流し唄 | “Mind Resolve” ~ この国の人間の心が どこまでも晴れわたる空のように澄みきる日は もう訪れないのだろうか‥


 
酒づくり、酒の仕込みの手伝いの仕事については
これまで幾つかのページ で伝えてきたけど、
いま現在 俺は佐渡の真野鶴 という銘柄の蔵元で
蔵人(くらびと)の一員として働かせてもらっている
酒は、すべての工程において手造りの地酒、
米と水で造る日本酒しか造っていない。
(…酒ケーキとかチョコレート、酒粕漬けとかもあるけど、
それはそれで別の職人さん達がやってる。)

で、このページ俺のブログ内では、今のところ、
商品の詳しい紹介とかはやってない 。まだ。
蔵見学や蔵元の酒の試飲は一人で立ち寄られてもOKだし、
島内の販売だけでなく、本土の都心部にあるデパートとか
海外へも輸出してる。精力的に。
そういうこともとっても大事かも知れないけど、
それ以前に(今の俺にとって)欠かせない問題は、
 
  
   日本人が日本人として生きた、人間の歴史というか、
   一人一人の生活の中で、
   日本酒ってモノが何なのか? 
   
こういうことが、決して失われてはいけない、
“未来へ残すべきモノ”のひとつ
だと思う。
とにかく理屈の多い “mind resolve” だけど、
既に このブログは俺の身近にいる人達にも読んでもらっているので
いい加減なことは書けない。なるべく。
 
  
で、まずは、“酒と音楽”ということをテーマにして、
このコーナーをシリーズ化して行こうと思う。
要は、酒を造る上での様々な作業工程の中で
かつての職人さん達が唄っていたとされる唄の文句の紹介。
それを題材に、現在、自分が携わってる仕事の内容を
おおまかに説明させてもらおうかなって思ってる…んですよ。
お願いします。
ただそこには、ある一冊の資料を使わせてもらい…ます。
この本がそれ。
 
 
     sadoshyushi1500
 
212ページあって、佐渡(新潟)の酒づくりの歴史が、
これ一冊で すべて判ってしまうほどの内容。
酒米や井戸水の話から江戸時代の酒づくり、
その後の百年以上に渡る各蔵元の生立ちと現在までの歩み、
誰がどこで何をやったとか、
酒の種類がどのように増えて行ったかとか、
それこそ、詰める瓶の種類や職人の様々な工夫、試行錯誤まで
ぜんぶ載ってる。
こんな本は そんじょそこらにあるシロモノじゃない。
おそらく、これを読めば、「ポン酒はダメだ」というような人も、
明日から日本酒が呑みたくなる。…毎日じゃなくてもいいけど。
そういう意味では、真野鶴の杜氏さんや頭の腕による“今の酒”にしても、
“本物を造る側の姿”を知ってもらうことで
佐渡の旨い地酒のファンが増えてくれればいいな…とも願っている。
 
  
でも残念なことに、この本は書店には流通されてない。
あくまで、佐渡という島の中で酒造りそのものが生きてきた証…
としての資料として存在するモノに過ぎない。
で、その170ページから186ページまで、
“酒造り唄”というモノが丁寧に書き記されている。
以下、本文より抜粋。
   
   
 酒造り唄は、酒造り作業のときだけ唄われる「作業唄」である。
作業時間を計ったり、仕事疲れなどを癒すために唄われるもので、
『越後酒造り唄』の中で伊野義博大学教授が著したところによると、
酒造り唄の役目には次の六つがあるという。
①計時や回数確認、作業の開始、終了の合図、仕事をしている確認、
危険防止、作業の効率化、といったように作業を円滑にする役目、
②眠気覚ましや防寒のため、肉体的な苦しさを和らげる役目、
③ストレス解消、思いの発露、気分の高揚、といった神経的なつらさを
克服するため、
④いい酒ができるようにと祈る、
⑤仲間意識を培う、そして、
⑥歌う行為自体を楽しむ。
これらの役割を持って、それぞれの工程に合わせて酒造り唄が唄われた。
唄は酒を造るために存在していた、としている。
 もちろん、佐渡においても同じように考えられる。しかも、かつての佐渡の
酒男たちの多くは越後から来ており、したがって酒造り唄は越後のものが
ほとんどそのまま使われていたようである。あるいは佐渡独自にアレンジ
されたものがあるのでは、と佐渡在住の杜氏経験者たちに尋ねてみたところ、
    ---------------- 中略 ----------------
これらの唄は人から人への「口伝」であるために、歌詞も節回しも当然 地域差・
個人差があって、細かな点まで見れば杜氏の数だけのバリエーションがあった
と考えてもよいように思われる。そして、佐渡の各蔵元での酒造り唄がどうだったか
については、当時の酒男たちの唄を聞いてみるしかないのであるが、残念ながら
そのような録音や資料は今のところ見つかっていない。
 したがってここでは、佐渡に来ていた酒男たちの二大出身地である越路町と
赤泊町のうち、越路町に伝わっている酒造り唄を中心に、少し他とも比較しながら
書いてみようと思う。資料は「越路町酒造り唄保存会」がまとめたものと、
新潟県教育委員会発行『越後の杜氏と酒男』によった。
   
(一) 流し唄 本格的な仕込みの前の準備に、ササラという道具で酒造りの道具を
         洗うときに唄われた。
   
     一、越後出る時 涙が出たが
         今じゃ越後の風も嫌(いや)
     一、花の三月 泣き別れても
         菊の九月に また逢える
     一、越後出る時 褌(ふんどし)忘れ
         長の道中を ぶらぶらと
     一、酒屋商売 大名の暮らし
         前にろく尺 立てて飲む
     一、蔵じゃ親方 お頭よりも
         わしが好いたは 釜屋さん
     一、酒屋さんなら 来ないでおくれ
         一人娘の 気をそらす
     一、今朝の流しは 二番か船槽(せんど)
         仕舞い流しは釜屋さん    
     一、流し出た時 鬼かと思うてた
         抱いて寝てみりゃ 猫のようだ
     一、蔵で可愛いは 麹屋(こうじや)さんで
         炊いたご飯に 花咲かす
     一、入れておくれよ かゆくてならぬ
         私一人は 蚊帳(かや)の外
     一、雨の降る日と 日の暮れ方に
         思い出します かかあのこと
     一、猫にマタタビ 泣く子にお乳
         可愛いあの娘に 何をやろ
   
   
   
という具合に、こんな感じの“唄”が、
 
(二) 桶洗い唄  
(三) 米洗い唄  
(四) 数番唄  
(五) 酛すり唄
(六)
仕込櫂
(七)
切り火
(八)
二番櫂
(九) 三ころ

ほかに、
米とぎ唄
目出度づくし
  
という題名(?)で、冬場、寒仕込みの
その時期その季節における各作業工程に合わせて色々にある。
ただし、現代の酒づくりにおいて、
そうした唄を確かな形で歌っている職人が存在するかどうかは不明。
佐渡以外の地にも、酒づくりをしている蔵元は沢山あるから
そういった“生き証人”が、どこかにまだいるかも知れないけど、
俺自身、今年、二年目になる酒造りの手伝いの中でも、
そういう唄は聴いたことがないし、周りの人は誰も歌っていない。
だから“唄”の旋律や節、間合いについても、どんなものなのかは判らない。
   
ただ、今日ここに最初に紹介させてもらった唄の文句を見る限りでは、
流し唄”。これは主に、酒づくりに使われる道具のうち、
櫂棒【かいぼう】やタライ、ヨシズや麹室の台など、
木や竹で作られた様々な道具を水で洗う時に歌われた文句で、
仕込みに使う道具の全部をきれいに洗い流すという意味での
流し唄”ということだと思う。たぶんな。そして、
そこから始まる“今期の酒づくりへの期待”も込められて歌われた“唄”だと思う。
特に、佐渡地域での酒づくりは、巷の稲刈りが終って 、だいたいが、
10月上旬辺りから始められるので、まだ自然界には蚊もいれば、
秋の長雨もあっただろうし、仕事初めに自分自分の心のスタート(初心)
想う気持ちも、造り手の生活の中で非常に大事な部分がある 。…今の俺にもな。
 
  
 
  
で、次回は、二番目の “桶洗い唄 ”。
お楽しみに。