桶洗い唄 | “Mind Resolve” ~ この国の人間の心が どこまでも晴れわたる空のように澄みきる日は もう訪れないのだろうか‥

   
   
ドイツ、フランス、イタリア、台湾、北京、上海、ロサンゼルス…と、
ここ数年の間、佐渡島内・島外はもとより 海外へ出荷する率も高まり、
エール・フランス国際線のファーストクラス(およびBC)に、
日本酒は“真野鶴の大吟醸 ”のみが専用機内酒として選ばれている。
 
 
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しかも、平成16年度 全国新酒鑑評会5年連続金賞を受賞した蔵元として、
今の30代の杜氏さんは、初めて杜氏に成った年からの五つ星。
そればかりでなく、真野鶴という銘柄の蔵元、尾畑酒造㈱という会社には
地元では6軒の蔵元があるうちで、団体旅行の観光バスが
日に30台以上は蔵見学に訪れる観光客を運んで来る。
その年間 何千万というお客さんを連れてくる契約、
各旅行会社との交渉はすべて、一人の営業マンの企画で成り立ってる。
佐渡へ観光へ来て、まず、(アルコール共和国の)真野鶴の蔵元
立ち寄らないという人はいない。
というか、佐渡へ来て「真野鶴 を知らない」という人は珍しい。
…絶滅危惧種の朱鷺の存在みてぇなもんか? 
それほど、今後これから観光事業で生き延びるしか手立てがない
佐渡という島国において、
真野鶴という蔵元 は、昭和58年より蔵見学を実施し、
社会的にも大きな役割を果たしている。
そんな酒造元は全国4000軒近くある中で一軒だけ。
今の日本にはまず他にない・と思う。
   
どこがそんなに他と違うのか?
まず、センスが違う。
気合が違う。
造っているモノに対しての自信は当然ながら、
それ以上に、相手をもてなし、相手を思いやる気持ちが違う。
社長も副社長もハンパではない。
   
残念なことに島内の”元気のないお年寄り”の方々は
そういうこと(観光事業)に ほとんど興味がないのか、
昨年、“佐渡市”となって新たなスタートをしてからも、
島の活性化に前向きな姿勢を示している方々は非常に少ないように思う。
佐渡島外から こちら側へ渡ってこられる人達に対して、
交通料金の面でも各事業所のサービスの面でも
とにかく、頭の構造が旧い。運輸関係とかも含めて。
…そればかりか、
観光客ばかりでなく、「誰かを迎える」という心意気を踏みにじるように
一部だけど佐渡農協の職員の汚職。
あの三人組なんて、島のイメージを更に崩すことしかやってない。
しかも役職ある立場でだぞ。平じゃない。
そしてその問題を言い訳をするようにフォローする行政。
個人情報保護法が聞いて厭きれる。
何のための“組合”なんだ?
今年なんて、長年に渡る鈍間な計画によって
佐渡の米が売れずに大量に余ってる現状がある。農協倉庫に。
新米が古米より余ってどうするよ。
何年もかけて田んぼの手入れをして、
一年間、一生懸命に稲作をやった人だけがバカを見てる。(見せられてる
そんなの疲れきっちまって、観光事業なんて そっちのけだ。
   
明治・大正・昭和の、もう”使い物にならなくなった常識”を
捨てることを恐れて、引き摺っている連中。
このまま、交流人口も減り続ければ、
佐渡という島は どうなってしまうのか?
“島ひとつ”を丸ごと“老人ハウス”にするつもりなのか?
老人ホームではない、ハウス!
   
日本全国、人間を”その日 暮らし”に満足させて育ててしまったのは、
やはり、戦後教育が悪い。
絶対に現代教育そのものがおかしい。紛れもなく。
その流れを見ていて、ただ通り過ごしただけのような戦争体験者の世代。
責任重大でしょ、次の次の孫の世代に対しても。
“アスベストの馬鹿騒ぎ”とか“スギ花粉の問題 ”なんて、その“いい例”だよ。
人間、死ぬまでたとえ死んでからも、魂を成長させるべきなのに
まったくもってして “魂の無駄遣い”が多い連中。
それが俺たち、今の日本人の有様だ。
かつて“神国”と呼ばれた国の民族として情けないね。
そういう意味で、純一郎さんの公式参拝に俺は賛成も反対もしない。
今の年寄連中が だらしのない生き方をしている限りは。
   
   
なんか、話があちこちに JR西日本になってしまって
まぁそれはそれで、今後、国の減反政策の問題と合わせて
もっともっと具体的にしていく。
“許せない事実”と”許されざる事実”、“許すべき事実”の整理。
   
ここは、“酒づくり唄”のコーナー なので、
話を元に戻して、
5年連続金賞受賞、(2005年現在)
素晴らしい観光事業への取り組み、
エールフランスと海外出荷...etc.
そんな、ほとんど パーフェクトの蔵元に
こんな俺が存在して失礼だよな。
「そうだよ。」
という伊藤さんの声が聞こえてきそうだけど、
その”伊藤さん”というのは、真野鶴の蔵元で17年間、
製造部(瓶詰と在庫管理)の責任者を勤めあげてきた人で、
3年前、俺が蔵の手伝いに入る以前に最初に教えてくれたことは
「酒の扱いっていうもんは、洗浄に始まって洗浄に終る。
これが基本だから、よく覚えておいてね」
ということだった。
   
   
そういう意味で、このコーナー、二回目に紹介する“桶洗い唄”。
“桶”【おけ】というのは何も風呂桶のような小さな物ではなく、
酒づくりにおいては、まず、
「甑」(こしき)と呼ばれる蒸し釜の上へ乗せるデカイ桶のことを云う。
一度に1t もの酒造米を蒸かすことができる容れ物。
ちなみに、今の俺の蔵人としての仕事は、
その蒸し米を毎日、釜の外へ掘り出す、「掘る」という作業。
また、そうした釜関係の布や道具、洗い場の管理責任者に任命されてる。
ありがたいことに
俺の前にやっていた人というのは、冬場の仕込みの半年間、
10月から翌年の3月までの間、それを40年近くも勤め上げたベテランの人だった。
蔵の頭は、
「お前が そのキャリアを受け継いで
今後どこまで仕込みをカヴァーして行けるかだ…」

毎年 ”命がけの酒づくり”をしてる職人の言葉には返す言葉のない俺だった。
で、いま現在は「甑」という呼び方は残っていても、それは「桶」ではない。
スズかステンレスで出来た金属性の釜で二段になってる。
高さにしておよそ2メーター50くらいか。
下の釜に水を張って、1200度の蒸気に変えて上の釜の酒米を蒸かす。
キャンバス地の布の蓋を外す時に火傷に注意しなければならない。
その大型の釜の周りに足場を組んであって、その上へあがって、
専用のスコップで蒸し米を掘る作業。毎朝8時から。
仕込みの米の量が多い時で90分間くらいは 通しで息は抜けない。
蒸し米の温度は待ってくれない。
その日の気温と米の“精米の度合い”、
麹米として乾燥させる前の段階の温度調節。あるいは、     
「添え」「踊り」「仲」「留め」といった仕込みの仕方に応じて、
その冷まし方、乾燥のさせ方が微妙に調節されるので、
掘り出す作業も、分刻みで進められる。
その後に蒸し米を巻いていた大量の布や道具を洗う作業も、
迅速かつ丁寧な動きを必要とされる。
言葉では簡単に書いてるけど、やってみると簡単ではない。
最初の年は、そういった一連の作業についていくのがやっとだった。
かつて俺が経験した様々な職種、
水道設備工やコンサート・ステージの設営と撤去、築地の氷屋、
“その筋の人”の下で働いた水商売暦、舞台裏やドラマ・映画制作の手伝い...etc.
“常に生きているモノを造る”という仕事は、
そういうものと比べものにならない。
   
要するに、妥協は許されない。家の稲作に並んで…。
で、昔は、そういう“釜の仕事”も、桶が全部、木工だったので、
酒づくり が はじまる前に職人が組み建てて
酒づくり が 終ると「甑倒し」【こしきだおし】ということで分解される。
その、はじまりと終わりにバラバラになった状態の「桶」の板を洗う作業が
“桶洗い”ということになる…と思いますが、
専門家の方、これでよろしいでしょうか?
   
   
   
(二) 桶洗い唄 シゴキという竹製の道具を使って桶を洗うときに唄った。
   
     一、洗い下げかよ 浄めの桶か
         洗い下げなら わしも出る
     一、桶が鳴るかよ シゴキが鳴るか
         桶とシゴキが 合えば鳴る
     一、声はすれども 姿は見えぬ
         可愛いお方は 桶の中
     一、碓氷峠で 烏が鳴けば
         妻の身重が 気にかかる
     一、酒屋さんとは 知らずに惚れた
         花の三月 泣き別れ
     一、可愛いお方の 声だと聞けば
         眠い目もさめ 気も勇む
     一、うちのかみさん 花ならつぼみ
         ござるお客が さけさけと
     一、可愛いお方の 流しの時は
         水も湯となれ かぜふくな
     一、連れて行くから 髪結い直せ
         世間 島田じゃ 渡られぬ
   
     sadoshyushi1500
   『続 佐渡酒造誌』(新潟県酒造組合佐渡支部) の抜粋による。
   
   
最初のページでも書いたけど、いま現在は、
こんなふうなことを歌いながら作業をしている人は誰もいない。
杜氏さんと頭の人柄によって、
わきあいあいとした職場の雰囲気はあっても、
作業そのものは黙々と進められる。絶対に手は抜けない。
しかも、どんな時も怪我をしないように注意を払わなければならない。
佐渡も雪国なので、
酒の仕込み作業というものは寒ければ寒くなるほどキツクなる。
…出品用の酒米などは一番寒い時期に、氷水を作って素手で研ぐ。
そうした仕事の中で何よりの喜びは、
自分達が仕込むモノが、「もろみ」として発酵して酒に変わって行く姿。
“唄”の中で「可愛いお方」などと表現されているのも、
“酒”のことを そういう表現に喩えていたと思われる。
もっとも、この場合は「桶」そのものも「甑」とは別の
仕込み用の大きな桶”ということになるけど、
そういう意味では、事実、今の蔵頭が
仕込み用タンクの中に仕込まれた吟醸酒の もろみ を見つめながら、
「…自分の子供のようだ」と云っていたのも覚えている。
だからこそ、酒が酒として出来上がり、新酒として“火入れ”され、
徐々に瓶詰めがはじまる頃…その、「甑倒し」までの間は、
誰もが絶対に気を抜けない。
   
“甑倒し”というのは、前述した通り、
木で作られた大きな桶を分解することだが、
甑。すなわち「桶」という物は、その昔、各蔵ごとに
桶を作る専門の職人がいて、(…一隻一人の船大工のようなものか?)
その技術は宮大工の粋を超えていたと云われている。
それほど、“酒をつくる”という行為、仕事が神聖なモノだったんだなぁ…
と、俺は思うわけ。
   
そういう仕事に携わっているからこそ、
農村農家のつくる米、一粒一粒をドブに流すように
バカにするようなことをやってる連中は許せないし、
米泥棒や闇米屋 なんて ぶっ殺してやりてぇくれに思うこともある
メッタ刺しで。
(… 2005-10-23 09:55:32 のコメントへの応え 参照。)
いま現在の俺に限ってのことでもねぇけど、
自分自身の生活、その一年が、稲作から始まり、
田植え、稲刈りを経て、冬場の酒づくりを自分の目で観て生きていると、
現代の地球上の、常に激しい自然界の変化に晒されてる人の苦労が
俺にとっては他人事ではない。
備蓄米を平気で捨てて
減反政策の書類にハンコ押してるだけの
霞ヶ関の人々には他人事でもな。
   
   
   
     次回は、“米洗い唄 ” ね。