那智の滝。
言わずと知れた日本屈指の名瀑です。熊野那智大社の別宮、飛瀧神社の御神体であるこの滝を背中にして、3月26日『能舞』2日目が行われました。
那智の滝といえば、一般的にはこの滝なことを指しますが、実は那智山には「那智四十八滝」と呼ばれる修験の行場があり、この名爆・那智の滝は行者の方々にとっては、一の滝。
今回の『能舞』奉納公演でもお世話になった熊野三山の中の一つ、那智山・青岸渡寺の高木亮英ご住職は、熊野修験を今の世に蘇らせた凄い方なのです。
平安の世から江戸時代まで続いていた神仏習合。しかし明治に入り、日本人の宗教観を大改革するべく、神仏分離令が発令。それに伴い修験道廃止令が出たことで、神仏習合・修験道の中心地でもあった熊野は、大打撃を受け、一度は熊野修験も途絶えてしまうのです。
そんな中、高木亮英住職は若かりし頃、この熊野修験復興を発願。
20年以上前のことになりますが、私が監督・脚本をした『熊野大権現』という映像作品を制作したことがあるのですが、その際、高木亮英ご住職から伺った話しなどをまずはご紹介します。
1987年。先先代であるご住職であったお父様が亡くなり、遺品整理をしていた時、しつけ糸がついたままの真新しい山伏装束を見つけられたそうです。修験復興がお父様の願いだったと知り、翌年にはその装束をご自身が着て、熊野から吉野まで、大峯の山々の道を200キロ踏破。これは、熊野古道の中で最も険しい「大峯奥駆道」と呼ばれる道で、熊野修験の行の一つを、まずは最初に成し遂げられたのです。
次に手がけられたのが、那智山の滝行。行場そのものの復興です。
当時不明とされていた那智四十八滝を古い絵巻から紐解き特定し、1992年には「那智四十八滝回峰行」を復興されました。
実は、かつて映像制作していた折「天川君も同行取材してもらって構わないよ」とお電話いただき、一度だけ途中まで同行させていただいたことがあります。
1月の凍てつくほどの空の下、夜明け前から那智山を駆け、世の平穏を祈り滝行をされる高木亮英住職の祈りの姿は、今も脳裏に焼きついています。
そして、2023年10月。修験道の開祖・役行者を祀る「熊野修験那智山行者堂」を再建されたのです。
そして、今回青岸渡寺の高木ご住職と共に『能舞』のの那智開演に、全面協力をしてくださったのが、熊野那智大社の男成洋三宮司様。
2016年より熊野那智大社の宮司様に就任された方です。前任の故・朝日宮司様にもお世話になっておりましたが、男成宮司様になられてから、より那智が身近に感じられる様になりました。朝日前宮司様の頃より毎年参列させていただいている「那智の火祭り」としても有名な
那智大社の例大祭。ありがたいことに、毎年、お声がけいただいているのですが、その迫力と美しさは息をのむほどです。
ただ、男成宮司様とのご縁は、宮司様が熊野にいらっしゃる前から実は始まっており…。
男成宮司様は、長い間、明治神宮でご奉職されておりました。二十世紀の終わりに、写真家・故星野道夫さんの友人たちが南東アラスカから神話を語りにやって来た催しが全国であり、私は東京実行委員長となり、明治神宮の大きなホールで開催させていただいたきました。
その折にも…
また、翌年2001年「東京 サルタヒコ!」という催しが行われ、私は運営プロデューサーとして関わったのですが、その折にも、男成宮司様は明治神宮でご奉職されていらしたのです。
当時、いずれも担当してくださったのが、現・明治神宮名誉宮司である中島様でした。男成宮司様熊野那智大社の宮司に就任された折、来賓として来られました。
ありがたいことに、中島様は私のことを覚えていてくださったていました。男成宮司様に私のことを紹介くださったのです。更にお隣に座っておられた熊野本宮大社の九鬼宮司様も、私のことを紹介してくださり…。お二人の重鎮が揃って私のことを紹介くださったことで、一気に男成宮司様との心の距離が近くなりました。以後、折に触れずっとお世話になり続けているのですが、ご縁に感謝するばかりです。
そんな、青岸渡寺の高木ご住職と、熊野那智大社の男成宮司様お二人に全面協力していただき、那智では神仏習合というカタチで『能舞』が行われました。
当日朝、まずは青岸渡寺へ。
熊野修験の法螺貝に合わせてご本堂へ向かい、如意輪観音の前でご住職はじめ、多くのお坊様によるご祈祷や般若心経が唱えられました。なんとも言葉にならないありがたさに包まれ…素晴らしい時間の中、鈴木啓吾さんはじめ謡方の能楽師の方々による神歌の奉納。
そして最後に高木ご住職様に法話をしていただきました。
お隣の那智大社でも、拝殿でご祈祷と神歌奉納が行われたのですが、宮司様のご配慮で、内陣まで案内していただきました。
そして午後3時半。
いよいよ、那智の大瀧の前で『能舞』二日目。那智の舞台のスタートです。
この日の私の衣装は、舞台衣装作家kuuさんが、演目『羽衣』に合わせてイメージして製作してくださったもの。
私も天女の羽衣のような美しい青い羽衣を纏わせていただき、天にも舞い上がるほど幸せでした。
とうとうたらり…
鳴ハ瀧の水…
渚乃砂 さくさくとして…
瀧の水 玲々として…
神歌の歌詞の中に、このフレーズがあります。これは、那智滝の情景を指しているのではないか、という話を以前、鈴木さんから伺っていましたが、那智の滝を前に神歌に触れ、感慨深い思いがありました。
このあと、この日、高木御住職様と男成宮司様、そして私の3人で鼎談させていただきました。
男成宮司様は、熊野の田楽についてお話しくださり、
高木御住職は、熊野修験についてのお話しを中心に語ってくださいました。
そして『羽衣』上演前に、火入れ式が行われました。那智は神仏習合。熊野修験による法螺貝に合わせて、伊藤禰宜様が両脇の篝火台に火を入れてくださる、という那智山ならではの贅沢なカタチに。
そして、いよいよシテ方観世流能楽師・鈴木啓吾さんによる『羽衣』の奉納です。
鈴木さんのお話によると、那智の滝はその姿から白龍とされることもあるそうです。
能『羽衣』に登場する人物の名前も白龍。
那智の滝そのものが天女の羽衣の様にも見えて…
那智の滝を背景に、羽衣伝説が舞われる姿は、この世のものとは思えないほど優美なものでした。
そして残すは、本宮大社だけとなり…
つづく…