自転車に家族を殺されるということ

自転車に家族を殺されるということ

交通犯罪犠牲者の命が紙クズ扱いされる司法を変えていきます。フェイスブック・Twitterも発信中。
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2014年1月28日に判決が出て裁判は終わりましたが、私の交通犯罪遺族活動は続いています。

父が亡くなりました。

 

1月3日午後4時過ぎでした。

 

たまたま年が明けて初めて病院に様子を見に行き、

これもたまたま来ていた医師と話していた時に、

「あれ?呼吸していないんじゃないの?」

となり、急遽死亡診断となりました。

全くの偶然で死に目に会えたことになります。

 

 

 

葬儀も昨日1月12日に無事終えました。

 

身内以外ほとんど来ることもない家族葬でしたので、

葬儀も内々でこじんまりと執り行いました。

(母の時と異なり、無理な営業のない良心的な葬儀社でした)

 

 

お坊様は母の時の方に声がけして応じてもらえました。

とてもあたたかい人柄の方で、

母の葬儀後もやり取りが続いていましたので、

どうせならそんな縁ある方にお願いしようと思いました。

 

これまで繰り返し書いてきているように、

既に長く生き過ぎた末の大往生ですし、

そもそも冷淡な親子関係で、喪失や悲嘆は全くありません。

 

勤務先の忌引きも本当は先週までだったのですが、

昨日は終日葬儀対応でなんだなんだ披露困憊してしまい、

今日は有休をいただき、このブログを書いています。

 

承認欲求に取り憑かれた配信中毒者みたいなのも嫌なので、

葬儀が終わってからまとめて書こうと思っていました。

 

これを書いている最中に久米宏氏の訃報が入ってきました。

享年が81と知り、あらためて父の長寿を実感します。

久米宏氏もそうですが、子どもの頃から見知った有名人が

こうして亡くなっていくことにも時間の流れを感じます。

 

見事なまでに悲嘆はないこともあり、

そんな私を見て、冷たいと思った人もいたかもしれません。

ただ二親とも気がつけばこの世に存在しなくなり、

命のバトンの先端に立っていることは不思議に感じます。

 

思い起こせば葬儀の時、娘はわがままを一切言うことなく、

しっかり対応していたので、そんな成長も感じた1日でした。

 

命のバトンの役割変化はすごく実感した年明けでした。

 

しばらく色々な手続きを次々にこなさないといけませんし、

(体感で進めるのは危険なのでタスク表を作成しました)

明日からの3週間ぶりの会社にもちょっと緊張しています。

 

ここも早く整理して、次にステップに移らないとですね。

年始早々、ネット上でイジメ動画の炎上が話題です。

私もXに流れてきた動画は一通り見ました。

 

 

議論の是非はあるのでしょうが、私は完全肯定派。

 

イジメがあった場合、普通に学校に申し立てても、

「事実関係を慎重に調査中」

と言われて、その「調査中」が延々続き、

その間、被害者は何も守られず、挙句の結論は、

「厳正に調査した結果、イジメ事実は確認できなかった」

 

それじゃあ直接行動論に軍配が上がるのも当然です。

 

我が子がイジメに遭ったら加害者をネットに晒せ。

炎上させろ。

燃やして現実を強制的に動かせ。

 

そうすれば学校も教育委員会も警察も迅速に動き、

イジメ被害は完全に止まる。

 

今回はそれが子を持つ親として正解であることが示され、

私も同じ立場になったら間違いなくそうすると思います。

 

子どもを持つ親なら今回の動きは拍手喝采だったのでは。

 

加害者の将来?

知らんがな。

勝手に首でも吊っとけ。

 

名誉毀損?

勝手に訴えたら?

仮に裁判所が認めても10万程度、んなのくれてやるよ。

(そもそも認める判決が出る可能性は低いと考えます)

 

公益?社会規範?さらに知らんがな。

 

というのが私の意見です。

 

お行儀よい遺族活動家なら控えるべき発言でしょうが、

私は同じ思いを裁判所とネットに持っています。

 

交通遺族がどんなにがんばっても所詮大抵は執行猶予。

執行猶予なんて紙切れだけの無意味な形式罰。

 

実際、私の加害者もホーッと息を吐いて安心しきり、

「ありがとうございます!」

と今は水戸家裁長の裁判官に言ったくらいです。

 

しかし私が粛々ネット発信を続けたことで、

今でも加害者名をググれば「カス」と予測変換が出る。

そのせいか加害者は今でも自分の名前を検索できないし、

SNSとも無縁な人生を送っている。

 

裁判所の敗北。

ネットの勝利。

 

それが私のケースでした。

 

遺族も加害者をネットに晒せ。

ただし賢く。

 

感情にまかせて加害者名を連呼なんて誰も共感しない。

また感情的な文章は他人が読めば見苦しい。

(初期のブログを読み返すと私も反省があります)

 

そうした注意を払ったうえで、

「燃やさないと動かない」

「だから燃やして現実を動かせ」

は交通遺族にとっても正義だと考えています。

昨年末、何社か見積もった上で、

父の葬儀をお願いする葬儀社を決めました。

 

自分の住んでいる自治体が提携しているところで、

口コミもいろいろ見比べた上で、

ぼったくりや不誠実対応はなさそうと判断しました。

 

葬儀社選びは、本当にブラックボックスが多すぎて、

とにかく用心深さが求められます。

情報弱者はすぐいいように養分にされてしまいます。

巷間の評判そのままなので書いていいと思いますが、

小さな葬式なるものを標榜しているところが、

費用は大きな葬式になるなどはその有名な例かと。

 

 

こんなことを書くのは母のときの反省があります。

 

結論から言えば、母の葬儀を振り返ると、

思いっきりぼったくられたものとなりました。

 

母が交通事故で亡くなったと伝えると、

私はそこまで観察する余裕はなかったのですが、

そのとき横にいた妻曰く、

「目つきがギラっと光って表情が変わり」

担当者がいろいろと提案してきました。

 

「ああ!交通事故でお亡くなりになった方でしたら、

 盛大に見送らないといけないですよね!

 お花も棺もできるだけ盛大にしましょう!」

 

高揚した様子でそんな話をされたのは憶えています。

 

「会食も返礼品も多めに用意すべきです!」

 

と言われ、十数人の参列者に過ぎないにも関わらず、

さらに20くらいの料理が余ったのも憶えています。

 

返礼品も、余ったお茶セットが家に山積みになり、

5年くらいかけてなんとか消費し続け、

最後は茶葉が黒茶色に変色していたので捨てました。

(※今回の葬儀社にもこの話をしたところ、

  「余った返礼品は引き取って請求しないのが常識だ」

  とのことで見事にぼったくられたことになります)

 

振り返れば極めて悪質な葬儀社でした。

 

そんな悲嘆に便乗する悪徳業者の養分にならぬよう、

今回は慎重に対応したというわけです。

 

ここで教訓を書き残すとしたら、

葬儀業者の目から見て交通遺族は、

「おいしいカモ」

と見られる危険性があるということです。

 

もちろん全員が全員とは言いませんが、

「目つきがギラっと光って表情が変わり」

という反応をする葬儀業者がいたことは事実です。

 

そして手つかずの大量の料理や山積みの返礼品に、

途方にくれたのもまぎれもない事実です。

 

特に悲嘆にくれる人が葬儀社の対応をするのは危険です。

 

あまり悲嘆にくれていない、というと語弊がありますが、

冷静に相手を観察できる人に対応はまかせて、

警戒しつつ対応すべきという教訓を書こうと思いました。

まだ正月三が日のうちですし、

こう見えてゲン担ぎを大切にする古風なほうなので、

攻撃性のあるテーマを書くことは避けようと思います。

 

今回は縁の話を書いてみたいと思います。

 

母の事故死のときもそうだったのですが、

家族が亡くなる(亡くなった)という連絡を通じて、

逆にいろいろな情報が入ってきて不思議な思いをします。

 

みんな単純に慰撫の気持ちで話してくる結果でしょうが、

初めて聞く話から、奇妙な縁を感じることがあります。

 

母のときは、正直あまり良い話はありませんでした。

 

ここではちょっと書けない祖母の話であったりとか、

母生前は知らされていなかった親戚との確執の話だとか。

 

特にいままで親しいイトコだと思っていた人物が、

確かに血は繋がっていたけど、ただそれだけの関係で、

心の繋がりは全くない他人だと知らされたりもしました。

(現在私には実質的なイトコという存在がいません)

 

父の場合、鹿児島の昔ながらの田舎の大兄弟でもあり、

その関係筋から知らされる話が今回いくつかありました。

 

年齢的に既に物故者や行方不明者も当然いるのですが、

とにかく父の家系は生命力が強い長寿家系です。

(だからかこれを書いている現在も父は生きている)

 

叔父たちも九死に一生の経験をしています。

 

父兄弟の長兄は終戦間際、特攻隊として出撃したものの、

(鹿児島には特攻隊出撃基地として有名な知覧がある)

海に墜落して生還し、その後100歳近くまで生きたし、

その話を聞かせてくれた叔父(父の弟)自身も若い頃、

北朝鮮工作員に海岸で拉致されかけたことがあります。

(結婚前の奥様とデート中に襲われたとのこと)

 

また次兄は祖先の系譜を辿って、それを配っていました。

もともと父の母方は逆瀬川という珍しい姓で、

代々逆瀬川家は島津家の家臣だったらしいのですが、

「悲運に見舞われ、今は落ちぶれてしまっているが、

 みなで武家だった誇りを大切にして生きていきたい」

といった内容の達筆な手紙を残していました。

 

父自身も、本人からはそんな話は一言もないままでしたが、

「勉強熱心で、勉強だけはできて一家でも特別扱いだった」

「家の手伝いとかは一切免除されて、勉強ばかりしていた」

というエピソードを知ることができたりもしました。

(「でも生き方はヘタだったわよね」とは叔母談。全く同意)

 

生きていた一人ひとりに固有のエピソードがある。

そんなのはよく考えなくても当たり前のことではあります。

 

父とは冷淡な親子関係のまま終わることになりますが、

「父死期近し」という連絡を取っていなければ、

きっと私も一生知ることのないままだっただろう情報が、

いろいろ入ってくることは、やはり不思議な心持ちです。

 

 

元々ここは、2010年に私が母を交通犯罪で亡くし、

「交通事故程度」なら犯人も刑務所に入らずに済む

という現実にショックを受けて始めたブログです。

 

しかしこれもこれまで書いてきていますが、

我が家は愛情深い両親や親子関係ではありませんでした。

 

当初は受けたショックや思いを書き綴ることで、

自分のなかのいろいろなものを吐き出していましたが、

マスターベーションだと言われたらその通りでした。

そんな自分の中には、承認欲求であったりとか、

虚栄心、はたまた悲劇を演じることに酔っていなかったか、

と言われたら、否定は全くできません。

 

そうしているうちに娘を授かることになり、

娘中心で世の中を考えるようになり、

そのための時間とエネルギーを最優先するようになりました。

遺族団体の集まりに関わることも面倒だと感じ始めてきて、

「ああ、もう自分は遺族なんか名乗ってはいけないんだな」

と自覚することが多くなってきていました。

 

今の私をストレートに表現すれば、

交通遺族としての私は既に過去のものとなっています。

 

冷静に自分の残りの人生を考えた場合、

もう人様のことなどにかまっている余裕はなく、

これからは自分と自分の家族のために考えて動きたい。

今はそう考えるようになりました。

 

実際にここ1~2年ほどずっとそうだったのですが、

無理やり遺族や命の尊厳とからめて文章を書いていました。

しかし既に私の関心からは完全に離れていたこともあり、

それを今後も続けるのはもう無理だなと判断しました。

 

文章を書いて発信することは好きです。

マスターベーションと言われたらその通りですし、

「で?それがどうしたの?君と何の関係が?」

と開き直るつもりですが、今後は別のブログやSNSを立て、

娘の未来をどうサポートしていくか書いていくつもりです。

 

ただ遺族ブログとして、

書いておきたくて書いていないことがあります。

やはりこれは書いておいたほうが役立つだろうし、

それくらいは役立ちたいと思っていることです。

 

・裁判対策にすらならない無駄な成年後見はやめておけ

・特に交通遺族は葬儀屋に注意して!

・家族が亡くなることでつながる親族の縁の不思議

・支離滅裂が予想される自転車交通ルールへの苦言

・最後に父が亡くなったらその報告

 

これだけ書いたらここは店じまいしようと思います。

それまで今しばらくお付き合いください。

 

穏やかな正月ですが、いかがお過ごしでしょうか。

 

X(旧Twitter)では書いていたのですが、

私は、クリスマスイブの早朝に父が緊急搬送され、

そのバタバタで一足早い仕事納めとなってしまい、

このたびは慌ただしい年越しとなってしまいました。

 

入居施設で深夜に転倒しているところを巡回で見つかり、

その時の父は何もなかったのですが、

翌朝早くに反応がなかったため緊急搬送された状況です。

 

その後、緊急病棟から一般病棟に移され、

その後「今すぐ来てくれ」みたいな連絡をもらったりで、

いろいろ右往左往はありましたが、今も存命です。

 

結局、父は危篤には陥ってはいないながらも、

いつ危篤になってもおかしくないなかで、

今にも病院の着信があって動く可能性がある状況ゆえ、

やはり落ち着かない年越しになってしまいました。

 

ギリギリまで喪中になるかどうかもわからず、

年賀状も出すかどうかギリギリまで判断保留となり、

そうした動きへの対応はやはり疲れてしまいました。

 

私は、これまでも何度も書いていますが、

元々冷淡な親子関係にあったことがまずあります。

その上で、父も既に90歳をゆうに過ぎていて、

長く生きすぎたこともあり、悲嘆は何もありません。

 

ただ一人っ子長男としての役目を粛々果たすのみです。

 

そんなわけでしたが、例えば紅白の最中なんかに、

「今すぐ来てくれ」

もありえる年越しだったわけですが、

結局、年賀状を出し、大掃除を行い、おせちを作り、

紅白を観て、一家で氏神に初詣伺い、娘にお年玉をあげ、

おせちと雑煮を食べる正月を迎えています。

 

 

私はすべてが詰まった密度の濃い年末の空気は好きですが、

すべて空っぽに感じられる正月の空気は苦手だったりします。

所在ないというか、空虚に感じるというか、とにかく苦手・・・

 

ただこうして穏やかな空気があることの大切さは、

毎年感じており、今もその思いを強めています。

 

どちらにせよ近いうち父は亡くなります。

ここ数年考えていたことですが、そのタイミングで、

このブログの執筆も区切りをつけようと思っています。

長くなるので、その話はまた稿をあらためます。

父の成年後見年次報告書の作成に忙殺されています。
毎年提出しているものですが、結局今日までで終わらず・・・
この土日はそれに忙殺されて過ごす予定です。
提出の締切は週明けの12月15日・・・憂鬱です。

先ほどXで徒然なるままにポストしたのですが、
今のクリスマスシーズンが1年で一番好きな季節です。
しかし毎年この時期のこの作業だけは頭が痛い。
ハッキリいって苦痛です・・・

 



「加害者のせいで父はこんなにダメージを被っていますよ!」
という被害アピールの裁判対策として父につけた成年後見。

しかし結局、そんな主張は裁判では認められず、
(他でもまず認められないそうで、まあプロレスの一環ですね)
勝手につけられた後見監査人なるうさんくさい司法書士に、
結局計数百万円にのぼる後見監査人手数料を取られただけ。


これは明確に「被害」だと認識しています。


「おかしいじゃないか!こんなこと聞いてないぞ!外せ!」
とあちこちに抗議して、やっとその監査人を外すことに成功し、
信託銀行に財産を預ける後見信託制度にして今に至っています。

司法書士の養分からはなんとか脱したけれども、

一度つけた成年後見の苦痛は続くよどこまでも・・・

『成年後見制度の闇』(長谷川学・宮内康二著、飛鳥新社刊)
でも裁判所に司法書士や弁護士を勝手に後見人につけられ、
高額な後見人報酬に苦しむ人の事例がいくつも載っていますが、
私もそんな養分搾取の被害に遭った被害者の一人でした。
(出版社がアレで、痛いところも少々散見の本ですが・・・)

当時も頭も手も動かして書類を作っているのは自分なのに、
たぶん1時間程度でチェックして、間違いを指摘するだけで、
毎年数十万円ももらえるなんておいしい仕事だと思います。


もともと成年後見は弁護士に言われるままに、
「まあ父が詐欺被害に遭ったらすぐ無効にできるだろう」
程度の認識でつけたけれども、やっていることは簿記の真似事。

いろいろとトンチンカンな失敗制度だと思います。

まあとにかく今週末はがんばります。

娘は明日土曜日は某YouTuberのイベント。

翌日曜は仲間とわいわい行く合唱団のイベント。
1日1日が今後の人生の可能性に大きく影響する年齢ですし、
とにかく無為な土日にならなくてよかったと思っています。
やっぱり娘には充実した毎日を過ごしてほしい。
私がいなくてもどんどん前に向かって歩んでいる娘を見ると、
こうして親離れしていくんだなという感慨と寂しさがあります。

この夏に、父に老衰の兆候があり、

年は越せないだろうと言われたと書きました。

 

その年越せももう間もなくですが・・・

いまも父は元気にしています。

 

いや、元気というのは正確ではないですね。

 

相変わらず枯れ木のような様子ですし、

何かあれば一気に容態が急変するのでしょうが、

安定していて、おそらく年は越せそうです。

 

年賀状を用意するかどうかまだ微妙ですが、

12月20日時点で安定したままなら年賀状も発注し、

これまで通りの年越しとなりそうです。

 

そんな今、12月上旬は毎年大変な時期でもあります。

 

父に成年後見をつけているのですが、

家庭裁判所宛の報告書提出期限が毎年12月15日で、

その作成で毎年、時間と労力をかなり費しています。

 

父につけたこの成年後見、

これまでも何度か書いていますが裁判対策の結果です。

 

結局何の意味もなく、ただ無駄な費用と、

無駄な時間と、無駄な労力ばかりが吸い取られ、

やらなければよかったと心から思っている制度です。

 

ハッキリ言って制度自体がクソという側面もあります。

 

成年後見年次報告書の作成と並行して、

この交通遺族のつける成年後見の問題であるとか、

父が亡くなりそうとなったことで入った情報だとかは、

今年中にはなんとか書いておきたいと思っています。

 

という予告だけ今回はメモ代わりに書いておきます。

また数日後に書きます。

 

 

まず最初に、今回は自戒で書いています。

 

娘が生まれ、ある程度分別がつくようになってから、

遺族集会に何度か連れて行ったことがあります。

 

命の大切さを知る機会に触れさせたい。

 

そう思ってのことで、

そうした思い自体は決して偽りではありません。

 

しかしそんな正論を言う自分の心の奥底に、

決して人に誇れない、いやらしい自意識がなかったか。

 

我が身を冷静に振り返って、ハッキリ告白すると、

私の中にはそうした醜い自意識は確かにありました。

 

私は交通犯罪で母親を亡くしています。

しかし過去何度か書いたように親子関係は実は複雑で、

親を殺されたという意識も過去のものになっています。

 

そんな自分が遺族の集まる集会に娘を連れていく。

我が子を無惨に奪われた人もいる場に連れていく。

 

そこまではっきり自覚したものではなかったけれども、

娘をお披露目して自慢したいというエゴであるとか、

自分は娘の成長を見守る幸せがあるという安心の確認とか、

人様の悲劇を娘の教育に役立てようという利己心とか、

そんなこんながないまぜの俗物意識がなかったかといえば、

決してゼロではなかったと告白しなければなりません。

 

心の奥の奥に燻ぶっていた小さな黒点みたいなものですが、

それでも確かにそんな黒点は私の中にうごめいていました。

 

ハッキリ自覚しているレベルでは悩んではいました。

我が子を奪われた人を傷つけることになりはしないか、

そうしたご遺族への冒瀆になってしまうのではないか、

それ以前にそもそも常識的に無神経なことではないか、

などなど、いろいろ考えてはいました。

 

妻からも、

「娘さんを亡くされた人は傷つくから連れていくべきではない」

と言われたこともありますが、当時信頼していた方から、

「そんなことは誰も気にしないし、東さんも気にしなくていい」

という助言にも接していて、それを勝手に免罪符にしてしまい、

結局そうした場に娘を連れ回すということをしてしまった。

 

「私は娘を亡くした。他の人が娘といる姿なんか見たくない。

 傷つくから、そんな人は遺族の集まりには来ないでほしい」

そんな思いを正面から言ってくれる遺族はいないわけで・・・

 

私自身、他者への想像力が足りなかったと後悔しています。

 

なんでいま、こんなことをつらつら書いているかというと、

いま犯罪被害者週間であちこちでそうした催しがあることと、

(そういえば書いている今日がちょうどハートバンドでした)

娘が反抗期になって、自分と二人では出かけてくれなくなり、

そんな状況で当時のふるまいを振り返ることも多くなっていて、

やはり醜い自意識の存在と認めざるをえないと感じていたので、

はっきり言語化して、我が身への自戒にしたいと思いました。

 

以前、村田らむさんのトークショーに行ったことがあります。

 

色々な特異な世界を紹介しているルポライターの方ですが、

その方主宰の世界の様々な悲惨な死に方を取り上げる

ある意味悪趣味なトークイベントだったのですがその中で、

 

「他人の死なんて所詮エンターテイメントなんだよ。

 死んだのが他人だったら、こっちは楽しめばいいんだよ。

 自分の身内が亡くなったら、その時は悲しむ順番だから、

 そんな自分の順番が回ってきたら悲しめばいいんだよ」

 

そんな村田さんの発言がありました。

 

賛否はあると思います。

乱暴な言い方ではありますが、私は真実だと思います。

残酷な現実ではありますけれどもね。

 

ずっと東京(神奈川とか大阪もかな)に住んでいたら、

電車の人身事故(はっきり言えば飛び込み自殺)に、

遭遇した経験は誰だって1~2回以上はあると思います。

 

その時ホームにいる人の多くはどんな反応をするか。

 

そうでない人ももちろん少なくないはずですが、

多くの人がバラバラ死体を一目見ようと殺到し、

(恥ずかしながら過去の私もそんな一人でした・・・)

中にはスマホのカメラを向けている人もいる。

 

私自身の小学生の時の原体験もあります。

 

同学年(同じクラスではない)の子が浴室事故で亡くなり、

そのクラスの子たちが集団で葬儀に行ったのですが、

整列時の少なくない生徒の好奇心に爛々と輝いた目を見て、

強烈な印象を抱いたことを今も鮮明に覚えています。

 

あの時はその強烈な印象を言語化できずにいましたが、

あれはきっと彼らにとってエンターテイメントだったんだな、

と今になれば振り返ることができます。

 

高校の時も別のクラスの同級生のお父さんが亡くなりました。

 

ある日、うちのクラスの豪快キャラが息せき切って駆け込み、

「ぎゃははは!〇〇のおやじ死んだんだってよ!」

とわいわい騒いでいたことがありました。

(豪快キャラ氏も悪意ではなく、完全にノリで騒いでいました。

 弁護ではないですが、彼も決して悪い人物ではありません。

 「彼はロクな人生にならない」と思う人もいるかもですが、

 豪快キャラ氏はその後、順風で幸せな人生を送り、

 お父さんを亡くした方は悪く考え込んで人生が暗転しました)

 

振り返れば知る他人の死はどれもこれも多くの人の本音では、

どこまでもエンターテイメントだったと考えさせられます。

 

私自身、交通遺族になってしばらくしてから職場復帰した際、

本当に気にかけてくれる人は黙って接してくれましたが、

「落ち着きましたか?」

とわざわざ声をかけてきた約2名については、

押し隠した好奇心が表情に出ていて、不快に感じました。

(以前もここのブログで書いたように思いますが、

 「落ち着くって何ですかね?意味がよくわかりませんが」

 とニコリともせず真顔で返したら、アワアワ立ち去りました)

 

彼らにとって私の存在はエンターテイメントだったのでしょう。

 

前回、娘のダンスコンテスト会場の満員の観客席を見て、

我が子の晴れ舞台を応援できる稀有さと尊さを書きましたが、

そんなこんなをいろいろ考えてしまうと、

少なくとも娘が学生の間は自分は絶対に死ぬわけにいかないし、

娘にも決して若くして死なないでと思わずにはいられません。

 

他人の好奇心を満たすためのエンターテイメントとして、

自分や家族の尊厳を消費させるわけにはいかないと思いました。

 

書いててあらためて気づきましたが、

私はどこまでも人の尊厳ということに関心があるようです。