ドラマーヨネの気まぐれな日記。 -2ページ目

ドラマーヨネの気まぐれな日記。

打楽器やるのが好きなドラマーヨネ(米山徹)といいます。ライブ活動とか日々の出来事とか書いていきます。好き勝手に書くブログです。よろしくお願いします。

いろんな意見があると思うんですが自分は縁起の良い日とか悪い日とかこの方角が運勢が良いとか悪いとかそういうのを全くとは言いませんが基本的に信じないタチなんですよ。「私には霊感があります」とか言ってる人は詐欺師かなと思ってるんですよ。ただこれ少し前のことなんですがちょっと思い出したのでここで書いてみようと思います。












以前の記事で書きましたが去年広島県福山市にあるホロコースト記念館に行きアンネ・フランクについて学び、また「アンネの日記」を読み始めました。アンネの日記を簡単に説明しますとユダヤ人の少女であるアンネ・フランクが第二次世界大戦時のドイツ軍からのホロコースト(ユダヤ人虐殺)の被害に遭い(病死だそう)亡くなるまでの潜伏生活の間に書いた日記を戦後家族で唯一生き延びた父親のオットー・フランクがアンネが書いた日記を集め編纂し出版された世界的ベストセラーの書籍であります。



こちらが自分が購入したアンネの日記。













このアンネの日記は結構分厚く600ページくらいあります。このところは三島由紀夫の本(金閣寺とか)やいろいろ読んでて(今も読んでますが)なかなか読むのが先に進まず(自分はじっくり読みたい派でサラッと読むのが得意でない)、早く読破したいというのもあり250ページくらいまで来た時にもう少しで半分の300ページになるからとりあえずそこまで読んでしまおうと305ページくらいまで読んで他にやることもあったためその日はしおりを挟んでそこで終わりにしました。これで後は後半だなと思いました。



そうしたらその日それ以降、不運の連続だったんですよ。つまづいて壁に足ぶつけるわ、買い物に行ったら自分がほしかったあるものがそれだけうまいこと売り切れだったり、買い忘れがあってまた買い直しに行ったり、青信号点滅から赤になったぐらいを走って渡ったらたまたまいたチャリンコの警官に注意されるわ、極めつけはスマホの麻雀ゲーム(三麻)やってたら自分が65000点くらいでトップで相手は2000点くらいになっててもう楽勝だなと余裕こいてたらなぜか次の局で白が鳴ける状態なのになぜかポンができず、何かイヤな予感がするなと思ったら案の定終盤でその2000点の人に逆転されしかも自分が最下位になるという(対局またやり直したら鳴けない不具合は直ってました)、不運の連続だったんですよ。












これは一体なんなのだろうと考えてみました。これはもしかしたら「アンネの呪い」なのか、と。つまり「あなたはとっとと本を読み終わって私を何もなかったかのように忘れてしまう気なの?」と言われたような気がしたんですよ。もちろん読み終わった後に忘れるつもりなんて最初からなかったですが確かに(諸事情により)「早く読み終わりたい」というのはありましたからもしかしたらアンネの亡霊からそう言われたのかもしれない、とそう思いました。


ちなみに本の中身は結構本心や出来事がリアルに書かれていて読みごたえはかなりアリです。中学生でここまで書けるなんて天才じゃないかと思うほどです。この本読むのをオススメします。













このことがあってから、霊とか運気とかいわゆるそういう非科学的なものを信じるようになった、とまではいかないですが(冒頭にも書きましたが全く信じないわけではない、否定する根拠もないからね)、ちょっと侮れないのかなと思いました。ありがとうございます。








ちなみにタイトルに書いた「金閣寺の柏木」とはこちら。


このブログの過去の記事です。




皆さま2024年明けましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願いいたします。



自分は靖国神社の崇敬奉賛会(靖国神社に祀られる英霊の御心を次代へ継承する団体)に一昨年入会しましてその中の18歳〜45歳の人が入れる青年部「あさなぎ」に入部し年間を通して活動をしています。今年も去年に引き続き靖国神社での正月助勤奉仕に行ってまいりました。奉仕の日にちは三が日で私は2日の日に奉仕をしてきました。時間は朝9時から17時まで(終わった後は「直会(なおらい)」という懇親会があります)の間で奉仕内容は神門内参道の中門鳥居近くに設置される幄舎(仮小屋)での崇敬奉賛会への入会更新やあさなぎへの入部受付になります。当日はあさなぎから7名が参加し2チームに分かれ1時間交代での受付をしました。











まず、昨年の正月奉仕で神社から頂いた令和癸卯のお守りや破魔矢、お札などをお焚き上げしていただきました。












今年もたくさんの方々に参拝いただきました。また奉賛会への入会・継続更新の方も多数受付にお越しいただきまして、誠にありがとうございます。












お昼には亀戸升本のお弁当をいただきました。ごちそうさまでした。




夕飯用のお弁当もいただきまして、夜食べました。ごちそうさまでした。












奉仕終了後は神職の方とあさなぎ参加メンバーで懇親会。お酒やおつまみもいただき楽しい時間となりました💫












三が日は終わってしまいましたが、靖国神社では正月等の行事の時は奉納酒振舞や甘酒振舞、屋台も多数出店していておみくじや福引もあり(行事により異なります)楽しい場所ですので是非お越しください。


また崇敬奉賛会は年3000円で入会できます(入会費はありません)。入会した方には毎月社報が届き年末には神札が届き、その他行事の案内も届きます。また靖国神社内の歴史資料館である遊就館を無料で拝観できたりさまざまな特典があります。また18歳から45歳の方は青年部あさなぎに入ることができ奉仕活動や勉強会への参加等ができこちらも特典などありますので興味ある方はご加入いただけたら嬉しいです。












懇親会後に辰年のお守りや色紙や絵馬など記念品をいただきました。






















ありがとうございます。もうすでに3000円の元は取ってるっぽいかな😀あさなぎの方々正月奉仕お疲れ様でした。それでは皆さま本年もよろしくお願いいたします。




今回はザ・ブルーハーツの曲でアルバム「STICK OUT」に収録されている作詞作曲マーシー(真島昌利)の「1000のバイオリン」のドラムをリハーサルスタジオで叩いてきました🥁












シングルのジャケット。

1番手前がマーシー。












宮崎あおいが以前CMで歌ってたね。この曲は俺もほんと好きで前からやりたいと思ってました。今の若い人も「ブルーハーツが好き」なんて言ってくれてとても嬉しいですね😀











それでは「1000のバイオリン」ドラムカバーよかったらご視聴お願いしますっ。

※若干編集し直しました。






今年も1年ありがとうございました。
また来年もよろしくお願いします。



ちょっと時間が経ってしまいましたが先月の25日、自分としては2年ぶりに三島由紀夫、森田必勝両烈士の追悼集会である『憂国忌』にとある知り合いの方と行ってきました。場所は前と同じく永田町の星稜会館でした。去年はどうしてもスケジュールの関係で行けなく、今年は参加したかったので来れてよかったです。

























開催時間は例年通り14時から16時半となりました。知り合いの方は早めに到着したみたいで通路側で演壇までが程よい距離のイイ席を取ってくれました。ありがとうございます😀












この憂国忌は最初に三島由紀夫、森田必勝両氏への黙祷を捧げます。その後三島由紀夫にゆかりのある方々のお話を聞かせていただきました。この記事では今回メインで講演をされた御三方のお話について書いてみようと思います。



その御三方とお話は、


中西哲さん(前参議院議員)

「改憲はいつになるか、防衛力整備を急げ」


執行(しぎょう)草舟さん(実業家・著述家)

「永遠の三島由紀夫ーその最後の言葉よりー」


村松英子さん(女優)

追悼挨拶


です。












中西哲さん



中西さんは1999年に高知県議会議員に当選し、2015年に任期満了に伴って退任し、2016年に参議院議員選挙に当選し2022年まで在任されました。在任中は自衛隊基地誘致や日本の防衛力強化についての活動を主にされたそうで、また憲法9条改正を強く望み力を注がれ、現在でもその活動を続けています。


中西さんは議員在任中、憲法審査会において「自衛隊は諸外国のように行政機関外の組織とは位置づけられておらず、それ故に自衛隊の行動基準、軍法会議等わが国を守るために十分な法整備が必要であり、憲法を改正して自衛隊を国軍と位置づけた上で防衛力整備を進めるべき」と発言されたそうです。私はその通りだなと聞いていた時に思いました。


また国家防衛戦略としてこのブログでも以前に書きましたが去年の12月に「防衛3文書」(相手からの攻撃に対する「反撃能力」を保有することができるとする規定など)が策定されました。


👇自分が書いた記事です。


中西さんは『戦後初めてこのような当たり前のことがやっと去年できた』と言われていました。まさに三島由紀夫が言っていたことがここに来てようやく現実化してきた、ということだと思います。












執行草舟さん



執行さんは学生時代に三島由紀夫と文学論を交わしたことが10回以上あったとのことで、その中でも最後の三島との会話であった電話での「最後の言葉」を話してくださいました。その言葉とは、


『君に何かあった時には、カミュの「シジフォスの神話」を思い起こしてほしい。そして、「幸福なシジフォス」を思い描かねばならぬ。それが今の自分の本当の気持ちだ。』


という話だったそうです。このシジフォスの神話とはギリシャ神話で「永遠の苦行と不幸を表す神話」であり、それをフランスの小説家であるアルベール・カミュが人間存在の不条理の代表として取り上げたもので、カミュは「深い絶望だけが真の希望を生み出す」という説を唱えた。この絶対不幸、絶望の神話を生きていく原動力としてほしい。そして執行さんは、「三島先生の死こそがこの日本に『新しい神話』つまり不幸を幸福に転換する神話を生み出したと思っている」と話されました。1970年に起きた三島由紀夫自決事件は三島が死をもって現代日本の不幸にくさびを打ち込み幸福への転換点を作ったものであり、三島事件は日本の1つの終わりであり,またこの事件がなければ何も始まらない、三島事件は新しい日本の創造の始まりである。というお話を聞き、私は感銘を受けました。












村松英子さん



村松英子さんは学生時代にある劇団に入団した後座員に昇格し、舞台で活躍していた頃三島由紀夫と出会い、三島の戯曲の舞台に多数出演したとのことで、当時の三島との思い出を語っていただきました。

「私にとって三島由紀夫先生は演劇上の恩師であり、人生の恩師です。〜〜この間自宅の書庫の整理を神田にある知り合いの古本屋さんにお願いしたら『今は三島由紀夫しか売れません』と言われました。でも三島先生の本は私にとって大事なものだからお渡しできなくて随分がっかりさせてしまったと思います笑。〜〜三島先生は亡くなる直前に『僕のしたことは100年経ってやっと理解されるだろう』と寂しそうに言っていたということを三島先生のお母様からお聞きしました。あと50年経ったらみんなに理解されるんでしょうね。そういった時がいつか来ると思います」

といったお話を聞かせていただきました。貴重なお話をありがとうございました。












このお三方のお話を聞き、3人が話されていた共通のことは、


「三島由紀夫の言っていたことが徐々に人々に理解されてきている」


ということだと思いました。三島の言っていた憲法改正があと50年、より少しでも早く実現し、三島の魂を鎮めたい。もちろんそれは自分、日本のためでもあり非力ながらこれからも努力をしていきたいと思いました。ありがとうございます。




今回はザ・ビートルズの「ヘルプ!」のドラムをスタジオで叩いてきました🥁この曲は以前ライブでも演奏したことがあって当時を懐かしみながらやりました。もう7〜8年前になるのかな。












ヘルプ!のジャケット。









「楽しく叩く」をモットーにドラム叩いてきました😀よかったらご視聴ください。お願いしますっ。 












あっビートルズで思い出したけど「Let It Be」も結構好きで前に曲を思い出していたら南こうせつ率いる「かぐや姫」の伊勢正三さんの曲でイルカさんがカバーした「なごり雪」がふと入って来たんですよ。あれっと思ってちょっとネットで調べてみたら、「マッシュアップ」という音楽用語がありますけどもこれは2つ以上の音楽を組み合わせて1つの音楽とするもので、今まで聴いたことあるような初めて聴くような音楽ができあがるというものになります。そして「Let It Be」と「なごり雪」をマッシュアップした動画がYouTubeにアップされてて、ここで紹介してみたいなと思います。











こちらです。
最初見た時「おぉっ!」と思ったね😄
この動画なかなか面白いと思います。



先日、三島由紀夫が1960年に発表した小説「宴のあと」を読んでみました。この小説も「金閣寺」と同様に海外から高い芸術的な価値が認められた、評価の高い作品となります。











この小説は当時日本で実在した高級料亭の女将と元官僚であり東京都知事候補となった男性をモデルとした物語で、2人が出会い結婚しそして離縁をしていく様が描かれます。













この物語を簡単に紹介しますと、高級料亭「雪後庵」を営む女将、福沢かづは客として来た元大臣で政治家の野口雄賢と出会います。独身で50を過ぎ奔放で情熱的な性格で人生を達観しているかづは理想を重んじ理知的で素朴な何か異彩を放っている野口に惹かれ、レストランでの食事や奈良の東大寺で行われる御水取りの旅などを重ね結婚をします。野口は革新派の政党から東京都知事選に立候補し、かづは野口のための選挙運動に明け暮れます。最終的には2人は折り合いがつかない状態となり離縁することとなります。かづの「現実」と野口の「理想」の対比を政治と恋物語を通して描かれていて面白いです。またいつものように三島の風景描写、人間の心理の緻密な表現はその情景や人間模様が現実のように目に浮かびますね。またストーリーには政治的な駆け引きもありスリリングで読みごたえがありました。この『宴のあと』は傑作だと私は思います。













さてこの『宴のあと』ですが、1961年に野口雄賢のモデルとされた元外務大臣で東京都知事候補であった有田八郎が、ストーリーの中でキャラクターの性格や細かな出来事等は創作であったものの「プライバシーの侵害だ」として三島と出版社である新潮社に対し損害賠償を求める裁判を起こします。これは日本で初めてプライバシーの権利侵害が争われた裁判で、憲法21条で保障されている「表現の自由」がどこまで許容されうるか、どこからがプライバシーの権利(私生活をみだりに明かされない権利)の侵害となるのかの境界が争われた裁判となります。



判決は、言論、表現の自由は際限なく許されるものではなく、他人の名誉や信用の侵害、また生活を本人が許容しない範囲まで無断で公開する(いわゆるプライバシーの侵害)等をしない範囲において許されるものであり、この作品(宴のあと)の芸術的側面とプライバシー侵害の違法性とを比較衡量したところこの件については違法と認める、となり三島の敗訴となりました。この後三島は控訴しますが翌年に有田八郎が死去し、遺族と三島と新潮社との間に和解が成立し、無事にノーカットで作品を出版できるに至りました。













この「宴のあと裁判」をもう少し見てみると、プライバシーの侵害と認められるための条件としては次の色分けした3つが挙げられるようです。






ちょっと小さくて見づらいのでまとめると、


【プライバシー侵害の条件】

①私生活の事実または事実らしく受け取られるおそれのあること

②一般人の感受性を基準として公開されることが不快や不安を覚えるであろうと認められること

③まだ一般の人々に知られていないこと



となるようです。「宴のあと」がきっかけで日本で初めてこのような定義がなされ、当時も「プライバシーの侵害」という言葉が流行ったようですね。













ここまでは実は本を読む前から大体は知ってたのですが、いろいろ調べてたらこんな事実を発見しました。結構有名なのかもしれないけど自分は知らなかったのが、よくドラマとか映画の始めか終わりに出てくるあのテロップ。


「この物語はフィクションです。実在する人物や団体とは一切関係がありません」


これ。このテロップは宴のあとを連載していた中央公論が「宴のあと裁判」後、連載最終回に実在の人物を思わせるような紛らわしい表現があるために無用なトラブルを避けるべくこのただし書きを掲載したものとなります。そこから他の業界でも使われ、今でも見るようになったようです。


























またこのいわゆる「宴のあと事件」は憲法裁判の事案として法律関係の試験によく出題されるようです。そこでネットで調べてみたら『司法試験』にプライバシーに関する問題としてこの「宴のあと裁判」から出題されていました。



その司法試験の問題がこちらっ。皆さんもチャレンジしてみて下さい😀


こちらが選択肢。部分点はあげないよってことだね^_^


「イ」と「ウ」に関してはちょっとよく分からないけど「ア」は皆さんどうでしょうか。













それでは答えを発表します。

選択肢の答えは「5」らしいので「ア」の答えは「×」になりますね。


これね、証拠はないけど、俺正解できたね。「ア」だけだけどね。本人の感受性ではなく一般人の感受性ってところが違うんだろうね。解説は見つからなかったけどおそらくそういうことだろうと。



ということで【司法試験の問題解いちゃおうぜ企画〜】でした。ありがとうございます。




今回は俺のザ・クロマニヨンズのデビューシングルで2006年に発表された『タリホー』のドラムをスタジオでやってきました🥁作詞・作曲はヴォーカルの甲本ヒロト。「タリホー」とはネットによると軍事用語で目視による目標発見の合図だそうで、メッセージ性のある歌だと思います。「実は深い意味がある」という、ヒロトらしい歌だね^ ^











ザ・クロマニヨンズ!

『タリホー』PVより。












この歌を最初に聴いたのは20代の時でクロマニヨンズ最高と思ったね😀今でも思い入れの深い曲になります。楽しく演奏できました♪ありがとうございます。




それではザ・クロマニヨンズ『タリホー』ドラムカバー動画、よかったらご視聴お願いしますっ。




先日、作家の三島由紀夫の著作である『金閣寺』を読んでみました。この小説は1950年に実際に起きた"金閣寺放火事件"(ケガ人や死者無し)をモチーフとした作品となり、三島が1958年に発表した三島の代表作の1つで、海外からも高い評価を受けている作品です。












大まかな設定や舞台は実際と同じものとなりますが、放火に至った経緯や登場キャラの思想、ストーリー中に起こった出来事などは架空のものとなるようです。












この本を簡単に紹介しますと、金閣寺の僧侶で重度の吃音症である主人公・溝口は父親から「金閣寺ほどの美しいものはこの世にはない」と教えられ、本人にとって金閣寺は絶対の美の象徴となります。吃音症のため自分の内面と外界(社会)とがうまく繋がれず、自分が世界から拒まれていると孤独を感じるようになります。溝口は常に"観念の美"として自己を支配していた金閣寺を焼くことで、自身の内面に存在する虚無を打ち破り、「生きよう」とします。














この『金閣寺』という小説の中で最も象徴的であろうと思われる、『認識か行動か』の話。金閣寺の見習い僧侶で大谷大学の学僧である溝口は学内で先天性内翻足である柏木という男と出会います。柏木と同じ障がい者である溝口が現実世界と向き合えずに自身の観念の象徴を金閣に求めるのに対し、自身の存在の象徴は自身の内翻足でありそれを武器としながら現実世界と対峙せんとする柏木は溝口とは対照的な存在と言えます。この柏木の有名なセリフ「世界を変えるのは認識だけだ」。












それに対し溝口は「世界を変えるのは行為なんだ」という。












この小説を通じて三島由紀夫がおそらく最も言いたかったことは(本とは別の三島の思想も加味して)、今の憲法(9条)と現実の日本のことなのではないかと思っています。今の憲法のままで日本に対する認識をいくら変えても現実世界は変わらない。結局憲法が変わらないままでは認識をいくら変えたところでそれはゴマカシとも言える。行動(憲法改正)を起こさず認識による世界の変貌は結局同じところに戻ってくる。行動(憲法改正)を起こすことで日本は変わりその世界が変わる、ということを三島は言っていたのではないか。



と言っても、認識を変えることが全く意味をなさないわけではない。世界は変わらなくとも、認識を変えることで自分自身が変わることはある。よく聞くのは、思い悩んでいたことが考え方を少し変えるだけで気持ちが軽くなりむしろ人生が好転する、というようなこと。例えば自分の見た目で自信のないところがあってもそれをコンプレックスと取るのではなくチャームポイントととる、みたいな。そういうのは俺としては有益なことだと思いますね。



憲法に対する認識をいくら変えても、自衛隊は国軍とはならない。憲法に対する認識を変えるのではなく行動により自衛隊を国軍とするべきである。と、三島は言いたかったんじゃないかな。





《参考》三島由紀夫−檄 Wikipediaより。



今回はアニメ「キテレツ大百科」のオープニングテーマであったCHICKSという女性のみのバンド(ガールズバンド)のヒット曲である「スイミン不足」をスタジオでドラムやってきました。










ネットより。




ボーカルのアサコさん(左から2番目)は現在「アサコバグース」というバンドで活動中、だそうです😀











なぜこの曲をやったのかというと、だいぶ前に自分が参加してたバンドで「この曲をやりたいっ」って人がいてスタジオで何回か合わせたことがありました。結局メンバーさんの都合で活動がナシになり、せっかく練習したのに何もなしじゃ勿体ないのでここでやろうかなと思いました😆











ということでCHICKS「スイミン不足」のドラムを久々にやりました。ご視聴よかったら!




去年の8月15日の「終戦記念日」の日には、靖國神社崇敬奉賛会青年部「あさなぎ」の助勤奉仕活動として崇敬奉賛会への入会手続きの案内や参拝者への麦茶接待、事前の清掃活動などをしました。



👇去年書いた記事です。



今年はあさなぎの助勤奉仕への参加はせずに自分で参拝する方をしようということで、全国に51ある「指定護国神社」の中の1つに行ってきました。護国神社とは国家の為に戦い命を捧げた人の霊(英霊)を祀るための神社であり、その中の指定護国神社は東京都と神奈川県を除く道府県にそれぞれ置かれるものになります。ちなみに靖國神社は指定護国神社ではなく、また総本山のような立ち位置ではなく独立したものになりますが、靖國神社と全国の護国神社とは深い繋がりがあり、様々な交流や英霊顕彰のための活動を連携して行っているようです。


今年の8月15日には埼玉県の大宮にある、埼玉県指定護国神社の「埼玉縣護国神社」に行ってきました。ここに行った理由は、「一番近かったから」でした。これから他の護国神社にも行ってみたいですね。できれば全て行ってみたいです。












「埼玉縣護国神社」に到着しました。毎年8月15日には11時30分より13時くらいまで英霊を鎮魂する「みたま祭」が開かれます。







この神社に祀られている英霊のご遺族の方々がおられます。自分は神社の外の外野席(立ち見)から慰霊の念を捧げておりました。その場所には自分以外にも20人くらいの人がいました。




12時の黙祷をし、最後に神社の代表の方の挨拶を聞きみたま祭が終わり解散となりました。その後自分は本殿へ向かい改めて参拝をする次第となりました。社務所で御朱印もいただきました。

「御朱印集め」楽しいですよ。












さてもう少し前の話になりますが、靖國神社崇敬奉賛会青年部「あさなぎ」主催の勉強会に計2回参加してきました。この勉強会の主題は、8月15日が終戦記念日とされるがそれで全てが終わったわけではなくその後も数日間壮絶な戦いがまだ日本であった、という話。




1回目では戦争経験者の小林恒夫さんをお招きし、終戦後まだ日本人がたくさん住んでいた南樺太にソ連軍が侵略してきた時(樺太の戦い)の生活や状況などを語っていただきました。8月15日以降も多くの民間人が殺された事実を改めて学びました。















第2回では、満洲国興安総省において8月15日以降も日本人避難民1000人以上が殺されるという、民間人最大の死者数を出したと言われる"葛根廟(かっこんびょう)事件"の生存者である大島満吉さんをお招きし、当時の貴重なお話を伺いました。



ソ連兵が日本人生存者を見つけては次々と射殺、銃剣で止めを刺していき、犠牲となったのは多くが非武装の女性や子供でありました。満吉少年はソ連兵に殺害されるための列に並び、あと数人で自分の番という所で軍人であった父と兄が現れて助け出され、母と4人で脱出に成功します。ただこの時点で満吉少年の妹は亡くなっており、それは母が刀で娘の喉を突き刺したのでありました。そうするしかなかった、というお話を聞き、悲しまずにはいられませんでした。




当日頂いた資料を少し紹介します。





















この日は勉強会の前に神社の清掃奉仕をさせていただきました。


皆さん暑い中お疲れ様でした。





貴重なお話を聞かせていただき小林恒夫さん、大島満吉さん、またそのような場を設けていただいたあさなぎの役員の方々ありがとうございました。












そして、タイトルに書いたことに関して、自分としては”終戦記念日”とは本当に8月15日なのか、と思うわけです。冒頭でも書きましたが8月15日以降も多くの方々が亡くなっており、戦いが完全に終わったわけではないということです。



しかしながら、自分が思うのは「終戦記念日は8月15日ではなくもう少し後の日付になるのではないか」ということではないんです。そもそも、第二次世界大戦はまだ終わっていません。ではどうなった時に終戦となるのか。それは、


『日本に軍が復活した時』


であります。ここで初めて第二次大戦は終わると思っています。憲法9条を改正し、自衛隊を『日本軍』とし、新憲法を天皇が国民の名において公布したその日こそ先の大戦が終結する日であり、真の国となった日本が新たに始まる日でもあるこの日こそ、『終戦記念日』とすべきではないかと思います。


皆さんはどう思いますか?