世界のグルメシリーズその3(ポルトガル🇵🇹 堺🇯🇵)
"南蛮料理"から日本を代表する和食へ
めっちゃ天ぷら食べたくなったので大人気店👇
天ぷら 大吉
名物のあさりの味噌汁
殻は下に捨てるスタイルが有名です、が
店舗によっては❌
勿論👇
👆勿論持って帰りますよね
大満足お腹いっぱいご馳走様でした
アベニューKの豆知識コーナー
天ぷらのルーツは👇
室町時代にポルトガルから伝わったとされ、一説では「天ぷら」の由来はポルトガル語の「テンポーラ(Temporas)」が語源だといわれています。この言葉は「四季に行う斎日」という意味で、カトリックでは「四季に行う斎日」に祈祷と断食が行われ肉を食べることが禁じられていたので、野菜や魚に小麦粉をつけて揚げ物にして食べていたようです。
天ぷらは油を大量に使って調理をしますが、当時の日本にとって油は高級品だったので庶民が食べる料理ではありませんでした。
また、日本の天ぷらの起源となっている「長崎天ぷら」と呼ばれるものがありますが、「長崎天ぷら」は安土桃山時代にポルトガル人が長崎に伝えたものとされています。
この時の天ぷらは衣の生地が厚く、小麦粉・塩・卵・酒を混ぜたもので衣と食材の両方に味付けがされているものでした。
江戸天ぷら
江戸時代に入ると油の生産が増えたことから庶民の間でも食べられるようになりました。衣の生地は薄く、天つゆを付けて食べるスタイルへと変わり、屋台では串に刺さった天ぷらをおやつとして食べられていたともいわれています。
こうして徐々に天ぷらが広まり、料亭や天ぷら専門店などの店が増え天ぷらを揚げる職人が話題となっていました。
この頃は「江戸天ぷら」と呼ばれ江戸の料理とされていましたが、大正12年に起きた関東大震災をきっかけに日本全国で食べられるようになり、震災で職を失った人々が江戸を離れ各地へ移住したことによって天ぷら料理が広まっていったのです。
昭和初期では油が高価だったためハレの日の料理として正月や祭りごとで食べる料理でしたが、高度経済成長期になると油の生産が急速に増加し家庭でも手軽に食べられる料理となりました。
現代では外国人が好む和食として人気なほど天ぷらの魅力は世界へと広がりを見せていますが、ここに至るまで様々な変遷を経ていたのです。
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