米洗い唄 | “Mind Resolve” ~ この国の人間の心が どこまでも晴れわたる空のように澄みきる日は もう訪れないのだろうか‥

   
   
前回の“桶洗い唄”のページ の中で、
「ちょっと おかしいぞ」
と、気づかれた読者の方がいるかどうか…判らないけど、
俺の人格の云々の話し以前に、記事中の本題の内容で…。
自分の仕事の説明をする都合上、
「桶」というものを「甑」(こしき)と呼ばれる蒸し釜の上へ乗せる桶
に限定してしまっているような云い方をしている。
これはおかしい。
いい加減なことを書いてはいけない。
お詫びと訂正をする以前に 一から出直して仕事に徹するべきだな。
で、
一度に1t の酒造米を蒸かすことができる容れ物”としての甑も
昔ながらの木の作りであれば、見た目には大きな「桶」には変わりないが、
甑には、底の真ん中の部分に穴が開いている。
そのような作りの底へ、竹で作った丸型の仕切りを置いて、
その中心の穴から酒米を蒸すための蒸気が吹き上げてくる仕組みになっている。
だから甑は甑で、厳密には「桶」とは呼べない。
そもそも、“各蔵毎に一人いた”とされる“桶を作る専門の職人”にしても、
年間、それだけを造っていただけのような話になってしまうし、
そんな怠けた作業者が今も昔も酒づくりの世界に存在するはずがない。
   
今日一日、蔵元で仕事をしながらも・・・・よく考える以前に判りそうなもんだけど、
…馬鹿な俺を許すか・許さないの判断は読者にお任せする。
で、「桶」というのは、現代の酒づくりにおいて何を指すのか? 
それは、いわゆる“仕込み用タンク”もしくは”もろみタンク”
と呼ばれる”鉄製の桶”のことを云う。
大きいもので一升瓶の酒が4千本前後の量も入る大きなタンクがある。
それは、“仕込み蔵”と呼ばれる一年中 涼しい場所に、
例えば真野鶴の蔵元であれば 30本ほど立ち並んでいる。
そこへ、三段仕込み、四段仕込み という具合で酒を造ってゆく。
そういう鉄のバカでかいタンクが、昔はすべて、木で作られた「桶」だった。
それは酒蔵に限らず、醤油も味噌も一緒だった。
かつての佐渡に14軒もの蔵元のほか、味噌も醤油も専門の蔵元があって、
そういう桶を使って仕込んでいる場所(会社)は今でも、佐渡以外にも存在する。
で、そういう樹木を材料にして、そんな巨大な物を
仕込んだ中身が外側へ絶対に漏れないような桶を造る技術。
これは丸みを帯びている部分を正確に噛み合わせなければならない。
“木の性質”を知り尽くしてないとできない技…だと思う。
また、当時の酒づくりにおける「桶」には作業用の道具として
盥に似たような物もあれば、
柄杓のように短い柄のついた物もあったらしい。
   
こうなってくると、桶を専門で作っていた職人も忙しいし、
「当時の宮大工より優れていた」
という解釈を持ち出した俺の話の筋も通ってくる。
…勝手なヤツだな、まったく
で、そういう「桶」(仕込み用の大型の桶)も、
明治、大正、昭和の時代の移り変わりの中で、
ほとんどすべてが鉄製のタンクに替わってきた。
要するに、管理・衛生等の面でも、現代の酒づくりに合わせた様式の物になった
ということになる。
仕込み用のタンク。そして貯蔵用のタンクも、今ではステンレス製の物もあれば、
ガスを使って冷却温度を調節するサーマル・タンクという物もある。
とくに、そうした特殊なタンクには高級酒米で造られる吟醸酒などが仕込まれる。
木の桶では絶対にできないという味わい深い酒も
戦後の米の品種改良と共に色々に発展している。
   
さて、前回までのページの修復箇所は他にもまだありそうだけど、
そうした問題は、今後、俺自身が、
酒づくりの一つ一つの仕事を覚え、教わっていく中で
納得のゆく形にして行き…ます。(お願いしますよ
で、今回、三回目。
“米洗い唄”。
この唄においても、“研ぎ桶”という、
米を洗う際に使われる“専用の桶”が作業に使われていた事実がある。
   
酒米というモノは、飯米。炊いてゴハンにして食べる米とは、
本来は、ちょっと品種が違う。
“多用途米”と呼ばれる米を食べている ご家庭もあると思うけど、
酒造適合米というものがメインに使われてるようです。
その品種にも色々あるんだけど、仕込み二年目の俺は、
その隅から隅までの全部を知っているわけではないし、
酒米の種類の違いによって米の研ぎ方(洗い方)の違いも、
真野鶴の杜氏さんのようにセンスよく熟知しているわけではない。
精白された米に浸透する水分の加減というモノは、そのすべてを
どうやら教えられて確立できるモノではないようだ。
やっぱりそこにも、一人一人のセンスの違いがあると思うし、
勉強や努力をしたからといって誰にでもできることではない…な。
それは、“持って生まれた能力”の違い。
何が自分の得意分野なのかを よく心得た人でないと可能ではない
と思う、実際に。
ただ、酒づくりの作業の全部が全部を
たった一人の人間の力で できるわけでもないので、
そこに杜氏さんの右腕となる蔵頭をはじめとする蔵人【くらびと】の存在がある。
だから、この“米洗い唄”も、
かつての酒づくりをしていた、そうした蔵人たちの間で歌われた
“作業唄”ということになる。
   
   
(三) 米洗い唄 とぎ桶の中に一斗ずつの米を入れて足洗いするときに唄った。
   
     一、とろりしゃらりと 今とぐ米は
         酒に造りて 江戸へ出す
     一、江戸へ出す酒 名乗りの御銘酒
         酒は剣菱 男山
     一、男山より 剣菱よりも
         わしが好いたは 色娘
     一、娘島田にゃ 蝶々が止まる
         止まるはずだよ 花じゃもの
     一、花と見られて 咲かぬも口惜し
         咲けば実がなる 恥ずかしい
      サアー イー返しだ

   
      sadoshyushi1500

   『続 佐渡酒造誌』(新潟県酒造組合佐渡支部) の抜粋による。
   
   
酒づくりに限ってのことでもないけど、
一定の分量の米を研いでいる時間というのは
他の洗い物の作業等に比べて神経は使うものの、
そんなに長いもんじゃない。
だから この唄も それなりに短い。
五つの節で研ぐ時間を計っていたと思われる。
   
で、上の本に記述されてる内容で、もうひとつ、
“米とぎ唄”ってのがある。
こっちの方は、ちょっと豪快な感じのする内容で
やはり、決して、ゆっくりと時間をかけては米を研いでいない様子が伺える。
   
   
 米とぎ唄  《野積流 = 寺泊町酒造従業員組合》
   
     アアー とげとげ [ はやし ]
     若衆ナーヨー とげとげや 東がしらむ
       館ナーヨー 館でヤ アラ鳥が啼く
     何んぼ 館で 鳥なくとても 
       明けりゃ 知らせの 鐘が鳴る
     鐘が鳴るかや撞木(しゅもく)が鳴るか
       鐘と 撞木の 愛 [相] が鳴る
     若衆 とげとげ とぎ上げて煙草
       煙草 吸わせる ながながと
     わたしゃ このとぎで おなげと思うた
       これで おしゃんか お目出度い
     余り 目出度いので 今一ツ頼む
       千秋楽とは お目出度い
          ああ まかして おなげだヨー [ はやし ] チョイチョイ

   
   
と、こんな感じで、どこか芝居じみた(芸能的な)ところも感じられる
ような気もするけど、本来の日本酒というモノの酒造、
“酒づくり”は、決して、“アート”ではないので、
そうした類いの方向へゴチャマゼにされると、どこか、
“神聖なモノ”の価値が薄れてしまうような気もする。
…巷では ワインもバーボンも 造る側を
「アーティスト」とか言ってる輩もいるけど、
自然界の中で生きる職人の魂と“芸術の云々”は一緒のモノではない
ということを よく理解した方がいい。
音楽としての「唄を楽しむ」という意味では、
芸術がどうのこうのの以前に、
人が日常に生きる、ごく自然な行為なので、
その道でメシを喰ってる歌手とかプロのミュージッシャンとは まったく違う。
それについては、このコーナーで最初に紹介させてもらった、
流し唄”に記した内容 をよく読んでもらうと判る・と思う。
で、この”米とぎ唄”に似た内容で、 
目出度づくし”という唄もある。 引用本文の185ページ
そっちについては、内容がちょっと複雑な部分もあるので、
また次の機会に紹介することにする。
   
ちなみに、ぜんぜん別の他のページでも触れたけど、
俺が現在 働かせてもらってる蔵の杜氏さんは煙草は吸わない。
   
例えば、本来の人間に与えられた自然界の稲作ひとつにしても、
土を耕し水を張り、
そこへ苗を植えて肥料をやり、
水を調節して、作る者は常に稲を見守り、
また稲も、育ててくれる人間の思いに応えて成長し、
秋、借り入れる時も駆られることを望んで、
その場所にしっかりと根を張って立っている。
酒になる米も同様、
それは酒として仕込まれてからも瓶に詰められるまでの間、
常に発酵して生きている。
それを仕込む人、作る人は、
酒が酒としてできるまでは、自分が眠る一時を惜しむほど、
生きていることを常に確認し、それが成熟することを願っている。
酒は酒として、その気持ちに応えた味になる。
 
  
俺の解釈にも語弊はあるかも知れないけど、
そういう仕事をやっている上では、
とにかく、杜氏さんは、ぜんぜん煙草は吸わないから
冬場は俺も一日に吸う本数が限られてくる。
これから冬場、本格的な仕込みに入る酒蔵で
酒づくりの仕込みを手伝っている時も
指に付いたヤニ跡を取るために必死になって手を洗う。
でないと煙草の臭いが全部、酒米や麹に移ってしまうようで…というより、
酒造りの蔵という神聖な場所が穢れるようで自分で自分が許せない。
…止めればいいんだけどな。
気合の足らねぇヤツだな。俺も。
   
   
で、今日2005年10月23日は午後から神主さんを呼んで(…お呼びして)、
「今期の酒が しっかりとできますように…」
というお払いをしてもらった日だった。大安で。
一人一人、造り手の手に渡された榊を
蔵の神棚の下でお供えする。
一年のうち、
本格的な仕込みがはじめられる前の大事な儀式だ。
最後に神主さんに、御神酒(おみき)も注いでもらった。
一合ずつ一気に呑む。
気合です。
   
   
次回は、数え唄としての“数番唄”。四回目ね。
またね。