カウリスマキ、片岡義男、グラム・パーソンズ
フィンランドの映画監督、アキ・カウリスマキの新作映画『街のあかり』を近所の映画館「シネマテーク」で観た。
ぼくはカウリスマキの映画が好きで、2002年にカンヌ映画祭グランプリを受賞した「過去のない男」はもちろん、それ以前の作品を収めたDVD-BOXも持っている。彼の長編映画はほとんど観ている、という意味において、大ファンといっていいだろうと思う。
この新作も楽しみにしていたのだが、期待を裏切らない傑作だった。
主人公は、夜間の警備員をつとめる冴えない男。職場でも周囲から疎んじられている。ある日突然彼の前に女性が現れ、彼は恋に落ちるのだが、その女性は宝石店で宝石強奪を目論むマフィアの情婦。マフィアの謀略にはまり、彼は彼女に利用され、強奪犯の濡れ衣を着せられる。刑務所生活を余儀なくされ、出所後もまた悲劇が待っている、というストーリーだ。次々と襲いかかる悲惨で滑稽な運命を淡々と受け入れる主人公。救いはどこにもないのか、と思わせて最後にようやく一筋の光を観客は見出すことになる。
最初から最後まで、いつものカウリスマキの手法に彩られた映画だ。無表情な登場人物たち、少ないセリフ。すべてを突き放したようなクールな画面構成。すべてがカウリスマキ的だ。そして、観たぼくもいつもと同じような感動を持って、映画館をあとにする。明日も生きよう、生きるしかないのだから。そんな奇妙な感動だ。
片岡義男の新刊『青年の完璧な幸福』(スイッチ・パブリッシング刊)を読んだ。
4つの短編が収められているが、どれも舞台は1960年代後半。主人公は26、7歳のフリーランスのライターとして雑誌に様々な文章を書いている青年で、いつか自分は小説を書くだろう、ということを予感している。彼は名前を変えてそれぞれの短編に登場するのだが、片岡義男自身の若い頃と重なる面も多々ある。どの作品も主人公と彼に近しい年上の女性とのやりとりがメインとなる。彼女はやがてどこにもいない、幻の存在として彼が書く小説の中で生き始めるだろう。具象としての確かな存在を巡ることから始まって、抽象としての物語へと昇華する。その過程こそが小説を書くという行為である、というのがテーマになっていると感じた。片岡義男の小説に出てくる女性など、この世のどこにもいないのだ。だから、いい。片岡義男の文章は聡明で、無駄なものが一切ない。読んでいる間中、ぼくは幸福な気分になる。
グラム・パーソンズを巡るドキュメンタリー映画『FALLEN ANGEL』をDVDで観た。
彼の生い立ちから始まって、過度のアルコールとドラッグの摂取により26歳の若さでこの世を去ってしまうまでの生涯を、様々な関係者の証言で追っていく。特に家族や妻の証言が多く取り上げられ、その音楽遍歴よりも、悲劇的な彼の家族関係が中心となって描かれている。そして最後にはその死について、またその後の遺体の処理などについても詳細に語られる。
しかし、グラム・パーソンズと関係の深かったシンガーのエミルー・ハリスが劇中で言う通り、彼の音楽が伝説になるべきで、彼のスキャンダラスな生涯などはどうでもいいことだと思う。むしろ裕福な家庭に育ち、つねに周囲に華やかな雰囲気を振りまき、音楽的にも大きなビジョンを掲げていた彼が、なぜドラッグや酒に溺れたのか。その精神の闇の部分をもっと掘り下げるべきではないか。いや、それすらも本当はどうでもいい。一人のリスナーとしてのぼくは、劇中にわずかに挿入される貴重なライブ映像などをきちんとフルで観たかった。彼の偉大な音楽についてのみ、検証すべきだったろう。
それにしても、一時期親密な関係にあったキース・リチャーズが、グラムのことを、まるで愛おしい弟について語るような表情が印象的だった。
ぼくはカウリスマキの映画が好きで、2002年にカンヌ映画祭グランプリを受賞した「過去のない男」はもちろん、それ以前の作品を収めたDVD-BOXも持っている。彼の長編映画はほとんど観ている、という意味において、大ファンといっていいだろうと思う。
この新作も楽しみにしていたのだが、期待を裏切らない傑作だった。
主人公は、夜間の警備員をつとめる冴えない男。職場でも周囲から疎んじられている。ある日突然彼の前に女性が現れ、彼は恋に落ちるのだが、その女性は宝石店で宝石強奪を目論むマフィアの情婦。マフィアの謀略にはまり、彼は彼女に利用され、強奪犯の濡れ衣を着せられる。刑務所生活を余儀なくされ、出所後もまた悲劇が待っている、というストーリーだ。次々と襲いかかる悲惨で滑稽な運命を淡々と受け入れる主人公。救いはどこにもないのか、と思わせて最後にようやく一筋の光を観客は見出すことになる。
最初から最後まで、いつものカウリスマキの手法に彩られた映画だ。無表情な登場人物たち、少ないセリフ。すべてを突き放したようなクールな画面構成。すべてがカウリスマキ的だ。そして、観たぼくもいつもと同じような感動を持って、映画館をあとにする。明日も生きよう、生きるしかないのだから。そんな奇妙な感動だ。
片岡義男の新刊『青年の完璧な幸福』(スイッチ・パブリッシング刊)を読んだ。
4つの短編が収められているが、どれも舞台は1960年代後半。主人公は26、7歳のフリーランスのライターとして雑誌に様々な文章を書いている青年で、いつか自分は小説を書くだろう、ということを予感している。彼は名前を変えてそれぞれの短編に登場するのだが、片岡義男自身の若い頃と重なる面も多々ある。どの作品も主人公と彼に近しい年上の女性とのやりとりがメインとなる。彼女はやがてどこにもいない、幻の存在として彼が書く小説の中で生き始めるだろう。具象としての確かな存在を巡ることから始まって、抽象としての物語へと昇華する。その過程こそが小説を書くという行為である、というのがテーマになっていると感じた。片岡義男の小説に出てくる女性など、この世のどこにもいないのだ。だから、いい。片岡義男の文章は聡明で、無駄なものが一切ない。読んでいる間中、ぼくは幸福な気分になる。
グラム・パーソンズを巡るドキュメンタリー映画『FALLEN ANGEL』をDVDで観た。
彼の生い立ちから始まって、過度のアルコールとドラッグの摂取により26歳の若さでこの世を去ってしまうまでの生涯を、様々な関係者の証言で追っていく。特に家族や妻の証言が多く取り上げられ、その音楽遍歴よりも、悲劇的な彼の家族関係が中心となって描かれている。そして最後にはその死について、またその後の遺体の処理などについても詳細に語られる。
しかし、グラム・パーソンズと関係の深かったシンガーのエミルー・ハリスが劇中で言う通り、彼の音楽が伝説になるべきで、彼のスキャンダラスな生涯などはどうでもいいことだと思う。むしろ裕福な家庭に育ち、つねに周囲に華やかな雰囲気を振りまき、音楽的にも大きなビジョンを掲げていた彼が、なぜドラッグや酒に溺れたのか。その精神の闇の部分をもっと掘り下げるべきではないか。いや、それすらも本当はどうでもいい。一人のリスナーとしてのぼくは、劇中にわずかに挿入される貴重なライブ映像などをきちんとフルで観たかった。彼の偉大な音楽についてのみ、検証すべきだったろう。
それにしても、一時期親密な関係にあったキース・リチャーズが、グラムのことを、まるで愛おしい弟について語るような表情が印象的だった。