あの素晴らしい愛をもう二度と | “Mind Resolve” ~ この国の人間の心が どこまでも晴れわたる空のように澄みきる日は もう訪れないのだろうか‥

2005年 10月30日。
昨日から今日の俺の気持ちは
見事に荒んでいる。
いつもの 南パワー は減退気味。
で、こんな歌を唄いたい気分。
   
あの素晴らしい愛をもう一度』という文部省唱歌のような歌に
俺は新たな歌詞を想いついた。
   
みんなも、そのメロディで唄ってくれ。
よかったらな。
   

   
    遠い夏の日~ 二人で行ったぁ~
      浜辺の~ 波は~ 今も かわらないけどぉ~
       あのとき おなじ貝殻に
        耳をあてて聴いた二人のぉ
         こころ~と こ~ころがぁ~
          今は もう かよわ~なぁ~い~
           あの 素晴らしい あ~い~を もぉ~い~ち~どぉ~
 
   

   
今日は、そういう気分なんだ。
・・・心と心が通わない。
一緒にいる家族なのに。
   

   
俺の書く文章は理屈や、表現能力の貧しさが多く、
決して普遍的ではない。
どのページをとっても。
ときどき、かつての

自殺願望を持って中途半端に生きてた時期と
「今どうしても生きなければならない」という
これまた中途半端な意識のギャップが絡み合って
頭がパンクしそうになることもある。
   

・・・この思いは 人には・・・他人には判らないし
伝わりにくい・・・
どうすりゃいいんだ。
この弱っちぃ男。

   
   

例えば、「現代の日本の教育がおかしい 」ということを
その疑問を
様々な形で表しては来てみた。
今日まで。そして明日からも・・・きっとな。
ところが、
いま俺が勤めている酒蔵の杜氏さんの一言はこうだ。
   

「世の中、それぞれ、グー・チョキ・パーを出す人間がいて
それを誰でも”グー”を出させてしまうようにする教育は
おかしいな・・・」
   

なんてキャッチーで、判りやすく普遍的な表現。
俺にはない。
そんなセンスは。
   
杜氏さんは俺よりも若い。
   

自分が生きるために何が必要なことなのかを見極める力は
年齢には関係ないと思うけど、
杜氏さんからは日々、教わることが多い。
人間的に。
俺のほかに、6人の若い蔵人【くらびと】(従業員)がいて、
新人もいれば、七年、八年のベテランもいて、
それぞれが男だから、常日頃、いろいろな ぶつかり合いもある。時には。
そういうことは、酒づくりにおいて、
冬場のシーズン中、ほとんど休みもなく
ぶっ通しで”酒づくり”に取り組んでるから、
疲れもある
し、睡眠不足で多少なりとも
仕事の進行状況によっては、苛々したりすることもある・と思う。

   
それでも杜氏さんは常に明るく、
我々の体調に合わせたスケジュール、仕事の段取りを組み立てて
一人一人が休む時間を考慮し、
常に無理のない生活ができるように考えてくれる。
しかも、年間にして、およそ三千石という量の酒、
そしてその、十数種類の酒を造り別けることに
何のマニュアルもない。
ただ、数枚の箇条書きにされた”スケジュール表”があるだけだ。
しかも、5年連続で全国の新酒鑑評会の金賞 を貰ってる。
俺は今まで、こんな 頭のいい人を見たことがない。
   
周囲の人。造りに携わってない、それぞれの家族以外の第三者は
そんな杜氏さんのことを「天才」だとか「アーティスト」だとか言う人もいるけど、
杜氏さん 本人は、全然そんなこと思ってない。
そして何よりもスゴイことは
自分達の造った酒に揺るぎない自信を持っている。
これは、杜氏さんの右腕である蔵頭【くらかしら】も同じだ。
   
で、今日、その頭が、
俺が自分の家庭の問題の云々で気持ちが荒んでいるアホな姿を見て、
「すいません、つまんないことで迷惑、心配かけて」

などという俺の言葉に、
「一緒に同じ部屋(蔵)の中にいて、兄弟みてぇなもんなんだからよ・・・」
と、云ってくれた。
そんなことを云ってくれた人も、これまでの俺の人生にはいなかった。
しかも、わずか二、三年という付き合いしかないのに。
   
   
つい昨日までの俺は常に、
人の目を疑い、他人の言葉を疑い、
自分が毎日、口の中へ運ぶ喰い物でさえ、
そのすべてに「毒が盛られているのではないか?」
そう疑って生きてきた。
人なんて信用しない。誰も。
だいいち、自分自身の存在すら信用できなかった。
十七歳の時から32歳までの15年間、
そんな馬鹿げた生き方をしてきた。
で、頭の中にあったことは、すべて
カネ、カネ、カネ。
カネがヒトを回して、世の中を回して
カネが人間の魂を支配してしまうもんだと
勝手な納得の中にいた。
   
   
それが、ある日、
そういう薄汚くなった自分の存在をクリアにしてしまうほどの
俺の分身のような存在。
その、子供の誕生によって大きく塗り替えられた。
2000年、7月23日。
その一龍【いちろう】は、今年で5才。
もうすぐ七五三だ。
俺の奥さんが大切に保管して用意してある袴を着せて
お祝いをしなければならない。
   
もう、生きることに怠けてはいられないはずなのに、
いま、その5歳になった、
俺のすぐ側で5年以上も生きてくれた その子供が
「お父さん、今日はボクと遊んでね」
と云う。
   
「ダメだよ。今 コレやってるから・・・」
   
その問いかけに、俺の返す言葉は10回に11回は
そんなふうに寂しい気持ちにさせてしまってる。たぶんな。
   
   
今、このブログに書いている以外にも
俺には書き続けなければならないことが山ほどある。
それが何のためなのか?
カネにもならない。
誰も読まない。
読んでもらっても ほとんど意味が通じない。
   
人間やめて、もう一度やり直せるものなら
そうしてみたいと思うこともあった。
でも今は、こんな俺の、そのスグ近くに
俺の分身の存在があって、
それが一生懸命に毎日を生きててくれるから
もう、そんなことを考える必要もない。
   
必要もないのに、
2001年の2月14日の未明に クタバっちまった ある一つの存在が
今日の俺の在り方に疑問を投げかける。
   
俺は今、どうしてここに存在するのか。
   
誰か応えられる者がいるなら答えてみろ!
  
それを大声で叫びたい気分だ。
・・・実際に叫ぶことも しばしばあるけど。

   
   
佐渡はもう寒くなってきた。
39回目の冬が来る。
もうどこにも逃げ場のない冬。
   
この佐渡でも、30代、40代で
自分の息の根を止めてる愚か者が毎年 増え続けてるという。
年間、何万人にも昇る自殺者は低年齢化し、
戦前戦後、高度経済成長期、飽食期と繰り広げられた”日本人の恥”も、

今や”自殺する”という凶悪犯罪を流行化させてる有様・・・。
   
ガソリン被って丸焦げの姿で庭に横たわってみたり、
首に縄をかけて 体重で釣り下がることで
身体の線を断ち切り、身体中の穴という穴から汚物を垂れ流してみたり、
朝夕のホームから突進する列車に突っ込んで
身体をグニャグニャにして満員電車 止めてみたり、
建物の屋上に靴を揃える間もなく地面に顔をメリ込ませてみたり、
山中に勝手に放置した車の中、
排気ガスが噴き出るホースを咥え、紫色に くすんだ面で白目を剥いてみたり、
誰の何の迷惑も考えない。
自分で自分の何かをコントロールしてるわけでもない。
   
俺の父親の兄貴なんて、
青酸カリを酒に混ぜて呷りやがったアホだ。
カッコつけて、綺麗な死に顔だったらしい。即死状態で。
   
その広島の土地と佐渡では まったく違う場所なのに
俺をそっち側へ引っ張り込もうとする力が俺の中に残ってる。
まだ僅かに。
で、新たに暴露するけど、
妻の父親の兄も、かつて自殺を図って この世を去ってるらしい。
その事実のすべてを具体的には まだ訊いてないけど
俺は その家系に嫁いで
いま現在、佐渡に存在してる。
   
俺の行き先々、どうして・・・ 
右を見ても左を見ても、他にも自殺者が数人いた。
俺の生きてきた過程の、
そのスグ隣り合わせに。
   
理由はそれぞれが違う処もあれば
似たり寄ったりの奴もいる。
・・・互いに ひっぱり合ってるのか?
馬鹿の繰り返しみてぇに。
   
俺はもう卒業したよ。そんな身勝手なことは。
   
絶対に負けない。そんな”
傾き”には。
引っ張るんじゃねぇ。
   
   
   ” Till The Next Goodbye ”            Real Player Open    
   
   

The Rolling Stones
It's Only Rock 'N Roll  より。

      
春になって、ストーンズのステージ を一龍と一緒に観れば
少しは俺もマトモになるか?
無理かな?

   
   
   
        yokohama2001

   
くたばって たまるかよ。
五体満足なのに。