ニートには自由な時間が山ほどある。

 現在、私は実家に帰省中(寄生虫)で特にやることもないので一日をぼんやりやり過ごしてしまっている。そんな私の生活リズムはというと、一日の始まりは朝起きてコーヒーを落としそれを片手に新聞の求人欄を開く事であり、そして静岡新聞と毎日新聞にざっと目を通してからテレビをつけ、昼になれば連続テレビ小説「つばさ」を観る。夕方になると夕刊が配達されるのでまたそれに目を通す。

 今日の毎日新聞夕刊のある記事の中に、坂口安吾「堕落論」の一説があった。「駄目になる時はとことん駄目になればいい。それからちゃんと出直せばいい・・・」と。これを読んだ後ピアノを弾いていたら、埃のかぶった手紙と写真を見つけた。その写真の日付は1990年となっていて幼い私とぴちぴちの若い母親がピアノ教室でほほ笑む写真だった。19年前のかわいらしい私とぴっちぴちの母は、可愛かった私が2009年ニートになって実家でぶよぶよしているなんて思ってもいなかっただろうと、とても気の毒になってしまった。

 夕食の前に家庭菜園へ行っておばあさんとスイカの苗を植えた。昨日植えるつもりだったのが大雨のせいで今日の夕方に畑をすることになったのだった。天候によって仕事の予定が変更してしまう農業は、世の中にあふれるあらゆる仕事の中でもずば抜けて素晴らしい価値のある仕事だと思った。自然と常に向き合わなければ食べていけない仕事が農業である。本来自然と共に生きる人間にとっての労働は土を耕す事から始まったからなのである。

 そんなこんなで今日も様々な思いを巡らす時間が山ほどあった。ここに書いた以外にも「奇想天外」という今は亡きSF月刊誌を倉庫から発掘したり、夕食後の散歩途中にどこかのばあさんが連れているコッカースパニエルをべたべたと撫でたりと、とにかく今日も昨日のように余りに余っているはずの時間がすぐに消え去っていったのだった。

 ニートでなければ使えない時間の使い方もあって、それはそれで貴重な時間かもしれないけれど、やっぱり今の状況を打破したいという気持が大きいく、坂口安吾の言葉が支えになっていきそうなことは確かです。