ここ最近、あきらかに不眠症になってしまった。


その前にも軽度のウツ状態――食欲もなく、だれとも会う気がおきず、

ただ1日1日をDVD見てゲームやって過ごす・・・という時期が2~3ヶ月ほど続いたことがある。

今年の2、3月ごろのことだったただろうか。


そのときには本当に自分でもどうしょうもなくて、

誰と一緒にいてももそのウツ状態から抜けられないから、最終的にはひとりでいることを選択した。


荷物を俺の家に運び込み、一生懸命に俺のために世話をしてくれると決心してくれた彼女にも、

おれから「出て行ってくれ」なんていってしまった。


いま思えばなんでそんなことをしてしまったのだろうかと思うけど、ウツ状態のメンタリティとはそういうものだ。


唯一の突破口といえば、仲のよい友人たちにあってたわいもない話のなかに身をうずめるか、

元気なポジティブなパワーを持った友人と会い、そのエネルギーを与えてもらうこと。

これが一番効果的だったと思う。あの本当につらかった何もやる気が起きない時期――ただ病院と

自宅を往復するだけ――の時期に、支えてくれ、

鎌倉まで足を運んでくれた友人たちには本当に感謝している。


そして、いまの悩みは不眠症だ。


処方された睡眠導入薬、睡眠薬、を飲んでも、だいたい1-2時間くらいですぐに目が覚めてしまう。

浅い夢のようなもの・・・たまに現実なのかどうかが曖昧になる――が連続しては頭に浮かび、

すぐに浅い眠りから目を覚ましてしまうのだ。


そんな日が5日ほどつづいたある日、ついに僕はブログへと向かう決心をした。

自分の心の中でのもやもややさまざまなアレコレ・・・を、ブログ(テキストを書く)という行為をすることで

なにか浄化できるのではないかと思ったのだ。


書きはじめてから、若干不眠症はよい方向にと向かっている。


そして、僕自身のメンタリティも、安定を取り戻しつつあるように思う。


これからも応援、よろしくお願いいたします。

どうやら、母から父へメールで連絡があったようです。


そうして、昼過ぎに父が病院まで車で迎えに来てくれることとなり、

一緒にお墓参りに向かうことになりました。


さらに父からの提案で、都内にある教会へ寄り、お祈りをしたいとのことでした。

父方の家系はある宗派の熱心な信仰家です。


宗教に関してはさまざまなものに対して僕自身はフラットに接しているので

(今度機会があればそれについては書かせてください)、もちろん快諾しました。

だってみなさんも仏教徒じゃないのにお寺とかふつーに行きますよね(笑)? それと一緒。


そして僕は、はじめてその教会に伺うこととなりました。

5年間通っていた大学のある御茶ノ水、

10年以上勤めている今の会社に程近い、秋葉原にその教会はありました。


そこで、驚くことが起こったのです。


なんと、父方の母――つまり僕の祖母がそこにいたのです。


僕の内覧の予定時刻もあり、父も急にこの教会にくることを決めたので、

もちろん約束などがあったわけではありません。

とても小柄な、やさしい雰囲気が全身からでるおばあちゃんでした。

思わず僕から柄にもなく抱きついてしまい、祖母もやさしくそれを受け入れてくれました。


「毎日ね、あなたのことを思ってお祈りしていたのよ。

――でもね、正直Kとは一度も会ったことがなかったから・・・イメージが湧かなくて(笑)」 

そういってかわいく笑う祖母。

「でも本当によかった。これでちゃんと顔を思い浮かべながらお祈りすることができるもの」


この驚きの出会い。

なんといっても、僕にとってははじめて会ったというに等しい祖母です。

神様が引き合わせてくださったとしか思えません。


そうして、僕と父はその後お墓参りへと向かいました。


不思議と、その日の僕は饒舌に、照れて話せなかった父への思いや、

最近読んだ父へのオススメの本、そして宗教論などをその車中で父と交わしました。


そして、2度目のお墓参り。 お墓の中の祖父へ、祖母と引き合わせてくださったことへのお礼を

心の中でのべながら手を合わせさせていただきました。


そうしてお墓参りを終えて、物件の内覧へと向かった僕。


そんなお導きがあったあとに訪れた物件です。

間取り、雰囲気的にも理想の条件を果たしていました。 ――その場ですぐに申し込み。


ふと「あの物件がそろそろ内覧できるんじゃないかな・・・」と、

頭によぎったことからはじまった今日というスピリチュアルな一日。


すべては神様・ご先祖様のお導きがあったとしか僕には思えてなりません。

なんとありがたきことでしょう。



深く深く感謝です。

「父との再会」で書きましたが、20年ぶりに父子の再会を果たした僕と父。



そのことをキッカケに、僕は今までに一度も父方のお墓参りをしたことがなかったのですが、

父と一緒に、ようやくする機会に恵まれました。

しかも、偶然にもその父方のH家のご先祖様が祀られているお墓は、

今の僕の住まいである鎌倉からほど近い霊園にあったのです。



父と約束したその日。――8月の真夏日。

前日から39度近い発熱があり、体はふらふらでしたが、せめてお墓参りだけでも・・・

と、父に迎えにきてもらい、お墓へと向かいました。


そしてはじめてのご挨拶――。

そこには父方の祖父と、幾名かのご先祖様たちがいらっしゃいました。

はじめて手を合わせ、心の中でお祈りをさせていただきました。


その後、父と海沿いの店でランチ。家からも近かったその霊園に、

今度は一人でも行ってみようと思いながら、ふらふらで帰宅。


それからしばらくが経ちました。


あるとき母に電話で「今度、ひとりで行こうと思っている」ということを、僕は何気なしに話しました。


そのときの僕は病状が悪化して7度目の入院をしていたときでしたが、投薬の経過観察の時期だったので、

外泊許可をもらい、引越し先の候補物件の内覧にいくことになったのでふとその前に行こうと思いついたのです。



その候補物件も資料ではまだ入居中とあったのですが、そろそろ内覧できるのでは? とその前日にふと思いつき、入院中にもかかわらず不動産家に電話をしたのです。

すると「ちょうど見れるようになりましたよ、まだクリーニング中で汚いですが・・・」とのこと。


9月の連休前でさっそく内覧の予約もいっぱい入っているとのことで

(おそらくほかの仲介業者の予約だったのでしょう)、結果、その担当者の押しもあり、なんと、

問い合わせをした翌日の夕方に行くことになりました。


連休前の直前にすべり込み、ほかの方には申し訳ないのですが一番に内覧させていただくことになったのです。


そんなことを電話で母に報告したのですが、すると、その当日に父から携帯にメールがありました。


「本日、鎌倉に行くのでよかったら病院まで迎えに行きます。

よかったら一緒にお墓参りもしましょう」




(後編につづく)

伸びっぱなしでカッコ悪いなと思って帽子で髪の毛をごまかしたり。

ワックスつかたけどいまいちキマらなくて「今日の俺はモテない」と落ち込んだり。


髪の毛を伸ばしていたころは、そんな瑣末なことが重要に思えて、

ときとして己の感情にまで影響を及ぼしていた。――たかが髪で。


だから、いつも格闘家やアスリートたちの潔い丸刈りに憧れていた。

ヘアスタイルなんていう、そういった余計なものごと――

まさしく「解脱」の意味するところの

「世俗的な束縛からの解放」がカッコよかった。眩しかった。


そして僕も、ようやくその位置に立つことができたような気がした。


そこで得たものは、まぎれもない「自由」だった。


そんな穏やかな気持ちに満たされながら、儀式は終わった。


そしてすぐさま、僕は上司にメールを打った。・・・やらなければならないこと。

それは、職場の仲間や部下たちへの病気のカミングアウト。

じつはこのときまで、外部や自分自身へのさまざまな影響を考え、

対外的には「肺の病気でしばらく入院」ということで情報を統一されていたのだ。

周囲へのがん告知は、まだ時期尚早に思えた。


しかし、もうこれでいわゆるがん患者的ビジュアル――脱毛した状態を、帽子でおそらくカバー

・・・になってしまったいまとなっては、もうそれも無意味だった。


会社を訪問する日取りを決め、

部内のメンバーには集合がかけられた。


さまざまな思いは胸中にあったけど、

やっぱり仲間たちに本当のことを告げることができるのは

どこかで嬉しかったのかもしれない。




いつまでもいつまでも、涙が止まらなかった。




(了)

そして、まだ彼に自分の病気のことをカミングアウトしていなかった僕は、

その後輩Hに電話ですべてを話した。


11月の病名発覚から入院。

即、抗がん剤治療に入り、そしてドクターのインフォームドコンセントにもあったように、

その恐れていた副作用が、キッチリ予告どおりの2週間後の今日、襲ってきたことを。


今日・・・。あ、クリスマス・イヴ!!


その先輩思いの後輩Hは、新婚1年目であった。


しかしそのおよそ3時間後。東京と横浜で美容院を2件経営している多忙の彼は、

愛車のメルセデスを駆って鎌倉にやってきた。仕事道具一式を持って。


自然と涙が止まらない。


それが脱毛による悲しさによるものなのか、

駆けつけてくれた神妙な面持ちの後輩への感謝によるものなのかはわからない。

すぐさまプロの面持ちになった彼は、僕の頭皮におこっている惨状をチェックした。


「・・・ぁ・・・これはすごいですね」


そして、「さっそくやりましょうか」と彼は言った。僕も無言でうなずいた。

時間をかけてゆっくりと、髪の毛との別れを惜しんでいるのは僕の心情的にもよくないと

彼は悟ったようだった。手際よくかけられるナイロンの布。

僕はお気に入りのERECTROのアルバムをかけた。

断髪はスピーディに行われた。


いままで莫大な時間を彼とは過ごし、先輩後輩、友人としての関係を築いてきた。

でも、「美容師と客」という関係で会話をしたことはいまだかつて無かった。


「いやあ、でも、BACCiさんはアタマの形がいいから似合うと思いますよ」


そんな、ある意味でありきたりの、美容師のなげかける言葉は優しく僕に届いた。

「ロンドンにいたころ、よくこうやって人の家にお邪魔して出張美容師やってたんですよ」

いままで知ることの無かった彼の一面――。


そして20分後。適当な短さに刈り、完全脱毛までのカウントダウンを待つ、

僕のニューヘアスタイルが誕生した。――意外に、悪くなかった。


そして、そこには一気に気持ちが軽くなっている自分がいた。


(第3部につづく)