久しぶりの電子日記を更新。ブログを使っての近況報告が楽しみでもあったのですが、変に老けてしまったのか近況報告ってもんが一番苦手になったみたいだ。

 約2ヶ月ぶりに東京に戻ってきたのは、エイフェックスツインに会う事と社交辞令的にご飯食べましょう、とか言った人達に今のうち会っておかないといけないんじゃないかと思ったため。

 軽い近況報告もここらへんにし、またいつか更新できたらいいなと。

 ニートには自由な時間が山ほどある。

 現在、私は実家に帰省中(寄生虫)で特にやることもないので一日をぼんやりやり過ごしてしまっている。そんな私の生活リズムはというと、一日の始まりは朝起きてコーヒーを落としそれを片手に新聞の求人欄を開く事であり、そして静岡新聞と毎日新聞にざっと目を通してからテレビをつけ、昼になれば連続テレビ小説「つばさ」を観る。夕方になると夕刊が配達されるのでまたそれに目を通す。

 今日の毎日新聞夕刊のある記事の中に、坂口安吾「堕落論」の一説があった。「駄目になる時はとことん駄目になればいい。それからちゃんと出直せばいい・・・」と。これを読んだ後ピアノを弾いていたら、埃のかぶった手紙と写真を見つけた。その写真の日付は1990年となっていて幼い私とぴちぴちの若い母親がピアノ教室でほほ笑む写真だった。19年前のかわいらしい私とぴっちぴちの母は、可愛かった私が2009年ニートになって実家でぶよぶよしているなんて思ってもいなかっただろうと、とても気の毒になってしまった。

 夕食の前に家庭菜園へ行っておばあさんとスイカの苗を植えた。昨日植えるつもりだったのが大雨のせいで今日の夕方に畑をすることになったのだった。天候によって仕事の予定が変更してしまう農業は、世の中にあふれるあらゆる仕事の中でもずば抜けて素晴らしい価値のある仕事だと思った。自然と常に向き合わなければ食べていけない仕事が農業である。本来自然と共に生きる人間にとっての労働は土を耕す事から始まったからなのである。

 そんなこんなで今日も様々な思いを巡らす時間が山ほどあった。ここに書いた以外にも「奇想天外」という今は亡きSF月刊誌を倉庫から発掘したり、夕食後の散歩途中にどこかのばあさんが連れているコッカースパニエルをべたべたと撫でたりと、とにかく今日も昨日のように余りに余っているはずの時間がすぐに消え去っていったのだった。

 ニートでなければ使えない時間の使い方もあって、それはそれで貴重な時間かもしれないけれど、やっぱり今の状況を打破したいという気持が大きいく、坂口安吾の言葉が支えになっていきそうなことは確かです。

 ニートは精神的強さのある人でなければやっていけない。という結論が早くも15日目にして出てしまいました。

 実家に戻ったり東京にきてみたり、かなり就職活動を頑張っているんですが、面接行っても手ごたえ無しに終わっていきます。一応、4月を就活月間として心の中で決めているのですが、毎日面接が入ってくるわけでもなく、暇な日も沢山あります。そんな何も無い1日の過ごし方はというと、極力金を使わないよう“うち”に引篭もるように心がけています。そうやって毎日を過ごしていると、1日が24時間という時間の区切りの感覚が鈍くなり、私にとって4月1日の1日が今に至り延々と続いているように思えて仕方が無いのです。

 今のところ衣食住は確保されていますが、全て家族からの援助で生活しています。最近は、「ありがたい」よりも「申し訳ない」そんな気持ちでいっぱいで、生きる価値ってなんなんだろうと真面目に自問自答しています。他にも自分が今まで歩んできた人生だとか人との関わり方とか、ちょっとした何を食べようかという事でさえも最終的には考えの矢印が“自己”とかそういう内面に向かっていることに気づかされます。

 仕事をしていない分の全ての思考動力が自己否定に費やされている実感がもの凄くしてきます。なんかもお嫌だ。

 来月友人と電車の旅へ出るため、大きめなバックパックを購入しようとネットをフル活用して探しもの。グレゴリー、jansprot、ミレーなど、復刻物が流行しつつあるのか、昔のくすんだ色使いが素敵な商品をいろいろと見つけました。最近のエコブームのせいなのかなんなのかもあって、アウトドア系のファッションがやたらと街や紙面で目につきます。何人かのお友達も言っていたけれど、アウトドア系ファッションの男子が私も好みです。変に格好つけず無難で素敵ですよね、古着屋でもそういった服や靴が豊富なので買いやすいし合わせやすいと思います。私が男だったらかなり着こなせる自信がありますな。もさくるしくてなんかださい友人をいつかアウトドア系さわやかボーイに改造させようと、ひそかにたくらんでおります。理想のバックパック探しのおかげでアウトドアブランドに詳しくなり、奥深さに気がついてしましました。結局、ミレーの復刻30ℓ赤と青そして白のトリコロ―ル色のバックパックを注文しました。在庫あるか心配になりますが、早く届いてほしいなぁとわくわくしております。

 先週土曜から帰省中、毎日が腐った生活。24時に就寝、11時に起床、こんなのよくない。

 実家にいると何もすることがないので、いつもテレビで流れている映画を観ている。今のところ見た作品は「スターウォーズ」「女帝?(香港映画)」「パプリカ」「ブロークバック・マウンテン」「恋愛睡眠のすすめ」ときている。あ、そおいえば「ベンジャミン・バトン」を母と見に行ったわ。こんなかで一番は、アン・リー監督ヒースレジャー主演の「ブロークバック・マウンテン」でした。やはりアカデミー賞作品にはかなわない。余計なごたごたを省いたシンプルでわかりやすい話(ゲイの話)だからこそ、ストレート!に男同士の純粋な愛情が大自然の風景と一緒になってダイレクトに伝わってきました。簡単にいえばそんな感じ。やっぱりアン・リーはすげぇや、って思ったし、ヒース・レジャーも北島マヤ並の演技派で、死んでしまったのが本当に悔しい。それから、トンチンカンな私の母が「年寄りで生まれてきて若返るにつれてブラピになる話でしょ?」と言っていた「ベンジャミン・バトン~」は、少しおしい感じ。わざわざベンジャミン・バトンが実在の人物であるかのように見せるため駅の時計やハリケーンやらをだしてきてしまったのが余計な御世話だったなと思った。それがなかったほうが面白かったと思うけどな。

 てな訳で、似非映画評論家で実家暮らしを満喫しようじゃないか。

 たまっていたストレス?なのかなんなのか、一気に身体にきてしまい、胃は痛いし目の上が真っ赤になってしまった。

 自分は忙しいとおおっぴらに披露してしまう人間ってのは、自分の中にある忙しいという領域に達したために忙しいと言っているだけであって、傍から見ればそんなの忙しいの領域に入らないんじゃねえかと。自分で自分の限界を勝手に決めてしまっているだけ。そういう奴の下で働くのは本当に無駄だと思った。

 また、人間として魅力のない奴に従えるわけもなく、っていうか22歳のお子様が何をいっとるんじゃと言われるかもしれませんが、社会人経験が浅い程、人を見る直感が優れているわけです。世間の荒波にもまれて免疫が出来ていない分。

 それから、それから、やっつけ仕事で物を作っていく人たちも許せない。そういうのは、スケールの大きくなってしまった同人誌を作っているのと同じであって、そんなものに値段をつけて売っているのが信じられない。

 というわけで、お洒落トラベルカルチャー雑誌のアシスタントをスピード退社で辞めた。1日13時間の仕事は別に苦もなくこなしていたが、私の上に立って指示する人間にキレてしまい、辞めることになったのだった。

 前は、好きな事をやっていていいなぁ、とそういう人をうらやましく思ったりもしたが、実際のところ好きな事を好きだからって自分の感覚でやっている人には、到底いいものを作れっこないという事に気がついた。それはただ単に趣味の世界で生きてしまっているということ、それから嫌な事や色々な人間を受け入れない限り、どんどん自分に甘ったれていくんだと思う。好きなことだけども時には自分の思う善い物とは反対のことでも仕事は仕事として割り切ってやっている人が世間の評価を得られるのだと解かった。

 私ももう少し我慢すればよかったかなーと思うが、スピード退社のおかげで大事な事を知れてそれは本当に善い経験になった。仕事を辞めたあの日がまるで月9のようで、私でもヒロイン気分で面白がってあんなことを言ってしまった、とも思える。

 これからまた仕事探し。出版業界は懲り懲りです、てなると思いきや、次はもっと賢く仕事をしていけると、気持ち悪いくらい自信がついた。あの人は成功していいなぁ、私は運がない、と運があるとかないとか言ってしまう時点で終わってしまう。やっぱり、自分の努力次第で何にでもなれるんじゃないかね。今の私にはどんなことでもできる気がするんだわ。これが終りじゃなくて、これからが本当の始まりのようです。

 どうしても苦手な相手でも、無理やりでもどこか尊敬できる部分を見つけ出し、なんとか自分の中で納得してから人間関係をやっていくほうが、結果的にいいろいろと良い。

 やっぱ。嫌いだからって拒否してばかりいても、もったいないってことですねー。大根の葉っぱまで残さずきれいに食べてしまおうって事と似ているなぁ。

 思うことが沢山ありすぎます。

 月水木と仕事があった。アルバイトもたいしてしていなかった、そしてぐうたら大学生だった私が、11~夜12時まで一日仕事をするということが、身体中がびっくりしてしまい、酷い腰痛になってしまった。しかも、昨日はお腹に激痛が走り、だからといってすみませんが帰らせてくださいとも言えず、何事も無かったかのようにちょっと買い物へいってきます、と薬局へ走り薬を買って涼しい顔をしてまた仕事に戻った。私の考える社会人象は、言い訳をせず合理的に物事を進めるもの、なのでそれに近づけるようにストイックな人間となっていこうかと想います。しかし、職場の人たちは泊りがけで仕事をしていて、こんな状態が365日なんですか?とはやっぱり聞きつらいく、3月上旬まではこうなんだろうと自分に言い聞かせております。

 来週もがんばろう。

 新しいものへ向けて出発することはとても勇気がいることです。意外に私は何事にも完全?でなければ気がすまないので、始めることに誰よりも力がはいってしまうたちみたいなのです。

 先日、アルハンブラ宮殿の歴史についてテレビでやっていました。宮殿を創った職人達は、「完全なる不完全(神しか完全を創れない)」と神への祈りをこめてあの素晴らしい芸術品をつくり上げたらしいです。

 完全なる不完全。神秘的なこの言葉が信仰のない私の心にさえもすんなりと入ってきたのでした。そして始めることへ、勇気をもって踏み出せる気がしました。

 この独り言日記は本当に中身の薄い日記なので、今年からは古本屋で大人買いした講談社昭和文学全集36冊に出てくる一話づつを批評していくという日記を別でつけようと思っています。出来上がったら載せます。

 中身の薄い日記といえば、さっきくだらなくて無意味なんだけど面白い日記を

見つけました。友人に誘われて行ってみたうそつきバービーとかいうバンドのライブがあまりにも衝撃で調べたらメンバーがブログをやっていたので、それをちょっくら覗いてみたらネット上で彼らの天才的な文章力が発揮されていました。読んでみるといいと思います。

 その衝撃的なライブといいますと、素人の私が聞いてもすぐわかる楽器の上手さとそれをあえて隠くそうとしているかのような喋りそしてしょうもない詩がすごい人たちなんだなぁ、と感心させられたものでした。

 バンドマンがいかに大変かをいう話を友人に聞かされていましたが、あらためて小さい場所で地道に活動している人たちの音楽を目の前で聞いていると、「これくらい必死にやれんのか」というもう1人のわたしがわたしに話しかけてくるのでした。