これはもしかしたら多くの交通遺族の反発を買うかな。
結論から言ってしまうとタイトルの通りです。
私の事故の加害者のふるまいを振り返ると、
・一切謝罪なし
・公判直前に弁護士に入れ智慧でバタバタ謝罪申し出
(一方的に実家に花束を置いたり手紙も書いたりもあり)
・公判で花束を置いたり手紙も書いたりを強調
・また公判中に絶叫の謝罪パフォーマンス(台本棒読み)
・執行猶予判決を聞いて、ホーっと息を吐いて背中を丸め、
裁判官に対して「ありがとうございます」
・民事は弁護士任せで一切対応せず
・それ以降私へのコンタクトも一切せず
こんな感じです。
行動の濃淡はあるけど、聞く限りどこの加害者もそんな感じ。
私も当時はめちゃくちゃ怒りました。
そして多くの遺族もめちゃくちゃ怒ります。
こんなんで執行猶予か?
裁判官ってバカの集まりか?
多くの遺族はそう感じます。
私は今も裁判官という人種を信頼していません。
(もっとハッキリ言えば世間知らずのバカと思っています)
しかしここ数年、感じているのですよね。
もし自分が誤って人を轢き殺してしまったら、
どんなことを考え、どんなふるまいをするだろうか。
加害者を罵る資格のあるふるまいをするだろうかと。
「私は人様の尊い命を奪ってしまいました!
責任逃れをするつもりはありません!
刑務所に入って犯した罪を償います!
執行猶予判決なしの実刑判決を出してください!」
そんな主張をするだろうか。
まずしないと思います。
執行猶予を勝ち取るためにできることは全てします。
そしてそれは決して自分だけではないと思っています。
多くの遺族も加害者になれば同じかと。
人を轢いた瞬間は、相手の命や家族の悲劇よりも、
「うわー!やっちまった!」
「俺の人生どうなってしまうんだろう!」
という思いがまず脳裏をかけめぐるでしょうし、
その後の公判にあたっても、遺族に手紙を書いたり、
公判中に謝罪パフォーマンスをしたり手は尽くします。
そして無事に執行猶予判決を勝ち取れれば、
(よほどのへまをしない限り執行猶予は既定路線ですが)
ホッと一安心で、あとの民事は弁護士お任せでしょう。
もちろん私の事故の加害者はドヘタクソでした。
加害者は慶應志木高同窓会の学年リーダーでしたが、
(つまり実質的にも学年のボスだったと思われる)
そんな慶應付属校上がりとは思えないグダグダぶりでした。
それでも余裕の定番の執行猶予判決だったわけですが、
もっと計画的に、段階を踏んで、タスク管理表も作って、
謝罪パフォーマンスを繰り返してポイントをためておけば、
もっと余裕で執行猶予判決を迎えていただろうにと思います。
私だったら間違いなくもっと要領よくやります。
これを読んで怒る遺族がいたら、
「綺麗事を言わず、胸に手を当ててよく内省してごらん」
と言いたい。
本当にあなたは刑務所に入るために全力を尽くすのかと。
絶対そんなことは避けようと懸命になるはずです。
「自分は違う」
なんて言うのがいれば、そんなのはただの偽善者です。
交通遺族になったからと言って、
確かに悲劇や悪意への対処法の経験値は一気に上がりますが、
(私も人のあしらい方は遺族になって格段に上手くなった)
一足飛びに人格が高潔になって、聖人君子となるわけではない。
命の尊さや交通安全については一家言を持つようになりますが、
それ以外ではそんなに大きく人格が変わるわけではない。
元々ダメなところがある人はその後も大抵ダメなままですし、
「自分は遺族様だ」との選民意識から傲慢になる場合もある。
みんな自分が一番かわいい生身の人間です。
元々私は、愛する我が子を奪われた悲憤があるわけでもなく、
両親も決してあたたかい家庭を築いてくれたわけでもなく、
数年前から遺族活動に距離を置きたいと思う状況も重なって、
よけい冷静に考えてしまっているところもあると思います。
ただ被害者・加害者の両方を冷静に俯瞰してみてみれば、
遺族を苛立たせる加害者の行動はそんなに突飛でもないし、
自分も同じ立場だったら同じことをするだろうと思いました。
お行儀良くすれば執行猶予なら、誰でもそうするのが当たり前。
特段異常者のように責める話でもないと思うようになりました。
それがおかしいというなら執行猶予廃止が大前提だと思います。











