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明日への轍

齢五十を過ぎて、ある日大腸がんが見つかる。
手術から回復したと思った一年後、肝臓と肺へがんが転移。
更に続くがんとの付き合いを記録します。

今日はもう既にドレーンやカテーテルもない状態であり、検査も採血とレントゲンだけ。
こうなると既に退院までのカウントダウンとなる。

朝七時にN医師の回診があった。N教授も一緒だった。簡単に現状を教授に説明していた。
その後もう一度N医師が来て言われた。
「術後の検査結果も全て良好ですので明日以降でも退院できますが、どうしますか。」

即答はしなかった。
当初から入院計画でも術後5~7日で退院となっている。
明日は術後4日めであるが、当初の計画とそれ程乖離しているわけでもない。
まだ肺のドレーンを抜いた後の傷口の抜糸がされていない状態ではあるが・・。

傷口が痛いとか呼吸に関して不安があるとかではない。
夜も眠れるし、まさに予定通り回復していると考えている。
病院が好きなわけでもないし、退院したくないわけでもない。
只、家に帰りたいがために、何も考えず退院日を決めるような事はしない。

抜糸の事だけが気になっていたが、二週間後に外来で行う予定と聞いた。
それに今回は肺癌の手術の中でも部分切除で軽い方であり、早期退院が可能ですと説明された。
それなら判断を保留する理由もないので、明日、退院することにした。

K医師に今後の治療法については、どのように検討・決定されるのかを聞いたところ、肝臓および肺の手術を担当した医師から切除した腫瘍と術後の状況等の情報をメールにて大腸癌の担当医師に伝えて、今後の治療方針が決まることとなると説明された。

つまり、今回の肝臓及び肺の腫瘍は飽くまでも大腸癌が転移したものであるから、治療方針を考え決めるのは大腸癌の担当医師であると言う事らしい。
自分としては同じ病院内であるから、それぞれの担当医が集合してカンファレンスを開催して決めるのかと思ったが、そうではないということだ。

そういえば、肺の手術後ICUを出るときに大腸癌担当のN医師が顔を見せてくれた。
久しぶりにN医師と言葉を交わしたが、今後も大腸癌の担当医師としてお世話になる事になる。
考えてみれば、大腸癌の手術後のCT検査で肝臓と肺の腫瘍を見つけてくれたのはN医師である。
有りがたく、感謝しなければならない。
午前9時に回診があった。担当のN医師とN教授の二名だった。

「順調ですね。これなら今日、肺のドレーンを抜きましょう」との事だった。
看護師からも「ドレーンからの廃液が薄くなっていますから良いですね」と言われた。
夜の間に廃液は多少増えたが量は少なかったのかもしれない。

今現在は、肺のドレーン、尿道カテーテル、そして硬膜外麻酔のカテーテルが入っている。

硬膜外カテーテルは麻酔薬が無くなり次第抜くことになるだろう。
肺のドレーンは廃液の状況を見て医師が判断するようだが、これが今日抜いてもらえるようだ。
それが抜ければ、最後は尿道カテーテルの番だ。

どれも体に付けられて自由を束縛する厭なものであるが、最後の尿道カテーテルが自分としては一番嫌だ。
これがあると排便にも力が入らない。
一見、排便には影響ないように思えるが、実際にこれをしてみるとわかるが、本当に力が入らないものだ。
そして何より一番の急所を握られているようで敗北感が一杯なのだ。

10時半ごろにN医師と数名で来てくれた。肺のドレーン抜去である。
肝臓の時は痛みもなくスルスルと抜けたので、そんなものかと思っていたら、違っていた。

深呼吸して吐いた時に一気にドレーンを抜いたようであるが、その後も抜いた傷口を縛り付けるような痛みがあった。
後で看護師に聞いたら、肺のドレーンを留置した段階で挿入部分に抜いた後の処置のための紐のような物を付けていて、
今回のように抜去した時にそれを縛って止血するようだ。成程、合理的な話ではある。
但し、自分では大腸や肝臓の時と同様に簡単に抜くだけと思っていたから痛みは想定していなかった。
1分程度の事であったが、痛さも直ぐに治まった。
同時に背中の硬膜外カテーテルも抜いてくれた。これは単に絆創膏を剥がすような感じで終了した。

そして十分後ぐらいに看護師が尿道カテーテルを抜いてくれた。
相変わらず抜くときの感覚は厭なものだ。でも、これでスッキリした。解放感で一杯だ。
午前11時頃に一般病棟へ移ると言われた。
自分で歩けると思っているが、病院側の立場からはそうはいかない。
車椅子に乗ってお供のスタンドに足を乗せてタオルで引っ張りながら押してもらった。

五階の南側である。
二人部屋であるが、こちら側はdocomoの電波も入るし、テレビのワンセグも見ることができる。
建物の内側にある病室は電波が届きにくいらしいが、今回の病室は受信状況は良好だ。

午後四時ごろにラウンジでしばらく椅子に座っていたら呼吸が荒くなった。
そして次第に眩暈がしてきて、目の前が真っ白になってきて冷や汗が出てきた。
明らかにおかしい。

これはまずいと思ってゆっくりと病室に戻った。
しばらくすると呼吸も普通になり気分も治まってきた。
念のためにナースコールをして状況を説明し。た。

昨日の手術であるからその影響であろうと言われた。
今までにこんな症状はなかったので、肺の手術特有なのか判らない。

その後、夕食を食べて七時頃に再度ラウンジに来て見たが、別段、以前のような症状は出なかった。
母親にスカイプで顔を見ながら電話した。

昼間に寝たことも有るかも知れないが、今日の夜は眠れなかった。
九時の消灯後もなかなか眠れず、やった寝たかなと思ったところで目が覚めた。
まだ十二時だった。
それからラジオを聞きながら一時過ぎても眠れず、仕方がないのでラウンジでネットをしながら二時過ぎまで起きていた。
その後もうつらうつらしていた。
麻酔がすでに切れているように感じた。
傷の部分が痛んだ。寝返るを打つたびに響いた。結構つらかった。
看護師に起こされて目を覚ました。
「今何時ですか。」
「四時五十分頃ですね。」

手術からおよそ三時間で終了したようだ。
それから、いろいろと処置をされてICUの病室に入ったのは五時半ごろ。
まもなくカミさんと姉貴が来てくれた。

病室でN医師から説明があった。
「予定通り部分切除しました。
切り取った腫瘍については、検査の結果やはり転移性の癌でした。
肺癌の可能性もあると事前に説明されたかもしれませんが、原発性の癌ではなかったようです。
安心してください。」

有りがたい事だ。

それから、K医師から採血の結果、ガンマーカーであるCA19-9の値が一けた台に下がったことの説明があった。
肝臓がんの手術前には高い数値を出していたものが下がったのは、肝臓癌の手術の効果があったものと考えられるとの事。
いずれにしても自分にとっては朗報である。

ICUに入ってからは、意識して深呼吸をしていた。
肺を一部でも削除したのだし、手術で以前より呼吸が苦しくなるのではないかと単純に考えた。
手術後のできるだけ早い時期から深く呼吸をすることでそれが回避できるのではないかと思った。

以前は手術後の最初の夜は眠れないのが当たり前だった。
だから、今回もそう思ったが、意外とぐっすり眠れた。
勿論、夜中に何度か目が覚めたがそれでもまたすぐに熟睡してしまった。
翌日の目覚めはすっきりだった。

前日からの微熱は治まった。
消灯の時間に寝て夜中の12時ごろに目が覚めると汗をかいていた。
このままでは気持ちが悪いのでカミさんに持ってきてもらったシャツに着替えた。
熱を測ったら36.5度。平熱だった。顔の火照りも治まっていた。
これで心配はなくなった.

手術の予定が示されたが、午後の予定と言われた。
但し、時間が定められておらず 2件目となっている。
看護師に聞いたところ、1件目の手術が終わり次第に手術室に入るようで、大体入室の15分前位に連絡があるとの事。
お昼前後位から準備をして呼び出しに備えるようだ。

その手術室での予定は2件との話である。
緊急の手術など想定外の事態はあることだから、時間を定めずに2件目とするのはそういう意味だろう。
今までの2回は1番目の手術であり時間も決まっていたので新しいパターンである。
いずれにしても、熱も下がった事だし、準備は整っている。

朝7時過ぎに回診があった。N医師と数名だ。
今日予定通り手術します。との事。
そして、左手の甲にマジックで丸を付けられた。
部位を間違わないような印なのだろう。初めての事だ。

結局、呼ばれたのは一時半過ぎで二時に手術室に入るように言われた。

いつも通り歩いて行った。
背中の硬膜外麻酔は今回は時間も短く設定された。
女性の声だったがベテランなのだろう。

そして、酸素マスクをされて、意識がなくなった。