明日への轍 -17ページ目

明日への轍

齢五十を過ぎて、ある日大腸がんが見つかる。
手術から回復したと思った一年後、肝臓と肺へがんが転移。
更に続くがんとの付き合いを記録します。


第二ICUは今日の朝までで、十時には一般病棟へ戻った。
普通に歩けるので一般病棟へは歩いて行けると思ったが、指示通りに車椅子に乗った。

戻った病室は、ナースステーションの近くのリハビリルームだった。
一般の四人部屋と変わらないように思ったが、少々広いのかもしれない。
それにシャワールームはなかった。心電図は必要ないと外された。

麻酔のフェンタニル(点滴)が終了した。
硬膜外の麻酔アナペインはまだ明日の朝ぐらいまではあるらしい。
フェンタニルは癌疼痛治療法の3段階中の3段階目だそうで、要するに強力だと言う事だろう。

夜中に痛みが来る事が多いらしく、術後1日目の夜はぺンタジンを2日目の夜はロピオンを追加点滴して貰った。
このお陰で術後にそれ程の痛みもなく、ここまでこれたのであろう。ありがたいものだ。

食事は今日が術後2日目ではあるが、三食しっかり食べた。大腸の時とはえらい違いだ。
だが、便通がまだない。ガスは少し出るようになった。
最初はガスが出そうでもお腹に力が入らないので、うまく排出できなかった。お腹に吸収されたようだ。

そして、尿道カテーテルがまだ入っている。これが今一番嫌な奴だ。
看護師によれば、明日には抜くことができる見込みだと聞いた。 嬉しかった。

リハビリルームは看護師が近くにいるため、急を要する場合は良いが、反面、すべてのナースコールが近くで鳴る。
だから患者によって善し悪しだ。自分は同じ術後ではあるがそれ程の必要性はなかった。
朝、五時前に目が覚めてしまった。お腹の痛みは大分マシになっていた。
朝九時にレントゲン検査があった。ベッドでそのまま撮影した。
腰の下に何かの器具を入れるために腰を浮かせる必要があったが、それほど痛くはなかった。

O研修医がドレーン内の体液を採取していった。
H医師もK医師も病室へ来た。


予定通り腹腔鏡での手術が完了した事。
手術時に見る限りでは肝臓の他の部位には癌は見つからなかった事。
レントゲンの結果も、ドレーンの検査結果も特に問題ないことを告げられた。
このまま順調に行けば、6日の金曜か、8日の日曜日には退院できるとも言われた。
嬉しかったが、退院はよく考えてからにしよう。

肝臓の手術は大腸と違って、食事は早いと聞いていた。
K医師にそれなら今日の夕食からでも良いかと尋ねたら、大丈夫ですよと言われた。
それで手術後の一日目夕食から食べた。

実際に多少お腹もすいていたが、食べた方が元気がでると思っていた。力が出ると思っていた。
勿論、全粥であるが、焼き魚や果物ヨーグルトもついて美味しかった。ゆっくり味わって食べた。


カミさんから手術当日の様子を聞いた。
午後一時頃にH医師と他二名で手術室から出てきて、ソファーの処で説明してくれたらしい。
手にはガーゼにくるまれた肝臓の一部(削除したて?)を持って。
肝臓は将に赤茶色のレバー色で切除部分は丸く綺麗に切られていたらしい。
それが、三等分に切られていて(削除後に切ったのだろうと思われる)断面が見えたそうだ。
真ん中がゆで卵の黄身のようで色は白っぽかったとの事だった。
その部分が転移性の癌部分なのであろう。大きさはやはり五センチ位だったと言っていた。

H医師は血だらけの手袋をしたままだったようだ。説明されたカミさんもびっくりしたかもしれない。
「これから縫合します」と言って、H医師は手術室へ戻って行ったと話してくれた。
正直、自分もそれを見たかった。どんな様子だったのかをカミさんからつぶさに聞いた。

そんなリアルタイムで家族に説明してくれるとは思わなかった。
朝にされた浣腸が効いてなんどもトイレに行った。
ほとんど水溶であるが突然に来る。トイレがすぐそばでよかった。

T字帯に着替えた。これを付けると手術だなと思う。
所謂ふんどしであるが、こんな機会でもなければ身に着けることはないだろうな。

そして今回も歩いて手術室へ。23あるオペ室で今回は奥の方だった。
前回とほぼ同じ様に硬膜外麻酔をされて酸素マスクをしたあたりから記憶がない。

「○○さん、手術終わりましたよ。」そう言われて気が付いた。 また何かの夢を見ていたようだ。
「予定通り終わりましたよ。今時間は2時半です。」
手術時間は3時間40分位。逆算すると10時半過ぎ位から手術が始まっていたらしい。
もっとも麻酔をうったりするのはもっと早く始まっていたようだけれども。

今回は、大腸の時と違って予定通りの時間だったようだ。(家族の話)

それから同じフロアーの第二ICUへ運ばれた。
家族がすぐに入ってきた。

今回もお腹の痛みはなかった。自分で状態を見た。
尿道にカテーテルは入っている。
腹部ドレーンも入っている。但しデンデン太鼓のような小さい容器だった。
それと心電図と血中酸素をはかる器具。
左右の腕からは点滴用の留置針があった。

三十分ほど家族と話した。思った以上に元気だと自分でも思った。
やはり腹腔鏡は痛みも負担も相当軽く感じた。(もっとも開腹手術を経験したないが・・)


その後、寝ようと思ったが夜まで眠くならなかった。
うつらうつらしながら少しは寝ていた。
ほとんと腹部の痛みはなかったけれども夜中の二時頃に腹部の痛むを感じて痛み止めのペンタジン(点滴)を入れてもらった。
でも痛みは治まらなかった。 その内寝てしまったようだ。
朝から低残磋の食事だった。要するに消化が良くて胃腸にかすが残らない食事と言う事らしい。

・全粥(お粥ではマシな方。)
・具のない味噌汁(兎に角薄い)
・はんぺんの片焼き(味なし)
・煮びたし(具はない。緑色でドロドロ状)
・梅びしお(練り梅)
・無脂肪ヨーグルト

ほとんど噛む必要のないような食事であり、正直食べた気がしない。
でも、お粥は全粥だったからまだよかった。以前食べた三分粥・五分粥はひどかった。
煮汁の中で米を探すようなものだった。
まあ、大腸の手術後だったからしょうがないか。いや内臓全体の手術はどれもそうなのかな。

午後から点滴用の留置針の設置がされ、さっそく輸液の点滴が開始された。
また点滴用スタンドをゴロゴロ引っ張るお供付きの生活が始まる。

内服薬の下剤(マグコロール)と錠剤も飲むらしい。それに明日は浣腸もありとか。
低残磋の食事しか食ってないし、排便はあまりない。今日は夕食も抜きだしな。

九時予定通り就寝。
今日は、風も穏やかで五月らしい天気になりそう。世間は連休二日目。絶好の行楽日和。

ああ、恨めしい。
昨年の今頃は、北陸・福井へのツーリングだった。天気も良く最高の日よりだった事を思い出す。
今年もどこへ行こうかと考えるはずだったのに残念な結果となった。

でも、前回の1月の手術後、四か月後にはツーリングにも行けたのだから、今回も夏頃には行けるかも。
そんな期待をすることで手術後の痛みと苦痛に耐えられるかもしれない。


昨日、書いた同意書を再度見直してみた。
興味を持ったのが、「肝臓外における腹腔ドレーン非留置の安全性に関する無作為化比較臨床試験(多施設共同研究)」
というものだ。

簡単に言えば、肝臓がんの腹腔鏡手術において腹腔ドレーンが必要かどうかを比較する臨床試験と言う事らしい。
一年前の大腸癌の手術でもドレーンを留置しており、今回の肝臓癌の手術でも留置される場合が多い。

この腹腔ドレーンは術後の胆汁漏れや出血を早期に発見して不要物を体外に排出する役目を果たすようだ。
一方で、このドレーンが原因で細菌最近に感染する場合もあるらしい。
かつては当然だったドレーンが技術や機器の進歩により危険性が減少して、ドレーンの必要性に疑問が持たれるようになった。
これを臨床試験しようとの事。

どちらでも可能だと医師が判断した後は、留置するか否かの判断を私見を挟めないようにコンピューターがランダムに決めるらしい。
どちらが良いか決める方法として最善との事。

非留置と機械が選択した場合に留置しないデメリットに対してもリカバリーできる前提であろうとは思う。
それに感染症の危険性が低減できるメリットもあると考えると納得できる。

いずれにしても、安全と判断されたうえでより良い方法の指針作りのお手伝いと言えるのかもしれない。

明日から手術の準備が始まる。
手術担当の看護師からあれこれ聞いていたら、一年前の大腸がんの手術時の事を思い出してきた。
長丁場、これからだ。