Wikipediaによれば「神社」とは『日本固有の宗教である神道の信仰に基づく祭祀施設』とのことで、「神道」とは『森羅万象あらゆるものに神が宿り、天津神・国津神などの偉大な祖先を神格化し祭祀を重視する』という日本古来からの教えとなります。神道には具体的な教典や教祖(創始者)は存在せず自然発生的に生まれたもので、キリスト教や仏教のような教義が明確にある宗教とは性質を異にしたものとなるようです。
俺個人の考えとしてはこの神道は宗教的性格を帯びるものではあるけども完全なる宗教ではないと思っています。宗教の定義はイマイチ分かりませんが、神道は太陽や月や自然、動物や植物といったものに感謝し生きとし生けるものすべて互いを認め尊敬し合い生きることが神の心に添うもの、といういわゆる古くからの教え、考え方であり、何か特定の神や人などを崇拝するものではないからということになります。
第二次世界大戦で日本人はこの神道の教え(偉大な神(天皇)を崇拝し天皇のために戦い死ぬことが最大の栄誉である)に基づき(国家神道)、戦地に赴きたくさんの戦死者を出しました。そして戦後アメリカにより再び日本が軍国主義国家とならないよう「神道指令」を発し国家神道を解体し、それまで国が直接管理していた靖國神社はじめ護国神社含むほぼ全ての神社を宗教法人化しました。そして日本国憲法第20条(信教の自由)において政教分離の原則を定め国家(首相や国会議員等)が宗教法人である靖國神社に公人としての参拝をすることが問題となりました。この辺はいろいろ議論の余地があるようです。
さて、俺が何を言いたいのかというと、2つあります。
一つは、今のこの時代、そして世界でも屈指の無宗教国であり軍国主義思想とはもう無縁といってもいいこの日本において首相や国会議員等が戦歿者の慰霊・追悼をしたところで国全体が軍国主義に染まるとは到底考えられないということ。
二つ目は、そもそも戦歿者を慰霊するという行為は宗教的行為でも何でもなくあくまで社会的儀礼、習俗的行為であってそれこそ初詣に行ったり誰かの葬式に出たりするのと同じではないか、と思うのです。ちなみにアメリカには「戦没者の日」という祝日があります。祝日ということは州とか関係なく国全体のものであるわけで当然国が定めたもので、つまり「戦歿者の慰霊」は特定の宗教的行為でもなんでもありませんということですね。日本でその祝日を作ってくれとまでは言いませんが戦歿者のために参拝するというのは国とか関係なくできることだと思います。
平成24年に発表された自民党の憲法改正草案には次のように記載されています。(太字が改正部分)
青線を引いた箇所ですが、俺としてはおそらく戦歿者の慰霊をすることを想定したものではないかと思っています。別に必ずしも自民党を支持するとも限らないですがこの改正案には自分としては賛成ですね。
ではなぜ戦歿者の慰霊・参拝を公人だろうと一般人だろうと関係なくできるようにしたいのか。今現在日本は憲法9条において戦争の放棄をしていて日本で戦争は起きないものとされているため、自衛隊員または国民の中から戦死者が出たとしてもその処遇つまり祀る場所は靖國神社(または国が管理する祭祀施設)になるとは限らないということ。またそもそも「国のために戦い命を落とした人を国が慰霊できない」なんておかしな話があるでしょうか、ということです。おそらく日本だけなのではないかなと思います。
靖國神社や護国神社に行くのは、戦歿者の方々を慰霊・追悼するのは宗教的行為ではなく誰でもできる社会的習慣・儀礼であるという方向に持っていきたいという気持ちからになります。