世間様の「五月病」だの「ストレス」だのの、曖昧な常識の解明。そのひとつ。  | “Mind Resolve” ~ この国の人間の心が どこまでも晴れわたる空のように澄みきる日は もう訪れないのだろうか‥
テーマ:生きるために必要な生活の知恵
   
   
地球が回転する方向ってもんは、その自転も公転も、
みなさんも素晴らしい教育を受けて ご存知の通り、
自分たち人間が この世に誕生する以前から決まってる。
太陽も月も、その場所から大きく、今までとは全然ちがう場所に移動したり、
「宇宙の果ての、どこにあるのか判らない」という、そんなことはないし、
今までもなかった。そしてこれからも、…おそらくは…ない。
この地球上には人間が誕生する以前に
人間が、それぞれの生息区域で、創られ、産まれ、育ち、やがては死に逝く…
そういう、生きて過ごす営みのために必要なものが、いろいろと備えらている。
そこには、引力もあり、磁場もあり、潮の満ちひきもの波もあり、風もあり、
空気もあり、水もあって、食べ物もあり、
陽の光りも熱も、自分という人間のほかにも大勢の人間もいて、
そういう“あたりまえのこと”が整然として繰り返されてきて、今も未だ繰り返される世の中では
それこそもう、この地球上でしばらくの年月が経過してきた、その過去においても、
現在に生きている者の数より死んだ者の数の方が多いという事実もある。
そしてまた、海の塩分濃度の比率と同じような場所 で新たなる生命が育まれ、
この地球上に再び、過去に経験したいろいろなことを
何かに教育される以前に知っていて生まれてくる命、生命の誕生…
そういう自然界の再生もある。
それは、単に甦るとか、「蘇っている」という簡単な言葉ではなく、
ある一定の取り決めにおいての、道理、土台、礎、基礎…
そこにある、基本的な人間の創られ方にしても変わりない。
だから、人間 誰もが、母親の胎内から押し出され、引っ張られ
オギャーと産まれたことがヒトの人生のスタートでもなければ、それが何かの原点でも起源でもないし、
ものごとの「ゼロ」の部分でもない。
誰もが、この世に誕生する以前から心臓も動いていて、
大いなるエネルギーがぶつかりあった瞬間。精子と卵子が結合した瞬間から既に
その肉体の最初の細胞分裂も始まっているし、その時に既に、
本来の産まれる日も、本来の寿命、死ぬ日も決められているし、
この世で肉体を持って何をして生きるのか? その、
一人一人の創られ方のちがいにある能力、器、それぞれの程度も、完全に決められている。
そういう人間の創られ方を産まれたあとになって、成長してゆく途中段階で狂わせたり、
捻じ曲げ捩じ伏せ、自分自身が一体なにをやりたいのか、やるべきなのか?も判らなくさせてしまうような
教育や宗教の教えとか、特定の思想とか限られた情報など、そういうことから、
わずか数百年、数千年の間に、人の世に溢れかえった人間を中心にさせてしまう常識が
いま現実の世の中に生きている人間の誰を、どこでどのように悩み苦しませようとも
この世に人間が創られ、産まれ、育ち、死にゆくという事実としての道理からは
誰も逃れたり免れることはできない。
人は誰一人として、この世に勝手に産まれて勝手に死ぬこともないように
本来は何不自由なく、あらゆるものを生きるために備えられ、用意された中に生きて生かされてきた。
そこには、ヒトの言葉でいうところの、愛や慈しみもあった。
最近は、そういうことさえ、あたりまえではなくなるほど、自分の身近にも自分の中にも
ないように想ってしまう人も多くなってきているかもしれないけど
以前は、…この地球上の長い長い歴史における、ほんのわずかな時間の、ちょっと前までは
俺自身にもなかった。というより、ない方向へ自分を陥れていた…という表現が正確な捉え方かも知れない。
この世に産まれる以前に完全に決められた自然界の道理、基礎、取り決め。
自分という人間は、その肉体を借りて、ある一定の取り決めに従い、
そこで生きることの、あらゆる義務の遂行と役割を果たし、
この地球上で何不自由なく、明るく元気に楽しく過ごせる場所に整えるために存在している。
本来ならな。
このことに気づくまで、俺という人間は、それほど時間がかからなかったかも知れないけど
人は死ぬまでには、それぞれが、それなりに果たさなければならない役割、義務もあって
その時期も決められていることから外れたように想えても、自分次第で軌道修正できる。
そういうことも発見したので、今後それが楽しく可能な人と、
不可能に近くして、不平不満や憎しみを残したり 
何かに後悔…、悔いを残したまま寂しく死んでしまう人も大勢いることも残念だけど
それはそれで他人の人生であって、
自分という人間が自分の肉体を用意されて生きて生かされている自分の人生ではない。
現代人は、この自然界の厳しさや最近の激しく、著しく変わりゆく時代の中で
そこにハッキリとした区別・識別・判別をつける覚悟、決意、決断が必要になってくる。
今の時代に人間が生きるためには合わない旧い常識や旧い時代のシキタリ。
そこにある何かの風習や慣わしも、頑なに「絶対にこうしなければならない」と
自分自身に押しつけることは、どうしても自分という人間の成長を止めたりしてしまいがちで
それは必ずしも、自分の中で大きな問題であっても、
この地球上の進歩や発展には、たいした意味も持たないことも多い。それでも、
今の時代の人間の力では未だ観測の範囲内にもない数々の天体。
その星の位置、動き。…それは、太陽にしても、地上からは反対側が見ることができない月にしても
その多くは、何億年も前から決して変わらずに、大勢の人が見て知っていても
今ではその空の下、この広大な自然界の中にいる人類が、ある一定の基本的な道理から外れようとしたり
自分が生きるためには何が必要なのかが、よく判らない人もいる。
その人間の役割のひとつひとつ、一人一人の肉体の中にある内臓の位置や動き方も、その職責も職能も、
場所や位置が狂ったり、もともとの正常な機能を働かせて生きることが困難な人もいる。
身も心も、正常な人間とは何なのか? どういうものなのか? 
今ではもう、その基本的な部分をしっかりとできている手本になる人間が、
この地球上の、どこに存在しているのかも解らないほどになってきた。
決して、肉眼で見えるモノだけがすべてではなく、教育されて学習させられ、
詰め込み、植えつけられたような知識や結果だけに対応する知恵、要領の良し悪しがすべてではないのに
最近の人間の多くは、自分が成長し変化することを忘れ、それを失いかけているのかどうなのか
勝手気ままに自分本位に生きてるように、ヘンに出来あがってしまったり 
あらゆる問題に対して解ったフリを繰り返して、その場凌ぎに完成してしまっているような人もいる。
それは当然、子供よりも大人に多い。
食べるものに対しても、着る物や住む場所の快適さや便利さの追求にしても、
何か目先鼻先の欲求を満たすだけの知識や情報を先取りしようとすることにしても、
それが果たして、いま自分自身が肉体を持って生きていられるわずかな期間内において
どこにどのように、いま現在の自分の肉体に流れる血液の循環と呼吸に関わっているのか? 
男であっても女であっても、まず、この部分がハッキリと明確ではない、そういう現代人が今、
非常に多い。…果たして今の時代の我々は、この地球上で住める場所として用意された生息可能区域で
人間として生きるべき許可の基に、自然界の道理、基礎に適合した人間なのだろうか? 
男なのか? 女なのか? 過去、何千年も、何万年も前から、
この世に子孫を繁栄させ、生き死にを繰り返してきた正常な人間なのか? 
   
ああ、今日もまた、しょっぱなからキツイね。
ごめんね。
今はすべて俺が書いていることでも、俺は書かされているだけだ。
かつて、たとえ未完成の状態であっても『自然と人間の設計図』というモノを代筆させられた俺の頭の中には
自分の生き様や人生とか、今の人の世の常識を超えたところで
人の頭では想像もつかないエネルギーが働いているところから俺の右手を動かす時期を決めている。
いつまでもやってられるわけでもないんだけど
そういう役割に定められてしまった宿命なのか? 
残りの人生、幸か不幸か、次の世代が生きてゆくために必要なことを見つけ出すためにも
俺は書きつくすことのない人間の創られ方、生かされ方の事実を
文字に叩き出さなければならない。いまのところは、こんな感じで。
でも通じる人がいない。
このような書き方ではダメなのかもな。 (かもな…ではなく、ダメです。
もっともっと具体的に丁寧なほうがいいんだけど
「ああ、めんどくせぇ!」って気持ちもある。
んで、場合によっては事細かに具体的に書いてる内容もあるんだけど
それを書いてると、かなり時間が必要。メシ喰うヒマも寝る間もなくなっちまう。
もうねぇ、このパソコンの中には、未公開のモノのほうが多いよ。いっぺぇ溜まっちまって、
誤植のチェックや表現・解釈の調節しながら書いてると
今日ここに、この瞬間に必要なセンス・バランス・タイミングもズレたりすることもある。
するってぇと、なにかつづきを書いても膨大な量で
誰かに今こそ必要な問題もオジャン、パーになっちまう。
構成や編集、その書きあげる時期にも締め切りなんてないんだけど
俺の気分の中にはある。誰のためでなく、すべての人類を読者対象として書いてるので。
   
なので最近は、世の中のちょっと先を視ながら書くようにこころがけてる。
それでも、『たわいのない単なる日記ブログ』というカテゴリーをフォーマットにしているので
もしも真剣に読んでいる人には申し訳ないけど
「ああ、もうこのページは遣い物になんねぇな…」というようなこともある。
人間、成長して生きてくためには、過去の自分の一部が今日の自分のすべてではない。
   
それでも、今日ここに書いたことの幾つかは、あと何年何ヶ月、何十年、何日も経たないうちに
大勢の人々の人生にのしかかってくる大きな問題でもあるので
今はまだ、何が云いたいのか、何を云ってるのかが通じない人でも
そのうち、今ここを読んだ内容が、ハッキリと目の前に用意されることもある。
「さぁ、どうする?!」ってな具合で、自然界が用意する。
俺はその用意される時期を速めている。文章で。読んでいる人がわずかでしかないインターネット上で。
出前は迅速な方がいいだろ。わりぃけど。
だって、のびたラーメンより不味いもんはねぇしな。
   
まぁいい。この問題は徐々に、原液を薄めながら
今の世の中の音楽とか、映像や映画の一部分の切り出しなど、
肉体を持って生きてる人間の視覚・聴覚に判りやすく働きかけるモノを題材に
人がこの世に生かされているあらゆる事実とつなぎあわせて解き明かしてゆくことにする。
ただ、世の中の曖昧な問題は、ある程度 丁寧にわかりやすく覆してやらないと気が済まない。
   
だから、どうでもいいようなことでも、一旦は、ダーっと書いて、
それをそのまま公開することで、そのうちの不明瞭、視界不良、不透明な部分を透明にしてゆく。
なるべくな。

   
んで、ここまでの内容は、流し読みでも構わない。
ここからは少し、今の時代の現代人類に役に立つ内容を書く。

   
   
植物ってもんは、普通にそれなりに教育を受けた大人ならご存知のごとく、
草も樹木も、野菜も雑草も、野草や生薬の区別にも関係なく、だいたいが
緑色の葉っぱとか茎があって、地面の中に根っこを張り巡らして生きて、時期が来ると
交配したり枯れたり、紅くなったり茶色くなったりしている。
中には、樹齢何百年とかいう植物もあって、独り、人間の一生よりも長く成長を繰り返して生きてるのもある。
それが存在し、生息できる可能な範囲も決まってはいるんだけど
そういう樹木とか木のツルとか、地球上の至るところにある。
最近は酸性雨とか塩害ばかりか、たった数時間、数分、数秒の強い風雨によって
何年も何十年も何百時間も経過して太い幹になったり、その中に何重に年輪をつくったような樹木が
一瞬にして薙ぎ倒されるとか、わずか数日で枯れてしまうような大変な事実も勃ってはいるけど
それでもそこにはやはり、再生もある。
新しい緑の息吹。春に芽が夏に生い茂り、秋に老けて冬に枯れる…という発芽や紅葉の繰り返しがある。
ところが、自然界ってのは厳しいぞえ。
緑、葉っぱってもんは、太陽が昇る方向へ向けて枝やツルを伸ばし、
雨が降ったりする間に地の底から根が吸い上げる水を供給するにも
常に光合成、陽の光り。日中の適度な明るさを必要とする。なのに、
この自然界では、ある一定の時期に、それを覆すようなこともある。
そのひとつが、太陽の昇る方角、東から、辺りを巻きあげるように吹く風だ。
日本では全国的に平均して、とくに入梅前後のこの時期に多い。
また、この地球上には今、それがしょっちゅう吹いてるような場所も多くなって…きてしまっている。
気象観測お勉強の知識 も俺にはないし、友人知人に気象予報士さんがいるわけでもない。
旅行なんてのも年間を通して人並みではない。
I.G.Y. という国際地球観測年間の真似事 がどうあろうとも、
そんなことは、カラヤン指揮のシンフォニーにあるメリハリが
日本人オーケストラの人たちには表現不可能なことと同じようなもんなので、
偏西風とか季節風という人間の言葉や、何兆円もかけて打ち上げた人工衛星の
気象観測データが、どこでどのように限定的に情報公開されようとも、知ったことではない。
それが、
いま自分自身が生きて過ごしている場所や地域を正確に見て判断したものではないので
「明日の天気は?」なんてことを気にして、率先してテレビを点けたり、新聞の端っこを見ることもない。
朝おきて、雨なら雨。晴れなら晴れ。その日の天候の中、その日の体調でその日の気分で
そのときの自分自身をなるべく見失わないように生きるしかない
成り行き任せ、その場しのぎ、その蜩、開き直りな風任せではない。
んで、そういう日常を真剣に過ごす一秒一秒の中に
「ああ? なんだか…いつもとちがう、ヘンな風が吹いてんな」
という瞬間もある。眼で見て。肌で感じて。
それが東から吹く風のうち、周囲を地面から巻きあげるように吹く風。
そこには、ある程度の強さがある。
自然界に生息する植物の葉っぱをみんな裏返しにしちまったりする
   
要するに、人間がこの世に生きて生かされるために大切な植物の、その一枚や二枚程度の緑が
『しわ寄せよつ葉苦労婆
を捜す人間の手で摘み取られるような手作業には及ばず、
かなりの広範囲な場所を わずか数時間たらずで、大量な生命の発育や成長の妨げをつくってしまう。
植物なので、その凄まじい生命力が、そういう風によって瞬時に枯れたり死んでしまうことはないんだけど
その、“東から地を巻き返すように吹く風”というのは、
葉っぱを裏返して、翌日…場合によっては数日するまでは、
朝から晩に暮れる太陽の恵みをマトモに受けられないような状態をつくってしまう。
それは当然、人体にもよくない。かなりわるい。
そういう日に表にいて、そういう風にさらされるってことがな。
たとえば、それが妊婦であったり、病弱・虚弱体質の人であったり 
「周囲の者に比べ、自分の肉体にハンディがありすぎる」などと
常にそういうことを気にしてしまう人にとってみても
そういうヘンな風に当っても、何分もしないうち、どこか建物に入るとか、
クルマでもテントでも、そういう風を遮る場所へ避難できるようにすりゃぁいいんだけど
この時期は春夏秋冬において、それほど暑くもなく寒くもない場所が多いし、
穏やかで過ごしやすい時期でもあるので、運動会とか、川原でキャンプとか、浜で潮干狩りとか、
高原や湖のほとりでバーベキューやったりしてるような人も多い。
今これを読んでいる人だけでも、今後は注意してくれ。
とくに、足首、手首、首の後ろ側。自分の肉体のうち、男の場合はカリ首を股に大事にしまってあっても
「クビ」という名の付く場所を曝して、
そういう風に長時間あたってしまうと、その時は何でもなくても
人によっては、あとでいろいろと面倒なことにもなたり…することもある。
要は、その日の天候や時間帯によっては
「長時間の潮風にあたることが身体には毒だよ」ということと同様に、
元気に はしゃいで飛び回って遊ぶ子供にとっても大人でも老人でも、
必要以上に筋肉を冷やしてしまうと、寒きわまって冷えた場所が熱に変わったり
細胞分裂や毛細血管の血液循環にはよくないってことだ。
ヤバイよ、あの風は。今の時期に多い。
その風が吹いた日は、日中はそれなりに温かくても、夜になると容赦なく冷え込む。
今日の午前中、佐渡の俺の住んでる場所の近くでも吹いてた。
そういう風が吹いてる時間帯は、虫や鳥もあまり飛んではいない。
本能的に何処かへ非難している…というか、最近の人間を笑ってるかも知れないな。
最近の人間のうち、とくに現代日本人てのは、そういうことにもウトイので
川原や野原、土手や浜辺とか、どっかのグラウンドとかに平気で突っ立っている。
同じように地に根を張って、そこで生きている植物も移動しようもないんだけど、
自然界の植物ばかりか、そのように人間も、時間をかけて徐々に体調を崩す。
4月~5月、6月にかけて、
それを世間では「5月病」だの馬鹿げたことを云っている。
病院へ行けば、「過労によるナンタラ」とか
「気づかないうちに極度の疲労がストレスとドーナッテ、ベイグル…」だとか
お医者さんも、もっともらしく曖昧な言葉を並べるのに必死だ。
それでも自然界は容赦しない。
   
   red&blue2006   
   
このような“人類の馴れの果て”の体型に近い人間を 
ぬるい風で襲う。
地球環境が汚染され、自然界が破壊されればされるほど
そういう風が吹く日は増える。
人間が人間として、育つ場所がちがう。今まで通りではない。
慌てて逃げても、ひきこもっても無駄だ。いつかは曝される。
これは成人を越えた杉や桧の花粉が飛び回る時期のソレに
文明の廃棄物と科学調合を起こしたことによるウンヌンの刺激から
速攻的に人体の調子が狂わされるような問題 よりも恐ろしいかもしれない。
人間の身体ってのは、足首と首まわりがとくに冷えやすく、
そこから冷えて、体調をおかしくしちまうことが多いんだけど
普段から小便が出にくく、腰も重く、だるく、目も疲れやすく 
全身がむくんでるような人は、
身体の中に必要以上に水分が多いために、さらに冷えやすい。
こういう人は自然界の風の方向や時期にも関係なく、
一年中、風邪っぽい症状に悩まされたりも激しいんだけど
そういう日に、どうしても外にいなければならない人は
とにかく、クビにスカーフとかバンダナを巻くとか、
手足もなるべく冷えないような服装に工夫するとか…
それが似合っても似合わなくてもいいよ。
おしゃれな口裂けオバサンでもいいし、何かのブランドのバーゲン品であろうと
巷のメディア情報がファッショなファッションでも構わず、自分の好きに気取ってくれ。
せっかく楽しかった一日が翌日は熱を出した子供の看病に追われてしまうことのないように
そういうことは、子供よりも大人が知っていて、その命の育みに役立てるべきだよな。
最近の高齢者は、かつてはそういうことも知ってた人も多いのに
ほとんど口を閉ざすように若い世代と言葉を交さない。あるいは、惚けている。
若い世代の我々も、そういう大事な生活情報を訊きだそうともしない。
でもよかったな。
気分転換に酒や煙草が呑めない人が増えてる今、
欲求不満解消のハケグチのようにケータイ画面が気になる人が多い世の中でも
今日は、そのケータイ画面の中に役立つ情報があった。
ラッキー! 
   
今の時期ばかりか秋口にもときどきあって、季節や時間帯にもよるんだけど、
そのような“東の方から地の底を巻きあげるように吹く風”のことを
東北の一部の地域山形?などでは、ダス風とか呼ぶらしいんだけど
他の地域では、なんて呼んでるのか? 
地方によっては呼び方や方言にチガイはあるのか? 
んまぁ、名前はどうでもいい。とにかく、“東の方から地の底を巻きあげるように吹く風”。
ある程度の大人であるなら判るはずだ。
気をつけてね。
   
んで、
昨日は土曜で、今日は日曜で
世間一般的には巷のみなさんは休日の人も多い。だから、
んなこと云われても、
「そんな予防は もう遅い!」というような人もいるかも知れない。
そういう場合、どうすりゃぁいいのか?
コメント欄に書き込んでくれ。
人によって自分で治すやり方が異なる。
俺は何かを“治す係りの人”ではないんだけど
この時期に、その人その人のそれぞれが
どうすりゃぁいいのか? 
俺の応えられる範囲内で対応…させてもらいます。
   
   
   
   
じゃぁね。
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
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