すべき言葉が無かった。
というのも、見る者によって全く違うモノに見えるからだった。
「赤く光った石」という者が居れば、「丸く透き通った水晶玉」という者も居る。
果ては「もやもやした霞か霧みたいなのしか見えない」「何もなかった」と言う者まで居た。
見たという者は一様に「石」と例えた事から、"それ"は「賢者の石」と呼ばれるようになった。
見える者は畏敬の念を込めて、見えない者は嫉妬とある種の軽蔑の念を込めて。その「賢者の石」は今、博物館のガラスケースの中に飾られている、
『「賢者の石」が何かは定かではありません。
如何なる手段を用いても撮影することも分析する事も不可能だからです。
持つ事も出来なければ、触ることも出来ません。
伝承では、魔法使いやシャーマンの様な存在の人がそれをここに置いていったと言われています。
この博物館は、この「賢者の石」の謎を解くための研究施設として、そして皆様方がどのような形を見ることが出来るか、その為に建設されました。』
数分置きに流れるナレーションに耳を傾けながら、子供達がスケッチをしている。
彼らは引率の学芸員から、こう言われているはずだ。
「そこに何が見えるか、ありのままに書いてください」と。
無論、研究の為だ。俺は一心不乱にスケッチを続ける子供達をじっと見ていた。
小学生くらいだろう。社会見学か何か、そんな理由でこの博物館に来たのだろう。憐れむような、労るような、複雑な心境だった。
この子達は研究に利用されているとも知らず、ただひたすらに絵を描いている。
その無邪気な光景を、俺達は利用しているのだ。
「今日の収穫、見るか?」
閉館後の見回りを終えて併設された研究所へ戻ると、同僚が大量のスケッチを抱えていた。
俺は無言で受け取り、目を通す。年相応の、稚拙だが真っ直ぐな絵がそこにあった。
ビー玉みたいな絵、ダイヤモンドのような宝石の絵、コンクリートの破片の様な絵、ただの石ころのような絵…どれもこれも違ったものが描かれていた。
スケッチをファイルに納め、俺は同僚に訊いた。
「お前には何が見える?」
「あ?絵のことか?」
「違う。あの「賢者の石」っていう…」
同僚は腹を抱えて笑って言った。
「ぜーんぜん、何にも。裸の王様みたく実は何もないんじゃないかって思ってるくらいだ」
「そうか」
軽い失望と、案の定という気持ちを隠し、俺は研究室を出た。
灯の落ちた博物館。その「賢者の石」は何に納められる訳でもなく、ガラスケースの向こうに在った。
俺には見えている。そこに、何かがある。
俺が見ているのは、箱。
小さな柩のような、宝箱のような、箱。
小さいときに親に連れられてきた時からずっと、俺には箱が見えていた。
その箱には錠前が付いていた。
開けたら何が入っているのだろう。或いは、何も入っていないか。
俺は、それを開ける鍵を探している。今もずっと、そして多分これからも。
それが「答え」になる。確信めいた想いが、俺を支配している。
「鍵は、今何処にある…」
何かに憑かれたように俺は呟き、無意識に手を伸ばしていた。
ひやりとしたガラスがそれを阻み、俺を現実へと引き戻した。
さっきまでの衝動が消えていく。
それでも、俺の中にはまだ残っている。「鍵を探さなければならない」という、確信めいた想いが。
だかしかし、それは遠い昔に誰かと交わした約束のような、そんな懐かしい想いだった。
というのも、見る者によって全く違うモノに見えるからだった。
「赤く光った石」という者が居れば、「丸く透き通った水晶玉」という者も居る。
果ては「もやもやした霞か霧みたいなのしか見えない」「何もなかった」と言う者まで居た。
見たという者は一様に「石」と例えた事から、"それ"は「賢者の石」と呼ばれるようになった。
見える者は畏敬の念を込めて、見えない者は嫉妬とある種の軽蔑の念を込めて。その「賢者の石」は今、博物館のガラスケースの中に飾られている、
『「賢者の石」が何かは定かではありません。
如何なる手段を用いても撮影することも分析する事も不可能だからです。
持つ事も出来なければ、触ることも出来ません。
伝承では、魔法使いやシャーマンの様な存在の人がそれをここに置いていったと言われています。
この博物館は、この「賢者の石」の謎を解くための研究施設として、そして皆様方がどのような形を見ることが出来るか、その為に建設されました。』
数分置きに流れるナレーションに耳を傾けながら、子供達がスケッチをしている。
彼らは引率の学芸員から、こう言われているはずだ。
「そこに何が見えるか、ありのままに書いてください」と。
無論、研究の為だ。俺は一心不乱にスケッチを続ける子供達をじっと見ていた。
小学生くらいだろう。社会見学か何か、そんな理由でこの博物館に来たのだろう。憐れむような、労るような、複雑な心境だった。
この子達は研究に利用されているとも知らず、ただひたすらに絵を描いている。
その無邪気な光景を、俺達は利用しているのだ。
「今日の収穫、見るか?」
閉館後の見回りを終えて併設された研究所へ戻ると、同僚が大量のスケッチを抱えていた。
俺は無言で受け取り、目を通す。年相応の、稚拙だが真っ直ぐな絵がそこにあった。
ビー玉みたいな絵、ダイヤモンドのような宝石の絵、コンクリートの破片の様な絵、ただの石ころのような絵…どれもこれも違ったものが描かれていた。
スケッチをファイルに納め、俺は同僚に訊いた。
「お前には何が見える?」
「あ?絵のことか?」
「違う。あの「賢者の石」っていう…」
同僚は腹を抱えて笑って言った。
「ぜーんぜん、何にも。裸の王様みたく実は何もないんじゃないかって思ってるくらいだ」
「そうか」
軽い失望と、案の定という気持ちを隠し、俺は研究室を出た。
灯の落ちた博物館。その「賢者の石」は何に納められる訳でもなく、ガラスケースの向こうに在った。
俺には見えている。そこに、何かがある。
俺が見ているのは、箱。
小さな柩のような、宝箱のような、箱。
小さいときに親に連れられてきた時からずっと、俺には箱が見えていた。
その箱には錠前が付いていた。
開けたら何が入っているのだろう。或いは、何も入っていないか。
俺は、それを開ける鍵を探している。今もずっと、そして多分これからも。
それが「答え」になる。確信めいた想いが、俺を支配している。
「鍵は、今何処にある…」
何かに憑かれたように俺は呟き、無意識に手を伸ばしていた。
ひやりとしたガラスがそれを阻み、俺を現実へと引き戻した。
さっきまでの衝動が消えていく。
それでも、俺の中にはまだ残っている。「鍵を探さなければならない」という、確信めいた想いが。
だかしかし、それは遠い昔に誰かと交わした約束のような、そんな懐かしい想いだった。
永遠の楽園
朝からテレビがうるさく伝えている。ヘリも鬱陶しいくらいに飛んでいる。
「尚、今回犠牲者はこれで…人目となり……」
僕はトーストを囓りながら、無感動にニュースを見ていた。
何でも、最近この街で殺人事件が続いているらしい。この街、というか僕の住むほんの狭い地域に集中して起こっている。
犠牲者には共通した特徴がある。体中の血が抜き取られ、身体の主に首筋に噛まれた様な傷跡があった。
こんな話をマスコミが取り上げない訳がない。「現代の吸血鬼」だとか何とか連日の大見出しだ。
警察だって厳戒態勢を敷いている。
所々休校や明るい内に帰れるよう取り計らう会社や学校、塾などが増えている。
時計を見る。そろそろ良い時間だ。
今のところ普段通りに授業を行っている学校へ急ぐ。どうやら、校長にとっても事件は他人事らしい。
テレビを消す前に一瞬だけ写った写真。見覚えが有った。
僕の、クラスメートだった。
校門に着くなり記者に囲まれた。
「今の気持ちは?」
「その子はどんな子だった?」
「不安はありますか?」
矢継ぎ早に不躾な質問が降り注ぐ。その脇を、うつむいて通り過ぎるクラスメート達。
程なくして先生が来た。集まったマスコミに記者会見をするから一旦生徒達から離れろという旨の話をして、一旦その場を落ち着かせた。
その様子を見ながら、僕も教室へと向かう。
擦れ違う同級生達。皆一様にうつむいたまま、何かを堪えているようだった。
いつもなら賑やかな男子達も、一言二言喋る程度で、押し黙る。
他のクラスからも笑い声は聞こえてこない。
教室に入ると、既にその子の席には花束が置かれていた。仲の良かった女子が持ってきたらしい。
その子の面影がふっとよぎる。明るい子で、誰からも好かれていた。面倒見が良くて、良い子だった。
女子が固まって泣いている。男子も、泣いている奴や唇を噛み締めて堪えている奴が殆どだ。
慌てた様子で、クラス委員が緊急集会が有ると伝えてきた。
この子の事と今後の事についての話だろう。よろよろとクラスメート達が教室を後にする。僕もそれに続く。
教室を出る寸前、ほんの僅かな時間、その子に向かって黙祷を捧げた。
心からの、そう、祈りとも言うべきか―――。
集会は、黙祷から始まった。そして校長から事件の概要、一人で出歩かない等の諸注意くらいだった。
外にひしめいているマスコミへの会見の準備だろうか。他の先生達がせわしなく動いている。
今日の授業は取りやめ、明日以降は短縮授業になるとの連絡を最後に、集会は終わりとなった。
全員、無言で教室へと帰っていく。
まるで葬列の様だな、と僕は他人事の様に思っていた。
言われたとおり、集会が終わったらすぐに下校となった。念の為か、生徒が学校に残らないようにとの事なのか、別のクラスの教師がそう伝えてきた。担任は戻ってくる気配は無い。
校門のマスコミの群れが減っていた。記者会見をするらしい、と誰かが話しているのが聞こえる。
それで、と納得した。担任も会見に臨むのだろう。
校庭を眺める。ワイドショーは生中継でもするつもりなのか、慌ただしく連絡を取る記者が走っていった。
気配を感じ、振り返る。近所の女子だった。
「一緒に帰ろ。やっぱ何か怖いし…」
うつむく彼女の背を押して、僕も帰り支度をする。
カラスが、嫌な声で鳴いていた。僕らを一瞥し、何処かへと飛んでいった。
陽も暮れようという時間、メールが来た。あの、近所の女子からだ。
『コンビニに買い物行きたいんだけど、怖いから付いてきてくれない?』
何故こんな時に、と思ったが『別に良いけど』と返信しておく。
外に出るな。その心の奥底の叫びを、僕は言葉にする事が出来ない。
―――夜が、来る。
「ごめんねー。ちょっとね…」
買い物袋を手に、申し訳なさそうな彼女。無理して微笑んでいるのが解る。
陽が落ちて暗くなった道を二人で歩く。人っ子一人見かけない。まるでゴーストタウンだ。
僕も彼女も無言だった。殺されたクラスメートの事でも考えているのか、表情が固い。
分かれ道。ここまでで良い、と彼女は手を振った。
「ありがとね、付いてきてくれて。そっちも気をつけて…」
その手を引き寄せ、僕は彼女を抱き締める。動揺が伝わってくる。
「ごめんね…」
震える唇に言葉を重ね、そっと彼女の首筋に唇を押し当てる。
びくり、と彼女の躯が跳ねる。その手から買い物袋が滑り落ち、足下で微かな音を立てた。
それを合図にするかの様に、ゆっくりと彼女はくずおれる。
「ごめんね…」
もう二度と動かない彼女の為に、精一杯の言葉を、祈りのように紡いだ。
遠い日の呪い。
記憶の彼方、響く言葉。
<<愛する者の血を啜り、永遠の命を得る。命の為に、お前は愛を失い続ける>>
解けない呪縛。結ばれる言葉。
<<楽園に辿り着けば、お前は解き放たれるだろう>>
だから僕は、永遠に探し彷徨い続ける。楽園を、楽園への道を。
全てから解き放たれるその時を夢見ながら―――。
「尚、今回犠牲者はこれで…人目となり……」
僕はトーストを囓りながら、無感動にニュースを見ていた。
何でも、最近この街で殺人事件が続いているらしい。この街、というか僕の住むほんの狭い地域に集中して起こっている。
犠牲者には共通した特徴がある。体中の血が抜き取られ、身体の主に首筋に噛まれた様な傷跡があった。
こんな話をマスコミが取り上げない訳がない。「現代の吸血鬼」だとか何とか連日の大見出しだ。
警察だって厳戒態勢を敷いている。
所々休校や明るい内に帰れるよう取り計らう会社や学校、塾などが増えている。
時計を見る。そろそろ良い時間だ。
今のところ普段通りに授業を行っている学校へ急ぐ。どうやら、校長にとっても事件は他人事らしい。
テレビを消す前に一瞬だけ写った写真。見覚えが有った。
僕の、クラスメートだった。
校門に着くなり記者に囲まれた。
「今の気持ちは?」
「その子はどんな子だった?」
「不安はありますか?」
矢継ぎ早に不躾な質問が降り注ぐ。その脇を、うつむいて通り過ぎるクラスメート達。
程なくして先生が来た。集まったマスコミに記者会見をするから一旦生徒達から離れろという旨の話をして、一旦その場を落ち着かせた。
その様子を見ながら、僕も教室へと向かう。
擦れ違う同級生達。皆一様にうつむいたまま、何かを堪えているようだった。
いつもなら賑やかな男子達も、一言二言喋る程度で、押し黙る。
他のクラスからも笑い声は聞こえてこない。
教室に入ると、既にその子の席には花束が置かれていた。仲の良かった女子が持ってきたらしい。
その子の面影がふっとよぎる。明るい子で、誰からも好かれていた。面倒見が良くて、良い子だった。
女子が固まって泣いている。男子も、泣いている奴や唇を噛み締めて堪えている奴が殆どだ。
慌てた様子で、クラス委員が緊急集会が有ると伝えてきた。
この子の事と今後の事についての話だろう。よろよろとクラスメート達が教室を後にする。僕もそれに続く。
教室を出る寸前、ほんの僅かな時間、その子に向かって黙祷を捧げた。
心からの、そう、祈りとも言うべきか―――。
集会は、黙祷から始まった。そして校長から事件の概要、一人で出歩かない等の諸注意くらいだった。
外にひしめいているマスコミへの会見の準備だろうか。他の先生達がせわしなく動いている。
今日の授業は取りやめ、明日以降は短縮授業になるとの連絡を最後に、集会は終わりとなった。
全員、無言で教室へと帰っていく。
まるで葬列の様だな、と僕は他人事の様に思っていた。
言われたとおり、集会が終わったらすぐに下校となった。念の為か、生徒が学校に残らないようにとの事なのか、別のクラスの教師がそう伝えてきた。担任は戻ってくる気配は無い。
校門のマスコミの群れが減っていた。記者会見をするらしい、と誰かが話しているのが聞こえる。
それで、と納得した。担任も会見に臨むのだろう。
校庭を眺める。ワイドショーは生中継でもするつもりなのか、慌ただしく連絡を取る記者が走っていった。
気配を感じ、振り返る。近所の女子だった。
「一緒に帰ろ。やっぱ何か怖いし…」
うつむく彼女の背を押して、僕も帰り支度をする。
カラスが、嫌な声で鳴いていた。僕らを一瞥し、何処かへと飛んでいった。
陽も暮れようという時間、メールが来た。あの、近所の女子からだ。
『コンビニに買い物行きたいんだけど、怖いから付いてきてくれない?』
何故こんな時に、と思ったが『別に良いけど』と返信しておく。
外に出るな。その心の奥底の叫びを、僕は言葉にする事が出来ない。
―――夜が、来る。
「ごめんねー。ちょっとね…」
買い物袋を手に、申し訳なさそうな彼女。無理して微笑んでいるのが解る。
陽が落ちて暗くなった道を二人で歩く。人っ子一人見かけない。まるでゴーストタウンだ。
僕も彼女も無言だった。殺されたクラスメートの事でも考えているのか、表情が固い。
分かれ道。ここまでで良い、と彼女は手を振った。
「ありがとね、付いてきてくれて。そっちも気をつけて…」
その手を引き寄せ、僕は彼女を抱き締める。動揺が伝わってくる。
「ごめんね…」
震える唇に言葉を重ね、そっと彼女の首筋に唇を押し当てる。
びくり、と彼女の躯が跳ねる。その手から買い物袋が滑り落ち、足下で微かな音を立てた。
それを合図にするかの様に、ゆっくりと彼女はくずおれる。
「ごめんね…」
もう二度と動かない彼女の為に、精一杯の言葉を、祈りのように紡いだ。
遠い日の呪い。
記憶の彼方、響く言葉。
<<愛する者の血を啜り、永遠の命を得る。命の為に、お前は愛を失い続ける>>
解けない呪縛。結ばれる言葉。
<<楽園に辿り着けば、お前は解き放たれるだろう>>
だから僕は、永遠に探し彷徨い続ける。楽園を、楽園への道を。
全てから解き放たれるその時を夢見ながら―――。
空人の楽園
空中管制機から緊急通信が入ったのは、哨戒任務からの帰還途中だった。
終戦が近いらしいとの話は、どうやら相手側には伝わっていないらしい。でなければ、ただのデマか。
帰投直前の来襲。冗談じゃない。後は他の奴らに任せて帰らせてくれと言いたいのを堪え、僚機に指示を出す。
「警戒態勢。状況によっては交戦も有り得る。いいな」
了解、と僚機が応じるのと、敵機がレーダーに映ったのはほぼ同時だった。
「相手も三機。戦力は互角です」
二番機が報告してきた。
相手は編隊を崩さず、真っ直ぐに向かってくる。
識別信号応答無し。投降勧告も何もあったものではない。
間違いなくやる気だ。
どうしてもこちらと一戦交えるつもりらしい。
傾きかけた陽光に照らされる敵機が、肉眼でも確認出来る。
禍々しい力の象徴、しかし美しく儚い天翔る鋼の翼。
戦う為に産まれた戦闘機達。
戦いの火蓋が切られようとしていた。
先に仕掛けたのは向こうだった。ミサイルアラート。狙いは三番機だ。
「三番機、ブレイク!回避だ」
編隊を解く。
相手も編隊を解いた。一対一でやるつもりらしい。二番機にも注意を促す。
燃料チェック、武装チェック、攻撃態勢へ移行…と無機質なシステム音声が聞こえる。
「無理だと思ったら離脱せよ、以上だ」
旋回、隊長機へ威嚇射撃。
だが、こちらの意図など見透かされていたらしい。奴は機体をひねり、回避。そのまま急上昇して反撃に転じようとしている。
ミサイルは温存するつもりだ。機銃が空を切って襲いかかってくる。
背後を取られたら負ける。咄嗟に急旋回、反撃に転じる。
凄まじいGに意識ごと身体が潰されそうになる。ギリギリで踏ん張り、操縦桿を握り治した。まだ大丈夫だ、いける。照準機が辛うじて奴を捉えたと報告してきた。
ミサイル発射。追尾開始。
いける、と思った。だが、奴は寸前でミサイルを回避。逆にこちらに狙いを定める。ミサイルアラートがけたたましく鳴り響く。
回避。舌打ちすらままならないくらいのGが身体にかかる。
相手もこちらを追おうとかなりの機動を繰り返している。同じ苦しみを味わっているかもしれない、という同情にも似た気持ちが湧いてきた。気が緩んでいるのかもしれない。
「二番機、被弾!」
悲鳴のような報告が飛び込んでくる。煙を引いた二番機が気を失ったかのように下降を始める。燃料供給をカットしたのか、炎は見えない。
「無事か?」
「こ、こちら二番機…辛うじてまだ飛べます…」
とはいえ、長くは持たない。二番機を狙っていた敵がその後を追うのが見えた。
「三番機、バックアップに回れ。管制機!最寄りの基地へ緊急着陸要請を…」
指示を出す俺の目の前で、敵機は信じられない行動を取った。
(ギアダウン…戦闘の意志無し、だと?)
被弾した二番機を追っていた機もそうだった。速度の落ちた二番機を追い越し、同じようにギアダウンをして「戦闘を継続する意志が無い」と言っていた。
「ど、どういうことなんでしょうか…」
三番機のパイロットも、信じられないといった様子だ。
ふと、共通回線の声に気付く。敵味方関係なく、全ての航空機が強制的に受信する回線だ。そこから、何かが聞こえてくる。
「…んざ…協定が…れた。全戦闘を…止せ…」
酷いノイズ混じりだったが、これで理由が解った。
「全機、帰投する。終戦だ…!」
敵のパイロットもコレを聞いたのだろう。だからこそ、二番機を撃墜せずにギアダウンしたのだろう。
安堵した隊員の声を聞いて、俺もようやく「終わり」を感じることが出来た。
ややあって、最寄りの飛行場からの着陸許可が下りた。被弾した二番機を先に降ろす。
終戦協定が結ばれ、空域も近かったことから、ついさっきまで戦闘していた相手も同じ飛行場へ降りる事となった。
二番機、着陸。念の為か損傷箇所に消化剤を撒いている。
その横をエスコートしていた三番機が難なく着陸した。
両機のキャノピーが上がり、俺に向けて無事だと手を振っている。
残りは俺、そして交戦した相手部隊だ。
着陸の順番を待っているのか、上空で旋回している。
「後ろから撃たれたりしないだろうな」
「安心しろ。その時は二階級特進をくれてやる」
管制官の笑えない冗談を聞きながら、俺も着陸体勢に入る。
その時だった。
無線信号。発信相手は、相手部隊の隊長からだ。
「イズレ マタ オアイテネガイタイモノダ」
余裕の表れか…それとも、挑戦状か。
一瞬、心が揺れる。
接地のショックで現実に引き戻される。
「あの野郎、どういうつもりだ?」
地上でどう迎えてやろうかと考えながら、俺は着陸体勢に入った奴らを見上げていた。
終戦が近いらしいとの話は、どうやら相手側には伝わっていないらしい。でなければ、ただのデマか。
帰投直前の来襲。冗談じゃない。後は他の奴らに任せて帰らせてくれと言いたいのを堪え、僚機に指示を出す。
「警戒態勢。状況によっては交戦も有り得る。いいな」
了解、と僚機が応じるのと、敵機がレーダーに映ったのはほぼ同時だった。
「相手も三機。戦力は互角です」
二番機が報告してきた。
相手は編隊を崩さず、真っ直ぐに向かってくる。
識別信号応答無し。投降勧告も何もあったものではない。
間違いなくやる気だ。
どうしてもこちらと一戦交えるつもりらしい。
傾きかけた陽光に照らされる敵機が、肉眼でも確認出来る。
禍々しい力の象徴、しかし美しく儚い天翔る鋼の翼。
戦う為に産まれた戦闘機達。
戦いの火蓋が切られようとしていた。
先に仕掛けたのは向こうだった。ミサイルアラート。狙いは三番機だ。
「三番機、ブレイク!回避だ」
編隊を解く。
相手も編隊を解いた。一対一でやるつもりらしい。二番機にも注意を促す。
燃料チェック、武装チェック、攻撃態勢へ移行…と無機質なシステム音声が聞こえる。
「無理だと思ったら離脱せよ、以上だ」
旋回、隊長機へ威嚇射撃。
だが、こちらの意図など見透かされていたらしい。奴は機体をひねり、回避。そのまま急上昇して反撃に転じようとしている。
ミサイルは温存するつもりだ。機銃が空を切って襲いかかってくる。
背後を取られたら負ける。咄嗟に急旋回、反撃に転じる。
凄まじいGに意識ごと身体が潰されそうになる。ギリギリで踏ん張り、操縦桿を握り治した。まだ大丈夫だ、いける。照準機が辛うじて奴を捉えたと報告してきた。
ミサイル発射。追尾開始。
いける、と思った。だが、奴は寸前でミサイルを回避。逆にこちらに狙いを定める。ミサイルアラートがけたたましく鳴り響く。
回避。舌打ちすらままならないくらいのGが身体にかかる。
相手もこちらを追おうとかなりの機動を繰り返している。同じ苦しみを味わっているかもしれない、という同情にも似た気持ちが湧いてきた。気が緩んでいるのかもしれない。
「二番機、被弾!」
悲鳴のような報告が飛び込んでくる。煙を引いた二番機が気を失ったかのように下降を始める。燃料供給をカットしたのか、炎は見えない。
「無事か?」
「こ、こちら二番機…辛うじてまだ飛べます…」
とはいえ、長くは持たない。二番機を狙っていた敵がその後を追うのが見えた。
「三番機、バックアップに回れ。管制機!最寄りの基地へ緊急着陸要請を…」
指示を出す俺の目の前で、敵機は信じられない行動を取った。
(ギアダウン…戦闘の意志無し、だと?)
被弾した二番機を追っていた機もそうだった。速度の落ちた二番機を追い越し、同じようにギアダウンをして「戦闘を継続する意志が無い」と言っていた。
「ど、どういうことなんでしょうか…」
三番機のパイロットも、信じられないといった様子だ。
ふと、共通回線の声に気付く。敵味方関係なく、全ての航空機が強制的に受信する回線だ。そこから、何かが聞こえてくる。
「…んざ…協定が…れた。全戦闘を…止せ…」
酷いノイズ混じりだったが、これで理由が解った。
「全機、帰投する。終戦だ…!」
敵のパイロットもコレを聞いたのだろう。だからこそ、二番機を撃墜せずにギアダウンしたのだろう。
安堵した隊員の声を聞いて、俺もようやく「終わり」を感じることが出来た。
ややあって、最寄りの飛行場からの着陸許可が下りた。被弾した二番機を先に降ろす。
終戦協定が結ばれ、空域も近かったことから、ついさっきまで戦闘していた相手も同じ飛行場へ降りる事となった。
二番機、着陸。念の為か損傷箇所に消化剤を撒いている。
その横をエスコートしていた三番機が難なく着陸した。
両機のキャノピーが上がり、俺に向けて無事だと手を振っている。
残りは俺、そして交戦した相手部隊だ。
着陸の順番を待っているのか、上空で旋回している。
「後ろから撃たれたりしないだろうな」
「安心しろ。その時は二階級特進をくれてやる」
管制官の笑えない冗談を聞きながら、俺も着陸体勢に入る。
その時だった。
無線信号。発信相手は、相手部隊の隊長からだ。
「イズレ マタ オアイテネガイタイモノダ」
余裕の表れか…それとも、挑戦状か。
一瞬、心が揺れる。
接地のショックで現実に引き戻される。
「あの野郎、どういうつもりだ?」
地上でどう迎えてやろうかと考えながら、俺は着陸体勢に入った奴らを見上げていた。
抜殻の楽園
また一人、大切な人が逝ってしまった。
この世界に残された虚しさと同時に、生き残ってしまったという罪悪感にも似た遣り切れない思い。
どうして、良い人は先に逝ってしまうのだろう。
どうして、必要な人達は早く去ってしまうのだろう。
祭壇に飾られた沢山の花束。献花に、と手渡された一本の白い花。
掲げられた写真を見上げ、私は思った。
どうして、私なんかが生き残ってしまったのだろう、と。
荼毘に付される時が来た。
照りつける陽射しの中、焦れたように運転手が待っている。
その人の家族が棺に付き添い、親族がその後に続く。
これが、最期の、本当に最期の別れの時だ。
溢れ出る涙を拭う。幾ら拭っても、涙は止まらない。
私の命なんて、今尽きても構わない。だから、せめて、この人は逝かせないでくれ。
そんな身勝手な願いなど知らないとでも言うように、葬送のクラクションが鳴り響く。
その後ろを、斎場へ向かう車の列が続いていった。
見送る事しか出来ない私を、真夏の陽射しが嘲笑う。
疲れのせいか悲しみのせいか、くたびれた躯を引きずりながら家路に着く。
その足に、ちくりと痛みを感じ、思わず立ち止まった。
蝉の抜け殻が引っ掛かっていた。
電柱に張り付いていた抜け殻を、そっと引き剥がす。
いつ羽化したのだろう。
琥珀色のそれは、背中以外にひとつの破れ目も無かった。まるで、精巧に作られた薄いガラス細工のようにさえ見えた。
蝉が鳴いている。
自分はここだ、と主張しているかのように鳴いている。
あの中のどれかの抜け殻なのだろうか。
見上げる先、ジッジッと短く鳴きながら飛び立っていく。その先の木立でも、また蝉が鳴いている。
夏の陽射しの中、鳴き声は止まない。
鳴き声は、抜け殻の様な私の躯に染みこんでいく。
自分はここだ、と主張する様な鳴き声。
それに比べて小さすぎる、私の命。
それでも生きろ、と突き飛ばされた様な気がした。
ここにいると叫べ。それが生きるということなのだ、と。
この世界に残された虚しさと同時に、生き残ってしまったという罪悪感にも似た遣り切れない思い。
どうして、良い人は先に逝ってしまうのだろう。
どうして、必要な人達は早く去ってしまうのだろう。
祭壇に飾られた沢山の花束。献花に、と手渡された一本の白い花。
掲げられた写真を見上げ、私は思った。
どうして、私なんかが生き残ってしまったのだろう、と。
荼毘に付される時が来た。
照りつける陽射しの中、焦れたように運転手が待っている。
その人の家族が棺に付き添い、親族がその後に続く。
これが、最期の、本当に最期の別れの時だ。
溢れ出る涙を拭う。幾ら拭っても、涙は止まらない。
私の命なんて、今尽きても構わない。だから、せめて、この人は逝かせないでくれ。
そんな身勝手な願いなど知らないとでも言うように、葬送のクラクションが鳴り響く。
その後ろを、斎場へ向かう車の列が続いていった。
見送る事しか出来ない私を、真夏の陽射しが嘲笑う。
疲れのせいか悲しみのせいか、くたびれた躯を引きずりながら家路に着く。
その足に、ちくりと痛みを感じ、思わず立ち止まった。
蝉の抜け殻が引っ掛かっていた。
電柱に張り付いていた抜け殻を、そっと引き剥がす。
いつ羽化したのだろう。
琥珀色のそれは、背中以外にひとつの破れ目も無かった。まるで、精巧に作られた薄いガラス細工のようにさえ見えた。
蝉が鳴いている。
自分はここだ、と主張しているかのように鳴いている。
あの中のどれかの抜け殻なのだろうか。
見上げる先、ジッジッと短く鳴きながら飛び立っていく。その先の木立でも、また蝉が鳴いている。
夏の陽射しの中、鳴き声は止まない。
鳴き声は、抜け殻の様な私の躯に染みこんでいく。
自分はここだ、と主張する様な鳴き声。
それに比べて小さすぎる、私の命。
それでも生きろ、と突き飛ばされた様な気がした。
ここにいると叫べ。それが生きるということなのだ、と。
闇心の楽園
私は誰も愛さない。
そう誓った日から、私の世界は闇の中だった。
信じるものは、己の力。相棒は、懐に忍ばせたナイフ。
死すらも恐れず、生きることにも執着してこなかった。
人の心など、必要ない。
最初に彼女に出会ったのは、少し前。領主の開いた晩餐会だった。
忍び込んだ廊下で出会った彼女。
姿を見られたものは生かしてならない。口を封じようと近付く。
そんな私に、彼女は微笑み無邪気に言った。
「二人だけの秘密ね」
ナイフを握った私の手にそっと触れ、ダンスホールへと歩いていく。
ゆっくりと。私から逃げることもなく。
私の使命は、領主の暗殺だった。
幾度となく忍び込み、チャンスを窺っていても、彼女は必ず私を見付けてしまった。
「かくれんぼ、苦手なのね」
小さい子供をなだめるように、頭一つ小さな躯が私を撫でていた。
人の心を捨てたのに、何故、こんなにも暖かい?
そっと彼女に触れようとして、止めた。
血塗れの私の手で、この人を汚してはならない。
けれど彼女は、そっと私に抱きついた。
人の温もり、忘れかけていた暖かさ。
闇の中に差した、柔らかな光。
任務が下る。
明日の領主の娘の結婚式で、領主とその婿と娘を殺せ、と。
これが最後と、私は真新しいナイフを忍ばせる。
人混みに紛れ、式場へ近付く。後少し。歓声を掻き分けて進む。
護衛の騎士は私に気付いていないようだった。そっと背後へ回り込む。
陽気に喋り続ける領主を、刺し貫く。老躯が血溜まりに倒れ、歓声が悲鳴に変わる。
護衛の騎士が私に斬りかかろうとする。
私は逃げ損ねた花婿を後ろ手に掴み、騎士に突き出す。
戸惑う騎士。その隙を突いて、花婿の背を突き刺す。
くぐもった悲鳴。胸の先から、突き出た刃が騎士を睨み付ける。
動揺する騎士達と逃げ惑う観客に紛れ、私は最後の標的を追った。
教会に逃げたドレス姿。
祭壇の前に居たのは、彼女だった。
神を祭る場所とは、皮肉なものだ。私は神など信じない。
こんな運命を与える神など、必要ない。
神のシンボルを血濡れたナイフで突き刺し、私は彼女の元へと向かう。
彼女は震える唇でようやく言葉を紡ぎ出す。
「かくれんぼ、今度は私が、見付かっちゃったね」
私は真新しいナイフに口付けた。
人の心など必要ない。そう言い聞かせながら近付く。
せめて苦しまないように、狙いを定める。
そして、その躯を抱き締め、最初で最期の口付けを彼女の躯に突き刺した。
こぼれ落ちる涙。慈悲にも似た、彼女の涙。
終わった。何もかも、全てが。
動かない彼女からナイフを引き抜き、己の躯へ突き刺す。
彼女への愛を知った、私の心へと―――。
そう誓った日から、私の世界は闇の中だった。
信じるものは、己の力。相棒は、懐に忍ばせたナイフ。
死すらも恐れず、生きることにも執着してこなかった。
人の心など、必要ない。
最初に彼女に出会ったのは、少し前。領主の開いた晩餐会だった。
忍び込んだ廊下で出会った彼女。
姿を見られたものは生かしてならない。口を封じようと近付く。
そんな私に、彼女は微笑み無邪気に言った。
「二人だけの秘密ね」
ナイフを握った私の手にそっと触れ、ダンスホールへと歩いていく。
ゆっくりと。私から逃げることもなく。
私の使命は、領主の暗殺だった。
幾度となく忍び込み、チャンスを窺っていても、彼女は必ず私を見付けてしまった。
「かくれんぼ、苦手なのね」
小さい子供をなだめるように、頭一つ小さな躯が私を撫でていた。
人の心を捨てたのに、何故、こんなにも暖かい?
そっと彼女に触れようとして、止めた。
血塗れの私の手で、この人を汚してはならない。
けれど彼女は、そっと私に抱きついた。
人の温もり、忘れかけていた暖かさ。
闇の中に差した、柔らかな光。
任務が下る。
明日の領主の娘の結婚式で、領主とその婿と娘を殺せ、と。
これが最後と、私は真新しいナイフを忍ばせる。
人混みに紛れ、式場へ近付く。後少し。歓声を掻き分けて進む。
護衛の騎士は私に気付いていないようだった。そっと背後へ回り込む。
陽気に喋り続ける領主を、刺し貫く。老躯が血溜まりに倒れ、歓声が悲鳴に変わる。
護衛の騎士が私に斬りかかろうとする。
私は逃げ損ねた花婿を後ろ手に掴み、騎士に突き出す。
戸惑う騎士。その隙を突いて、花婿の背を突き刺す。
くぐもった悲鳴。胸の先から、突き出た刃が騎士を睨み付ける。
動揺する騎士達と逃げ惑う観客に紛れ、私は最後の標的を追った。
教会に逃げたドレス姿。
祭壇の前に居たのは、彼女だった。
神を祭る場所とは、皮肉なものだ。私は神など信じない。
こんな運命を与える神など、必要ない。
神のシンボルを血濡れたナイフで突き刺し、私は彼女の元へと向かう。
彼女は震える唇でようやく言葉を紡ぎ出す。
「かくれんぼ、今度は私が、見付かっちゃったね」
私は真新しいナイフに口付けた。
人の心など必要ない。そう言い聞かせながら近付く。
せめて苦しまないように、狙いを定める。
そして、その躯を抱き締め、最初で最期の口付けを彼女の躯に突き刺した。
こぼれ落ちる涙。慈悲にも似た、彼女の涙。
終わった。何もかも、全てが。
動かない彼女からナイフを引き抜き、己の躯へ突き刺す。
彼女への愛を知った、私の心へと―――。
咎人の楽園
少し、眠っていたらしい。
夢と現実の狭間を漂う様な、ふわりとした心地良さ。
曖昧で、ぼんやりとしていて、境目さえ解らなくなりそうな暖かさ。
見上げれば、天井が空を遮っている。
見慣れない場所。知らない部屋。
隣には、眠る彼女。
心が現実へと引き戻される。
汚した、という罪悪感。
汚された、という喪失感。
彼女が寝返りを打つ。間違いなく、現実だ。
起こさないようにそっと口付け、ベッドを抜け出した。
熱いシャワーを浴びる。
残滓が流されていく。澱んだ躯が清められていく。
―――いや。
それは錯覚だ、と叫ぶ声が聞こえた気がして振り向く。
そうだ、許される事は無いんだ。
罪を犯した。消えることのない罪を。
ぞくり、と躯が震える。膝が落ち、床に座り込んでしまった。
熱いシャワーなのに、凍えるような冷たさ。
責めるように、なじるように、容赦なく降り注ぐ。
そうだ―――雨。土砂降りの、雨。
たった二人で逃げた時と同じ、土砂降りの雨だ。
逃げ出して…逃げ続けて…そして…―――。
寝室に戻ると、彼女は目を覚ましていた。
不安げな瞳でじっと見つめ、消え入りそうな声で言う。
これからどうなるの、と。
その問いに、精一杯の笑顔で応える。
逃げるんだ、二人だけの世界が見つかるまで、と。
不安と希望が溶けた涙が、彼女の頬を伝う。
もしも、望む世界が無かったとしても、きっと二人で行くだろう。
いつまでも、どこまでも、行くだろう。
冷えた躯を暖めようと、彼女の居るベッドに潜り込む。
しなやかな腕が、そっと抱き締めてくれた。
そうして、罪を重ねていく。
もう、戻れない。
進む事しか、二人には残されて居ないのだから―――。
夢と現実の狭間を漂う様な、ふわりとした心地良さ。
曖昧で、ぼんやりとしていて、境目さえ解らなくなりそうな暖かさ。
見上げれば、天井が空を遮っている。
見慣れない場所。知らない部屋。
隣には、眠る彼女。
心が現実へと引き戻される。
汚した、という罪悪感。
汚された、という喪失感。
彼女が寝返りを打つ。間違いなく、現実だ。
起こさないようにそっと口付け、ベッドを抜け出した。
熱いシャワーを浴びる。
残滓が流されていく。澱んだ躯が清められていく。
―――いや。
それは錯覚だ、と叫ぶ声が聞こえた気がして振り向く。
そうだ、許される事は無いんだ。
罪を犯した。消えることのない罪を。
ぞくり、と躯が震える。膝が落ち、床に座り込んでしまった。
熱いシャワーなのに、凍えるような冷たさ。
責めるように、なじるように、容赦なく降り注ぐ。
そうだ―――雨。土砂降りの、雨。
たった二人で逃げた時と同じ、土砂降りの雨だ。
逃げ出して…逃げ続けて…そして…―――。
寝室に戻ると、彼女は目を覚ましていた。
不安げな瞳でじっと見つめ、消え入りそうな声で言う。
これからどうなるの、と。
その問いに、精一杯の笑顔で応える。
逃げるんだ、二人だけの世界が見つかるまで、と。
不安と希望が溶けた涙が、彼女の頬を伝う。
もしも、望む世界が無かったとしても、きっと二人で行くだろう。
いつまでも、どこまでも、行くだろう。
冷えた躯を暖めようと、彼女の居るベッドに潜り込む。
しなやかな腕が、そっと抱き締めてくれた。
そうして、罪を重ねていく。
もう、戻れない。
進む事しか、二人には残されて居ないのだから―――。
海楼の楽園
海の向こうは何かがある。
そんな希望を抱いて、昔の人は漕ぎ出していったに違いない。
彼らは二度と帰らぬ旅に出た。
それは、海の向こうに辿り着いたから。新しい世界を築いているから。
幼い頃に何度も聞かされた話だ。
幼い俺はその海を眺めながら、いつかは海に出たいと憧れていた。
「なぁ、アンタ。セイレーンを知ってるか?」
船乗りの間じゃ有名な話なんだが、と男は付け加えた。
ほろ酔いでちょっとした想い出に浸っていた俺は、ぶっきらぼうに応える。
「聞いたことはある」
俺はグラスの中身を飲み干し、男を見据える。
「噂じゃぁ、羽根の生えた人魚の姿をしてるらしい」
奢りだ、と男は俺のグラスに酒を注ぐ。
「歌を歌って誘惑する怪物だろ」
礼の代わりにグラスを掲げ、口を付ける。きつい酒だった。思わず顔をしかめる。
そんな俺を見て、思ったより酒に弱いな、と男は豪快に笑った。
海の男という言葉がそのまま人間になった様なヤツだ、俺はそう思った。
外では風が唸っている。雨も降り始めた。
「こりゃ本格的な嵐になるな…」
店主が呟く。
昼間は良い天気だった。俺が港へ出た時は嵐の気配すら無かったのだ。時化なのだろうか。
ガタガタと窓枠が揺れている。
男はしばらく黙り、グラスの酒をあおる。男の指輪が鈍く光る。潮に晒されたせいか、変色している。
「今日みたいな嵐も、セイレーンの仕業らしい」
黙っていた男がぽつりと言った。俺のグラスにまた酒を注ぐ。
「セイレーンの仕業?何だ、それは」
男はぽつりぽつりと語り出す。この港町に伝わる話だった。
元々セイレーンは人間の女、ごく普通の町娘達だった。
昔、まだこの港町への航路が無かった頃の昔の話だ。
大潮が、ここを襲ったのだ。
波が町を押し潰し、陸を舐め尽くし、海の底へと引きずり込んだのだ。
犠牲になったのは、幼い子供と女達ばかりだった。
男達の絶望は想像するに余りある。高台か沖に居た男達は、この惨劇に気付かなかったのだ。仕事をしていたから、彼らは無事だったのだ。その事が、余計に彼らを苦しめたのだろう。
無茶苦茶になった港町。それを男達と、僅かに生き残った女達と、力を合わせて復旧していった。
そしてこの港町にも航路が出来た。
その頃からだ。「この海にセイレーンが出る」という噂が立ち始めたのは。
せっかく通じた航路も、行き交う船が少なくなった。
このままでは仕事にも差し障りがある、そういって確かめに出て行った男達は帰ってこなかった。
唯一生き残った少年は、こう言ったそうだ。
「あの時流された女の人がセイレーンになっていた」と。
そのセイレーン達は、嵐の夜にだけ現れる幻の島に居るという。
「へぇ…そいつは初耳だ」
酔いの回った頭で何とか応じる。
今ではその伝説すら語られる事は少ない。この港の有用性が、いつしか伝説を消していったのだろう。
「嵐もそうさ。セイレーンが泣けば嵐が起こるんだ」
俺に構わず男は続ける。
「今日は酷い嵐になる。女達が流された日は、特に酷い嵐になる」
突風が吹き、酒場の窓が激しく揺れる。何かが倒れたらしい。大きな物音がしている。
今日は早いとこ閉めちまうかな、と店主が片付けを始める。
気付けば、客の姿はまばらになっていた。
「酷い嵐だな」
俺は呟き、男を見る。
「明日には止むさ、安心しろ」
男は俺の分も金を払った。俺の分は払うと言うと男はそれを制した。
「話の礼だ」
「済まない…ありがとう」
俺は手を差し出した。ざらついた指輪の感触が絡む。
「また明日な」
そう言い置いて、男は店を出て行った。
翌朝、男が言った通りに嵐は止んでいた。
嘘のように晴れ上がった空に、カモメがゆらゆらと漂っている。
その天気とは裏腹に、港は大騒ぎだった。
男があの嵐の夜、船で出て行ったと言うのだ。
指輪の感触を思い出す。
まさか、と思い海を見る。
嵐の過ぎた海は、何かを隠すように深い青を湛えていた。
そんな希望を抱いて、昔の人は漕ぎ出していったに違いない。
彼らは二度と帰らぬ旅に出た。
それは、海の向こうに辿り着いたから。新しい世界を築いているから。
幼い頃に何度も聞かされた話だ。
幼い俺はその海を眺めながら、いつかは海に出たいと憧れていた。
「なぁ、アンタ。セイレーンを知ってるか?」
船乗りの間じゃ有名な話なんだが、と男は付け加えた。
ほろ酔いでちょっとした想い出に浸っていた俺は、ぶっきらぼうに応える。
「聞いたことはある」
俺はグラスの中身を飲み干し、男を見据える。
「噂じゃぁ、羽根の生えた人魚の姿をしてるらしい」
奢りだ、と男は俺のグラスに酒を注ぐ。
「歌を歌って誘惑する怪物だろ」
礼の代わりにグラスを掲げ、口を付ける。きつい酒だった。思わず顔をしかめる。
そんな俺を見て、思ったより酒に弱いな、と男は豪快に笑った。
海の男という言葉がそのまま人間になった様なヤツだ、俺はそう思った。
外では風が唸っている。雨も降り始めた。
「こりゃ本格的な嵐になるな…」
店主が呟く。
昼間は良い天気だった。俺が港へ出た時は嵐の気配すら無かったのだ。時化なのだろうか。
ガタガタと窓枠が揺れている。
男はしばらく黙り、グラスの酒をあおる。男の指輪が鈍く光る。潮に晒されたせいか、変色している。
「今日みたいな嵐も、セイレーンの仕業らしい」
黙っていた男がぽつりと言った。俺のグラスにまた酒を注ぐ。
「セイレーンの仕業?何だ、それは」
男はぽつりぽつりと語り出す。この港町に伝わる話だった。
元々セイレーンは人間の女、ごく普通の町娘達だった。
昔、まだこの港町への航路が無かった頃の昔の話だ。
大潮が、ここを襲ったのだ。
波が町を押し潰し、陸を舐め尽くし、海の底へと引きずり込んだのだ。
犠牲になったのは、幼い子供と女達ばかりだった。
男達の絶望は想像するに余りある。高台か沖に居た男達は、この惨劇に気付かなかったのだ。仕事をしていたから、彼らは無事だったのだ。その事が、余計に彼らを苦しめたのだろう。
無茶苦茶になった港町。それを男達と、僅かに生き残った女達と、力を合わせて復旧していった。
そしてこの港町にも航路が出来た。
その頃からだ。「この海にセイレーンが出る」という噂が立ち始めたのは。
せっかく通じた航路も、行き交う船が少なくなった。
このままでは仕事にも差し障りがある、そういって確かめに出て行った男達は帰ってこなかった。
唯一生き残った少年は、こう言ったそうだ。
「あの時流された女の人がセイレーンになっていた」と。
そのセイレーン達は、嵐の夜にだけ現れる幻の島に居るという。
「へぇ…そいつは初耳だ」
酔いの回った頭で何とか応じる。
今ではその伝説すら語られる事は少ない。この港の有用性が、いつしか伝説を消していったのだろう。
「嵐もそうさ。セイレーンが泣けば嵐が起こるんだ」
俺に構わず男は続ける。
「今日は酷い嵐になる。女達が流された日は、特に酷い嵐になる」
突風が吹き、酒場の窓が激しく揺れる。何かが倒れたらしい。大きな物音がしている。
今日は早いとこ閉めちまうかな、と店主が片付けを始める。
気付けば、客の姿はまばらになっていた。
「酷い嵐だな」
俺は呟き、男を見る。
「明日には止むさ、安心しろ」
男は俺の分も金を払った。俺の分は払うと言うと男はそれを制した。
「話の礼だ」
「済まない…ありがとう」
俺は手を差し出した。ざらついた指輪の感触が絡む。
「また明日な」
そう言い置いて、男は店を出て行った。
翌朝、男が言った通りに嵐は止んでいた。
嘘のように晴れ上がった空に、カモメがゆらゆらと漂っている。
その天気とは裏腹に、港は大騒ぎだった。
男があの嵐の夜、船で出て行ったと言うのだ。
指輪の感触を思い出す。
まさか、と思い海を見る。
嵐の過ぎた海は、何かを隠すように深い青を湛えていた。