天川 彩の こころ日和

天川 彩の こころ日和

作家・自然派プロデューサーである

天川 彩(Tenkawa Aya)が

日々の中で感じたこと、出会ったこと、
見えたものなどを綴る日記です。

作家・自然派プロデューサー 


天川 彩のお仕事については


オフィスTENのサイトをご覧下さい。

http://www.office-ten.net



オフィスTENの、全ての情報は

毎週金曜日発行のメルマガでお届けしていま~す。




Facebookのアカウントが突然、何者かに乗っ取られる…。まさに晴天の霹靂の様なことが我が身に起こりました。


Facebookを使い始めて、かれこれ10年以上になるでしょうか…。国内外のほとんどのお友達ともFacebookで繋がっていて、近況もある程度は把握できていて…。連絡を取り合ったり、友達と友達が意外なところで繋がっているのを知ったり、みんなの様々な活動を知ることも出来ていました。


お友達の数もおよそ1,000人。

その半数以上がリアルなお友達なので、私にとって無くてはならないツールでした。


それが、突然、乗っ取り犯にアカウントごと奪われたのです。


あれこれ、あれこれ、あれこれ…やれるだけのことはして、Facebookにもあの手この手で乗っ取り被害に遭っていることを報告し、対処し救済して欲しいと連絡をしましたが、今のところ返答無し。


これまで10年以上、写真と共に日記の様に綴ってきた、自分のあれこれが消えてしまうこと、友達の連絡先が消えてしまうことは悲しいことです。


でも、本当に大切な友達を失ったわけではありません。写真も探せば少しはあります(笑)

思い出は、Facebookの中にあるのではなく、心の中にあり、大切なものは何も奪われていないのです。


ただ、一つ。早急に対策を打たなければ、と思ったことが。


それは、友人から「もしかしてFacebook乗っ取られた?」と電話がかかってきて、その後「何も知らずにメッセンジャーに普通に連絡を書いたら、『もう、あなたとは二度と付き合いたくありません』という返答が返ってきたから、この返信は絶対アヤさんじゃないと思って、電話したんだけど…」というのです。


あまりに酷い😭 

Facebookは、増してメッセンジャーは大切なお友達とのコミュニケーションツールなのに、そこにそんな酷い返信をされたら、人間関係が断ち切られてしまう…。


これは、ボヤボヤしていられない!

落ち込んでいても、腹を立てたり、悲しんでいても、ことは改善しないので、気持ちを切り替えて、新たにアカウントを作り直し、新生のワタシとしてFacebookを始めなきや!と思い直して、新たなアカウントを作りました。


そして、メッセンジャーも思い切ってアプリも削除して、ゼロに戻し新生しました。



気持ちが今日の空の様にスッキリとしたので、



皆さんがFacebook乗っ取りの被害に遭わないよう、

ことの一部始終をここに書き記したいと思います。


ことの始まりは、月曜日の夕方、このショートメッセージがFacebookから?届いたことから。




こうした、警告アラームメッセージは、数年に一度届いており、その都度、ブロックしていました。

この時にも、安全の確認というところをクリックし、安全の為、パスワードのリセットを行なってください、という指示が来たので、ため息😮‍💨混じりで、それを送信。


その後に送られてきたショートメッセージがこれです。




そして、パスワードを変更。


ここまでは、これまで過去にも何度かあったので、

渋々パスワードを変更。


そして、同様の警告ショートメッセージが、その後5回来て、その都度パスワード変更。もう、いい加減頭にきていました😤


で、その日はそれで終わっていたのですが、

火曜日の朝、再び警告ショートメッセージが。




な、なに?

アカウントにアクセスしたと??

これは直ぐにブロックしなければ!


そう思った私は『アカウントのセキュリティを保護しましょう』というボタンをクリックしたのです。


そして送られてきたのがコレ。



私はこのパスワードを変更をクリックしたのです。


コレが詐欺でした。


Facebookの警告ショートメッセージと瓜二つ。

でも、よーく見ると異なった点が。


それが、リセットコードの桁数です。


それまでのリセットコードは、6桁。

この時送られてきたリセットコードは、8桁。


こんなの、詐欺だと見破れますか???


その次に届いたのがコレ。




私は確かにパスワード変更はしたのですが、え?横浜??場所が違う。

そして、前日最初に見たiPhone11 Pro Max

えー!!


そう思っても、後の祭り…。


最後に送られてきたものが、



なんじゃこりゃ〜‼️


そうです。

やられてしまったのです。


もう、最後に入れたパスワードでも開かないどころか入力言語も日本語に戻らず…。


私は、とにかく焦ってはダメだと思い、Facebookに連絡しようと幾度も試みました。でもとにかくもう、ログインできないのです。

ネットで様々に検索してみるも、乗っ取られない方法のみ。乗っ取られた時の方法というものを試みるもダメ。


家族や友人に頼み、Facebookに私のアカウントが乗っ取られたということをヘルプセンターに伝えてもらい、私自身も自分の新たなアカウントを作って、改めてFacebookのヘルプセンターに事情を書いて送るも、今のところは回答無し。


私が10年使っていたアカウントが、万が一これ以上悪用された場合は、サイバー警察に相談しようと思っています。


でも、Facebookから回答が来て取り戻せたなら、

中身をチェックだけして、探せなかった友達の連絡先を見つけ、必要な写真を保存して、これまでの私のFacebookページは削除しようと思います。


今回の乗っ取りでわかったことは、悪さを仕掛ける人というのは、とても巧妙な手口でやって来る、ということです。


変な広告を見たとか、怪しげなメッセージをクリックしたとか、見ず知らずの人のリクエストを受けて友達になっていた、とかではないのです。


まさに、突然の災害の様なもので、防ぐのがとても難しいのです。


ただ、身に起こったことを、無駄にしない方が良いですよね。

ほとんど付き合いの無い、数百人の人と繋がっている必要もなく、ネットに頼りすぎないこと。

他にも色々思うところありました。


今は、新生した〜と前向きな気持になっています!









映画『コーダ あいのうた』。サンダンス映画祭で4冠受賞。アカデミー賞昨日賞の最有力候補ともいわれている作品の試写を観に行ってきました。


家族の中でたった独り健聴者である女子高生のルビー。聴こえない家族と世間との通訳係として生きて来た彼女。実はとんでもない歌声の持ち主で…。


(C) 2020 VENDOME PICTURES LLC, PATHE FILMS

この映画のテーマはズバリ「家族」。家族とは、誰にとっても切り離せない存在でありながら、その関係性や距離感は千差万別。百の家族があれば百違う家族の姿があり、更に関わり方もカタチも変化していくもの。

だからこそ、応援してもらえた時の喜びは大きく、反対に理解してもらえない時の苦しみは、他人の比ではないのかもしれません。

自分の夢や存在意義と同時に、家族の一員であるという意味や関係…。

家族という絶妙なバランスをテンポ良く描いた心に響く作品です。

主人公ルビーを演じるのは、エミリア・ジョーンズ。母親役を演じたオスカー女優、マーリー・マリトンをはじめ家族役全員が耳が聞こえない俳優たち。

更に劇中に流れてくる名曲の数々…。物語と音楽のチカラで途中から涙腺が…もう崩壊。
そんな本作の監督・脚本は若き実力派監督シアン・ヘダー。

映画って本当に良いな〜と思わせてくれる作品でした。是非、多くの方々にも観て欲しいです。


『コーダ あいのうた』
2022年1月 全国ロードショー公開







我が家のファミリーネーム「雨宮」。ルーツの始まりが、千曲市にある『雨宮座日吉神社(あめのみやにますひよしじんじゃ)であることは前編に詳しく書きましたが、



戦国時代になると、歴史に少しばかり雨宮が登場するようになります。


中でも最も活躍したのが、戦国時代の武将の一人であり信濃村上の家臣だった、雨宮刑部(雨宮正利)です。


もともとは信濃・鞍骨城主である清野信秀の子として生まれ、雨宮昌秀(雨宮摂津守)の養子に入り、信濃・唐崎城の城主となります。

唐崎城があった唐崎山。


この時、信濃村上氏の当主は猛将、村上義清。


戦国最強軍と呼ばれ恐れられていた、武田信玄率いる武田軍が北信濃侵攻を進めてきた時、上田原で迎え撃ったのが義清率いる村上軍でした。


1548年上田原の戦いで、雨宮刑部は村上左馬頭義清方として出陣。村上軍は武田軍に勝利しますが、雨宮刑部はこの戦いで討死してしまいます。


そんな訳で、上田原古戦場跡にある雨宮刑部のお墓参りをしました。



お墓の登口には、この様な案内が。


戦国時代のお墓がそのままありました。



夫、ご先祖様のお墓参りができて、嬉しかったようです。


話を歴史に戻すと…上田原の戦いでは勝利した村上軍でしたが、その後の戦いで村上軍は武田軍に負け、村上義清は、上杉謙信の元へ助けを求めに行き、結果的に上杉謙信の家臣となります。


そして、川中島の合戦へと発展するのですが、武田信玄と上杉謙信が一騎打ちとなった最大の決戦、第四回川中島の合戦で、上杉軍の重要な拠点となったのが『雨宮の渡』です。

江戸時代の漢詩人、頼山陽による史跡に関する詩碑



家族になって揃って、この図に興味津々。歴史上舞台となった場に雨宮の名がついていたなんて、知りませんでした。


歴史的合戦、武田信玄と上杉謙信の一騎打ちとなった川中島の合戦が行われたのは、1561年9月10日。

夫の誕生日は、1961年9月10日なので、ちょうど400年後に生まれたようです。


それにしても…


やはりこの辺りのは雨宮の文字が沢山。


そして…少し時代は遡りますが、川中島の合戦前、村上義清の家臣として上田原の戦いで1548年、武田軍と戦い討死した雨宮刑部(正利)の後、家督を継いだ弟の雨宮景信でした。


兄、雨宮刑部(正利)は村上義清に忠義を尽くしましたが、弟の雨宮景信は、その後の村上義清が上杉謙信に救済を求め越後に向かったことで、1553年、村上軍から離れ、甲斐の武田信玄のもとへ出仕するのです。


ここから雨宮の歴史の舞台は、甲斐国である山梨へと移り変わります。前編にも書きましたが、雨宮姓が現在も圧倒的に多いのは山梨です。


山梨といえば甲州ぶどう。勝沼を中心に日本一のぶどうの産地として知られています。


今回の旅の目的地の一つは、祖父の戸籍にあった、塩山旧金上村。ここに行くと何かわかるかな?と思って行ってみましたが…。

郵便局がポツンとあるだけ。


でも、娘や息子は久しぶりに広々とした風景に深呼吸。


ここは勝沼インターからすぐの場時で、周囲はぶどう畑があたり一面に広がっていました。



実は、甲州ぶどうには2つの伝説があり、一つは奈良時代の高僧・行基説。行基がこの地で修行中、夢の中で右手に葡萄を持った薬師如来が現れ、その姿を安置したところ葡萄の木を発見。薬草として育てたことを村人に伝えたという話。この薬師如来の手から甲州という名前がついたという話もあります。


そしてもう一つの説が、平安時代末期に甲斐国勝沼の住人、雨宮勘解由(あめみやかげゆ)が山中で珍しい果樹を見出し育て、数年後に実らせたことが、この地での葡萄栽培の始まりとした話です。


そうです!雨宮という人物がこの地でぶどう栽培を始めたという話があるのです。その人物が5年に渡る研究の末、栽培に成功。頼朝に献上したなどの話もあるのですが、明治時代から伝わっている話なので、真相はわかりません。


話を戦国時代の雨宮家に戻しましょう。



雨宮刑部正利の弟で家督を継ぎ、信濃から武田信玄の元にやって来た雨宮景信。公益財団法人・長野観光コンベンションビューローの「川中島の戦い史跡ガイド」によると、雨宮景信は、武田晴信(信玄)のもとで足柄70騎の将となったとあります。


しかし、甲州ではこの景信の名前は一切登場しないのです。登場するのは、雨宮景尚という似た名前の人物。景信と景尚…私は同一人物なのではないかと推測するのです。


雨宮景尚は、もともと雨宮織部正良晴という名前だったそうですが、武田信玄の姪であり勝沼信友の娘、松の葉と結婚します。しかし後に離縁。松の葉は、剃髪して理慶尼と号します。


信玄の姪と結婚していた景尚が離縁した年は1560年。

信玄の家臣となり、景信が信濃から甲州に入ったのは、1553年。


更に雨宮景尚(雨宮織部正良晴)の名前が甲州の歴史上登場するのは、この婚姻のところから突然なのです。


他に、雨宮家次(十兵衛)なども武田陣の家臣として名前を見ることができます。


雨宮家次は、武田義信が自刃した為、武田信玄のもとから、小田原の北条氏康に仕えることに。そこでの戦功で七度感状を受けた後、高坂昌信を介して再び信玄のもとで仕えています。


同じく武田信玄の家臣に雨宮存鉄という人物もいたようで、存鉄は三ッ者の目頭を務めています。三ッ者とは、僧侶や商人など様々な姿に扮装し、諸国で情報収集する役割をするものです。


他にも何人か雨宮姓の戦国武士を見ることができますが、資料が少なすぎて詳細はわかりません。

ただ、長野の千曲から、複数の雨宮姓を持った武士が武田信玄と共に移動したのだということがわかります。



一説には、平安時代の雨宮勘解由の子孫である、雨宮織部正良晴は領主、武田信玄へぶどうを献上。非常に美味しかったことから、太刀を賜ったという話も…。


いやいや。それはないなぁと私は思うのです。なぜなら、甲州ぶどうの伝説に登場する雨宮勘解と、

千曲からやって来た雨宮織部正良晴とが、子孫とは考えにくいからです。雨宮一族はどう考えても、戦国時代に長野千曲から、甲斐国に武田信玄と共にやって来ているので…。


雨宮織部正良晴が武田信玄から太刀を賜ったのは、武士として功績を挙げたからであり、ぶどうを献上した、ということではないはずです。そもそも、ぶどう農家が太刀を賜る?戦国時代という時代を考えると有り得ないと思うのです。


でも、甲州で竹棚によるぶどう栽培が数百年続いていたことや、明治12年には神岩崎の雨宮作座右衛門という人物が、それまでのたけを細い鉄棒に替えて、ぶどう栽培を格段に発展させたことは、歴史上間違いのないことです。


やはり、雨宮は勝沼ぶどう郷に深く関わっているのです。


祖父がかつて生まれ育った甲州市塩山は、見渡す限りのぶどう畑が広がっていました。




夫から家族全員に、雨宮の歴史を辿る還暦旅行のお礼にと、ぶどうのプレゼントが。


駆け足でしたが、夫の還暦という節目で、我が家のルーツを辿る旅を家族揃って出来たことは、私たちにとっても本当に良い思い出となりました。


最後に、雨宮ファミリー 幸せショット!





















先月、夫が還暦を迎えたこともあり、お祝いを兼ねた家族旅行を計画しようということになり、私は『雨宮家のルーツを辿る旅』が面白いのではないかと提案。なぜなら、家紋からご先祖さまの動きがある程度、見えてきたからです。


夫はもとより家族全員が大賛成してくれました。


家紋が同じというのは、やはり重要な意味を持ちますね。



普段、私はペンネームの苗字、天川(てんかわ)を使い生きていますが、本名である『雨宮(あめみや)』という苗字も、とても好きで…。


結婚してまもなくの頃、夫に雨宮の家紋を質問すると「丸に上の文字が入ったもの」とのことでした。




珍しい家紋だなぁと漠然と思っていましたが、2年前、岡山と広島で仕事があった折、主催してくださった方々に愛媛県今治市にある「村上海賊記念館」に連れて行っていただき、そこで我が家と同じ家紋の旗が、沢山はためいているのを見て驚きました。



ここが本拠地??ということは海賊の子孫?


それより、この旗を見た瞬間、今治タオルの文様を思い出しました。

長方形の比率や、三本ラインとマル。何よりどちらも今治。関連性がないはずはないとは思いますが…





戦国時代は、戦っていたようで…。

とにかく我が家は、村上水軍と同じ家紋だったのです。


それにしても何故?村上さんならわかるけれど、雨宮さんだし…。どんな繋がりがあるのだろう。そう思って少し調べてみました。


でも、そもそも、我が家・雨宮家のルーツに興味を持ったのは、20年近く前。義父が亡くなり戸籍を取り寄せた折、山梨県の甲府近くにある「塩山神金村」という地名を見た時からです。


三宅島出身と聞いていたので、てっきりご先祖様も三宅島の人かと思っていたのですが、義父の父である祖父は山梨の人だったのです。


それで納得。山梨には雨宮姓の人が日本一多いのです。多分、祖父は三宅島出身の祖母と何処かで出会い恋におちて山梨から三宅島に行ったのかな?それはわかりませんが、そもそもなぜ雨宮姓が山梨にそんなに多いのか、なにより我が家と村上水軍との関係は?


調べてみると、雨宮家は、信濃村上氏の流れを汲む家だということがわかりました。



ことの始まりは、平安後期、白河上皇に仕えていた源盛清が、寛治8年(嘉保元年・1094)呪詛事件の疑いで白河上皇の怒りを買い、信濃国更級郡村上郷に流罪されたことから。その後、盛清の子、源為国がこの土地の名前をつけて改名し、村上を称したことで信濃村上氏が誕生します。


のちに分派して誕生したのが村上水軍です。

平安末期、為国の弟、村上定国が保元の乱の折、信濃より淡路島を経由して、瀬戸内海に浮かぶ島々に向かい、平治の乱以後、伊予に村上氏を興したとされています。


南北朝時代になると、村上氏は、信濃では北朝方、瀬戸内海では南朝方として活動していたようです。



雨宮家の始まりは、信濃村上氏の本拠地のすぐ近く。現長野県信濃国埴科郡雨宮。この雨宮という名前の元となったのが「天ノ宮」という神社の存在です。後に「雨宮坐日吉神社」となり、そこから雨宮という地名が誕生。姓もそこから授かったとあります。


雨宮坐日吉神社(あめのみやにますひよしじんしゃ)


詳しい創祀年代は不詳なのだそうですが、


社伝によると、古墳時代、舒明天皇の代の頃。大雨暴風が三日三晩続いて千曲川があふれ、洪水となっていた際、人々が山に逃れていた時、光を放ちながら激流を渡り、何かがやって来るものが。すると風雨はたちまちに止み、人々は不思議に思い、光のもとを探すと、そこに大小二個の石があったのだとか。その夜、少女が神懸りになり「吾は大己貴命と少彦名命であるりその石を祀るべし」と告げたことから、そこに社殿を建造したのが始まりとあります。


更に、白鳳時代、地震で山が崩落していた折には、巫女のお告げで山神を祀って鎮めるべしとのお告げにより、近江より大山祇命が合祀されて、神社の社名に日吉社が加わり「雨宮の地に坐する日吉社」から、この神社名になったようです。


まずは神社へお参りしました。



なんと、「雨宮の御神事」の碑も。

3年に一度行われるこのご神事は、国の重要無形民俗文化財に指定されているのだそう。いつか行ってみたいです。


この辺りの地名は「雨宮」なので、今随所に雨宮の名前がついていました。



雨宮郵便局の前で御満悦な夫。


ぐるりと周囲を一周し、再び神社の前にもどって、


ふと目に入ったのが「雨宮摂津守家國後裔」と書かれた文字。

雨宮の人物の中でも歴史に名を残したのが、
信濃村上軍の将、雨宮正利(マサトシ)という人物からです。夫は雨宮正欣(マサヨシ)。なので縁を強く感じます。

この雨宮正利という人物は、雨宮刑部として知られていますが、戦国時代以降の話は、後編で書きたいと思います。
   

                 つづく…















1970年初頭。私が子どもの頃は、まだ第二次世界大戦の名残りが、ところどころにあった。街中を歩くと、戦地から戻った軍服を着たままの方が路地で物乞いをしている姿があり、尊敬する先生からは、特攻隊の生き残りとして今を生きる覚悟を聞いたこともある。そんな中、特に驚いたのが、戦後30年も経って日本に戻ってきた日本兵、横井庄一さんと、小野田寛郎さんのニュースだ。

横井庄一さんは「恥ずかしながら戻って参りました」という言葉が印象に残っただけでそれ以外の記憶はほとんどないのだが、小野田さんは最後の日本兵と呼ばれ、兵士のままの鋭い眼光が子ども心に怖かった。

1945年、日本は終戦を迎えるが、小野田さんは終戦を知らされないまま約30年間、フィリピン・ルバング島で秘密戦の任務を遂行し続ける。その任務を自ら解いたのは日本が高度成長期となった1974年のことだった。

そんな小野田さんの30年間の孤独な戦いを描いた映画『ONODA 一万夜を越えて』を観た。



驚くべきことは、フランス人の監督が作った映画だということだ。実はフランスで出版された「ONODA 30 ans seul en guerre」(著:Bernard Cendoron)という小野田さんの30年を書いた本を原案に映画化されたものなのだ。

過日、私は同70年代、社会を揺るがした公害問題を取り扱った映画『MINAMATA』も観た。この作品はアメリカのハリウッド作品で、史実を元にしているものの脚色部分も多く、何が真実で何が作り事なのかが分かりづらかったが、

この映画は、小野田さんの30年の史実をかなり忠実に描いた作品で、壮絶な、そして孤独な日々を戦い続けた一人の人間ドラマとなっていた。

監督はフランス・パリ出身のアルチュール・アラリ。小野田役は、青年期を遠藤雄弥、成年期を津田寛治がそれぞれ演じている。

この映画は、第74回カンヌ国際映画祭2021の「ある視点」部門のオープニング作品として選ばれ、上映後にはスタンディングオベーションが鳴りやまなかったという。

3時間にも及ぶ長編映画だが、淡々としながらも緊迫している30年間の物語だった。

実はこの映画の配給会社から試写のお知らせを受け取った際、小野田さんの映画なら是非とも観なければ!と思ったのだが、それには理由がある。

小野田寛郎さんは、和歌山県海南市にある頭の宮 宇賀部神社で宮司を務めてきている家柄の人だと知っていたからだ。

この神社は「頭の宮」から通常「おこべさん」と親しまれているのだが、何故、頭の宮なのか。

神社の伝承によれば、この辺りの地は、その昔、名草戸畔(なぐさとべ)という女性おさめていたという。古来より女性が長となっていた場所は多く、紀の国ではそんな女性リーダーに戸畔という称号がついているのだが、ある時、初代天皇となるイワレビコ、神武軍が東征の為「毛見ノ浜」に上陸する。

この軍勢と名草戸畔率いる軍は死闘を繰り広げることになり、名草戸畔も命を落とし、頭、腹、足の三つに切り裂かれてしまう。地元の人々より、それぞれの亡骸が各地に葬られ祀られるのだが、それらは宇賀部神社(頭)、杉尾神社(腹)、千種神社(足)であると伝えられ、今もそれぞれにご利益がある神社として、信仰を集めているという。

そんな名草戸畔の頭を先祖代々お祀りしているのが小野田家なのだ。

その辺りのことを詳しく書いてあるのが、なかひらまいさんが書かれた『名草戸畔 古代紀國の女王伝説』という本である。確か10年以上前だが、この本を中原さんからネットで購入させていただいた時、小野田さんの名前を見て驚いた。

今はAmazonでもこの本をが簡単に購入できるようだ。


なかひらさんは、本の中で小野田さんにインタビューを重ねられていた。映画を観て、私は改めてまたこの本を読み返そうと思っている。

さて、神社に話を戻すが、

神社の中には、小野田さんにまつわる看板や碑が幾つもある。どれも心に響くのだが、

特に、笑いの尊さについて書かれたものや、


戦争について書かれているものが、小野田さんだからの真実味を持って迫ってくる。



今の時代に再び蘇る小野田さんからのメッセージをもう一度噛み締めたいと思う。


映画『ONODA一万夜を越えて』は、TOHOシネマズ日比谷ほかで全国公開中。

是非、観てほしい作品だ。