人生をアートで埋める -15ページ目

夢見るポップス

松尾清憲率いるバンド、シネマの26年ぶりのニューアルバム『シネマ・リターンズ』がリリースされた。もちろん、期待を裏切らない名盤だ。
シネマは、ムーンライダーズの鈴木慶一プロデュースのもと、1981年にデビューした。アルバム『モーション・ピクチャー』といくつかのシングルを出してすぐに解散、松尾清憲や鈴木さえ子、一色進など、メンバーはそれぞれの活動を続けていた。
特に松尾清憲はソロアーティストとして数々の名盤を生み、さらに杉真理とのBOXやピデリーサーカスといったバンドでも活躍している。今年7月には『松尾清憲の肖像ーロマンの三原色』というソロアルバムをリリースし、その変わらぬ高度な音楽性の充実ぶりに長年のファンであるぼくは大いに喜んだ。
昨年、シネマがライブで再結成を果たし、『モーション・ピクチャー』が、当時の未発表曲を大量に追加した2枚組のアルバムとして再発されたのだが、まさかニューアルバムまで発表されるとは。生きていてよかった、と思う瞬間である。
『シネマ・リターンズ』には、ファンタスティックでロマンティックなポップスが満載で、全14曲、隅から隅まで楽しめる内容だ。以前は大半の曲を松尾清憲が作っていたが、今回は他のメンバーの楽曲も加わり、よりスケールの大きなアルバムとなっている。いくつものメロディーやコーラス、イディオムが一曲に徹底的につめこまれ、情報量が半端ではない。松尾清憲のソロの曲にも言えることだが、曲の展開が起伏に富み、とにかく完成度がハイパーだ。音楽への憧憬と敬意、架空の世界を旅するような夢とロマン。近年、こんなポップスがいったいどこにあるだろう。
杉真理もそうだが、とにかく彼らはポップスの楽しさ、希望を全身で信じている。デビュー時から一貫してそれだけは揺れない。そこが素晴らしい。身の回りの陳腐な日常における恋愛を歌う凡百のポップスなんて、ぼくにはどうでもいい。宇宙や未来にまで思いを馳せる彼らの音楽こそが、本当のラブソングなのだ。
アルバム中、ベストトラックは「Theatre Returns(午前5時、あの場所に)」という曲。シネマというバンド名よろしく、様々な映画へのオマージュを掲げながら、最後に「でも今 君が好き」というフレーズに涙が出そうになる。松尾清憲がまた最高傑作を作ってしまった。


一日の終わりに、ニール・ヤング

昨日の夜は、久しぶりにニール・ヤングのアルバムを聴いていた。セレクトしたアルバムは、『渚にて』と『ZUMA』。孤独な夜に、これほど似合う音楽はない。
そして今日は、会社でいやなことがあり、少し落ち込んでいた。自然とニール・ヤングの傑作アルバム『今宵その夜』に手がのび、CDをかけていた。
20代のある時期、毎日のようにこのアルバムを聴いていた。陰鬱な夜が続いていた。聴いていて、癒されるわけではない。救いもない。でも、どういうわけか、このアルバムを聴かずにいられなかった。
過度のドラッグ摂取によって死んだ友人に捧げられたこのアルバムは、たしか2、3日で録音されたという、非常に荒削りのサウンドだ。あきらかに酔っぱらって歌っている曲もある。どこにもやり場のない怒りや悲しみ、そして結局は音楽に向かうしかない、絶望的にやりきれない衝動がつまっていた。アルバム中、白眉ともいえる美しいバラード「Mellow My Mind」のイントロが流れる。ぼくは涙ぐみそうになる。そんな感傷的な気分を、今夜もニール・ヤングの歌声は突き放す。そしてぼくも、このアルバムを聴きながら眠ってしまうだろう。今日はこれで終わりだ。

宇宙の柳、たましいの下着

ぼくの大好きなバンド、カーネーションのヴォーカル&ギターを担当する直枝政広の著書「宇宙の柳、たましいの下着」(boid)を購入した。
直枝政広がこれまで聴いてきた様々な音楽を紹介する、半自伝的ディスクガイドブック。彼の本が出版される、というアナウンスがあってからずっと楽しみにしていたが、想像以上に内容が濃い。かなり読み応えがありそう。その紹介されているアルバムやミュージシャンの数が半端ではない。
彼の自室と思われる、レコード棚や本棚の写真がすごい。圧倒的な量のレコード、CD、書籍だ。かっこいいオタク。あこがれる。ぼくももっと本やCDを買いまくってやる、と決意する。好きなことだけやり続ける男になりたい。自分をもっと掘り下げたい。自分のことが大好きで、自分が自分の一番のファンである、そんな男になりたい。いや、なるべきだ、ならなくてはいけない、と確信した。

ぼくとは何か

ぼくとは何か。
たとえば、ぼくの好きなものは何か。
それは、音楽と漫画、絵画、映画、文学…。そんなところだ。いわば文化である。そして、それ以外のことにはほとんど興味がない。
ファッションやクルマや料理など、まったく興味がない。
スポーツは、千葉ロッテマリーンズのファンなので、プロ野球には多少関心があるが、サッカーをはじめてとする、それ以外のスポーツ全般に興味がない。
旅行にも行かないし、そもそも休日はほとんど家から出ない。出かけても食料品を買うか、本屋かCD屋に行くぐらいだ。
音楽で最近惹かれているのは、アコースティック・スウィング。中でもダン・ヒックスがとても好きだ。カントリーやブルーグラスも聴きたい。ボサノヴァにも興味がある。ジャズでは、スタン・ゲッツ。ロックで一番好きなのは、ルー・リード。ルー・リードの音楽さえあれば、何もいらない、という気分になるときがある。
日本のポップスでは、杉真理と松尾清憲。大瀧詠一、佐野元春、伊藤銀次。これも、特に杉真理の音楽さえあればもう充分、という感じだ。
好きな漫画家は、手塚治虫、永島慎二、つげ忠男、宮谷一彦、真崎守、村野守美。特に真崎守は、ぼくにとって神様のような存在。「真崎守選集」全20冊を持っているが、それだけで一生楽しめる。
好きな作家は、ドストエフスキー、ヘンリー・ミラー、ジョルジュ・バタイユ、チャールズ・ブコウスキー、高橋和巳、秋山駿、澁澤龍彦、三島由紀夫、片岡義男、山川健一。
好きな画家は、ロートレック、ピカソ、マティス、池田満寿夫、金子國義。
好きな映画監督は、ヒッチコック、ゴダール、アキ・カウリスマキ、テリー・ギリアム。
そんなところだ。
ぼくとは、たとえば、こういう男だ。

カウリスマキ、片岡義男、グラム・パーソンズ

フィンランドの映画監督、アキ・カウリスマキの新作映画『街のあかり』を近所の映画館「シネマテーク」で観た。
ぼくはカウリスマキの映画が好きで、2002年にカンヌ映画祭グランプリを受賞した「過去のない男」はもちろん、それ以前の作品を収めたDVD-BOXも持っている。彼の長編映画はほとんど観ている、という意味において、大ファンといっていいだろうと思う。
この新作も楽しみにしていたのだが、期待を裏切らない傑作だった。
主人公は、夜間の警備員をつとめる冴えない男。職場でも周囲から疎んじられている。ある日突然彼の前に女性が現れ、彼は恋に落ちるのだが、その女性は宝石店で宝石強奪を目論むマフィアの情婦。マフィアの謀略にはまり、彼は彼女に利用され、強奪犯の濡れ衣を着せられる。刑務所生活を余儀なくされ、出所後もまた悲劇が待っている、というストーリーだ。次々と襲いかかる悲惨で滑稽な運命を淡々と受け入れる主人公。救いはどこにもないのか、と思わせて最後にようやく一筋の光を観客は見出すことになる。
最初から最後まで、いつものカウリスマキの手法に彩られた映画だ。無表情な登場人物たち、少ないセリフ。すべてを突き放したようなクールな画面構成。すべてがカウリスマキ的だ。そして、観たぼくもいつもと同じような感動を持って、映画館をあとにする。明日も生きよう、生きるしかないのだから。そんな奇妙な感動だ。

片岡義男の新刊『青年の完璧な幸福』(スイッチ・パブリッシング刊)を読んだ。
4つの短編が収められているが、どれも舞台は1960年代後半。主人公は26、7歳のフリーランスのライターとして雑誌に様々な文章を書いている青年で、いつか自分は小説を書くだろう、ということを予感している。彼は名前を変えてそれぞれの短編に登場するのだが、片岡義男自身の若い頃と重なる面も多々ある。どの作品も主人公と彼に近しい年上の女性とのやりとりがメインとなる。彼女はやがてどこにもいない、幻の存在として彼が書く小説の中で生き始めるだろう。具象としての確かな存在を巡ることから始まって、抽象としての物語へと昇華する。その過程こそが小説を書くという行為である、というのがテーマになっていると感じた。片岡義男の小説に出てくる女性など、この世のどこにもいないのだ。だから、いい。片岡義男の文章は聡明で、無駄なものが一切ない。読んでいる間中、ぼくは幸福な気分になる。

グラム・パーソンズを巡るドキュメンタリー映画『FALLEN ANGEL』をDVDで観た。
彼の生い立ちから始まって、過度のアルコールとドラッグの摂取により26歳の若さでこの世を去ってしまうまでの生涯を、様々な関係者の証言で追っていく。特に家族や妻の証言が多く取り上げられ、その音楽遍歴よりも、悲劇的な彼の家族関係が中心となって描かれている。そして最後にはその死について、またその後の遺体の処理などについても詳細に語られる。
しかし、グラム・パーソンズと関係の深かったシンガーのエミルー・ハリスが劇中で言う通り、彼の音楽が伝説になるべきで、彼のスキャンダラスな生涯などはどうでもいいことだと思う。むしろ裕福な家庭に育ち、つねに周囲に華やかな雰囲気を振りまき、音楽的にも大きなビジョンを掲げていた彼が、なぜドラッグや酒に溺れたのか。その精神の闇の部分をもっと掘り下げるべきではないか。いや、それすらも本当はどうでもいい。一人のリスナーとしてのぼくは、劇中にわずかに挿入される貴重なライブ映像などをきちんとフルで観たかった。彼の偉大な音楽についてのみ、検証すべきだったろう。
それにしても、一時期親密な関係にあったキース・リチャーズが、グラムのことを、まるで愛おしい弟について語るような表情が印象的だった。