なんて書くと、まるで悟りを開いたかのように聞こえますよね(笑)。

ちなみに「解脱」の意味をウィキで調べると――

「・・・解脱するというと超能力を得る神秘体験をすると言われるが、仏教ではそれらを解脱とは呼ばないようである。解脱とはこの世の世俗的な束縛からの解放であり、自由な境地を獲得したことである」(一部抜粋)

と、あります。


というわけで、今回は抗がん剤治療で必ず通らなくてはならない通過儀礼。


――脱毛。つまり、「毛脱」ないしは「毛断つ」のおはなし。


わすれもしない昨年のクリスマス・イヴ。PM17:00ごろ。

それは、ラブストーリーよりも、福田総理の辞任よりも、

まったくもって突然にやってきた。


かぶっていた帽子のスキマから、何気なしに頭を「ぽりぽり」と掻いたときのこと。

おそらくその5分ほど前に同じく「ぽりぽり」したときにはまったくもって爪先に

負けることの無かった毛根たちがいっせいにその業務を終了したかのように、

僕の指の隙間には、ギッシリといとしのヘアたちが解き放たれていました。


解き放たれた毛根。



自由を勝ち得た黒髪たち。



不規則さを増す、ヘアレングスの秩序。



頭皮と毛髪の哀別離苦――。


「いつか来ると思っていたよ。でも、

もしかしたら来ないんじゃないかって思ってたのに。・・・ばか」


「ぽりぽり」するたびにあっけなく抜け落ちていく愛しの毛髪を前にし、

はじめにおそってきたのはそんなセンチメンタリズム。

そして直後。すぐさま襲う、恐慌状態


なんといっても、ビジュアルから受けるショックが大きい。

そしてすぐに思い立ったのが、「髪を切る」ということ。

そこそこ長さのあった毛髪がどんどん抜け落ちていくのはやはり相当に

ショッキングなものがある。でも、短髪ならその視覚的ショックも

相当に緩和されるに違いない――ハズ。


そしてその日がクリスマス・イヴだということも、毛同様にすっかりとちていた僕は、

つき合いの古い某後輩にすぐさま電話をかけた。


「いまからハサミ持って鎌倉こない?」


(第二部につづく)


病気になってよかったことのひとつに、父との再会があります。


それは20年ぶりの邂逅でした。


僕が物心ついたときにはすでに親父とオフクロは離婚していたため、

僕の記憶にある父は本当の血の繋がった父ではなく、母の再婚相手でした。

はじめの記憶で本当の父に会ったのは・・・いったいいつだろう?

思い出せないのですが、「ママの友人の歯医者の先生」と幼かったころの僕に母は説明し、

一緒に食事をしたような曖昧な記憶があります。

その「ママの友人の歯医者の先生」が本当の父であることを知らされたのは、

中学生になる直前だったと思います・・・。


病気が発覚した直後。


見知らぬ番号から朝に電話がありました。

「誰だろう?」

そう思って電話に出ると「Hと申しますが・・・K君ですか?」と。

「・・・はい」

「・・・お母さんのお友達のHです。覚えていますか?」

それが僕と親父の、20,ぶりに交わした会話でした。


それがキッカケで、いまでは1~2ヶ月に一度は僕の家のほうを親父が訪ねてくれ、

何度も食事をし、はじめはぎこちなかった会話も徐々に解けていくようになりました。


それは、僕の心の中の35年間にわたるずっと探していたけど

見つからない、わからない、大切な大切な心の欠片でした。

生まれてはじめての父子の会話でした。


もしも病気になっていなかったら――

この再会はなかったでしょう。


病気に感謝です。

そして、再会してはじめてわかったことですが、

父方のご先祖様を祀っているお墓は、今の僕の家から程近い霊園でした。

僕がここ鎌倉に引っ越してきたのは、いまから5年前・・・。


引き合わせてくださったご先祖様に本当に感謝しています。



本日の由比ガ浜は快晴です晴れ

よく「病は気から」といいます。


読んで字のごとく「気」が「病む」ことで、

肉体にさまざまな変調や症状が出てくるのでしょう。

「心と体のバランス」なんていう言い方もしますよね。


いまは西洋医学が発達していて、「肉体」の病と「精神」の病に対してはたいてい、

何がしかの治療(投薬)や対症療法がとられます。


しかし、ここでひとつ抜け落ちているものが、「魂」(SPIRIT)の存在です。

血液や細胞、骨といったものは言うまでもなく「肉体」であり、

精神状態、つまり脳などは「精神」にあたります。


そしてここで仮にいう「魂」とは、

気とかオーラとか、そういった医学ではいまだ数値化されていない

“本質的な生命エネルギー”あるいは“霊性(いのち)”のことです。


「肉体(BODY)」、「精神(SOUL)」、そして「魂(SPIRIT)」は、

もちろん人間の中で繋がっています。

(こう日本語に置き換えたほうが、本来の意味には近いような気がします)


そして人間の体調がおかくなったりする…つまり病気になる場合、

順番は「魂」→「精神」→「肉体」の順番で冒されていくような風に思います。


そして、ガンをはじめとする今をもってして西洋医学では治癒が困難とされている病気のほとんどは、

その根源である「魂」に何がしかの原因があったり、そこに働きかけることで治癒への道が切り開かれたり

するのではないでしょうか。


これはある本に書かれていたことですが、肺がんになる人の多くは、

1年ないし数年の間に、悲しい出来事があったケースが非常に多いらしいです。


ホメオパシーの問診でも同じ質問をされましたが、自分の場合も心当たりはありました。


当時、つきあっていた女性の堕胎。――そして別れです。

それ以来、その彼女とは一度も会っていません。


仕事もキツキツに立て込んでいた状況の中、ギリギリの精神状態になり、

最終的には、最悪の結末を招いてしまいました。

そのときの無力感、失望、悲しみは自分の人生の中でも経験したことのないものでした。


ある人が言いいました。

「肺は悲しみの臓器である」、と――。


話は戻りますが、「気功」「漢方」「ホメオパシー」といったホリスティックなジャンルのものが

近年見直され、西洋医学と歩みを近づけつつあるのも、

「肉体だけで病気を見ない」といった考え方が増えてきたからにほかなりません。


ガンになってから、さまざまな人の話を聞いたり、本を読んだりしながら、

自分のガンとの向き合い方を探していますが、

僕の今の方針としては最新の西洋医学に身をゆだねつつ、

なんとかしてその己の生命エネルギーに働きかけることができないだろうか?

その生命エネルギーを高めていくことで治療への突破口へとならないだろうか??

そんな風に思っています。


ブログのテーマが「魂を探す旅」なのはそういった理由です。


この文章を書いていくことで、

自分の生命エネルギー・・・“命”について考え、パワーを高め、

そしてもしかしたら僕の書くブログがキッカケになって、

どこかの誰かのパワーにもなればいいな。


そう信じています。


病気が発覚してから10ヶ月が経つ。


発見されたときはもうすでに悲惨な状態で、

原発の腫瘍は9cm大。すでに胸部と腹部のリンパ節にも転移があった。


そのときには体重が一気に7キロも減少し、正直、もうすぐそこに「死」が感じられた。


でも、それからの治療と、そして仲間たちの支えがあって、

今はなんとかこうしてブログを書くことができている。


なんで? マジかよ! うわぁぁぁーーー(涙)。もうムリだ。アレしたい、でももうできない!

もっとあーしとけばよかった! つか、でも楽しかったからまあいいか・・・。


――そんなふうに、散々いろいろ思ったし、考えたし、落ち込んだし、

でもそっから気合入れて立ち直る。・・・・・・そんなことをいったい何回繰り返しただろう。


そして、ついにブログを書くことにした。


じつは今までにも何度か書こうかと考えたこともあったけど、どうも「終わり」という終着点に

向かってその文章が書かれていくような気がして、イヤだった。


でも、いまはまったく違う心境でこのブログを書き始めることができた。


いま、僕はガンという病気になって、そのメッセージをしっかりと受け止めながら、

一日一日をしっかりと、より濃く生きていこうと思っている。

(アフラックのCMみたいにネにひひ


家族や友達や、仕事の関係の仲間たちとの深い深い関係も病気になったおかげで

本当により濃くなったと思うし、今まで突っ走ってきたぶん、いまはゆっくりと、

自分の生き方、これからの生き方、と向き合う有意義な時間をすごせている。


それに、詳しくはこれからブログに書いて行こうと思っているけど、

人間をつかさどっている「肉体」「精神」「魂」というものに対して、

いままでよりもずっと深く深く考えるようになったし、知るキッカケにもなっている。


そういう意味でも、ガンという病気は僕にとってはポジティブなメッセージを

送ってくれるキッカケにもなったかな。


もしも、ガンと闘って勝つことが難しいのだとしたら・・・

ガンとともに生きる、っていう風に考えるのがいいことなのかもしれない。


といいつつ、しっかり闘いますけどね!!




最初の入院後――。クリスマス前の由比ガ浜は息を飲むほどの夕焼けでしたラブラブ!

前略、病床の上より。


新緑の候、街には一斉に新しい緑が出て、新たなる命の力を感じる季節となりました。


病床についてからはやいもので半年。

このたび、職場の有志により発足された支援の会を通じ、皆々様の多大なるご厚意と、

そしてあ熱い激励の言葉を授かり、ことばにできないくらいの感動・・・・・・そして、希望と力を授かりました。


もしも可能なら。――今すぐにでもひとりひとりのもとへと参じ、感謝の意と感激の胸のうちを伝えさせていただきたく思うのですが、依然として入退院を繰り返す日々にそうすることもできず、歯がゆい重いです。


本来でありましたら、もっと早きうちに休職の旨も皆様におつたえするべきでしたが、

突然の病状悪化につき、大変おそくなりましたことをここにご容赦ください。

そして、ご厚意をいただきました皆様に向け、改めましてここに感謝の気持ちが少しでも伝わるように祈りつつ、

その思いを述べさせていただくとともに、いまだ直接病気の報告をできぬままになってしまった方々が本当に多数

いらっしゃることが大変心残りでもありましたので、簡単に近況報告などもさせていただければと思います。


事後報告になってしまいますが、昨年の11月末に肺癌という告知を受けました。

そして、病状はかなり進行しており、胸部と腹部のリンパ説にも転移が認められ、

ステージⅣ(末期)という現状を告げられました。


そのときのショック、悔しさ・・・・・・それはもうかなりのものでした。

やりたかった仕事、やり残した仕事、実現したかったあれやこれ・・・・・・。

あの人ともこの人とも、次に会うのを楽しみにしていたし、

どこかでバッタリ出くわしたら、笑顔で握手したりお酒を酌み交わしたりしたかった。


・・・・・・そんな思いが僕の中では写真のように止まったまま、季節は過ぎ、冬が終わってもうじき初夏を迎えようとしています。今の僕は6度目の入院をして、病院のベッドの上でこの手紙を、みなさんひとりひとりの顔を思い浮かべながら書いています。


大学2年生のとき、はじめて出版社の門をくぐり、女性誌でアルバイトとして雑用をさせていただきました。

以来、15年以上もの間、ずっと女性誌の世界にどっぷりとつかり、今日まで生きてきました。

雑誌が好きで、女の子が大好きで。


女の子の気持ちを知りたくて、喜んでもらいたくて、女性誌を買って読んでいた大学生のころ。

気づけば、いつの間にか雑誌を作ることが仕事の、大人になっていました。でも、大好きな女の子のことを考えて、女の子の笑顔が見たくて・・・・・・っていう気持ちはずーっと今も昔も、まったく変わっていないなって思います。


いま、そんな大好きなことに追われる大変ながらも幸せだった日々から、はじめて離れています。

離れてみて、いろいろと気づくこともあるし、新たにやってみたいこともあります。

時は止まることなく流れ、季節はめぐり、新しい雑誌のどんどん発売され・・・・・・僕はたまに取り残されたような、忘れ去られたような、そんな寂しい気持ちになることが、あります。

――なんて、らしくないこと言ってスイマセン。でも、そんなときもあります。


じっさいの話、病気と戦うのってやってみてわかったのですが、そうとうキツイっす!

(・・・って言いながら、ヘラヘラ笑っているいつもの僕をイメージしてください・・・笑)


でも、そうやってどうしょうもなくうしろ向きな気持ちになってしまったときに、このみなさんからの暖かい気持ちが、

激励の言葉が、気合が、僕の元に届けられました。本当に本当にうれしくって、あったかくって、気持ちをなんとか前に向けることができました。ひとりひとりの顔を思い浮かべ、そしてさまざまな思いがめぐり、絶対にまた皆様と一緒に笑ったり、仕事したり、怒られたり、企んだり、痛飲したり、夢を語ったり・・・・・・したいって強く強く思いました。


それは皆さまが僕に授けてくれた、生きる希望です。


いくら書いても足りないくらいの感謝の気持ちでいっぱいです。

そして、そのいただいた言葉と気持ちをパワーに変えて、これから勇気を持って病気に挑んでいきたいと思います。


さらには、皆様方のご厚意の力で、ぼくひとりでは到底不可能だった治療の新たなる選択肢を得ることができましたことも、重ねて感謝の気持ちの意を述べますとともに、ここにご報告させていただきます。


――そして、最後にじつはお願いがあります(これだけのご厚意を授かった上の不躾をお許しください)。

僕は、けっしてあきらめず、また皆様と再会できる日を願って、毎日イメージしています。・・・・・・なので、みなさまもたまに僕のことを思い出すことがありましたら、笑顔で肩を並べている僕を、そして楽しそうに酔っ払っている僕を、そんないつもの僕のことを、イメージしてください。


思い起こす刺激に満ちた仕事の日々は、皆様の“イメージを具現化する力”に幾度となく助けられ、

そしてときににはお互いの力を出し合って、その“イメージの世界”を、雑誌という夢の箱に作り上げてきました。

人と人とが集まって、頭の中にあるイメージを膨らませて、力を合わせて形にしていく――それは何事にも勝る、幸福で素敵な作業でした。


人間の想い(イメージ)は現実になると、信じています。


みなさんのその力も、ほんの少しだけ僕に貸してください。


そして、再会できる日を待っていてください!!


                                                         草々


                                   2008年5月17日 東京医科大学病院にて