自転車に家族を殺されるということ

自転車に家族を殺されるということ

交通犯罪犠牲者の命が紙クズ扱いされる司法を変えていきます。フェイスブック・Twitterも発信中。
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2014年1月28日に判決が出て裁判は終わりましたが、私の交通犯罪遺族活動は続いています。

交通犯罪と無関係な記事の引用から始めます。

 

 

今年1月29日付朝日新聞の天声人語です。

 

知る人ぞ知る、米兵による昔のむごい殺人事件で、

犯人の名を取って呼ばれるジラード事件があります。

 

1957年、群馬で米兵が面白半分に主婦を撃ち殺し、

日米間で揉めた末にようやく日本で裁判したけれども、

結局、執行猶予で終わってしまう。

裁判が終わるや犯人のジラードはさっさと帰国し、

(あれ?執行猶予期間ってなんだっけ?)

後日「軽い罪でよろしく」という日米間密約が判明した。

(あれ?裁判官の独立ってなんだっけ?)

 

・・・と書いているだけで嘆息しかない事件ですが、

ここで取り上げた理由は引用されている遺族の言葉、

 

 

「無罪と同じです」

 

に同じ思いをした者として、

目にした瞬間に胸をえぐられたからです。

 

そう。

 

いくら職業裁判官や司法関係者が、

どんな高邁な理念や理屈をつけようとも、

遺族にとって犯人の執行猶予は「無罪と同じ」

 

殺人でも交通犯罪でも関係なくそう。

1957年でも私の時の2010年でも2025年でも同じ。

 

70年前も、今もずっと、多くの遺族は、

 

「だってこの国ではそういうもの」

「そういうものなんだから仕方ない」

 

という法曹らの「高邁な」基準に苦しめられている。

 

でも遺族を苦しめるそんなものに高邁さなどあるのか。

 

私の率直な感想を言えば、

人の命を奪った犯人に対する執行猶予付き判決など、

アフリカ一部で今も行われる女性割礼と同レベルの

醜く、残虐な「風習」でしかないと思っています。

(唐突に昔の映画「戦士の刻印」を思い出したので)

 

多くの法曹らにも自答してほしいと感じています。

このブログを始めた13年前からずっと変わらず

繰り返し書いていることがあります。

 

「遺族活動は片手間でやるべき」ということです。

 

日々の日常生活に支障をきたさず、

自分の人生やキャリアにも何ら負荷をかけず、

遺族活動はあくまで淡々と片手間でやり続ける。

その大切さです。

 

もちろん遺族本人として動く場合は全力です。

でないと加害者実刑など夢のまた夢ですから。

ゆるく片手間に裁判対策をして、

犯人に執行猶予がつけば生涯の後悔を残します。

 

しかし自分の裁判が終わり、目線も利他に移り、

他の人にどう対していくかと考えた場合、

どこまでも片手間にとどめるべきと考えます。

 

しかし片手間にとどまることができず、仕事もやめ、

24時間365日交通事故(交通犯罪)のことを考え、

職業遺族となってしまう人はゼロではありません。

 

仕事を辞めて貧困に陥り、日々の生活に追われたり、

活動に熱心すぎて、夫婦間のすれ違いで離婚したり、

婚期を逃したり、子どもを授かる機会を失ったり、

そんな例があり過ぎるように思っています。

でもそんなことになったら二重に悔しくないですか?

 

交通犯罪で、家族や大切な人を奪われただけでなく、

さらに自分の人生まで破壊されてしまうことになる。

 

そのことまで加害者の責任を問うことはできません。

 

私たちは聖母マリアや観世音菩薩にはなれません。

 

聖母マリアや観世音菩薩になろうとした瞬間に、

その人の人生は多かれ少なかれ破壊されてしまう。

 

家族や大切な人を奪われた事実は変えられない。

しかしさらに自分の人生までは破壊させない。

 

あくまで片手間で発信や意見提起を続け、

片手間で働きかけるべきところに働きかけ、

片手間で世の中の変えられるところを変えていく。

 

全ての遺族を救済しようなどとは決して考えず、

縁あって偶然隣にいた遺族に声をかけるにとどめる。

 

そんな大切さをふと感じて徒然に書きました。

 

もちろん使命感を燃やしている遺族は尊敬します。

活動自体が追悼になっているだろう例もあります。

 

またこんなことを書いている私も当初を振り返れば、

深夜にブログを書いて睡眠3時間で翌朝出勤したり、

何度も会社を休んで書類を書いたり官庁に行ったり、

休日をつぶしてメディアの取材を受けたりしました。

 

ただずっとそんなことを続けていたら、

間違いなく私の人生はもっと壊れていました。

他の遺族にはそんなことは勧めるべきではないと思い、

こんなことを書いてみました。

 

「ゆるくていい」「片手間でいい」という、

今はやりの皮肉な言い方を逆利用して言えば、

当時も今も変わらない私の「お気持ち表明」でした。

 

ささやかな自分なりの美学ですが、このブログでは、
世間をにぎわせている話題は原則触れていません。


単に安易に旬の話題に飛びついてしまうと、
後々読み返せばものすごくダサいだろうなと・・・
ただそれだけの理由ではあります。


ただ今回のフジテレビのことは触れようと思います。


理由は彼ら彼女らの本心が透けて見えてしまうから。

 

そして今度こそまともな会社に変わろうとしない限り、

(率直に言えば、この機会に潰れろと思っています。

 長年の政界縁故入社が効いて潰れないでしょうが)
性被害だったり、報道被害だったり、形は違えど、
きっとまた被害者を生み続けるだろうと思うからです。


ただ思うですが、多くの日本人には、
「池に落ちた犬を寄ってたかって袋叩きにしたがる」
という嫌な国民性があります。


だから私も醜い池に落ちた犬叩きをしないよう、
以下、自制しながら書いてみようと思います。


番組で泣きながらアナウンサーがコメントしたり、
組合員急増や、社員説明会で怒号が飛び交ったり、
中居正広氏の子どもが書いたような引退声明とか、
いろいろな話題が世間をにぎわせています。


でも率直に書けば、多くのフジテレビ社員の本音は、

高邁な理念や、使命感とはあまり関係なく、
「年収数千万円の今の華やかな地位を失いたくない」
という一言に尽きるのではないかと思っています。


知らない人も今はいるかもしれないので再度書くと、
私はフジテレビによる報道被害者の一人です。

 


私の本ブログでの報告記事
https://ameblo.jp/azumin827/entry-12161073531.html

あいの会ブログでの報告記事
http://blog.livedoor.jp/i_nokai0708/archives/48618556.html

BPO(放送倫理・番組向上機構)の委員会決定報告ページ
https://www.bpo.gr.jp/?p=8627&meta_key=2016


詳細は↑に書いて、記録を残していますが、
「自転車事故の深刻さを訴えたい」
と言われて、それならとインタビューに応じたら、
「自転車を狙った子どもの当たり屋がいる」
という話を面白おかしく(全然面白くないのですが)
茶化したドラマの前振りに使われる被害を受けました。


BPOに申し出て、被害認定もされたのですが、
その後も時折続いてきたフジテレビの数々のオイタ、

そして今回の騒動をみれば、
「結局あの時から何も変わっていなかったんだな」
というのが率直な感想です。

 

「女性のプライバシー保護」

を隠蔽の言い訳にやたら強調していた姿勢も、

私を被害者にした時と変わらないなと既視感全開です。

 

実際、私の大学時代にもいた
「フジテレビに行きたい!!!」
という面々は、私の知っている限りで言っても、
「気が付けば18歳もとうに過ぎて、
 今更この年で芸能人なんか目指せないけれども、
 やっぱり芸能界に近い華やかな世界で生きたい!」
という価値観の人ばかりだったように思います。


そんなこんなは、多くの人にはきっと既知の話で、
フジテレビの軽はずみさや非常識ぶりに
不快感を抱き続けてきた人たちのマイナス感情が
一気に噴火したのが今回の騒動なのだと感じます。


しかし今回の騒動は長い目で見れば吉報と考えます。


もし今回がなければ、アナウンサーの女性たちは、
今後も人身御供で性消費され続けていたはずだから。
(フジテレビだけの話かどうかも含めて・・・)


今後、それはほぼ完全になくなったわけです。

 

未来の性犯罪被害者を救うことができた。
吉報と言うしかありません。


結局、大きな被害が出て、誰かが苦しみ、
それがセンセーショナルに騒がれなければ、
何も変わらない悲しい現実はあります。

それは今回も交通犯罪も変わらない。

 

第三者委員会がどうという話については、

きっと性の献上先には政財界も多いでしょうし、

うやむやな報告書になるだろうと諦観しています。

(Xでゆな先生が書いている↓に全く同感)

 


ただ未来の性犯罪被害者を減らしたという一点で、
今回の騒動はとても価値があったと考えています。

明らかに色合いがガラリと変わっているので、
読んで気づいた人も多いかもしれませんが、
昨年末よりあいの会ブログを後任者に委ねています。

 

♧あいの会ブログ
http://blog.livedoor.jp/i_nokai0708/

実はここ2~3年、ずっと考えていたことでしたが、
「やっぱりそうしよう!」
という最終決定のきっかけが昨年末にあり、
試行錯誤ながら今は別の人がブログを書いています。

(Facebook法人アカウントは今後継続不要と判断し、

 その閉鎖お知らせだけ最後に先ほど書きましたが)


10年以上一人でコツコツ書き続けてきたこともあり、
手放すことに葛藤がなかったと言えば嘘になります。

 

ただ、10年後、20年後・・・

さらにその先の遺族団体としてのあり方を考えれば、
今のタイミングしかないと思いました。


この話題を書くのも何年ぶりかわかりませんが、
埼玉の遺族の方々とあいの会を立ち上げる前、
私は全国交通事故遺族の会に入っていました。


しかし会は入会翌年に解散してしまいました・・・


端的に言えば、創始者=会長がご高齢になり、
活動継続が難しくなってしまったためでした。


「全国交通事故遺族の会はどこまでも会長の会だった。
 会長が続けられなくなったら解散するしかなかった。
 あいの会はそうならないようにずっと続けてほしい」


その会でお世話になった恩人の方に言われた言葉です。


気が付けば、あいの会も結成してから10年以上経ち、
例えば、これから自分が60代70代になっても、
ずっとブログ執筆者の立場に固執して手放さず、
他の人に譲らないでいくのか・・・と考えたら、
そろそろバトンを次に渡していくべきと思いました。

 

50年後も100年後も、きっと交通犯罪はなくならない。


大切な人を奪われる悲劇もなくならなければ、
遺族軽視のおかしな判決もまだ続いているかもしれない。


そう考えると、次の人にバトンを渡していくこと、
ミッションを継承していく大切さを考えていました。

 

あとついでに言えば、私は記録魔。

 

100年後200年後、さらにずっと未来の歴史家が、

あいの会を発見し、活動に興味をもってくれたら・・・

そう考えると記録は漏らさずすべて後世に残したい!

そうした気持ちでブログを書き続けてきました。

その思いは、あいの会のメンバーにも伝えました。

 

もちろん、しばらく不慣れが続くと思います。

どうかあたたかく見守ってほしいと思っています。

 

半年ぶりのブログ更新になります。

 

私は自転車乗りが加害者の交通犯罪遺族です。

ですのでやはりこれは自分の置かれた立場上、

書いておかなければいけないと思いました。

 

11月1日からの道路交通法改正についてです。

 

あくまで報道の一例としてですが、

朝日新聞の先月末の記事を貼っておきます。

 

朝日新聞2024.10.30朝刊

 

つまり、ながらや酒気帯びは今後ダメだよとの話。

 

別の記事では、

「バイクと同レベルになった」

という書き方をしている記事もありました。

 

今までできていなかった当たり前の取り締まりが、

やっとできるようになったものと理解しています。

 

しかし・・・実際にきちんと警察が、

ながら運転や酒気帯びの自転車を取り締まり、

道路交通法の改正が生きてくるかは未知数です。

 

まずは警察にはどんどん厳しく取り締まってほしい。

 

今まで交番の前でやっている人がいても黙認だった

スマホをいじりながらの自転車走行もそうです。

パトカーからそんな自転車走行を見たら、

サイレンを鳴らして徹底追尾も最低限のことです。

 

でないと危険運転致死傷罪のように死に体同然になってしまう。

 

遺族が血のにじむ思いで結実させた危険運転致死傷罪。

 

にもかかわらず、あきらかな危険運転による交通犯罪でも、

検察も裁判所も意味不明な理由をつけて適用を避け続け、

気が付けば危険運転致死傷罪が心肺停止状態だとわかって、

蘇生が必要だと言い始めているのが今だと認識しています。

 

今回の道路交通法改正にはそんな死に体は望みません。

 

そのためにもまずは警察の尽力を期待したいと思います。

現場がそうすることを容易にするためにも、

警察庁からも各都道府県警に通達を出してほしい。

 

現状がどうかわっていくか注視していきます。

 

現状が変わる様子が見られないようであれば、

あらためて声を上げていこうと思います。

ここは遺族ブログです。

 

なので自分の子どもの話は基本しません。

 

書くまでもない当たり前のことですが、

伴侶をなくした人の前で夫婦仲を語ったり、

子どもを亡くした人に子煩悩を披露するのは、

配慮のない行為だとわかっているからです。

 

ただこんな風に伝えていきたいということは、

時々は書いてはいこうと思います。

 

娘はこの春、小学4年生になりました。

 

3年後には中学生と思うとビックリです。

 

しかしそんな当たり前の人生の流れを

ある日突然断ち切るのが交通犯罪です。

 

それを実際に知っている者だからこそ、

当たり前の毎日がいかに尊いものか、

そのためにいかに気を付けるべきか、

機会があるたびに語り続けたいと思います。

 

また自分が交通安全を守るだけではダメで、

世の中には交通安全を守らない者がいること、

彼らの存在にも警戒しなければならないこと、

などなども語るようにしています。

 

交通犯罪だけでなく、理不尽や暴力など、

必要なときには闘わなければいけないことも、

他の人よりはしつこく言っていると思います。

 

もちろん、勉強もがんばったり、

本もたくさん読んで広い視野を持ったり、

習い事もがんばって得意分野も伸ばしたり、

が大前提で人生をどんどん発展させてほしいけど、

やはり根底にあるものとして、命の大切さには、

人一倍敏感な子になってほしいと願っています。

 

いま、あいの会では絵本を準備しています。

 

娘が通う小学校と地元の図書館とには、

絵本ができたら寄贈を申し出るつもりです。

 

娘にも繰り返し読んでほしいと思っています。

 

上で最初にいろいろ書いたけれども、

やはり親が子どもに語る限界も痛感していて、

(最近は何を言ってもうざがられる・・・)

ツールに頼るのが一番と感じています。

「あいの会で出した本だよ」

と言えばきっと読んでくれるはずなので・・・

 

なので、絵本ができたら活用する予定です。

 

絵本の話は、また具体的になってきたら、

あいの会からもきちんと報告する予定です。

 

***

 

余談。

 

うちの近所の桜並木が満開です。

 

#三沢川さくら回廊

 

最近は観光名所化に成功しつつあるようで、

土日はかなりの混雑で(路駐も目立つ・・・)

外国人観光客らしき人もちらほらみます。

 

美しい光景ですが、あいの会の中にも、

桜の季節に家族を亡くした人が何人かいます。

そんな人には美しい桜も痛みを伴います。

 

毎年当たり前に桜を見ることの稀有さ。

そんな話も娘にできたらと思っています。

なかなか話を聞いてくれはしないけれども。

ファミリーツアー報告もはさみましたが、

ここ最近、何回かに分け、遺族として、

検事にどう対応していくか、

自分の悔いも振り返りつつ書きました。

 

 

 

 

 

もし私のブログに目を止める縁があれば、
あちこち行ったり来たりは疲れると思い、
ここでざっと過去記事をまとめました。
 
あらためてここでも文章でまとめると、
 
(結審まで)
・「私の味方になってください」と素直に訴える
 (まず検事との信頼関係構築に尽力する)
・「求刑は3年半以上で」と数字を出して要請する
 (決して「厳しい求刑を」と抽象的に言わない)
・加害者の調書は早期に取得する
 (検事の「そのうちに」を信じない。
  「ではいつまでですか」と必ず期日を切る)
・加害者名でエゴサーチを頻繁に行い、
 (使える事実を発見することもある)
 突っ込みできそうな点は検事に追及を要請
・「車を手放した」と加害者が言ってきたら、
 検事に被告人質問をさせてほしいと伝え、
 言いよどんだら書類提出の手続きを依頼
・判検交流を利用して、裁判官について、
 「この事件についてどう言っていますか」
 「私が●●と言っていると伝えてください」
 とさぐりを入れつつ牽制する
 
(執行猶予が付いてしまったら)
・居留守されるので、アポが取れなくても、
 「では今から行きます」と押しかける
・判決のその週のうちには必ず行く
 (木金の判決だったら翌週前半までに)
・検事の言い訳に安易に同意しない
 検事が遺族に嘘をつくこともある
 「調べますので、明日再度会ってください」
 と徹底調査の姿勢を示す
・担当検事に会えなくても、
 「ではその上の責任者に会わせてほしい」
 と言って帰らない
 
※とにかく控訴期間はわずか!
 切迫感を持って行動すること!
 
ざっと書くとこの程度はやってほしいです。
これだってあくまで最低限です。
 
ここまで書いて、ふと思ったこと。
これお金取れるレベルのノウハウでは(笑)
思い上がった自画自賛?
 
巷には情報商材屋さんという人がいて、
誰でも知っているような薄っぺらい情報を
さも価値があるかのように見せかけ、
noteとかで有料購読を促しているとも聞く。
 
私が同じことをすればもっと価値もあるし、
小遣い稼ぎ程度はできるかも・・・
なんて黒い考えが一瞬脳裏をよぎりましたが、
もちろんそんなことはしません。
 
遺族間ノウハウ共有は無料が大前提かと。
 
遺族の方が知識をつけて有効に闘い、
実刑判決の判例を作ってくれることが、

私にとっても一番の報酬だと考えます。

先週土曜日(3月16日)、

あいの会で日帰り小旅行をしてきました。

群馬県館林市まで行ってきました。

 

 

 

 

 

 


 

詳細はあいの会公式ブログに書きました。

 

 

カルピスみらいのミュージアム

   ↓

向井千秋記念子ども科学館

   ↓

とんかつの福よし

 

という行程でした。

 

私は娘を連れて行きました。

事件の時はまだ生まれていなかった娘です。

 

普段の土曜日はピアノ、公文、合唱団・・・

といろいろ詰め込んでしまっていますが、

こうした機会にできるだけ参加しています。

 

娘には、あいの会を立ち上げた経緯とか、

触れ合うだろうメンバーの方の事件、

などをこうした行事の前には、繰り返し、

できるだけ話しておくようにしています。

 

現時点でどこまで伝わっているか謎ですが、

将来的に長い目で見れば、きっといつかは

命の教育として生かされると考えています。

 

写真の通り、子どもたちは子どもたちで、

楽しい時間を過ごすことができたようです。

 

この日もよい思い出になればと考えています。

 

 

※あいの会の顧問もしていただいている

 刑事コメンテーターの佐々木成三さんと

 いただいたリアルケイドロの帽子をかぶって

最近、仕事がとにかく忙しくなり、

ブログ更新が金土日になっています・・・

 

検事対策で書き忘れていたこと。

 

加害者への求刑に関しても、

ストレートに意見を言うべきと考えます。

 

ただし抽象的にでなく具体的に。

 

「具体的に」とはどういうことか。

 

以前も書いたと思いますが、

遺族間で言い伝えられる噂があります。

 

求刑の年数によって、

検事→裁判官のメッセージがある。

 

・求刑3年未満は「執行猶予でいいですよ」

・求刑3年は「どっちでもいいですよ」

・求刑3年超は「実刑にしてください」

 

都市伝説かもしれません。

 

ただ私が聞いた司法関係者は一様に

みな困った顔で軽く笑いながら、

あいまいに言葉を濁していましたので、

私はこれが真実だと感じています。

 

都市伝説なら一笑に付して否定すればよい。

それができない時点で真実認定でよいかと。

 

私は検事に、

「厳しい求刑をしてください!」

と言いました。

 

そして遺族として、

責務を果たした気になっていました。

 

本当に・・・

当時の私の無知を厳しく叱りたい。

 

あの時、私は、

「求刑は最低3年6ヶ月以上にしてください」

「3年以下だと執行猶予でいいですよって

 意味になるんですよね。絶対認めません」

とハッキリ言うべきでした。

(※求刑単位は事実上半年刻みのようなので)

 

しかしそのための知識がありませんでした。

 

いま闘っている、これから闘う遺族の方は、

私の轍は踏まないで、ハッキリ伝えてほしい。

 

この世界、沈黙は金ではありません。

沈黙はゴミです。

 

決して後悔しないよう闘い切ってほしいです。

前々回に書いたことを受けて・・・

 

 

前々回ブログで、交通犯罪の刑事裁判では、
「もう車は運転しません」
「車も手放しました」
と被告人側が主張するケースがよくあり、

私の加害者もそう主張したと書きました。

 

実はこれ、ほぼ事実検証されていません。

(ほとんどの人は知らないですよね・・・)

 

つまり言いたい放題の実情があります。

 

交通事故加害者弁護士にとっても、

お決まりテンプレートの一つだと思います。

 

私も当時は無知な遺族の一人でした。

 

だから加害者側のそんな主張を聞き、

「そうなんだ・・・」

とぼんやり思っただけでスルーでした。

 

ちなみに検事もスルーでした。

 

定番テンプレートなのでしょう。

 

しかし、だからこそ、

これがお約束テンプレートだとわかれば、

被害者参加して被告人質問を行った際、

加害者を叩く手段の一つになります。

 

遺族「車は手放したと言いましたよね」

加害者「はい」

遺族「何という車ですか?」

加害者「●●です」

遺族「保険会社も解約したのですよね?」

加害者「はい」

遺族「どこの保険会社ですか?」

加害者「あ・・・えっと・・・」

(※バカでなければここでこちらの意図に気づく)

遺族「言えないんですか?」

加害者「・・・」

遺族「(裁判官か検事に向かって大声で)

 被告人は嘘をついていると思いますので、

 証明書類の取り寄せを求めます!」

加害者「・・・」

 

被告人質問でこんなやり取りが可能です。

 

本当に車を手放していれば空振りですが、

嘘をついている可能性の方が高いわけで、

高確率で加害者立ち往生になるはずです。

 

車を手放したかどうかなんて些末事です。

 

重要なのは執行猶予目当ての情状狙いで

加害者が嘘をついていること。

その事実を法廷であばくことです。

 

ここまで追求できれば、裁判官も

「被告人は真摯に反省している」

とは判決文に絶対書けないはずです。

 

もちろん判例主義の壁もあります。

 

博打性の高い裁判官ガチャもあります。

 

多くの裁判官は、それでもなんとか

判決文に書ける執行猶予ポイントを

懸命に拾おうとしてくるでしょう。

自身の昇進も関わるので必死です。

 

しかし、嘘を露骨なまでに暴露し、

加害者を立ち往生させることにより、

実刑の可能性を高めることはできる。

 

ほんのわずかな可能性アップでも、

そのために動かない理由はありません。

 

もし遺族の方がこのブログを読み、

刑事裁判の被告人質問の前であれば、

そして加害者が、

「もう車は運転しません」
「車も手放しました」

と言ったら、試してほしいと思います。

 

そして「執行猶予当たり前」の判例を

少しずつでも、長い年月をかけても、

皆で突き崩してほしいと思っています。