まだ正月三が日のうちですし、
こう見えてゲン担ぎを大切にする古風なほうなので、
攻撃性のあるテーマを書くことは避けようと思います。
今回は縁の話を書いてみたいと思います。
母の事故死のときもそうだったのですが、
家族が亡くなる(亡くなった)という連絡を通じて、
逆にいろいろな情報が入ってきて不思議な思いをします。
みんな単純に慰撫の気持ちで話してくる結果でしょうが、
初めて聞く話から、奇妙な縁を感じることがあります。
母のときは、正直あまり良い話はありませんでした。
ここではちょっと書けない祖母の話であったりとか、
母生前は知らされていなかった親戚との確執の話だとか。
特にいままで親しいイトコだと思っていた人物が、
確かに血は繋がっていたけど、ただそれだけの関係で、
心の繋がりは全くない他人だと知らされたりもしました。
(現在私には実質的なイトコという存在がいません)
父の場合、鹿児島の昔ながらの田舎の大兄弟でもあり、
その関係筋から知らされる話が今回いくつかありました。
年齢的に既に物故者や行方不明者も当然いるのですが、
とにかく父の家系は生命力が強い長寿家系です。
(だからかこれを書いている現在も父は生きている)
叔父たちも九死に一生の経験をしています。
父兄弟の長兄は終戦間際、特攻隊として出撃したものの、
(鹿児島には特攻隊出撃基地として有名な知覧がある)
海に墜落して生還し、その後100歳近くまで生きたし、
その話を聞かせてくれた叔父(父の弟)自身も若い頃、
北朝鮮工作員に海岸で拉致されかけたことがあります。
(結婚前の奥様とデート中に襲われたとのこと)
また次兄は祖先の系譜を辿って、それを配っていました。
もともと父の母方は逆瀬川という珍しい姓で、
代々逆瀬川家は島津家の家臣だったらしいのですが、
「悲運に見舞われ、今は落ちぶれてしまっているが、
みなで武家だった誇りを大切にして生きていきたい」
といった内容の達筆な手紙を残していました。
父自身も、本人からはそんな話は一言もないままでしたが、
「勉強熱心で、勉強だけはできて一家でも特別扱いだった」
「家の手伝いとかは一切免除されて、勉強ばかりしていた」
というエピソードを知ることができたりもしました。
(「でも生き方はヘタだったわよね」とは叔母談。全く同意)
生きていた一人ひとりに固有のエピソードがある。
そんなのはよく考えなくても当たり前のことではあります。
父とは冷淡な親子関係のまま終わることになりますが、
「父死期近し」という連絡を取っていなければ、
きっと私も一生知ることのないままだっただろう情報が、
いろいろ入ってくることは、やはり不思議な心持ちです。








