パートナー団体STEPのスタッフでシャプラニールの地域事務所時代

20年以上ガードを勤めるムジブル・バイ(さん)という人物がい

ます。

わたしが駐在して初めてSTEPに宿泊した際
「いやあ、そこの道で駐在員が乗っていた車が事故を起こしたことが

 あてね~。あの時は大変だった。」
と夕食後、彼は唐突に話し始めました。

つい昨日の出来事のように話しはじめたので、いったい誰?のことを

ているのだろうと最後に尋ねると、何と20年近くも前の駐在員の

話しのこと。

わたしはそれ以降、STEPを訪れる度に彼の行動に注目しています

先月訪れた際にも、その日は半袖でも汗をかくほどの暑さだったので

が、彼はシャツの上にベストタイプのジャケット、そしてその上に

雨も降っていないのになぜかレインコートを着ていました。

シャプラニールのドライバーが
「暑くないか!?それ脱げば?」
と指摘すると、思い出したようにレインコートを脱ぎました。そのし

にわたしは既に半笑い状態だったのですが、ドライバーが
「そのジャケットも暑いから脱げば?」
と言うと
「これはいいんだ。暑くないんだ。」
と言い張り、ドライバーが「暑いだろ!?」と言ってもききません。

ドライバーが冗談で
「こんなに暑いのにジャケットを着るんなら、君はムジブル・バイで

 はなくジャケット・バイだ!」
と言うと、彼は真顔で
「いいなあ。その名前。小嶋・バイ。今日からわたしのことはジャケ

 ット・バイと呼んで下さい。」
と答え、一同大爆笑。

そんなユーモアたっぷりの彼は、STEPを訪れる日本人にも大人気。

先週、2年ぶりに実施したシャプラニール主催のスタディツアーで訪れ

メンバーにも「ジャケット・バイと呼んで下さい!」と笑顔で自ら

を紹介。


ツアーの中でSTEPのスタッフが実施した劇でも迫真の演技で大うけ

ったようです。
(残念ながら私は別の地域にいっていったため、雄姿を見ることが出

 来なかったのですが。)

ツアーメンバーがダッカに戻り、最終日のミーティングの際
「何か最後にこれだけは聞いておきたい事はありますか?」
というわたしの質問にある参加者から
「ジャケット・バイは普段どこで寝ているのですか!?」

という質問が飛び出しました。


それほど「ジャケット・バイ」はみんなに大人気でした。


(ちなみに彼は夜もガードの業務があるため、食堂の前の外に設置し

 ている簡易ベッドで仮眠しています。)
















昨夜、インターネットを利用したネット電話で日本の友人と久々に

会話をしました。

(固定電話と異なり通話料を気にする必要がないため、昨日はネッ

ト事情もよく双方の声もクリアーに聞こえたため、思わず話し込

んでしまいました。)


現在、ダッカからでも画像のメール添付(1つのメールで1枚程度

が限界ですが)での送受信や、動く映像などもネットを通じてリア

ルタイムで送受信出来るなど、おそらく5~6年前には考えられな

かった情報の共有化が進んでいます。


しっしかし。以前このブログにも書きましたが、これだけ通信事情

が発達しているにもかかわらず、郵便事情だけは相変わらずです。


本当は『通信』と『郵便』は異なるものなので、比べても仕方ない

のは分かっているのです。分かっているのですがそれでも「何で!」

と思ってしまう以下はわたしの愚痴です。


実は、3週間近く前に実家から送ってもらった郵便物。これが未だ届

きません。正確にいうとバングラデシュの郵便局には既に届いている

のですが、そこからわたしの手元までが未だに届かないのです。


こちらの郵便局曰く

「荷物には本やコスメティック(といっても洗顔料などですが)、薬、

食料品などさまざまなものが入っているので、それをチェックして

いる。」

とのこと。


そうなのです。こちらに送られる荷物は全て明けられ中身をチェック

され、例えばDVDなどが入っている場合などは

「これをバングラデシュに持ち込むには関税がかかる。」

などという訳の分からぬ理屈を言われ、所謂「賄賂」を要求されるよ

うです。


送り主の実家からは「まだ手元に届かないの!?」と呆れられてい

ます。

(呆れられてもわたしとしてはどうしようもないのです。)


この前も所長との会話の中で

「『郵政民営化』が早急に必要なのは、日本ではなくてここ(バング

ラデシュ)だよね~。」

としみじみ話してしまいました。


それほどこちらの郵便事情に関してはほんと『トホホ』なのです。

先週、聖和大学の浜田先生と学生さん12名の方々が大学のスタディ

ツアーで、オポロジェヨ・バングラデシュのストリートチルドレン

援活動とマイメンシン県のCOLIの活動を見学されました。

浜田先生は13年程前にオポロジェヨの前身の団体で1年間インター

ンをされていた経験があり、学生たちをバングラデシュへ連れて来

て学んでもらいたいという強い想いで、昨年の夏から何度かご自身

でこちらに下見に来られていました。

メンバーがCOLIに到着し、それぞれの自己紹介を行なった際

「わたしはわたしの学生たちとバングラデシュに来て、NGOの活

 動を見せてもらい学ぶことが夢でした。今回それがかないました。」
とうれしそうにベンガル語でCOLIのスタッフに仰っていたのがと

も印象的でした。

学生さんたちもCOLI滞在は三日間という短い時間でしたが、ショミ

ティ活動やワーキングチルドレン支援活動、少女グループ活動など
の活動を見学され、活動について鋭い質問をしていました。

また事務所近くに住む子どもたちと持参された長なわで遊ぶなど三

日間ですっかり子どもたちと仲良くなり、村を離れる際には何人か

が村を離れる寂しさで「ウルウル」されていました。

COLIでの夕食の際、ひとりの学生さんが

「ダッカでは正直バングラデシュのカレーが食べられなかったけど

ここ(COLI)のカレーは美味しい。」

と言われたので

「ダッカではどこでカレーを食べたの?」

とわたしが伺うと

「確かコストリっていう名前のレストランでした。」

と答えてくれました。


『コストリ』はダッカでも一、二を争うほどのベンガル料理の美味

しいと言われるレストランです。


そのことをダッカに戻った際、ベンガル人スタッフに話すと

「本当にCOLIの食事があのコストリより美味しいって言ったの!?」

と一同目を丸くして、驚いていました。

先週一週間、東京から年度末調整会議(次年度の活動計画&予算など

を議論する会議)のため、事務局長、事務局次長(元ダッカ事務所長)

がダッカに滞在しました。


折角事務局長、事務局次長がダッカに滞在するのだからダッカ在住の

会員の方々(およびそのご家族の方々)との親睦会を実施しようとい

うことになり、3/1(水)の夜「ダッカ在住シャプラニール会員の

親睦会」を実施しました。


会場は以前このブログでも取り上げた1980年代にダッカ事務所のスタ

ッフとして働いていたハンナンさんが経営する「ドエルハウス」です。


現在ダッカには10数名の会員の方がいらっしゃるのですが、当日はご

族も含め20名(うち子ども2名)近い方々にご参加いただきました。


それぞれの自己紹介では「シャプラニールとのかかわり」についても語

っていただき、ダッカでもこんなに多くの方がシャプラニールを支えて

くれているのだと実感しました。


「ドエルハウス」のご協力もあり、和やかな雰囲気で美味しい料理を堪

能させていただきました。あまりの盛り上がりに予定時間を大幅にオー

バーしてのお開きとなりました。


ご参加いただいた皆様、ならびにご協力いただいた「ドエルハウス」に

この場を借りて厚く御礼申し上げます。


STEPへ日帰り出張した二日後、今度はノルシンディにある

パートナー団体PAPRIに一泊二日で出張しました。今回は

PAPRIが次年度から活動を始めようと考えている新しい地

域を見ることが目的でした。

幾つか見学した中で、二日目に行ったチョール(中洲)は、

ブリゴンガ川を1時間半船ではしった後、徒歩で30分以上

歩いたところにそのチョールの中心部がありましたが、ここ

は以前わたしがマニクゴンジで見たチョールとは違っていま

した。

(余談ですが、このチョールにはリキシャが一台もないため

ここに住む人たちの移動は徒歩です。バンガリ(荷車付自

転車)は数台あるそうです。)

少なくとも50年以上前から存在するこのチョールには、バ

ザール(市場)やちょっとした商店街のような場所もあり、

小学校をはじめ高校も現在2つあり、既にきちんとした街が

形成されていました。

またこのチョールには、既にBRACやグラミン銀行が活動し

ています(それぞれの看板が見えました)が、PAPRIのスタ

ッフ曰く、彼らはマイクロクレジットのみを実施しているの

で、PAPRIは保健衛生などここに住む人が必要とする活動を

していきたいと説明してくれました。

なおこのチョールには保健所の施設はあるものの、ここ5

ほど保健師がここに派遣されていないため、機能していない

とのことでした。

(確かに建物だけは存在していました。)

実は行きの桟橋で、かご(江戸時代に天秤上になっていて商

人が担いでいるようなもの)を人が担いで、何やら慌しく船

に載せている光景を目にしました。よく見ると何とそのかご

の中には男性が動かないようにしばられていました。

スタッフがまわりの人に尋ねると

「自殺を図った男性を病院に運ぶのだ!」とのこと。

自殺はともかく、このチョールでは病気になったら船で2

間以上かけてノルシンディもしくはダッカの病院に運ぶのが

当たり前とのこと。

またここでも若い人たちは、学校が終了すると職を求めチョ

ールの外に出てしまう傾向があるようです。

これって日本の離島が抱える問題と似ていますよね。

先週の日曜日、マニクゴンジのSTEPを訪ねました。

STEPは、シャプラニールが当初(1972年)から活動している

ポイラ村(ギオール郡)を中心に活動を行なっている団体です。

現在は、マニクゴンジの県庁所在地に本部事務所を構え、ギオー

ルの隣のドウロトプールにも今年初めから事務所を設置。チョー

ル(中洲)での活動を検討しています。

今回訪れたポイラ事務所は12月頃から3月はじめ頃までの間の

みが車で訪れることが可能で、あとの約半年はギオールのバザー

ルで車を降り、リキシャもしくはSTEPのスタッフのバイクに

乗って事務所まで行きます。

(個人的にはこのリキシャでたどり着く行程が好きなのですが、

 今回は車で直接事務所に行きました。)

この地域、あくまでも個人的な感覚ですが他のパートナー団体

の農村地域に比べどことなくのどかで落ち着いた感じがします。

しかもこちら特有のゴミが道端のいたるところに落ちている状

況がポイラでは見ることが少なく、また30年以上前から日本人

が入っているため、外国人に対するあの独特の「凝視する」行

為が幾分やわらかいような気がします。

(でもやはりわたしが村を歩くとじっと見られますが。)

実はこのSTEP。今、若いスタッフが定着しないという非常に

深刻な問題に直面しています。

STEPのコーディネーターからは

「ここは未だに電話も通っていないし、インターネットなど来

る気配もない。だから若いスタッフ(特に出身地が異なる人)

は定着しない(勿論、大手NGOに比べると給与が低いこと

も理由だが)。結果的に地元のそれも年配のスタッフのみが残

り、なかなか新しいアイディアも生まれづらい状況になって

しまっている。」

また地元の若者たちについても

「若者たちも距離的にはダッカに近いこともあり、家族をおい

てダッカに働きに出ている(単身赴任の)人も多い。その人

たちが月に一度ぐらいの割合で、家族に会いに寿司詰めのバ

スに乗って戻ってくる姿もよく見かける。」

とのこと。

そう言えばわたしの田舎(茨城県)も、若者が地元には定着せ

ず(かく言うわたしもその一人ですが)、東京やその近郊の都市

で働いています。

ポイラと日本のうちの田舎が「同じ問題」を抱えているという

わたしにとっては思っても見なかった発見。都市近郊の田舎が

かかえる状況はどこでも一緒だなあと実感してしまいました。

先週末ようやく壁の修理が完了。ようやく家でもネットが出

来るようになりました。

それにしても壁を塗り替えるだけなのに2週間以上かかってし

まうのが、いかにもバングラらしいですよね。

(途中の一週間は朝夕に壁に向かって水をピタピタとかけるだ

 けで「これって意味あるの!?」って思ってしまいました。)

さて、その二週間の間に髪が伸びたので床屋にも行ったのです

が、実はわたしこちらの床屋が怖いんです。

こちらに来て1ヶ月も経たないころ、家の近くの床屋に出かけ

覚束ないベンガル語(これは今でもそうですが)とテキトーな

英語で「脇は短く、上を揃えて!」と注文しました。

外国人も多く来ると豪語していたその床屋のオヤジ(実はわたし

と年齢はあまり変わらないかも知れませんが、「オヤジ」という

言葉がぴったり来る人物)はカット、シャンプーととりあえず

無難にこなしてくれ、わたしも一安心。

するとそのオヤジが

「マッサージしませんか!?」

と突然言い出しました。日本の床屋をイメージしたわたしは

「オーケー!」

と答えた瞬間。

そのオヤジがゴリゴリと鬼のように肩を揉みだしました。

そこまではわたしもまだ我慢出来たのですが、その後、突然後

からわたしのシャツの中(つまり裸の部分)に手を入れ、わ

しの胸を揉みだしたのです。

一瞬の出来事に最初何が起きたのか理解できなかったのですが

前を見るとわたしの背後から服の中に手を入れ、わたしの胸を

揉むオヤジの姿が鏡に映っていて。。。

思わず「ノー!」と叫んでしまいました。

それ以来床屋へ行くのがどうも苦手なんです。

(勿論それ以降別の場所の床屋へ行き、マッサージと聞かれて

 も「必要ない!」と怒った顔でいつも断っています。)

先週行った床屋も、シャンプーの際なんか胸の辺りが冷たいな

あと思ったら、服が濡れていてそれを怒ると、髪を乾かす際に

は出てこなかったドライヤーが突然店の奥から現れ、そのドラ

イヤーをわたしの着ているシャツに当てて無理やり乾かし始め

る始末。しかも直接温風をあてるから熱くて、それでまた怒る

はめに!トホホ。

ほんとこちらの床屋は恐怖です。


1ヶ月近くブログが更新できませんでした。

ほんと、申し訳ありません。


ちょっとだけ言い訳をさせてもらうとイード休み以降、バングラ国内

出張が4回(8日間)あり、ダッカ以外にいることが多いここ2~3週

間だったのです。


その中でも、先月25日から4日間のスリモンゴル出張があったのです

が、同室となったベンガル人スタッフのいびきがすさまじく、(元来

わたしは音には気にならず眠れるたちなのですが)さすがに寝不足に

陥りました。

(そのことを相方に話すと「わたしはいつもあなたのいびきに耐えて

いるわよ!」と言われてしまいました。)


また住んでいるアパートの家の壁がボロボロとはがれるため、2週間

ほど前に壁の塗り替えを依頼したところ、はがれた部分の上塗りでは

なく壁を一旦剥がし、下地から塗りなおすという大工事となってしま

いました。

(剥がれた部分から壁の内側のレンガがしばらく見えていたときは

 まるでゴーストタウンみたいでした。)

実はその剥がれた部分が、ちょうどネット配線を行なっている部分に

引っかかってしまい、自宅でのインターネットがしばらく出来ない状

況に陥ってしまいました。

(正確には繋ぎ直せば作業できるのですが、机も全て移動されられ布

 で覆われていたため、無精者としては昨日までそのままの状態でお

 きっぱなしにしていました。)


昨日、ようやく自宅のネットを再接続し、今は自宅でもネットが繋が

るようになっています。

(ただし、明日また壁の最終のペイント作業があるため、今日中にま

 た外して机を戻しておかねばなりません。トホホ。)


ということで明後日以降、またネットが再開したら、今度こそはまめ

にブログを更新して行こうと思います。(出来るかなあ~!?)


日本からの年始の挨拶メールをここ数日いくつかもらったのですが

今年の日本の冬はとても寒いようですね。

ダッカでも朝晩はだいぶ冷えるようになりました。

(とは言っても日中は半袖でも平気なぐらいなんですが。)

そんな気候のせいなのかどうか分かりませんが、こちらの男性はよ

ベストを着ています。

(セーターでは日中暑いので、ベストぐらいがちょうどいいのかも

 れません。)

皮下脂肪の多いわたしもさすがに朝晩は少し冷えるようになったの

で、ベストがほしいなあと思っていたところ、先日買い物に行った

相方が買って来てくれました。

次の日、早速半袖シャツにベストという日本じゃまずしない格好で

かけたのですが、なかなか快適でした。

(やっぱりみんなが着ているのには理由があるんですね。と言って

 ベンガル人は長袖シャツにベストですが。)

このベストですが、実は相方が買いに行った際

「男性用のベストを探しているんだけど!」

と英語で言っても通じず、店員にランニングシャツを持ってこられ

そうです。

そして飾ってあったベストを指差し

「ああいうのを探してるの!」

というと店員から

「あーあれはハーフセーターって言うんですよ。」

と英語で言われ、思わずきょとんとしてしまったとの事。

「ハーフセーター」 新たなベンガル英語を発見しました。

日本でも「メイクドラマ」とか言ったりするからあんまり笑えませ

がね。

遅ればせながら、明けましておめでとうございます。

今年もどうぞよろしくお願いします。


と日本的な挨拶文を書きましたが、こちらは全く年末年始を感じる

ことのない生活を送っています。

というのも、バングラデシュでは西暦よりもベンガル暦(4月上旬

が新年)で動いているため、新年も1日より通常通り勤務していま

す。

わたしはと言うと、年末の27日から12日でバングラデシュの北東

部のスリモンゴルへ出張。大晦日はパートナー団体STEP(マニ

クゴンジ県)へ。そして元日からは12日でこれまたパートナー団

体のCOLI(マイメンシン県)へと、年末年始はダッカ郊外へ頻

繁に出かけることとなりました。

その中でも大晦日に訪れたSTEPでは、(以前このブログでも書

いた)ドウロトプール事務所で活動を検討しているチョールエリア

(中洲)を今回見ることが出来ました。


STEPのスタッフが運転するバイクの二台に跨り、ドウロトプー

ル事務所から20分ぐらい走ったところで、チョールエリア(中洲)

に到着。

通常バングラデシュではどこに行っても人を見かけるのですが、こ

のチョールエリア(特に今年新しく中洲となった場所)はまだ未開

拓なところが多く、西部劇に出てくる砂漠のような広大なエリア続

いています。これにはほんとビックリしました。


その中で牛を放牧している村人にインタビューすると

「自分の生まれた村は今この川の中だ。ここ2年で三回住む場所を

変えた。」

と話してくれました。


実はいくつかのチョールエリアを回って、いざ事務所に戻ろうと思

ったとき、STEPのスタッフも含め自分たちがどの場所にいてど

うやって戻ればよいのか分からなくなるハプニングも。

結局、村人に聞きながら帰ることとなったのですが、こちらではよ

くある訪ねる人により「こっちだ!」次の人は「いやあっちだ!」

全く逆のことを言われ、帰りは40分近くバイクに跨ることとなりま

した。(笑)