パンク修理☂音ネタ: 今でも使われてしまう死語の世界? ・・パンクは死んだ? 参加中
『この年になると
自分のやることすべてが死への前戯だ。
セックスしようがしなかろうが、働こうが遊ぼうが、
追いかけるものが金だろうが自由だろうが、
アイデアだろうが皮肉だろうが、
時計が刻む音が聞こえる』
と云われながら
今なおステージで歌いつづける62歳になって、パンク・ロックというくくり方は死語だろ~
単に「米ロック歌手」で いいじゃねぇかよ。
もともとは Paul Ricard さんという記者が書いた内容なんだろうけど 今まだ、
「パンク・ミュージックのゴッドファーザー」(the Godfather of Punk)
などと日本語で書いてしまってるところが気に喰わない。
そういうジャンルの区別とかが
今の音楽産業の業界と市場に共通した解釈 でしかなくても
もっとほかに的確な表現は ねぇんかい?
たとえば
Tripper not to die 【死なない旅人】 とか
Non Death Tripper とか
Iggy Pop という人物が
音楽をカネモウケの道具にするメディアに仕立てあげられた単なるロック・スターではなく
もうちょっと気の利いた感じで
この世に音楽の素晴らしさを伝道するロック・アーティスト。
その一人としての、Iggy Pop の存在を大切にしてもらいたい。
眼を見ひらいて起きている時間帯も 一日のうち
何分か何時間か眠っている間も
クソこいてる瞬間も 次にケツの穴を塵紙でスッキリさせる手際もタイミングも
自分が自分という人間としての意識がハッキリ自覚できて気がまわっていること。そして
人間、自分の頭が冴えている時間を常に保ちつづけていることは
若い自分と 肉体の融通が利かなくなってくる時期とでは
その身体の節々に なにか支障がないかぎりは
それほど大きく異なる…バランス崩れたり
人間以外のヘンな者に獲り憑かれて己を見失ったりするはずないんだけど
どんなに自分が健康体に自信あっても
それなりにガタが来た部分を庇いながら現状維持で生きるこころがけあっても…
「いつ死んでも おかしくない」とか 自分が「そのうちクタバルだろ…」
というような想いが頭の中を巡る時間帯が長くなってくると
その肉体のどこに どんな自覚症状があっても・なくても
心が悩むと肉体は病んでくる。あるいは
老いの恐怖と死と病気の区別が曖昧になる・・・・。
んで、
この地球上の大地の上にいて息ができて そこに手足の不自由もなく
それなりに五体満足であろうと
独り、人間てのは(俺も含めて) ホント弱々しいもんで
日常の、ちょっとした怪我や 現代医療 による“不安のたきつけ” によっては
ある瞬間から 精神的に
自分で自分を病気に陥れてしまうヒト(一部の文明人)も多い。
そんな世の中で
「もう若くはねぇんだよ」
「以前のようには やってらんねぇよ」
などというヒトたちと当然、関係ない感じのイギー・ポップさんばかりか
ピート・タウンゼントやミック・ジャガーにしても ボブ・ディランや
チャーリー・ワッツ にしても トム・ウェイツ にしても
どうして惚けずに 健忘症や痴呆症、認知症…などと
世間常識に乗せられる馬鹿げた言葉にも惑わされることなく
自分が自分として生きることを貫き通せるのか?
そんなこたぁ、このWeBlog のほかのページ を読み返すまでもなく
今日まで さんざん書いてきて
アタリマエだのクラッカー炸裂のごとくハッキリしていることなんだけど
まず、「自分が生きるためには もう他に手段がない」
というところからして 最初っからスタートがちがう。
だから、そういう “SUICIDE 適齢期”は
とうのむかしに通り越した関所 でもあるし
薬物の乱用がどーのこーのという問題にしても
のちのちに苛酷なリスクを抱え込むほど
過去に どんな無謀な状況で お薬の世界へのめりこもうと
彼らは常に DEAD or LIVE のケジメはハッキリしていて
己の人生を投げ出すような気持ち(注;覚悟ではない。 )では生きてないので
周囲がどんなに「コイツぜってぇマトモな死に方しない!」と浅墓な想い巡らせようと
そんなことには関係なく 創造することが優先。
この世で自分の使命を果たすことが優先。
そこいらで芸能ミュージッシャンやってる盆暗なロックスターもどきの日本人とは わけがちがう。
そういった、 レンタル市場に目立つように並べられるアーティスト風な連中 ってもんは
たとえ それらの方々が個人的に 己の人生を今どのように顧みる機会や余暇に恵まれようと
“単なる商品”なので、そんなもんは どんなに比較しても比較されても構わない。
なにかに憧れ 無駄に過ごしたような音楽人生が どこでどうあろうと
世の中、
「世間の店先へ並んでることに安心させられ
いつまでもメディアに飼い馴らされてる不自由なんて御免だね。」
てな具合で 時代は変る。
だから、今ごろになって なにかの権利を主張するかのように
どこぞの3人トリオどさまわりグループの幾つかが
「また再結成してガンバッテ逝きましょう!」
などとして 業者と宣伝合戦くり拡げても
「3ボンの矢の如く? 最初から芯が腐ってりゃぁ何本まとめようとスグ折れちまうよ。」
俺は平気で そうおもう。
おまえらの音楽で なにが救われる?!
いいや、人類を救うことが音楽の目的ではない。
単に 文明生活に疲れ果てた大衆意識を客側に回し
何者かの気晴らしやウサバラシに憑きあって
日々を食いつなぐ職業としてのミュージシャンやActorキドリな連中が
今から どこを目指して 今後の世の中に どんなに雑多な音を配信しようと
そういうモノ で
人々の心を豊かにさせ ヒトとして生きる意識を向上させる役割が
どこまで果たせるかどうか、そんな偉業が どれほどの範囲で可能か田舎…は
やっぱ、レコーディングひとつ、芳しくない歌声の部分を
あとから機械的にミキシング処理でゴマカスようなクソとは別に
いつでも一発録りできてアタリマエ!
なスピリットしっかり してねぇと無理なんだよ。
てなわけで 気をひきしめて
新作の一部を聴いてみた。
Iggy Pop - King Of The Dogs
関連先: 以下、December 01, 2008 より。
「ええ、さて。 今日のゲストわ、イギー・ポップさんです!
IGGYさん、意義あるところで
さいきんの若者に ひとこと! …おねがいします。 」
「ハーイ! 日本のワカモノのみんなぁ!
どうした?! そんな湿気たツラして?
ごきげんナナメなのかい?
えっ? リスカ?
カミソリの遣い方、
ちがうんじゃね?
」
「なるほど。
でわ一曲おねがいします!」
「歌っていいのか?」
「はい、ご自由にどうぞ。」
「…そうか。なにがいいかな?」
「おまかせしますが 元気でる一発で。」
「よし! 栗とリスで行ってみようか?!」
「甘栗デスカ? 」
「いや、全世界のオンナの解放だ 」
「ちと旧くねぇすか?」
「んだな。」
「もっとモッコリさせた感じがいいっス!」
「そうかい?」
Iggy Pop - Wild America