◆「考え方」と「習慣」
人が変わろうとする時に必要なのは、「考え方」と「習慣」です。
この基本部分を変えずして、何かの成果や結果を出すことは難しいと思います。
「考え方」。
これは、読書をしたり、人の話を聞いたりしながら、いいものを取り入れていく。
これも、いいものを選ぶことが大事ですね。
「習慣」。
毎日続けること。
たまに出来ない日があっても、また、次の日から始めること。
私が習慣にしているものは、早寝早起き、感謝、笑顔、日記、瞑想、ビジュアライゼーション、インカンテーション、読書、筋トレ、ストレッチ、掃除・・・。
特に [ 日記、瞑想、ビジュアライゼーション、インカンテーション、読書 ]
このあたりは、何を目的にどういう形でするのかで、大きく変わってきます。
この基本部分を変えずして、何かの成果や結果を出すことは難しいと思います。
「考え方」。
これは、読書をしたり、人の話を聞いたりしながら、いいものを取り入れていく。
これも、いいものを選ぶことが大事ですね。
「習慣」。
毎日続けること。
たまに出来ない日があっても、また、次の日から始めること。
私が習慣にしているものは、早寝早起き、感謝、笑顔、日記、瞑想、ビジュアライゼーション、インカンテーション、読書、筋トレ、ストレッチ、掃除・・・。
特に [ 日記、瞑想、ビジュアライゼーション、インカンテーション、読書 ]
このあたりは、何を目的にどういう形でするのかで、大きく変わってきます。
◆「素晴らしい!」
息子の書道教室の先生と話をすると、いつも「流石だな~」って思います。
福岡コアサイドアート美術展(福岡市障がい者・障がい児美術展)で、
書道教室の生徒の作品が飾られていました。
その感想を、先生に聞かれた時のことです。
私
「やっぱり金賞や入賞している作品は、いいですね~」
先生
「彰悟君の作品も素晴らしいのよ!」
私
「ありがとうございます。・・・」
先生
「障がい者といっても、障がいの程度は色々あって、
本当はそれを同列に審査できないのよ」
私
「はぁ」
先生
「審査員の方も、作品を書いた方が、
どのくらいの障がいを持っているかはわからないの。
彰悟君の作品は、彰悟君にしか書けない本当に素晴らしい作品よ。
この空間のバランスは最高よ!」
こんなやり取りだったと思います。
先生の見方は、私と本質的に違いました。
その作品を見た目だけで判断するのではなく、
それを書いた人“そのもの”までもを“心の目”で見ています。
彰悟はいつも書道教室をめちゃめちゃ楽しんでいて、
大爆笑しながら両方の手で縦横無尽に筆を振り回しています。
(ここ2回連続で、私のズボンに墨をつけられていますが
)
これも、先生が創った空間だからできるんだろうなって思います。
先生、ありがとうございます。
美術展の作品はこちらです。
⇒ http://axisevolution.yoka-yoka.jp/e595070.html
福岡コアサイドアート美術展(福岡市障がい者・障がい児美術展)で、
書道教室の生徒の作品が飾られていました。
その感想を、先生に聞かれた時のことです。
私
「やっぱり金賞や入賞している作品は、いいですね~」
先生
「彰悟君の作品も素晴らしいのよ!」
私
「ありがとうございます。・・・」
先生
「障がい者といっても、障がいの程度は色々あって、
本当はそれを同列に審査できないのよ」
私
「はぁ」
先生
「審査員の方も、作品を書いた方が、
どのくらいの障がいを持っているかはわからないの。
彰悟君の作品は、彰悟君にしか書けない本当に素晴らしい作品よ。
この空間のバランスは最高よ!」
こんなやり取りだったと思います。
先生の見方は、私と本質的に違いました。
その作品を見た目だけで判断するのではなく、
それを書いた人“そのもの”までもを“心の目”で見ています。
彰悟はいつも書道教室をめちゃめちゃ楽しんでいて、
大爆笑しながら両方の手で縦横無尽に筆を振り回しています。
(ここ2回連続で、私のズボンに墨をつけられていますが
これも、先生が創った空間だからできるんだろうなって思います。
先生、ありがとうございます。
美術展の作品はこちらです。
⇒ http://
他人から批判された時にわかること
他人から批判や攻撃をされた時の反応の仕方で、自分の人間性がわかるそうです。
三流の人は、批判・攻撃をされたら言い返す。
二流の人は、批判・攻撃に対して我慢をする。
一流の人は、批判・攻撃が気にならない。
そして、超一流というのがあるそうです。
超一流の人は、批判・攻撃をしてきた相手の幸せを祈ってあげる。
超一流の人はさすがです。素晴らしいです。
そんな人を目ざしていきたいです。
福島正伸先生も、超一流の先生で、他人からの批判には感謝するとおっしゃっていました。
人には色んな考えがあるので、違う考え方もあると知ることができます。
批判を受けとめることで、自分自身が人間的に成長できます。
その批判によって、自分自身が改善できることもあります。
そして、批判している人に感謝すれば、批判している人も応援してくれるようになります。
ありがたいことだらけです。
三流の人は、批判・攻撃をされたら言い返す。
二流の人は、批判・攻撃に対して我慢をする。
一流の人は、批判・攻撃が気にならない。
そして、超一流というのがあるそうです。
超一流の人は、批判・攻撃をしてきた相手の幸せを祈ってあげる。
超一流の人はさすがです。素晴らしいです。
そんな人を目ざしていきたいです。
福島正伸先生も、超一流の先生で、他人からの批判には感謝するとおっしゃっていました。
人には色んな考えがあるので、違う考え方もあると知ることができます。
批判を受けとめることで、自分自身が人間的に成長できます。
その批判によって、自分自身が改善できることもあります。
そして、批判している人に感謝すれば、批判している人も応援してくれるようになります。
ありがたいことだらけです。
厳しく指導する時に注意することは?
管理職対象に研修をしていると、こういう質問を受けることがあります。
「厳しく指導する時に注意することは?」
一般的に厳しい指導とは、「怒る」「叱る」ことですよね。
「怒る」のは感情で相手をとがめることなので、良くはないです。
「叱る」ことは、良い指導と言われることもあります。
でも、問題は「叱る」のが良い、良くないという話ではないと思います。
問題は、指導する側が、どういう気持ちで「叱る」のかということです。
本当に相手のことを愛していて、ここは「叱って伝える」ことがベストだと思えば
叱っていいと思います。
でも、「何度言ってもダメだ」「この人にしっかりしてもらわないと私が困る」
こういう思いが少しでもあれば、厳しい指導は逆効果になります。
心は通じます。
一番大切なのは、自分自身の心です。
幕末の吉田松陰先生は、どんな人にでも
優しく穏やかに指導されたそうです。
私も色々な経営者とお話したり、いろんな本を読んだりします。
また、自分自身の体験から考えても、人間的に成熟した人は、
「厳しく指導」するということはありません。
ここでいう「厳しく指導」とは、相手を威圧し、緊張感による指導です。
指導者自らの人間性で、相手を導いていきます。
それができないと、相手を威圧する「厳しい指導」になるようです。
人を育成するには、自分自身を高めること。
遠回りのようですが、これが一番の近道です。
ある人から仕事のことで、批判をされました。
私が心掛けていることの一つに『主体性を持つ』というのがあります。
自分の周りに起こる出来事を、すべて自分が源として捉え、
人や環境のせいにしない、ということです。
先日、ある人(Aさん)から仕事のことで、批判をされました。
自分のことを批判されたのは、2~3年振りぐらいです。
正直言うと、責任転嫁もいいところで、
言いがかりのような印象を受けました。
私は黙って話しを聞き、Aさんの考えを受け止めようとしたのですが、
最終的には、その人に対して感情的な発言をしてしまいました。
その後、振り返って考えてみると、
私はAさんを批判し、被害者意識を持っていました。
その時の私には、『主体性』はなく、
「責任はAさんにある」 という考え方をしていたのです。
次の日、Aさんにメールしました。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
先日は、不適切な態度・発言をし申し訳ありませんでした。
お詫びいたします。
私は、目標としている人物像があります。
常に心穏やかな人です。
どんな状況でも、全てを受け止めることのできる器の大きな人です。
昨日、Aさんに私のことを批判されました。
始めは、受けとめようとしていましたが、
結局は、受け止めることができず、感情的になってしまいました。
本来なら、Aさんの意見は、真摯に受け止め
自分自身の力不足を反省すべきところでした。
申し訳ありません。
改めて、自分自身の器の小ささを実感しました。
それを教えてくれた、Aさんには感謝しています。
ここ2~3年、人からこうして批判されたことがなかったので。
・・・(続く)
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
それから、1週間後、Aさんからお詫びメールが届きました。
メールには、その方なりの提案や、「これからよろしくお願いします」
という内容も書いてありました。
嬉しかったです。
普段、こんなメールを書く人ではないので。
やっぱり、全ては自分次第ですね。
自分の周りに起こる出来事を、すべて自分が源として捉え、
人や環境のせいにしない、ということです。
先日、ある人(Aさん)から仕事のことで、批判をされました。
自分のことを批判されたのは、2~3年振りぐらいです。
正直言うと、責任転嫁もいいところで、
言いがかりのような印象を受けました。
私は黙って話しを聞き、Aさんの考えを受け止めようとしたのですが、
最終的には、その人に対して感情的な発言をしてしまいました。
その後、振り返って考えてみると、
私はAさんを批判し、被害者意識を持っていました。
その時の私には、『主体性』はなく、
「責任はAさんにある」 という考え方をしていたのです。
次の日、Aさんにメールしました。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
先日は、不適切な態度・発言をし申し訳ありませんでした。
お詫びいたします。
私は、目標としている人物像があります。
常に心穏やかな人です。
どんな状況でも、全てを受け止めることのできる器の大きな人です。
昨日、Aさんに私のことを批判されました。
始めは、受けとめようとしていましたが、
結局は、受け止めることができず、感情的になってしまいました。
本来なら、Aさんの意見は、真摯に受け止め
自分自身の力不足を反省すべきところでした。
申し訳ありません。
改めて、自分自身の器の小ささを実感しました。
それを教えてくれた、Aさんには感謝しています。
ここ2~3年、人からこうして批判されたことがなかったので。
・・・(続く)
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
それから、1週間後、Aさんからお詫びメールが届きました。
メールには、その方なりの提案や、「これからよろしくお願いします」
という内容も書いてありました。
嬉しかったです。
普段、こんなメールを書く人ではないので。
やっぱり、全ては自分次第ですね。