第53回「憂国忌」に行ってきました。 | ドラマーヨネの気まぐれな日記。

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打楽器やるのが好きなドラマーヨネ(米山徹)といいます。ライブ活動とか日々の出来事とか書いていきます。好き勝手に書くブログです。よろしくお願いします。

ちょっと時間が経ってしまいましたが先月の25日、自分としては2年ぶりに三島由紀夫、森田必勝両烈士の追悼集会である『憂国忌』にとある知り合いの方と行ってきました。場所は前と同じく永田町の星稜会館でした。去年はどうしてもスケジュールの関係で行けなく、今年は参加したかったので来れてよかったです。

























開催時間は例年通り14時から16時半となりました。知り合いの方は早めに到着したみたいで通路側で演壇までが程よい距離のイイ席を取ってくれました。ありがとうございます😀












この憂国忌は最初に三島由紀夫、森田必勝両氏への黙祷を捧げます。その後三島由紀夫にゆかりのある方々のお話を聞かせていただきました。この記事では今回メインで講演をされた御三方のお話について書いてみようと思います。



その御三方とお話は、


中西哲さん(前参議院議員)

「改憲はいつになるか、防衛力整備を急げ」


執行(しぎょう)草舟さん(実業家・著述家)

「永遠の三島由紀夫ーその最後の言葉よりー」


村松英子さん(女優)

追悼挨拶


です。












中西哲さん



中西さんは1999年に高知県議会議員に当選し、2015年に任期満了に伴って退任し、2016年に参議院議員選挙に当選し2022年まで在任されました。在任中は自衛隊基地誘致や日本の防衛力強化についての活動を主にされたそうで、また憲法9条改正を強く望み力を注がれ、現在でもその活動を続けています。


中西さんは議員在任中、憲法審査会において「自衛隊は諸外国のように行政機関外の組織とは位置づけられておらず、それ故に自衛隊の行動基準、軍法会議等わが国を守るために十分な法整備が必要であり、憲法を改正して自衛隊を国軍と位置づけた上で防衛力整備を進めるべき」と発言されたそうです。私はその通りだなと聞いていた時に思いました。


また国家防衛戦略としてこのブログでも以前に書きましたが去年の12月に「防衛3文書」(相手からの攻撃に対する「反撃能力」を保有することができるとする規定など)が策定されました。


👇自分が書いた記事です。


中西さんは『戦後初めてこのような当たり前のことがやっと去年できた』と言われていました。まさに三島由紀夫が言っていたことがここに来てようやく現実化してきた、ということだと思います。












執行草舟さん



執行さんは学生時代に三島由紀夫と文学論を交わしたことが10回以上あったとのことで、その中でも最後の三島との会話であった電話での「最後の言葉」を話してくださいました。その言葉とは、


『君に何かあった時には、カミュの「シジフォスの神話」を思い起こしてほしい。そして、「幸福なシジフォス」を思い描かねばならぬ。それが今の自分の本当の気持ちだ。』


という話だったそうです。このシジフォスの神話とはギリシャ神話で「永遠の苦行と不幸を表す神話」であり、それをフランスの小説家であるアルベール・カミュが人間存在の不条理の代表として取り上げたもので、カミュは「深い絶望だけが真の希望を生み出す」という説を唱えた。この絶対不幸、絶望の神話を生きていく原動力としてほしい。そして執行さんは、「三島先生の死こそがこの日本に『新しい神話』つまり不幸を幸福に転換する神話を生み出したと思っている」と話されました。1970年に起きた三島由紀夫自決事件は三島が死をもって現代日本の不幸にくさびを打ち込み幸福への転換点を作ったものであり、三島事件は日本の1つの終わりであり,またこの事件がなければ何も始まらない、三島事件は新しい日本の創造の始まりである。というお話を聞き、私は感銘を受けました。












村松英子さん



村松英子さんは学生時代にある劇団に入団した後座員に昇格し、舞台で活躍していた頃三島由紀夫と出会い、三島の戯曲の舞台に多数出演したとのことで、当時の三島との思い出を語っていただきました。

「私にとって三島由紀夫先生は演劇上の恩師であり、人生の恩師です。〜〜この間自宅の書庫の整理を神田にある知り合いの古本屋さんにお願いしたら『今は三島由紀夫しか売れません』と言われました。でも三島先生の本は私にとって大事なものだからお渡しできなくて随分がっかりさせてしまったと思います笑。〜〜三島先生は亡くなる直前に『僕のしたことは100年経ってやっと理解されるだろう』と寂しそうに言っていたということを三島先生のお母様からお聞きしました。あと50年経ったらみんなに理解されるんでしょうね。そういった時がいつか来ると思います」

といったお話を聞かせていただきました。貴重なお話をありがとうございました。












このお三方のお話を聞き、3人が話されていた共通のことは、


「三島由紀夫の言っていたことが徐々に人々に理解されてきている」


ということだと思いました。三島の言っていた憲法改正があと50年、より少しでも早く実現し、三島の魂を鎮めたい。もちろんそれは自分、日本のためでもあり非力ながらこれからも努力をしていきたいと思いました。ありがとうございます。