高額医療費と日本経済について (前編) | “Mind Resolve” ~ この国の人間の心が どこまでも晴れわたる空のように澄みきる日は もう訪れないのだろうか‥
   
   
最近、lithium さんのページへお邪魔して幾つかコメントのやりとりがあったなかで、
今の日本の高額医療費についての問題があった。
このページです。
   http://ameblo.jp/lithium/entry-10012615567.html

   
ぶしつけながら、冒頭から そのウェブログを書いている ご本人について云わせてもらうと、
この人も実に精神力の強い人だと思う。
報道カメラマンの中司さん もそうだけど、
毎日、自分を見失わないように生きるということは、この時代、大変なことだ。
過酷だし、常に孤独との闘い。
伊丹哲也 さんやassimilate さんのように、演奏家(ミュージシャン)として一つのことに没頭することで、
ある意味、孤独を楽しめる(…時には「神」と友達になり)という人も世の中にはいるかも知れないけど、
普通はなかなか、そういう粋には達せない。
俺のように「友達」ってもんが非常に少ない人間としてはとくに、
どんな場合も逃げ道を模索して生きてきた卑怯者であるからして…
そういう孤独や孤立感とはちがう意味での、過酷な闘いの中にいる人たち。
「自分の明日が解らないからこそ、今日を生きることに悔いを残したくない」
lithium さんのページは、どこを読んでも、そういう気持ちがひしひしと伝わってくる。
同じ時代に生きている同じ世代として尊敬してしまう。
俺も含め、)それぞれが、若干、“ネット依存症”ではあれど、
俺のサイトの読者に、そういう方々がいてくださることは
今の俺にとって非常に励みであり、また俺自身が、
自分の生活の中で自分を見失わずに生きる原動力の一つでもある。
タケちゃん と並んで、アメーバの中では、『日記ブログ』の鏡。
できることなら今後は、ランキングの在り方ってのも、
単に目先鼻先の面白さで終わるようなもんじゃなく、
こういう上質なサイトの存在が上位に位置され、
“質の勝負”で賞金が分配されるシステムであった方がいい。
…SEO対策(等)に僅かなカネを注ぎ込んで
何万件ものアクセスを確保してランク上位に君臨しているだけのようなサイトより、
人々の身近な問題に対して真剣な姿勢でコミュニケーションを交わしているサイトの方が、
世の中にとっては価値がある。 (その辺りのご検討はどうなのよ、雨風呂さん)
   
そういう意味での「心の友よ~」でもある、lithiumさんのページ
http://ameblo.jp/lithium/entry-10012615567.html
そのコメント欄へ書き込ませてもらった内容と重複するところもあるかも知れないけど、
この切実な問題は今、日本国中で大変なことになってる。
自分の健康を心配する人は多いと思うけど、
問題は、将来も含めて、そこにかかる費用がどうなるかってことだ。
そしてその将来を、我々一般庶民はどうやって生きて行けばいいのか…。
そんな、将来のことウンヌンより、いま現在、現時点で既に、
自分の家計が切迫している状態の人も多いかも知れないけど、
これはもう、かつての厚生省をはじめ、これまで国がやってきたこと…
そういう行政、「まつりごと」だけを責め立てるだけでは収拾つかない。
何十年にも渡る一般国民の意識。
これはいかなるものか? 
   
ふてぶてしくも、庶民の営みの上の、上の方の上…(どこだ?)に、いるつもりで、
「まつりごと」を牛耳ってる連中(財団財閥)の話はともかくとして、
確かに、学識経験者という“政界ご意見判”の先生方と一緒に懐石料理を囲む高級官僚が、
マニュアル通りの仕事しかできないことも許しがたいけど、
やはり、よくよく考えてみると、今の日本は、
今年の春に暴動が勃発したフランス とも違うし、
この国の社会に生きる一人一人が、西洋の個人主義に似せた風潮な性格で、
個々バラバラ。それがしかも、『団栗の背比べ』状態に陥ってしまったのは、
昨日や今日に始ったことでもなく、地域格差も、経済格差も、そういう歪みの中で、
日本経済は今も、国民一人一人の生活を真綿で首を締める状態にある。
人によって考え方は色々あると思うけど、単に他人の所為にすることも、もう時代遅れだ。
   
インターネットでブログなんてのをやっていられるうちは、まだいい。
世の中には、そんな暇も余裕もないほど切り詰められた生活を送っている人の方が多い。
まず、このサイトでも何度か俺が投げかけてきた疑問…というか、
日本の国ぜんたい、その国民意識にある“必要以上の経済の追求”。そしてその常識。
別に贅沢が悪いというわけではない。
“無駄が多い”ってことだ。
第一に、“人件費”の問題。
企業も行政も、この人件費ってのを確保することで、
明日の経済発展の理想論と、自分自分の持ち場の運営のギャップに頭を抱えてる。
あらゆるモノが咬み合わない状態で、
世界経済との均衡が保てない。
もう何十年もこの状態が続いてる。
それはどこに問題があったのか? 
   
アメリカの“ドル資本”中心の世界経済 に ぶら下がっていても、
日本は資源のない国だから、このまま行くと内側から完全に腐敗して、
国全体の建て直しをする前に、その中にいるみんなが共倒れになっちまう。
んまぁ、ネズミの集団自殺よりはマシかも知れないけど、それに近い。
年寄りと子供の間にいる世代が、
「自分がどうしていいか判らない」という人も世の中には多い。
病人を抱える家庭の中でも、障害者を擁護する企業施設の中でも、
どこにおいても、次の世代への“橋渡し”が利かない状態。
全国の小中学校の義務教育の現場なんて、
自分が「どうしてなんで、なんのために勉強なんかやってるのか判らない」
という子供以上に、
「なんで教えてるのか分からない」という先生方も大勢いる。
「時間から時間まで仕事をしたフリをして過ごせばカネになる」
「今日一日を辛抱すれば明日の喰いブチは確保できる」
「ようやく一日が終わった。長かったぁ…」
こういう考え方の人は、学校や管理施設、銀行や病院ばかりでなく、
全国市区町村の役所も含め、いわゆる「お堅い仕事」に携わっている方々に多い。
それはまた、今の日本の国家公務員の典型的な仕事のスタイルでもある。
「自分の持ち味を活かして、周りと協力しながら次々と問題に取り組んでいこう…」
という前向きな姿勢がある人もいるとは思うけど、
とにかく、『システム管理のマニュアル』に ないこと以外は応用が利かない。
   
一般庶民の融通が利く“窓口”ってのは、パチンコの景品交換所くらいなもんだ。
あとは、「何かの紙」にハンコを押すまでに確認に継ぐ確認。
何をやるにも時間がかかる。
忙しいかも知れないが、
隣の席に座ってる人も、自分の管轄以外のことは判らないから、
誰がどんなに慌てようとも、お茶を啜ってる。
んで、時間がくれば、「はい、さようなら」。
やり忘れた仕事があろうとなかろうと、職場に残された人が困ろうとどうしようと、
帰宅する時間が来れば、16時59分58秒には、席を立ち、
自分の通勤用車が置いてある駐車場、もしくは、駅の改札へ向かう。
翌日、
「いやぁ、面倒をおかけしてすみません」
なんて言葉はない。
他人の苦労なんて どうだっていい。
俺は、そういう“役所勤め”の人を何人も見て知っている。
全国各地、“同じ型のロボット”のように動いて、働いている(つもりの)人々。
その人達が、田舎の地域格差や経済格差の何を解消できるというのか?
「所得の平均割」で納められる税金が、なんのために遣われているのか? 
誰かの何かを隠れ蓑に、セコイ汚職に手を染めている公務員がいる世の中では、
そのほかにも色々と疑問は尽きないけど、
誰が何を暴露しようと、人権保護。
それでも、個人情報の流出はネット上に垂れ流される始末、不始末、仁王松。
8代将軍のお祭りサンバで、悪代官もタジタジだ! 
   
   
「仕事」ってのは何なんだ? 
そこに、「自分が生かされている」という感謝は、誰にも芽生えないものなのか?    
日本の社会は、なんで、こんな有様になっちまったんだ? 
                                    
http://ameblo.jp/badlife/entry-10006297741.html
戦後、貧困のどん底から這い上がり、
現在のように、あらゆる面で膨張した日本経済は、
「春闘」、「ベースアップ」、「賃値上げ」、「所得倍増論」…などという言葉に酔いしれて、
貿易黒字を積みあげてきた。
日本という国には資源らしい資源はない。
石油(原油)も石炭も鉄鉱石も、“何か物を造る”という材料がない。
それこそ、喰い物にしても、極端な話、米以外は ほとんど何も採れない。
大豆も小麦も、肉も魚も、他国から輸入される品の方が遙かに多い。
衣料品や住宅資材なんて、国内生産は完全に間に合わない。
品種改良され、元の野菜の原型が何であったのか判らないほどの、
“生産植物”(スーパーの緑黄色野菜)の種類と数はともかく、
最近は、米でさえすら、近い将来、今まで通りにあるかどうかも危うい。
なぜなら、稲作やってるのは ほとんどが高齢者だ。
先行きが短いのに、後継者が非常に少ない。
しかも、今年採れた分だけの量が次の年にも賄えるかどうかは、天候次第。
誰も この異常気象の先行きは読めはしない。
苗が稲に生長する段階で陽の光りを浴びて 蕎麦がらみ(交配)する時期も、
今まで通りではない。作っている場所の水質や土壌も、今までとは変わってきた。
                                         http://ameblo.jp/badlife/entry-10004456818.html
                                         
http://ameblo.jp/badlife/entry-10004742231.html
                                         
http://ameblo.jp/badlife/entry-10009510907.html
そして、農家から外へ出た息子や娘、若い人は、米作りを知っていても、やらない。
やる必要がないほど、今までは ほかに仕事があった。
人々は、必要以上の教育で必要以上の財産を築くために
「裕福に暮らす」ことを目指し、夢見て、追求してきた。
そして、どんな場合も、“便利さ”と“快適さ”を追い求めてきた…必要以上にな。
   
んで、米の問題については、昭和に遡って、
かつての社会党が戦後最初に政権を握って、
天下を獲ったつもりで喜んだとき()、農地解放ってのを実施した。
あの辺りから、それまで、いい意味でも悪い意味でも、
太古の昔から引き摺ってきた“地主と小作人の関係”、農家の同士のシキタリ…
そういうものが完全に破壊…終わって、
今でも過去の五人組制度を引き摺ってる闇の組合づきあいは田舎に多いけどな
そこで自由になった人もいれば、国に土地を取り上げられたことで、
本家と分家が分裂するほど揉めて、それ以後、貧乏になった人もいたし、
あるいは、狡賢くも国の政策(道路建設をはじめ諸々の開発事業)の動きを先読みするように、
早々と土地を売って、その儲けた財産で別の商売を始めた人もいた。
あらゆる物の輸出入。
クルマも家電も住宅資材も、
いったんは材料を仕入れて、海の向こうの外国様(かつての仇)へ高く売り捌く。
それ以前の戦時中のように、世間が、民家にある鉄という鉄を國に差し出す必要がなくなってから、
朝鮮戦争やベトナム戦争に あやかって儲けた企業もいっぱいあったんだけど、
あの時代から我も我もと、企業は人件費を値上げして、
それを決して、一定のラインで落ち着かせることはなかった
   
昭和41年生まれの、もうすぐ40代の俺が覚えてるわけがないことでも、
俺は知っている。そして、
あの頃、一生懸命に勉学に勤しんでいた団塊の世代の人は、そういうことを俺よりも知っている。
そしてその人たち以上に、その世代の親は、もっとよく知っているはずだ。
但し、今年か来年に社会的な定年を迎える団塊の世代の、その親は、
既に先立っている人もいるかも知れないけど、
今ではもう、かなりの高齢者なので、
その人達の中には、以前のようなバリバリ働いていた時代の健康をなくし、
病院へ通って薬を買ってもらい、それを食べるように呑んでいる人もいれば、
「病院や診療所じゃ駄目だから」と、民間の治療院へ通って、
何とか毎日を生き凌いでいる…という、元気が失せたお年寄りもいるので、
戦後から今日に至るまでの日本の歩みを、
しっかりと孫の世代にも教え伝えられるという「補償」はない。
戦争体験者の孫も曾孫も、自分がどうして、この日本の世の中に存在するのか?
そこに疑問を持って集団で暴れだすのは、もうちょっと先か? 
それ以前に、体力の限界…精神力の限界が、
個人個人の生活を不安定にしてる。
暴動や一揆を起こす元気なんてのも誰にもない。
そういう意味で、日本の倍以上という失業率に悩み苦しむ今のフランス とは違う。
むしろ、この中途半端な経済と医療と教育の崩壊こそが、
明日の完全なる政治崩壊を先延ばしにしてる。
この国に革命が齎されることは、もうないかも知れない。
…どこのどんな教団信者や子供騙しの思想集団が何を頑張ろうとも…な。
   
でもって、素晴らしい仏壇を買い込んでみたり、
その仏壇や神棚とは別に、“ヘンなお札”を祀る場所を設けて拝んだ人も、
ある政党の議席確保と選挙投票数の維持のためだけに大量の新聞を買い込まされている人も、
つい最近までは、テクテクと歩き回っていたはずの、丈夫そうに見えた
そういうお爺さんやお婆さんが、仕方なく、
乗り合いバスやタクシーで通っていた その治療院の管轄は、
文部科学省と厚生労働省に別れている。
そして、かつての文部省の常識を引き摺った文部科学省の職員の多くは、
厚生労働省のやっていることは判らないし、
反対に、厚生労働省の職員は、
文部科学大臣の顔は知っていても、名前は知らないかも知れない。
それほど、自分達の管轄下にある末端の人達の暮らしぶりを解らない政府と、今日の行政。
日本政府というのは、そこへ務める人の安定雇用が優先なのか、
他のことは管理マニュアルの中にないので、どうもよく解らないらしい。
全国の様々な治療院の資格取得者が、現在も、
「患者を治せない」「機械の使い方がよく判らない」…という問題に悩んでいることも知らない。
そこへ通う患者さんの一人一人が、どこへ行っても治らないくせに、
あらゆるところをグルグルと回ってる現状も知らない。
それはもう決して、年寄りばかりではないけど、
とにかく治らないし、治せないために、
どこか身体を診てもらう人よりも、治す側の立場にある人の方が苦しんでいる。
しかも、患者よりも身体の具合が悪い先生が多い。
   
「先生、大丈夫ですかぁ?」
『ドリフの大爆笑』も架空ではなく、現実に近い。
下唇ベロンチョのオジサン。あの、お笑い芸人の頭脳、
昭和のテレビ業界に輝いた一輪の牡丹。庶民の茶の間を沸かせた功績は、
単なるエンターテイメントに留まらず、実は社会を諷刺するモノだった。
晩年の俳優人生の中で多くの者に慕われながらも、
亡くなる何年も前から病魔に冒されていた事実をひた隠し、
一日一日を精一杯の芝居にぶつけていたあの姿は、
やはり、「泣いて笑わせる」芸人魂。
そこにも俺は、幾つかの撮影現場で、反体制派の趣を感じていた。
…いつかまた、蘇ってください
   
   
決して、他人が他人の身体を治せるものではない。
怪我も病気も、何事も、やっているのは自分だ。
“他力本願寺”という寺が どこにあるのかは知らないが、
とくに自分の身体を無責任に扱って生きて来た人ほど、
相手に対して「治せよ!」という気持ちを抱いている。そういう大馬鹿者もいる。ときどきな。
あるいは、自分の身体が枯れて弱ってるくせに、
ちっとも素直でない お年よりの方々も世の中には少なくないが、
本人達の大半は、今から10年くらい前までは、
「私は絶対に惚けたくない」
「最期まで自分の身体は自分で運んで動かしたい」
と、幾分、そういう前向きな考え方を持っていた。幾分な。
今はもうほとんどない…と云っていいほど、他力本願。
せっかく、大戦争時代の世の中を生き抜いて生き残った命なのに…。
必要以上に経済を追求し、追求させた戦後教育と社会常識のレールに敷かれた人生が、
これだ。この始末。
そのほかにもいろいろと、
“教育を重んじたこと”による日本人の愚かなザマは、まだまだいっぱいあるけど、
今日は、“破壊された人間の母体”や“食生活の崩壊”の問題より、
高額医療費と日本経済の関係において、
世間の常識が今まで通りとは違ってきたという話を中心にしている。
   
「バリアーフリー」ということで、
住宅販売業者も建設業者も様々に騒いで、祭り(…それなりのキャンペーン)を実施して、
「人が暮らしやすい住まい」とか、「将来に備えた環境への配慮」とかを考えてはいる。
国も、何十年も前から、新設の小中学校は、
いつでも老人介護のための施設に造り替えられるように建ててきた。
その建てた場所というのも、地方では、旧い寺の敷地の墓場があったはずの上や、
誰も知らない塚(基本的に墓地)だとか、古墳があったはずの空き地のど真ん中まで、
ところ構わず、そういう施設や校舎を乱立させてきた。
子供を大勢つくろうとして、一時期の家庭のどこでも子供が産まれた時代には、
それが必要だったし、その人達が住む場所も、そういう学校施設の近所に設けられた。
山や野原を切り崩し、平らにして、そこへ人が住んで生活できるように開発した時代があった。
かつての江戸時代に、何百人もの首切り介錯をした処刑場の跡地が
明治初期頃まで全国で流行ったという“食肉牛の家畜牧場”に替えられた場所も、
そういうところを潰して高層マンションが建てられている地域もある。
しかも、使った材料は、すべて輸入資材。
柱も梁も、戦場付近の死体置き場にされていた山林の樹木を伐採した物かも知れないし、
壁の材料も、どこの怨念が染み憑いた場所の粘土かは判らない。
売れれば何でもいいから、どんどん使う。
2バイ4の材木も、クスリを染み込ませれば安全だ。
開発に開発を重ねる場所も、「神主が払えば問題ない」と思い込んでる人もいる。
その神主の居る社務所がある神社でさえも、塚の上に建てられた場所もある。
土地や材料が呪われているというわけではなく、
そういう所に平気な顔をして住んでいながら、
「頭が重い」「身体が苦しい」という原因不明の症状を訴えている人も…
世の中には少なくない。
人間の心の容器である肉体は、
それを支配して動かすはずの心(魂)と共に、
そこにある血液の流れも、排便も、排尿も、呼吸も、性欲も、
バランスよく動き、思考する状態が保たれていればいいものを
どこか一ヶ所でも肉体に支障があると、
その中にいる人の心は悩み、苦しむ。
そして場合によっては、そんな不釣合いな心と身体の状態が続くと、
その肉体に居心地悪い心は醜くなってゆく。
誰かと喧嘩をするかも知れないし、いがみあい、離婚を考える人もいるかも知れない。
巡り逢った時には「確か」と想った心であっても…。
そしてまたあるときは、時間を無駄にしたように思えてしまう心が、
自分を許せなかったり、様々な嘆き悲しみを憎悪に替えてしまう人もいる。
中には、肉体という全身の筋肉に流れる血液の循環が狂っているために、
自分とは別の意識に、完全に肉体をのっとられてしまう人もいて、
ある日 突然、そういう建物の上から飛び降りてみたり、
他人を突き落としてみたりする人までいる。
できた結果で物を言っても意味はない。
どんな事件や事故も災害も、何かが起こる以前の、ずっと前に、
必ず原因がある。
   
そして、この地球上には、人間が使っていい場所と、使う許可が与えられない場所もある。
それは、海であっても山であっても、河も、渓谷も、どこにおいても、
自由に好き勝手に切り崩したり、埋め立てたりする以前に、
そこでなんとか頑張って、「死んだあとの自分を慰めてもらいたい」というほど、
彷徨ってる者もいる。…動物ばかりではなく。
   
それでも、そんなことは “戦後の成り上がり改革”の知ったことではない。
その後、近年の東南アジアにどんな災害が起ころうとも、
眠っていた者を揺り動かすという危険は、誰の眼にも見えないし、判らない。
とにかく、資材の輸入、搬入。
ここで生産が間に合わなければ、人を雇う賃金がもっと安い、東南アジアへ工場を建てる。
「みんなでアジア諸国を開発しよう! きっと途上国の地元の人も喜ぶ」
…本当にそうだったのか? 
あのジャパニーズ・ドリームは、
ウサちゃんの飼育小屋のエコノミック・アニマルの“騙り”ではなかったのか? 
ジャッピーさんも、ニップスさんも、猿マネとボロ儲けが得意だった高度経済成長期の40年余り。
他人が拵えた物も、それ以上の精密精巧品質の品々を生産する巧みな技と、
これまた巧みな話術で諸外国に騙し売り捌く。
騙された方も喜んで大量に買い込む。
「二ホンのシナモノは上質デスネェ!」
どこが?
   
マニュアル通りに作ったクルマやストーブの危険な欠陥商品は、諸外国でも使われている。
あるいは、
耐震基準から外れたマンションやホテルが幾つある? 
“姉歯のイタズラっ子”だけがやっていた問題ではない。
世の中が今までの常識通りに包み隠せば隠すほど、
問題は将来へ先送りにされる。
「そんなの知ったこっちゃない。オレはもう惚けているんだ!」
という無責任なお年寄り(戦争体験者)の面々は、
世の中に無責任な以上に、自分の肉体という城に対しても無責任。
何もかもが他人任せ、右や左の旦那サマ次第。
住んでいる場所も、もうどうだっていいほどだ。便利なら。
   
設備も万全。
「この水道の蛇口は、どうやって ひねったら水が出てくるのか?」
それを見て、すぐ判る人も判らない人も関係なく、
必要以上に便利さを追求し、設備投資にカネをかけてきた。
真新しい設備や機械、器具の使い方も、
そのマニュアルや取扱説明書の中身にしても、
判らない人に対しては、
「お前にも やればできる」
親と教師と、塾の先生が けしかけて、
戦後、新しい日本の社会常識を子供たちに教え込んできた。
そしてまたまた人件費の値上げ、設備投資。
次の年も、人件費の値上げ、設備投資。
石綿(アスベスト)もいっぱい使ったし、
学校の裏庭の焼却炉では、掃除当番がこぞって、
プラスチック樹脂も、インクやゴムも分別することなく、
ゴミはゴミで平気で何でも燃やしていた。
みんなでその煙を吸い込んで生きてきた。
今はもう、「それはやってはいけない」と教え込んでる。
常識が変わった。
それでも、しばらくは、人件費の値上げ、設備投資を繰り返して、
民間人の一般消費も、買った洋服は値札が付いたまま、
高級桐箪笥に似せた箪笥や、全国のローカル営業の家具屋さんも困るほど、
幽霊が居座る備え付けクロゼットの中へしまっておいた。何着も。
下着も、お父さんのお気に入りのパンツは二枚か三枚なのに、
いっぱい買ってしまうお母さんもいたし、
お父さんは、浮気相手の女子高生にも、誕生日プレゼントにパンツを貰った。
   
「あら、あなた、コレどうしたの?」
「お前が買ったんだろぉ…」 (とぼける)
「そうだったかしら?」 (買った物を覚えてない)
   
世の中にはそれほど、物が余りに余ってしまって、
人々の関係も、カネの遣り取りも、スレチガイでいっぱい。
とくに、この日本においては、必要以上の教育によって
一人一人の頭が良すぎてしまうことになってしまった。 (この辺りは、現代のフランスも同じか…)
そして、世のお父さん方は、“賃金値上げ”の常識の中で仕事を頑張った。
お母さんも、一生懸命、パートで働いた。
子供も、親や学校の先生を見習って、塾へ通って“お勉強”にカネを賭けた。
そして社長(中小企業経営事業主のみなさん)は、
「ここにビルを建てたい」「ここに駐車場を用意して、自動販売機も置こう!」
などと考え、必要以上に設備投資を繰り返す日々に明け暮れた。
誰も買わないような田んぼや畑の脇に、自動販売機が必要なのか? 
   
「オレは港から山の中まで長距離トラックを運転していて、
途中、喉が渇いたときに いつもあそこのガード下で買ってるんだ!」 (一番星の運ちゃん)
   
「よし、ここは売れるぞ! 先週 補充した分が、もう売り切れてる
もう一台 横に同じ物を設けよう!」 (缶ジュースの業者)
   
そして、他国から水を注いでもらわなければ生きては行けない盆栽国 日本は、
国中が次々に設備投資にカネをかける中で、
それらの設備を使いこなせなくなるまで飽和状態になってきた。
そこで頭のイイ社長さんは考えた!
   
   
   
   
   長いけど、つづく  ☞ http://ameblo.jp/badlife/entry-10013032660.html