なんて書くと、まるで悟りを開いたかのように聞こえますよね(笑)。

ちなみに「解脱」の意味をウィキで調べると――

「・・・解脱するというと超能力を得る神秘体験をすると言われるが、仏教ではそれらを解脱とは呼ばないようである。解脱とはこの世の世俗的な束縛からの解放であり、自由な境地を獲得したことである」(一部抜粋)

と、あります。


というわけで、今回は抗がん剤治療で必ず通らなくてはならない通過儀礼。


――脱毛。つまり、「毛脱」ないしは「毛断つ」のおはなし。


わすれもしない昨年のクリスマス・イヴ。PM17:00ごろ。

それは、ラブストーリーよりも、福田総理の辞任よりも、

まったくもって突然にやってきた。


かぶっていた帽子のスキマから、何気なしに頭を「ぽりぽり」と掻いたときのこと。

おそらくその5分ほど前に同じく「ぽりぽり」したときにはまったくもって爪先に

負けることの無かった毛根たちがいっせいにその業務を終了したかのように、

僕の指の隙間には、ギッシリといとしのヘアたちが解き放たれていました。


解き放たれた毛根。



自由を勝ち得た黒髪たち。



不規則さを増す、ヘアレングスの秩序。



頭皮と毛髪の哀別離苦――。


「いつか来ると思っていたよ。でも、

もしかしたら来ないんじゃないかって思ってたのに。・・・ばか」


「ぽりぽり」するたびにあっけなく抜け落ちていく愛しの毛髪を前にし、

はじめにおそってきたのはそんなセンチメンタリズム。

そして直後。すぐさま襲う、恐慌状態


なんといっても、ビジュアルから受けるショックが大きい。

そしてすぐに思い立ったのが、「髪を切る」ということ。

そこそこ長さのあった毛髪がどんどん抜け落ちていくのはやはり相当に

ショッキングなものがある。でも、短髪ならその視覚的ショックも

相当に緩和されるに違いない――ハズ。


そしてその日がクリスマス・イヴだということも、毛同様にすっかりとちていた僕は、

つき合いの古い某後輩にすぐさま電話をかけた。


「いまからハサミ持って鎌倉こない?」


(第二部につづく)