自転車に家族を殺されるということ

自転車に家族を殺されるということ

交通犯罪犠牲者の命が紙クズ扱いされる司法を変えていきます。フェイスブック・Twitterも発信中。
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2014年1月28日に判決が出て裁判は終わりましたが、私の交通犯罪遺族活動は続いています。

これまで何度かにわたって、

検事に対峙する姿勢として、

「お行儀の良い遺族だと悔いを残してしまう」

「お行儀の悪い遺族にならなければならない」

だと繰り返し繰り返し書きました。

 

 

 

 

 

ただ人によって理解度はさまざまですし、

一応補足すべきだと思って書きますが、

 

お行儀の悪くする=乱暴な態度を取る

 

ではないことは繰り返し強調します。

 

「なんで求刑がこんな短いんですか!」

「なんで控訴してくれないんですか!」

 

検事はこんな悲痛な叫びは聞き慣れています。

 

「あー・・・はいはい、いつものやつね」

という感想しかないと思います。

心を動かされることなんてまずありません。

 

あくまで言葉はソフトに。

そして丁寧に。

 

その上で、

「私の味方になってください」

と訴える。

 

声を荒げたり、罵倒したりは絶対NG。

 

ぶつける感情は怒りでなく悲しみ。

 

求めるものは屈服ではなく共感。

 

この大原則だけは絶対的に死守し、

決して踏み外してはいけないと考えます。

 

その上で行動だけお行儀悪くふるまう。

 

待たない。

あきらめない。

帰らない。

説得に納得しない。

とにかくアクションを止めない。

 

しつこく、しつこく、しつこく、

加害者実刑のための執念を見せる。

 

言葉は草食で、行動は肉食で。

 

言葉だけ拾えば、共感しか訴えない

かわいそうな遺族のままでいい。

 

しかし行動だけは、毅然と圧倒し、

「この遺族をないがしろにしたら、

 後々どんなコストを払わされるか」

と暗に察しさせることが大切です。

 

かつてあいの会で開催する講演会に

スマイリーキクチさんをお呼びし、

誹謗中傷問題を話してもらいましたが、

やはり同じことを言っていました。

 

「この税金泥棒なんて言ってはいけない」

「あくまで悲しみを伝えて共感を得る」

 

これは交通犯罪遺族も同じです。

 

ここしばらく、

「お行儀の悪い遺族」推進委員会

みたいな書き込みを続けています。

 

それもこれも、ここを読んだ遺族の方に、

加害者実刑判決を勝ち取ってほしいから。

そして執行猶予当然の過去判例を塗り潰す

新しい判例を作っていってほしいからです。

 

さらに後に続いてしまう遺族のためにも

未来の判例作りを託したいと思っています。

今回書くことはもしかしたらタブーに触れる、

あるいは物議をかもす内容かもしれません。

 

ただ情報強者内輪の知る人ぞ知る特権にし、

どうしていいか苦しむ遺族に内緒にするのは、

正義にもとると考え、今回敢えて書きます。

 

裁判官は、超然として一段高い場所から、

検事と弁護人のやり取りを見て判断する。

法廷外での関係者への接触は禁欲的に慎む。

そんな超然主義な印象があります。

 

しかし実は検事と裁判官は法廷外でも会い、

抱えている公判について意見交換します。

 

タイトルに「判検交流」と書きましたが、

これは厳密には正確ではないようです。

 

この言い方は、昔ながらの左派の面々より、

「検察と裁判所はグルだ」

みたいな批判に使われた経緯もあるのですが、

他に良い表現がないので暫定的に使います。

 

私の刑事裁判打ち合わせ時も、検事がポロっと、

「今回の裁判官は話しているとまともに感じる」

「ただこの件はまだ具体的な話は聞けていない」

と漏らしたことがあって、

「あ、法廷以外でもやり取りしているんだ」

と意外に思ったことを鮮明に憶えています。

 

このルートですが、実は遺族にとっては、

強力な直訴手段にできる場合があります。

特に緊急時に万事休すを覆せる場合があります。

 

以前あいの会ブログにある遺族の闘い方を載せ、

伏せてほしいと言われて即消した話があります。

 

なので今回もかなりぼかして書きますが、

求刑がとんでもなく軽くされそうだと知り、

急ぎ検察庁に行くと、お約束の「不在」対応。

しかしそこで決してあきらめずに、

「今この建物にいる一番の責任者に話をしたい」

「会えるまでいつまでも、朝までも待っている」

と詰め寄り、最終的に、

「記述を固めたので今から求刑は変えられない」

「しかし担当裁判官と直接話した」

「執行猶予判決が出たら必ず控訴すると伝えた」

「実刑判決を出してもらえる感触はある」

「もし執行猶予判決だったら必ず控訴します」

という話を得るまで闘った例があります。

(あくまで概要です。もっと具体的に書きたい)

 

そしてこの事件では実刑判決を勝ち取りました。

 

何もしなければ、まず執行猶予だったでしょう。

 

この遺族は、その行動力、勘の鋭さ、頭の切れ、

堂々とした度胸、ゆるぎない覚悟・・・

どれを取っても凡人の真似のできるレベルでなく、

尊敬することしかできないような方です。

奪われた我が子への親の思いにも心打たれました。

凡人ではない人の闘い方です。でも知ることで、

凡人でもなぞることのできる何かはあるはずです。

 

本当はもっと細かく書きたいのですが、

遺族の意向を無視して書くわけにはいきません。

しかしここで書いた抽象的な断片からでも、

「こんな闘い方もできるんだ」

という何らかの知見を得ることはできるはず。

 

ただ法廷に座って、言われた時だけ立ち上がり、

その時に発言をするだけでない闘い方もある。

 

執行猶予前提のこの国の司法の中において、

命を奪われた家族の尊厳を守るためには、

お行儀悪く、あらゆる選択肢を追及し尽くす。

 

今回書いた選択肢もあると知っていれば、

必要な時にその選択肢を使うことができます。

(知らない選択肢は使うことすらできない)

 

遺族の方には使える選択肢はすべて使い切り、

悔いのない闘いをしてほしいと願っています。

前々回、検事の対応を振り返ると、

「穴」があったと書きました。

 

 

今回はどんな穴だったか細かく書きます。

 

穴は2つありました。

 

まず一つめがこの写真に関してです。

 

 

これは刑事裁判終了後、民事裁判になって、

弁護士が取り寄せてくれてから、

初めて目にした加害者側の答弁書の一部です。

 

「サイクリング自転車は下を向いて走るから

 前の信号が見えなくても仕方がない」

 

これが刑事裁判の加害者主張のメインでした。

 

この写真は加害者に自転車に乗せて、

「普通に比べてこれだけ前傾姿勢なんですよ」

と主張したいために出してきたものでした。

 

注目はマンション廊下で撮っただろう写真。

その左端に写っている日経新聞です。

 

「この日に撮りました」

という証拠として写したのでしょうが、

ここに写っている10月17日という日付。

 

 

一目見て、ここにピンときました。

 

当時加害者宅はある神社のすぐ近くでした。

 

加害者は、その神社で母の冥福を祈るため

毎日手を合わせていると主張していました。

 

神社と寺の区別もつかない宗教オンチでも、

神社が死者の冥福を祈る場でないくらい

なんとなくわかろうものですが、

裁判所はそんな教養は求められない場です。

 

そしてその年の10月17日という日付。

その神社のお祭りの日、しかも日曜でした。

 

検事からこの答弁書を見せられていたら、

私から直接被告人質問をした際に、

きっとこんなやり取りができたはずです。

 

「被告人の言っている神社は〇〇神社ですか」

「はい」

「被告人は日々通っていると言いましたね」

「はい」

「この写真は新聞日付の10月17日ですか」

「はい」

「この写真を撮った日も通ったのですか」

「はい」

「この写真を撮った後ですか?前ですか?」

「〇〇です」

「何時くらいでしたか」

「〇〇時くらいです」

「静かな空間で母の冥福を祈ったのですか」

「はい」

「この日はこの神社のお祭りの日でしたよね」

「えっ・・・」

「〇〇時だったらもうにぎやかでしたよね」

「えっと・・・」

「いま静かな空間で祈ったと答えましたよね」

「・・・」

「つまり嘘をついていたということですね」

「・・・」

「(裁判官に)私の被告人質問を終わります」

 

もちろん不確定要素はあります。

 

もし本当に神社に通っていたとしたら、

または写真の日がお祭りの日だと思い出し、

こちらの質問の意図を察して、

「お祭りの日だったので静かではなかった」

と答えたとしたら、

被告人質問は空振りになっていたでしょう。

 

しかしおそらく加害者は嘘をついていたし、

写真を見ていたらきっとこの追及はできた。

 

私自身、ピンとこなかった可能性もあります。

しかし私が神社仏閣に詳しかった偶然に加え、

近くである地域感覚と、遺族としての嗅覚は、

直観にピンとこさせていたと思います。

 

しかし検事は「そのうち見せます」

と言ったきりでそのまま結審してしまい、

加害者の嘘を暴いて立ち往生させる機会は

永遠に奪われたままになってしまいました。

 

検事も悪意はなく、忘れていたのでしょう。

しかし致命的な失点であることは事実です。

 

もう一つの穴は加害者の高校同窓会情報。

 

これも結審後に知ったのですが、

加害者は慶應志木高の同窓会幹事でした。

 

加害者名でネット検索していくと、

やがて「慶應志木会会報」が出てきます。

 

普通に高校に通い、卒業した方であれば、

誰でも容易に想像できると思いますが、

大抵は同窓会幹事=その学年のボスです。

 

検事は執行猶予判決後の言い訳の一つに、

「まともに謝罪していないことについても、
 裁判官は被告人が口下手で無口だと判断して、

 謝意はあると判断したのだろう」

ということを言っていました。

 

しかしそんな者が同窓会幹事になるはずない。

 

この事実を知ってさえいれば、

 

・加害者は高校の同窓会幹事をしている

・通常それは学年のリーダー的人物が担う

・加害者も、コミュニケーション能力や

 行動力は人並み以上であることは確実

・にも関わらず遺族への謝罪は怠っている

・よって加害者に謝意のないことは明白で

 法廷での振る舞いは執行猶予目的の

 パフォーマンスであることの証拠となる

 

という裏付けありの論証ができたはずです。

 

しかし検事はそんな事実も知らなかった。

 

もちろん、ネット検索さえしつこくすれば、

(ググってもトップには出てこない情報ゆえ)

そんな重要情報に行きつけるかもしれないと

考えもできなかった私の情弱ぶりもあります。

しかし遺族は精神的にいっぱいいっぱいです。

裁判中にネット検索の余裕なんかありません。

やはり検事なら、加害者の最低限の来歴は

ちゃんと調べておいてほしかったと考えます。

 

どちらも検事に悪意はないのはわかっています。

ただ100点には程遠い仕事しかしていなかった。

 

資料を私に見せて意見を求めてくれていれば、

加害者来歴を一通り洗ってさえくれていれば、

流れはかなり変わっていたはずです。

 

もちろん「あの」裁判官です。

 

 

 

「1名死亡は執行猶予」判例に機械的に従い、

無理やりでも執行猶予を付けていたでしょう。

 

しかし、

・謝意を示している

・うまく伝えられなくても性格上やむなし

という判決は決して書けなかったはずです。

 

 

まだ闘っている最中の遺族の方が

偶然このブログを目にしてくれたとき、

私のような後悔は決してしてほしくなくて、

踏まない轍の事例として今回も書きました。

 

最後に今回からは外れた余談になりますが、

私のブログを読んで、あいの会を知り、

小沢や弁護士とつながって実刑を勝ち取り、

今も会員になっている遺族の方がいます。

 

当時はただ毒を吐いているだけでしたが、

その話を聞いたとき、書き続けたことで、

そんな役に立てたことを嬉しく思いました。

 

最近、頑張ってこうしてアップしている

私の踏むべきでない轍の事例シリーズも

誰かの役に立てればと思って書いています。

前回、公益クソ食らえという話をしました。

 

 

今回も「ああすればよかった」という話を

グチグチと書いてみたいと思います。

 

私個人にとってはもう詮無い話ですが、

加害者執行猶予確定前の遺族が読めば、

きっと提供できる何かはあると思うので。

 

執行猶予判決後に、

「控訴してくれ」と言う私から逃げ回り、

控訴期限最終日の夕方にやっと面会し、

「新しい証拠が」

「上司が」

「公益が」

を理由に控訴しないと言ってきた検事。

 

遺族活動を始めた後に知りましたが、

全て既存のマニュアル通りの対応でした。

 

私はひたすら待ち続け、声も荒げず、

お行儀の良い遺族をしてしまいました。

 

遺族はお行儀良くなってはいけない。

 

過去にも書いたような気がしますが、

これだけはまず最初に絶対になります。

 

もちろん声を荒げていいという話ではなく、

待ちにならず、攻めていくべきでした。

 

電話して、

「〇〇検事は不在です」

と言われたら、

「ではいつなら戻ってきますか」

「いつ連絡しても不在なのは変ですね」

「では日数もないので明日伺います。

 〇〇検事でなくても構いませんので、

 責任者の方どなたかでご対応ください」

とゴリゴリ押し込んで、

早期に東京地検に押しかけるべきでした。

 

そんなことをしたら迷惑になるのでは・・・

なんて思っていた当時の自分を

往復ビンタしてやりたいと切に感じます。

 

迷惑結構。

遺族は家族の命の尊厳をかけているのです。

それを迷惑なんて思うほうが間違っている。

 

そしておかしいと感じる言い方をされたら、

(私は実際されたので)

検事が並べ立てる起訴できない理由を調べ、

本当か嘘かあちこち聞きまくるべきでした。

 

なお後日、被害者支援で有名なある弁護士に、

私が検事より言われた

「新しい証拠がなければ控訴はできない」

は嘘だとハッキリ教えてもらいました。

 

また「上司が上司が」と言ってくるのなら、

「ではその上司と直接話をさせてください」

と迫るべきでした。

 

そんな発想すらない羊のような遺族でした。

 

これから闘う、いま闘っている最中の、

あるいはまだ闘う余地の残っている遺族は、

私の轍を踏まないよう、お行儀悪く、

ゴリゴリ動いていってほしいと思います。

遺族としての検事の対応方法についても、

色々書きたいことがあると気づきました。

 

闘い切って加害者実刑を勝ち取った遺族が、

同じように揃って口にする言葉があります。

 

「検事に味方になってもらうことが大事」

「検事に『味方になってください』と訴える」

 

これは全くその通り。

 

遺族として被害者として、被害者参加し、

検事に相対する場合、この姿勢は必須です。

 

検事と信頼関係を築くことができなければ、

加害者実刑などとても無理と考えるべきです。

 

ただ私のように一緒に闘ってくれると信じ、

実際その検事なりに頑張ったのでしょうが、

最後の最後の対面で検事に失望させられ、

後日「穴」もあったとわかった例もあります。

 

全部だと長くなるので、とりあえず今回は、

最後に受けた失望から書いてみます。

 

検事にこんな対応をされることもあるという

エピソードの一つとして知ってもらえればと。

 

執行猶予付き判決を言い渡された直後、

即座に、私は隣の席の検事に、

「絶対控訴してください!」

と言いました。

 

検事は、

「追って協議しましょう」

と言ったきり、その日は終わり、

1日経ち、2日経ち、週末もはさみ、

連絡がないので、こちらから連絡すると、

「不在」と言われて連絡つかずのまま。

 

やっと向こうから連絡があり、

指定された面会期日は控訴期間の最終日。

しかも夕方の遅い時間でした。

 

バカでなければ誰でもその時点で察します。

 

そして指定されたその日に東京地検に行き、

検事と書記官の二人から話を聞いたのですが、

予想通り「控訴できない」という内容でした。

 

「裁判官は求刑論点全てに言及しているので、

 新しい証拠がなければ控訴はできない」

「上司にも掛けあったが、今回の件では無理」

「まともに謝罪していないことについても、

 裁判官は被告人が口下手で無口だと判断して、

 謝意はあると判断したのだろう」

「それだけの判断を裁判官にされた以上、

 控訴せず執行猶予判決を受け入れることは

 公益にもかなうことになる」

「我々は一人の被害者の心情よりも、

 公益を重視しなければいけない立場だ」

 

ざっと書き出すとこんな話をされました。

 

さらに裁判官が過去の経歴の中で、

最高裁調査官をしていたことにも触れ、

「あの人、最高裁調査官だったんですね」

「それじゃあ、優秀な人なんですね」

などと検事と書記官の二人で、

勝手に盛り上がってしまう始末でした。

 

「黙っていてください」

しか私に言わなかった裁判官についてです。

 

おそらく裁判官を「優秀だ」と持ち上げて、

判決の正当性を説得しようとしたのでしょうが、

私には逆効果でしかありませんでした。

 

ただ不愉快なだけの醜悪なやり取りでした。

 

ずっとあとになって、検察庁の中には、

こういう時のマニュアルがあると知りました。

 

・不在を理由にして当面は会うのを避ける

・会うとしても控訴期限ギリギリにする

・非難の矛先を我が身に向けさせないため、

 上司に懸命に掛けあったことにして、

 控訴できない理由は全て上司のせいにする

 

そんな対応マニュアルだそうです。

 

私はマニュアル通りの対応をされたわけです。

 

さらに遺族の私に対して、

「黙っていてください」

しか言わなかった裁判官を優秀だと持ち上げ、

私そっちのけで書記官と二人で盛り上がったり、

最後は「公益、公益」と連呼されたことで、

私の担当検事への思いは失望で終わりました。

 

遺族の心情を踏みにじることでしか成立しない

「公益」になんて、何の価値があるのでしょう。

 

ゴミ以下の価値しかないと思います。

よく弁護士二次被害の話を聞いているため、

前回ブログでも、弁護士を代えたとしても、

着手金は返還請求できる話を書きましたが、

私の場合、弁護士に不満はありませんでした。

 

ただ私は民事裁判でしかお世話になっていない。

 

刑事裁判では弁護士をつけられることを知らず、

検察官が唯一の味方と思い込んでいました。

 

被害者参加制度への参加で満足してしまい、

最初の頃によく書いていた表現を繰り返せば、

ただ検察官席に座らせてもらっただけ、

ただ発言をさせてもらっただけ、

遺族感情のガス抜きに乗せられただけでした。

 

被害者参加制度自体は決して否定しませんが、

少なくとも私にとってはただの儀式でした。

 

我ながらピエロだったなと思います。

 

もちろん弁護士は魔法使いではありません。

 

執行猶予前提の日本司法風土にあって、

弁護士という魔法使いが杖を振れば、

実刑判決がポンと出るわけではありません。

 

冷静に考えれば、仮に弁護士をつけても、

私の場合、実刑判決は難しかったと思います。

 

しかし知らずにその機会自体を逃してしまった。

 

それが私の生涯の悔いです。

 

民事裁判でお願いした弁護士は、

振り返ればとても手堅く動いてくれました。

細かい対応も面倒がらずやってくれました。

 

時間に余裕があればどこかで書きますが、

成年後見制度の訴訟利用についてだけは、

後々苦しむことになったので、

もっと説明が欲しかったなとは思います。

 

ただその事務所は総力データ戦で臨んでくれ、

変に感情で上滑りすることなく、

論証すべきは論証し、反証すべきは反証し、

着実な判決を勝ち取ったと思います。

 

上から目線で説教を垂れることも一切なく、

真摯で謙虚で、人柄も尊敬できる方でした。

 

その弁護士でよかったと今も感じています。

 

ただやっぱりどうしても後悔するのは、

刑事裁判できちんと弁護士を使いたかった。

使っていれば検察官の不備も指摘できたし、

(彼なりに一生懸命だったとは思いますが、

 まだ未熟で100点の仕事ではなかった)

加害者の主張の矛盾も暴露できたと思う。

 

返すがえすもそれだけは生涯の悔いです。

 

だからいつか遺族になってしまった方が

どうしたらいいか必死にネット検索して、

たまたまこのページを見ることがあれば、

まずは知ることに尽くしてほしいと考えます。

 

刑事裁判でも弁護士を使うことはできる。

被害者参加したから実刑になるわけではない。

検察官も100%の仕事ができるわけではない。

その不足を弁護士で補うことができる。

ただ「被害者精通弁護士」にごまかされるな。

 

遺族にとって日本の裁判の世界は、

知る人と知らない人の格差の激しい世界です。

情弱には残酷すぎるほど残酷な世界です。

 

まず「知ること」が大切だと思います。

 

知ることができれば、それさえクリアすれば、

あとは闘いたい思いがすべき行動につながり、

どんな結果でも悔いは残さないはずです。

遺族活動界隈の片隅にいると、

弁護士の二次被害の話をよく聞きます。

一言で言えば弁護士選びに失敗した場合です。

 

被害者精通弁護士のことを前回書きました。

 

加害者実刑を勝ち取るべく探した弁護士が

被害者精通弁護士だと聞いて期待したら、

実は研修を少し受けただけのレベルで唖然。

「精通」には程遠く、能力もやる気もなくて、

一緒に闘ってもらえなかった話はありがちで、

だから見極めが必要という話を書きました。

 

しかし人間の行動には「サンクコスト」という

やっかいな癖がつきまといます。

(コンコルド効果とも。詳細ググってください)

行動経済学はじめ広く使われる用語ですが、

要するに一度お金を費やしてしまったら、

判断ミスをしたとはなかなか認められず、

必死に良い面だけ見ようとする傾向です。

 

そしてどんどんドツボにはまっていく。

あるいは地獄に堕ちていくと表現すべきか。

 

弁護士もそうです。

 

「この人は一緒に闘ってくれないかも・・・」

 

そう気づいた時には大抵着手金を支払った後で、

「いや!この弁護士も良い面はあるはず!」

と必死にすがりつき、外の忠告にも耳もふさぎ、

最後はお約束の執行猶予判決でチャンチャン。

 

そんなパターンが多いように感じます。

 

そこであまり知られていない豆知識について、

いつかどこかでなってしまう遺族のために、

残しておくのも遺族の端くれの務めかなと思い、

以下書いておきます。

 

刑事裁判が進んで次回は判決なんて段階なら、

残念ながら手遅れですが、そうでなければ、

支払った着手金は基本的に返金請求できます。

 

具体的行動の前であれば全額返還も可能です。

 

返し渋る弁護士もゼロではないようですが、

その場合もその所属の弁護士会に相談して、

「これこれこうした事情があって、

 着手金返還を求めていますが渋られている」

と言えば、間に入ってもらえると聞きます。

 

弁護士会にまで言われ、評判を落としてまで、

1案件の着手金に固執するのもそういないかと。

 

それでも固執するほど切迫した弁護士だったら、

国のロースクール制度大失敗の犠牲者というか

「弁護士資格は得たけれども」な人と思われ、

それこそ縁を切っておいてよかった類です。

 

なので弁護士に頼んで

「効果的に一緒に闘ってもらっている」

と実感できればそれで万事OKなのですが、

不幸にもそうでなかった場合・・・

払ってしまった着手金を気にして、

生涯の悔いを残すことなんてないですよ、

ということを書き残しておきたいと思いました。

今回は全くの雑感をスキマ時間に書きます。

 

被害者精通弁護士について。

 

これははっきり言って欠陥制度です。

 

なぜならば、

「私は被害者精通弁護士です」

と名乗って営業する弁護士の多くが、

被害者に精通などしていないからです。

 

なぜそのようなことが起きているのか。

 

これは定められた研修なり講演なりに、

最低限の回数だけ出ていさえすれば、

被害者精通弁護士の肩書を得られるからです。

 

なので被害者に心情も寄せていなければ、

そのための勉強もろくにしていない、

被害者を見込層としか考えない弁護士に、

この肩書が収益UPの道具に使われている。

そんなケースが目立つように感じます。

 

たまったものではないのは被害者です。

 

「被害者精通」のキラキラに目を奪われ、

一緒に闘ってくれると思っていたのに、

実は研修や講演に出ただけの弁護士だった。

 

加害者実刑を勝ち取るべく頼んだ弁護士に

「刑事裁判はサクッと終わらせて、

 早く民事裁判で賠償金を取りましょう」

なんて言われるのは大抵このパターンかと。

 

この手合いは千葉や埼玉で目立つとか。

以前も書きましたが、損保会社の命じるまま、

遺族を侮辱する弁護士も千葉ばかりなので、

なるほどね・・と納得する部分はあります。

 

よって被害者も見極めの眼力が求められます。

 

これまで手がけた事件を細かく聞いてみて、

あわあわしたり、逆に強弁してきたら、

「ああ、こいつはやめておこう」

と見切りをつける判断が必要になります。

 

それで連想するのがインチキ霊能者です。

 

「高野山で修業した」

とか宣伝文句にするそうした輩の多くが、

ただ2泊3日などで一般向けに行っている

体験修業に参加しただけなのだとか。

 

とても似ていると感じてしまいます。

期待のできなさも、人としての品格も。

 

※怪談好き間では名著中の名著とも言われる

 加門七海×東雅夫対談本『怪談徒然草』より

前回の話題をさらに引っ張るかもしれませんが、

そもそもなんの落ち度もない人の命を奪った場合、

刑務所に入らずに済むこと自体がおかしなことです。

 

少なくともそれが多くの人の感覚だと思います。

 

しかしそんな「国民感情」に裁判官が気づき始め、

徐々に判例がより良いものに変わっていく・・・

ということはやはり期待できないと思っています。

 

裁判官の世界の中だけに委ねていたら、

いつまで経っても何も変わらないと考えるべき。

 

「やはり人の命を奪って執行猶予はおかしい」

と考える裁判官が仮にいたとして、

その考えを反映した実刑判決を出したとします。

すると加害者側は確実に控訴するでしょうし、

それで控訴審で判決をひっくり返された場合、

その裁判官は人事で不遇をかこつリスクが高い。

そんな「殉教者」をみて、他の裁判官が委縮し、

さらにギチギチの判例主義が強化されていく。

そんな絶望的な悪循環しか想像できません。

 

なので、交通犯罪で死亡が1名程度だったら、

執行猶予でいいやという線引きを変えるのは、

司法に期待を求めるのではなく、政治により、

外科手術してもらうしかないと思っています。

 

ただ今はそのタイミングではないと感じます。

 

しかしあるきっかけで、動きが一気に広がり、

基準がガラッと変わるのが世の中というもの。

 

元号が令和になってからよく、

「それは昭和」

という言い方が否定的な意味で使われますが、

かつて当たり前だった昭和のそんな野蛮さも、

いつの間に良くなったものはあまり見当たらず、

あるきっかけで議論が起き、世論を席巻し、

一気に変わったものばかりだと感じています。

 

常にこうして地道に発信を続けつつも、

そんないつかの引き金のタイミングを待ち続け、

絶好の瞬間を狙っていきたいと思っています。

そもそも人の命を奪った者に執行猶予がつき、

実質ゼロになる前提がおかしいのは当然です。

 

その上で、それでも一万歩以上譲って、

今の判例上どうしても執行猶予が不可避の場合、

判決文の書き方にも問題があると思っています。

 

交通犯罪で加害者に執行猶予を付ける場合、

判決文に載る理由はどれも似たり寄ったりです。

 

「保険に入っていて償う予定である」

「遺族に対する謝意がみられる」

 

ほぼ例外なく、このコンボの組み合わせ。

 

そしてそんな説明に納得する遺族など

少なくとも私は聞いたことがありません。

 

自動車を運転する以上、

保険に入っているのは当たり前のことです。

では保険に入っていさえすれば、

(つまり一部の無法な無保険者以外は全員)

どんな運転もOKとするのかという話です。

 

もう一つの謝意がどうのこうのというのも、

本当に謝意があるかどうかとは無関係で、

以前、下記のブログ記事で茶化した通り、

それらしき言動の有無のカウントによる

機械的ポイントゲームでしかありません。

 

♧以前のブログ記事

 

私の場合も加害者の明らかな茶番を取り上げて、

安直に「謝罪している」と無理やり理由付けし、

機械的に執行猶予をつけたから怒っているのです。

 

もしこれが、

 

「人の命を奪って刑務所に入らずに済むなど、

 普通に考えればありえないことです」

「加害者の謝罪の言葉など裁判対策でしかなく、

 全て空疎なパフォーマンスだとわかっています」

「しかし被告にも執行猶予を付けざるをえません」

「なぜならば今の日本の裁判所では、

 過去の判例を踏襲しないといけないからです」

「そして過去の判例は執行猶予前提なのです」

「正義にもとるのは当然ですがわかってほしい」

 

判決言い渡し時に、ここまで語りかけられたら、

私も裁判官への憎しみを抱き続けられていたか、

正直自信はありません。

 

遺族活動の方向も、このブログの雰囲気も、

きっと違うものになっていたと思います。

 

「判例を踏襲して執行猶予をつけないと、

 私の出世にも響いてしまうんですよ」

なんて率直すぎる本音までは言わなくてもいい。

 

しかし上に書いたことを切々と言われたら、

きっと私の心に響く何かはあったと思います。

 

しかし私の刑事裁判の裁判官はそうしなかった。

 

そして多くの遺族がそうさせられているように、

私も日本の司法を信頼せず、時に嘲笑すらする、

そんな被害者遺族の一人になっています。