じつは寿命があった?ドラレコのSDカードの交換頻度

 

現在、必需品と言っても過言ではないほど普及しいるドライブレコーダー。

ドライブの記録はもちろん、不測の事態に備えて、自分の身を守る意味でも装備しておきたいアイテムのひとつとなっています。

このドラレコの記憶媒体に使われているSDカードには、寿命があることを知ってましたか?

自衛のために装備しておきたいドラレコ

 

クルマを走らせていると、問題になっている「あおり運転」からの事故やトラブルなど、遭遇する不測の事態は枚挙に暇がありません。

そんなときの自己防衛アイテムとして、用意しておきたいのがドライブレコーダーです。
車両の前後で起きたトラブルを録画・記録しておいてくれるドラレコは、煽り運転などはもちろん、装備しているということをアピールできれば、抑止力につなげることも可能です。
そんな心強い装備のドラレコですが、記憶媒体にはSDカードが使用されています。

軽くて振動に強いので、車載装備のみならず、スマートフォンやデジカメなど、身の回りのさまざまなガジェットの記憶媒体に採用されています。
しかし、便利な反面、永遠に使える…というわけではないのです。


SDカードの寿命は?交換頻度

スマートフォンなどで使用していたSDカードが読み込めなくなると、それまで保存したデータが心配になりますよね。
SDカードはその使い勝手の良さから、ついつい長年使ってしまいますが、じつは書き込み回数に限度(=寿命)があります。またSDカードの製造メーカーでは、その寿命を5年~10年と発表していますが、突然の不具合などを避けるのであれば、2年~3年が目安となります。
とはいえ、SDカードの寿命は、書き換え回数が大きく影響するとされています。

SDカードに使用されているフラッシュメモリ素子の書き込み回数の上限は、MLC(MultiLevelCell)タイプが1万回、TLC(TripleLevelCell)タイプが1,000回ほど、とされています。
どんなデバイスでも、こういった性能を把握したうえでデータの保管につとめないと取り返しのつかないことになりますから、注意が必要ですね。


ドラレコのSDカードには、大きな負担がかかっている!

録画~保存が走行毎に行われているドラレコは、SDカードにかかる負荷が非常に大きなデバイスであるといえます。

いざ、というときに「撮れていなかった!」なんてことになっては意味がありませんから、少しでも耐久性の高いSDカードを選ぶというのが対策となります。
前述のSDカードの種類でいえば、書き込み回数の耐用性が高いMLCタイプをチョイスすると良いでしょう。

SDカードもピンキリですから、よくチェックして選ぶことが必要。こうした記録メディアは、容量ばかりに気を取られがちですが、耐用年数・回数も考慮にいれておきましょう。
ドラレコだけでなく、デジカメやスマホなどなど、私達の生活にSDカードは欠かせないアイテムになっています。この機会に、現在使っているSDカードを確認して、古いものは新しく信頼性の高い製品に替えてみてはいかがでしょうか。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

海外で撮影した大事な写真などの映像記録を、PCのSDカードスロットに挿入しデータ移行中に事故は起きた。

急にデータが読み込めなくなったのだ。PCの不具合かと何度も試したが駄目。かなり焦る。

最終的にSDカードのデータ復旧サービス会社に持ち込んだところ、救急搬送された患者同様に

ウチでは対応不可、とたらい回しにされて最後は「論理的の不具合」でなく「物理的な損傷」との診断で

バラバラに解体されたSDカードが返却された。そもそも、復旧前の見積が異常な高額だったので

もう、その時点でそのSDカードは息絶えていたのだ。後日、車にドラレコを装備したところ店員さんに

「SDカードは消耗品なんで・・」との説明があった。そうなんだ。これは本当に知っておかないといけない事。

日常でデジカメやドラレコで習慣化して使用しているSDカードだが、肝心な時に記録として使えない事がある。

トランプ大統領がエルサレムをイスラエルの首都として認定したというニュース。

日本では、他人事のように捉えられているニュースだが、これは年号を暗記しなければならない程の世紀の大事件だ。

エルサレムは、世界史に於ける最重要拠点に間違いない。ここに注目すれば世界が見えてくる。

 

有史以来、ユダヤ人への迫害はアウシュビッツ以前にも大規模に行われていた。

民族浄化という大義名分で、それこそ徹底的にターミネートさせられてきた民俗だ。

それでも優秀なDNAは、核兵器の開発にも、様々な文化芸術はもとより経済・金融では他の追従を許さない。

お金儲けでは、華僑やインド人も卓越した才能を有している。個人種目では日本人など足元にも及ばない程だ。

 

現在、そのエルサレムが世界の注目を集めている一方で、アメリカと中国の間での関税を課す戦争がエスカレート。

 

結果は、シェールオイルの増産と過激なれど経済的には復活の勢いが強いアメリカのストレート勝ちだろう。

そしてアメリカが発したこの関税という波動砲に日本も影響を受けて、ダメージコントロールは長期化するだろう。

 

中国は、独裁をもって国力を高めてきたが年々増すエネルギーバランスをはじめ、様々なサプライチェーンや競争力が

劣化してきており、且つ金融不安も影も濃くなってきている。だからこそ華僑は他国に移住し安全を求める。

 

現在、かつて黄金の国ジパングとしてヨーロッパでも憧れの存在とされた日本は、インターネットや国際線の発達で

エルサレムやバチカンからも(ビザが必要な場合もまだまだ多いが物理的には)身近に「来れる」国となった。

その日本、激甚な豪雨、台風そして地震と同時多発的なリスクに直面している。そのリアルタイムな情報は

瞬時に世界を駆け巡る時代になった。

 

だからこそ、この凄まじい神の力をも凌駕するようなリスクから、かつての黄金の国ジパングが

どのように「復活」するのか、日本人が世界で最も長く国体を再三の地震や台風、噴火そして

戦争から何度も不死鳥のように蘇る姿を、ユダヤ人、華僑、インド人、アメリカ人をはじめ

世界中の人々にリアルタイムで見てもらうための「ピンチはチャンス」と捉え、頑張っていこうではないか。

 

それは、まさに世界史に刻まれるような、エルサレムやバチカン等と並んで

大阪や北海道が、日本が称えられ、誇りとなり、伝説となるための歴史になっていくだろう。

一般人は「時間」で、小金持ちは「運」で、

大富豪は「仕組み」で稼ぐ

8/21(火) 11:00配信

現代ビジネス

----------
「一般人」と「お金持ち」を分けるものとは? その秘密に迫った『大富豪が実践しているお金の哲学』。証券マンとして企業オーナー、ファンド出資者など、国内外の超富裕層と接してきた著者の冨田和成氏によれば、「いかにお金を生む仕組みをつくれるか」が勝負だという。では、その「仕組み」はどのようにして構築するのか? 冨田氏がわかりやすく解説する。
----------

なぜあなたの収入は増えないのか

 収入が増えない人に共通するのは、お金に対して受け身の立場でいることだと思います。

 常に雇い主の庇護下にいて自分が提供する役務の対価としてお金をもらう。それが当たり前だと思っていると、大半の人はいざお金を稼ごうと思っても時給を上げることか、仕事を掛け持ちすることしか思いつかないのが実態です。

 一部、新しい働き方を導入する企業などでは例外はあるものの、基本的に正社員であろうとアルバイトであろうと、時給で働く行為は自分の「時間」を雇用主に売っていることになります。スキルや役職が上がれば時給が変わりますが、時間を売る収益モデルであることに変わりありません。

 これは一部の自営業の人にも言えます。

 エンジニア、デザイナー、コンサルタント、ライターなどとして独立しても、案件毎に決まった報酬を貰っている限り、商品は自分の時間です。

睡眠時間を削って毎日がんばっても年収には限度があります。

 もっと言えば小売や飲食のオーナー店長も、自分が動かない限りお金が生まれないのであれば時間売りの枠を飛び越えていません。

 時給で稼ぐ行為にはデメリットが3つあります。

 最大のデメリットは商品が自分の時間である限り、売り上げに上限があることです。仮に時給3000円の仕事を1日12時間、休まず続けたとしても年間1314万円。多いか少ないかはさておき上限が見えていることがポイントです。

 もうひとつのデメリットは時間を売りすぎると機会損失の恐れがあること。自己研鑽や人脈構築の時間にあてていればもっと収入が増えるかもしれないのに、仕事に追われているとそういったチャンスを逃す可能性が高まります。

 最後のデメリットは、時間売りのマーケットは得てして買い手市場なので単価が安いこと。安い海外の労働力やAI(人工知能)の発達でマーケットそのものがなくなる分野もでてくるでしょう。

 このように時間売りだけを続けている限り大富豪への道は遠いと思います。

 

収入がどんどん増える「仕組み」

 そこから状況を打開するために一攫千金を狙う人もいます。

 レバレッジを効かせたFXや怪しい投資話。身近なところではパチンコや宝くじ。しかし、そこで一回上手くいったとしても再現性がなければ元の黙阿弥です。

 大富豪になる人が念頭に置いているのは、「いかに自分の時間を売らないで済むか」。時間が買えるのであれば積極的に買いますし、その実現のためには自分の時間を売らなくてもお金が生まれる「仕組み」をいかに作れるかが勝負です。

「寝ている間にもお金が生み出せるのかどうか」と表現すればわかりやすいでしょう。

 この考え方を収入源の観点から言えば、一か所からお金をもらう収益モデルを卒業して、収入源を増やすモデルに移行すること、とも言えます。

 その仕組みの代表格が「人を雇う立場になること」です。

 人を雇うことは、他人の時間を買って、その時給より大きな収益を上げてもらうことでお金が増えていく「仕組み」そのものです。最近ではクラウドソーシングの普及によって、時間単位で、誰でも簡単に人を雇うことができる時代になりました。こうした「仕組み」をいかに有効に使えるかが肝心です。

 もちろん、人を雇って利潤を出すことは言葉で言うほど簡単ではありません。でも、少なくとも時間売りをしていたときの収入の上限を取り払うことはできるでしょう。

 それに、人を雇わなくても時間売りしなくていい方法はあります。

 サラリーマンであれば投資やアフィリエイト。ライターやカメラマンであれば印税。エンジニアやデザイナーであれば成功報酬。小売や飲食のオーナーであればフランチャイズフィーなど。

 対時間、対労力を考えたときに、より大きな収益が上げられる仕組みはないか。

 人間、どのみち仕事に時間をとられるわけですから、この問いを持てるかどうかが普通の人と大富豪との分かれ目です。

 家族の生活を守るための安定した収入も無視できないので、どのタイミングで「脱時給」を図るのかの判断は難しいかもしれません。

 しかし、「これだけがんばっているのにお金が増えない」とぼやいている人がいたら、そのお金がどうやって生まれているのか見つめ直すいい機会なのではないでしょうか。

 

お金儲けは「悪」なのか?

 金銭教育先進国のアメリカでは幼稚園からお金について学びはじめ、大富豪はアメリカンドリームを体現した人物として崇められます。

 ひるがえって日本。

 大富豪と聞くだけで「ずるい」だの「人のお金で云々」と眉をしかめる人が多いのは、文化や教育の影響が少なからずあると思います。

 金融教育をタブー視しすぎたために、お金を稼ぐ行為はあたかも「他人から搾取して、ひとりだけ良い思いをすること」という独善的なイメージを持たれてしまう傾向があるのではないでしょうか。

 また、もうひとつ大富豪のイメージが悪い原因として、真っ当にお金を稼いでいる人には世間が興味を持たない世俗的な背景もあるでしょう。

 実際は真っ当な商売人の方が圧倒的に多いにも関わらず、マスコミで大富豪が話題になるのは、富裕層ランキングが発表されるときか、嫌味な成金キャラを演じている「自称セレブ」がネタにされるときか、悪いお金の稼ぎ方をした人がつかまったときがほとんどです。

 これでは世間の大富豪に対するイメージが悪くなる一方です。

 まっとうなことをするだけで、大富豪になることはできます。

 私の知る大富豪を見ても、または世の中で成功したビジネスモデルを見ても、結局のところ誰よりも早く消費者のニーズを読みとったか、誰よりも早く行動を起こしたか、誰よりも完璧なサービスを提供できたか、のいずれかです。

 以前とあるIT長者に事業成功の極意をたずねたところ、こう言われました。

 「インターネットが伸びることは誰でも容易に想像できたはずです。伸びると分かっている市場であれば、当たり前のことをやるだけで当たり前のように結果は出せるはずなんですよ。ただ、それを人よりも少しだけ早く気づいて、少しだけ早く動いて、人よりたくさん努力しただけです」

 パナソニックを創業した松下幸之助氏の言葉で「成功の秘訣は、成功するまで続けること」という名言もあります。私が最も好きな言葉のひとつです。

 どんなに失敗を重ね、暗いトンネルの中で心が折れそうになっても、成功するまでやり続ければ最後は必ず成功する。当たり前のことをただ愚直に実践することの重要性を教えてくれる、とても重い言葉です。

 

冨田 和成

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 

多くの特に対戦相手のあるテニスのようなスポーツで

「勝ちパターン」を持っているか、どうかが決め手になる。

対戦相手が、バックハンドが苦手とみれば何度でも

徹底的にバックを突いて「勝ちパターン」を創る。

 

それは一発必中の強打でなくても、緩いスロースライスでも

有効であり、ロブで相手の高い打点でのバックハンドに

ボールを送りつつフォアハンドを使わせない、という手もある。

 

多くの人がマスコミあるいはネット上の情報で誤解しているのは

少子高齢化で、自分も孤独で高齢化するから出来るだけ沢山

現金をタンス預金しないといけない、と思い込まされている。

 

一旦、政府が目指し公約しているインフレ率2%となれば

貯金は2%分、実質価値が低下し更に消費税増税が襲ってくる。

 

例えば経済という身体にとってお金は血液に相当する。

健全に循環していれば、問題ないがたまに経済危機で

血流不全を起こすと極めて厄介な状態になる。

 

健康な人は、誰も巨大な血液タンクを背負ってはいない。

 

造血細胞が働く骨髄と一生懸命働き終わった血液が排尿とされる

腎臓・膀胱をリズムよく活動させているだけだ。それが命。

 

お金も同じで、同じところに滞留させているだけでは変化しない。

お金を働かせないといけない。その為に必要な酵素や臓器に

相当するのが、貴方自身の「信用」であり「経営判断」と活動だ。

 

そうして構築された「経済の血液」吸引機を使って、より効率よく

血液を生み出し、有効に価値あるものにしていく事こそが大事であり

守銭奴となっても「生きている価値」は無い。

 

一生懸命に今を生きるため、与えられた命、身体を精一杯に

活用し、心と体を幸せにする為に「仕組み」を構築するのだ。

 

それは一夜城ではない、何年も時間はかかるが、

その分あなたの人生は、より貴方らしくなっていく。

安易にマネされたり、奪われたり、失われるものでなくなる。

早く気づいて、早く自分らしく、プランニングし、タイミングと

チャンスを生かし、勇気と知恵を携えて人生を創るのだ。

 

働き方改革とか、残業ゼロとかスローガンは立派だが

本質的には、こうした原理原則の理解と実践が伴わないと

次の進化する時代に進めなくなるだろう。

 

 

 

90歳、人生の先輩が断言

「おカネの心配?するだけ無駄だったね」

6/10(日) 10:00配信

現代ビジネス

すべてプラスに考える

 今年90歳を迎える田中俊郎さん(仮名)は、60代後半の頃、将来が不安で仕方なかった。

 「若い頃から進駐軍相手のバンドを組み、30代前半までフラフラしていたからサラリーマンになったのが遅かった。そのため、学校卒業と同時に勤めた同世代に比べて年金が少なくて、どうしたものかなと。

 夜中に『もうカネが尽きた』とうなりながら飛び起きたこともあった。でも、女房が楽天家で、『なんとかなるわよ』というタイプの人間だったから、私にもそれが伝染した。なんでもプラスに捉えれば、気がラクになるもんだ。

 たとえば、うちは女房に実家があったから、修繕してそこに住んだので家賃が要らない。年金は同世代に比べればマイナスかもしれないが、家賃がないのはプラス。

 70歳すぎまでタバコを吸っていたが止めた。タバコを吸うカネさえなくなったと否定的に考えるのではなく、カネがかからなくなったと思えば、これもプラス。

 酒量も半分以下になって、これもカネがかからないからプラス。なんでもプラスに考えていくと、『なんだ、生きるのに大してカネはかからないじゃないか』という境地に達したんだよ」

 田中さんは、マイナスをプラスに変える「発想の転換」で老後の危機を乗り切った。



 最近はJRが提供している『ジパング倶楽部』を愛用して、京都などに出かけているという。65歳(女性は60歳)以上は最大3割引きで新幹線を利用することができる。

 「これだと、東海道新幹線の『のぞみ』には乗れない。昔は3割分ケチっていると思われるのがイヤだったから『のぞみ』にしていたけど、今はそんな気はまったく起こらない。『ひかり』で十分だよ。

 乗っているとわからないけれど、『のぞみ』の通過待ちを見ていると、新幹線って本当に速いって実感する。狭い日本、そんなに急いでどこへ行く、じゃないけど、この年になって、ゆったりする旅が好きになったね」

 そう言って、田中さんは遠い目をして若かりし頃を振り返るのだった。

 「高校の頃まで、そこそこの進学校に通っていたんだ。仲のいい同級生2人と試験の1点2点を争って目の色を変えて勉強をしていた時期もある。

 私は音楽にハマって受験勉強から脱落したけど、一人は東大に行って官僚になり、もう一人は千葉大の医学部に行って医者になった。でも医者と言っても、勤務医で働き詰め。

 60歳を過ぎてすぐ、ゴルフをした後のサウナで突然亡くなった。官僚になったヤツは早くに外郭団体に飛ばされて、愚痴ばっかり言っていたが、そいつもがんで死んだ。

 受験、受験で競い合ったのは、結局、何の意味があったんだろうね。出世争いだって、仕事に没頭することだって、死んでしまえば、元も子もない。

 この年まで生きた私だから思うことかもしれないけど、途中で挫折した私のほうが幸せだったんじゃないか。そんな気にもなるんだよ

 中国の古典に、「入るを量りて出ずるを為す」とある。収入を計算してから、それに見合った支出を考えるという意味だ。老後の生活資金は、年金収入で計算ができるから、贅沢さえしなければ十分に生きていける。

 91歳の川上裕二さん(仮名)は県営住宅に暮らす。

 「現役時代は商売をやってきたので、収入は国民年金だけだけど、神奈川県にある県営住宅の家賃は3万円。自炊していれば十分暮らしていける。

 妻は1年前に亡くなったので、趣味として月1回はカメラ愛好家たちと観光バスで行く撮影ツアーにも参加している。私が一番高齢だから、一緒に行った人があれこれ気遣ってくれるのが、ありがたい。

 葬式代に50万円は残してあるし、娘も1週間に1回は様子を見に来てくれるし、何の心配もないね」

 

カネはなんとでもなる

 長生きすると、カネがなくなって不幸になる。そう考える高齢者は多いが、実際のところ、食も細るし、広い家も必要なくなる。日々平穏に暮らしていく限りは、金銭的な心配をしなくとも生きていけるのだ。

 千葉県の特別養護老人ホームで暮らす黒木良三さん(92歳・仮名)は「今が一番幸せかもしれない」と話す。

 「妻は5年前に亡くなり、2年前から施設にお世話になっている。小さな雑貨店を営んでいたんだが、60代から70代の頃は、カネが心配で仕方なかった。

 同世代のサラリーマンが引退して、年金生活を楽しんでいるのに、オレは一生働き詰めかと悩んだものだよ。

 でも、カネのことはなんとでもなるもんだ。施設は毎月15万円かかるが、家賃も食事代も光熱費も全部込みでこの金額。これ以外には一切かからない。100歳まで十分に暮らして行けるよ。

 もちろん、子供に入居を勧められたときは怒った。『ふざけるな、なんでオレが老人ホームに入らないといけないんだ。誰の世話にもならない』とね。

 でもいざ入居してみると、『ここは別荘か』ってなもんでね。みんな親切にしてくれるし、食事はうまいし、2時半のおやつも楽しみだ。

 風呂も入れてくれて、身の回りの世話もやってくれる。窓からの景色が素晴らしいし、車の音も聞こえないし、田んぼと畑が広がって見飽きない」

 カネの心配なんかしなくても、老後は暮らしていける。人生の先輩たちの言葉を胸に刻もう。

 「週刊現代」2018年4月7日号より

--------------------------------------

 

人生の先輩の言葉は深いですね。

 

こんなにサラリと本質を語って頂くと

会社でストレスだらけで、地位だの出世だの待遇だの

仕事で上手くいった失敗しただの、プライベートで

人間関係で、金銭問題で様々な悩みや苦渋があっても

ちょっと救われる気持ちになりますね。

 

大事なポイントは、年を重ねて(且つ現役から外れると)

消費傾向も変わっていくし、消費自体のダウンサイジングが

自然になされていくし、極論すれば葬式代程度の貯金さえあれば

だいたい年金受給額に応じた施設での生活なり、自宅(または

賃貸)での支援サービスを受けていければ大丈夫という事だ。

 

若い現役時に、メンテナンスコストが膨大でない自宅を買っておく

もしくは、賃貸なら年金額と考慮して貯蓄しつつ、都心でなくとも

やりくりできる場所で暮らせばいい、という事だ。

 

若い頃は、あれもしたい、ここも行きたい、それも欲しいと

消費欲・購買欲は高いけれども、高齢化すると段々と体も

心も、そうした欲求自体が出来なくなる。

 

例えば「大食い」「食べ放題」は年寄りにはチョット無理。

莫大な資産なり貯金を持っていても使えなくなる。

だから、ロックフェラーとか大富豪は財団つくったり

多額の寄付をしたりという事になるのだろう。

 

 

今、手元に現金が無くて、いつも足りなくて困っていても

消費自体、欲求自体が変化するし、テクノロジーの進化で

もっとサービスも手頃な価格になっていく。

 

ファイナンシャル・リテラシーを意識しながら

同時に自分の年齢やライフサイクルを考えながら

少しづつでも、前向きに頑張っていこう。

 

あなたの部下が「報連相」をしない本当の理由

「人が集まる職場」のつくり方

「報告・連絡・相談」、つまり報連相は、あらゆる仕事の基礎となる部分。会社で上司が部下に「ちゃんと報連相しなさい」と指導する場面はよく見られるものだ。

「報告・連絡・相談」、つまり報連相は、あらゆる仕事の基礎となる部分。会社で上司が部下に「ちゃんと報連相しなさい」と指導する場面はよく見られるものだ。

 しかし、「ちゃんと報連相しろ」という言葉が出るということは、裏を返せば「自然に報連相が起きない状況になっている」ということでもある。

「『報連相しろ』という言葉が飛び交うのは、社員が次々に辞めていくような会社の特徴のひとつです」――そう解説するのは、数多の組織を見てきた「職場のメンタルヘルス・コミュニケーション対策」の第一人者であり、『人が集まる職場 人が逃げる職場』の著者・渡部卓氏。なぜ自然に報連相がされないような職場になってしまうのか、その原因と対策を解説してもらった。

 

「情報が回ってこない」ときのチェックポイント

 情報は「鮮度」が命。上司にとっては、重要なことほど「手の打ちようがなくなる前」に把握しておきたいものです。けれども、自分の元に情報が回ってくる頻度が少ない、スピード感がないとしたら、それは報告や申請を細かく形式化しすぎているせいかもしれません。

 たとえば、次のようなことになっていませんか?

・「日報」や「営業報告書」といった各種報告書の数や記入項目が多い
・「休暇届」など各種申請書の数や記入項目が多い
・報告書や申請書の締め切りがやたら早い
・報告書や申請書に必要なハンコの数が多い

書類が増えると上司の負担も増える

 これらの書類が増えれば増えるほど、書く側はもちろん大変なのですが、チェックして承認する側も同じく大変になってしまいます。

「デスクに書類を積んでいるうちに経理への提出期限を過ぎていて、部下を困らせてしまった」……なんてこともしばしばあるのではないでしょうか? 私も100人を超える部下を抱えていた時代には、そんな経験が山ほどあります。

 このように報告や申請の項目が多かったり、承認者の数が多くなったりするのは、「リスク管理のため」……と言えば聞こえはいいですが、それだけ責任の所在を分散させているということでもあります。また、「細かい報告を形式化させることで、上司が自分自身を安心させているだけ」という面も大きいのです。

ルールを細かくするほど報告は上がってこない

 もちろん、責任が重い仕事や危険をともなう仕事など、細かい記述や承認が必須のこともあるでしょうから、一概に「報告・申請を気楽にできるようにしなさい」とは言えません。

 ただ、毎週・毎月の報告内容や形式、頻度などのルールをいちいち細かく定められると、部下からすれば面倒になってくるもの。だんだんマンネリ化し、かえってきちんと報連相がなされなくなる、というのもよくある話なのです。

 職種や業界にもよりますが、こうした報告・申請のルールが細かすぎないかどうか、いま一度見直してみる必要があるでしょう。

「人が逃げる職場」では、ルールが増え続ける

 人を採用しても次から次へと辞めていくような「人が逃げる職場」では、こういった細かすぎるルールが増え続けるという特徴があります。それらはかえって職場の生産性を下げ、必要以上に大きなストレスを社員に与えてしまうリスクがあるのです。

 新しいルールは、その時々で時代や状況に合わせるために必要なことも多いでしょうが、「ムダなルールの排除・見直し」に目を向けていないのは大問題です。何十年も前の状況に合わせて定められた規則が、ただ「見直す人がいない」という理由だけで残り続けている……そんな職場は多いのではないでしょうか。

規則の数を、とにかく半分にしてみる

 とはいえ、いざ古いルールを見直そうとすると、100人いれば100通りの意見が出てきます。「私はこの規則は必要だと思う」「いや、僕は必要だとは思わない」「この提出方式は社長の発案だった。残すほうが無難だろう」……。いくら古いと言っても、職場のルールがつくられるのにはそれなりの理由があるわけで、なかなか気軽になくすことができないのも現実です。

 そこでぜひ取り組んでみてほしいのが、「とにかく半分にしてみる」こと。報告・申請の数や項目、職場の規則などをはじめとしたさまざまなルールを、とにかく半分に減らしてみるのです。

シスコシステムズが「お役所仕事」を排除した方法

 これをやってのけたのは、私が勤務していた時代のシスコシステムズのCEO、ジョン・チェンバース氏でした。ある日、彼は社内に次のように号令しました。

 

「もう余計な規則はいらない。10年前からある規則は、半分に減らせ。責任は俺がとるから」。

 もちろん、実際は単純に半分にできたわけではありませんが、彼はそのくらいの気概を持って「ムダな規則を削れ!」と号令したのです。

「そんな大胆なことをして大丈夫なのか」と心配になるかもしれませんが、本当に必要だったルールは自然に復活させられることになりますから、「ムダなものは消え、本当に必要なものは残る」という理想的な状態に近づくことができました。そうして、いわゆる「慣習化されたお役所仕事」が排除され、会社の生産性は格段に上がり、社員のストレスも確実に軽減されたのです。

まずは身近なところからでも手をつける

 社員に必要以上の時間や労力をかけさせるような古いルールは、思い切って半分にしてみるように働きかけてみてはいかがでしょうか。もし減らしたことで不都合になるようなルールがあったなら、より適切な形で復活させればよいのです。

 もちろん「この規則は上の方針だから変えられない」といった場合も多いでしょう。そういうときは、自分のチームや身近な範囲内だけでも何かムダなルールがないか探し、半分に減らしてみてください。そうして成果が出れば、上層部にも提案しやすくなるでしょうし、自分が普段身を置いている範囲だけでもよい変化があることで、たいていの人は過ごしやすくなります。

筆者の渡部卓氏の著書(画像をクリックするとAmazonのページにジャンプします)

「とにかくLINEしてきて」でもいい

 ちなみに、私は学生や仕事で関わる人にも自分のLINEやFacebookなどのSNSアカウントを教え、ちょっとした報連相などの単純なやりとりはSNSで済ませることがよくあります。若い人ほど、対面での会話や電話・メールでのコミュニケーションより、そのようなSNSのほうが馴染み深いもの。「ちゃんとした報告じゃなくてもいいから、とにかくLINEしてきて」と言っておくと、素早い連絡を受けやすくなります。

 厳格な様式やルール・マナーを尊守することも必要ですが、場合によっては気楽でスピーディーな手段を活用できる柔軟性も持っていたいものです。

 

■ 渡部卓(わたなべ・たかし)
産業カウンセラー、エグゼクティブ・コーチ。帝京平成大学現代ライフ学部教授、(株)ライフバランスマネジメント研究所代表。職場のメンタルヘルス・コミュニケーション対策の第一人者であり、講演・企業研修・コンサルティング・教育・メディア等における多数の実績を持つ。『明日に疲れを持ち越さない プロフェッショナルの仕事術』ほか著書多数。

------------------------------------

 

素晴らしい記事。

 

何故なら、私の職場はまさにこの記事にある「最悪」な

「報連相しろ!」の連発で人がバンバン辞めていく環境だから。

 

管理職は、誰もが自分が管理しなくちゃいけない立場のように全く

誤解していて、自分たちはスタッフが生き生きと働けるような環境にする

言わばサーバントというか舞台演出家だという事を少しも理解していない。

 

スタッフもまた自己保身、管理職に自分だけがよく思われたいという

気持ちばかりで、わずかばかりの餌が増える事に尻尾を振って曲芸をする。

見ていて憐憫というか、諦めというか、早くこの職場去りたい。

 

それでも幾つか転勤を重ねてきて、全然違う職場もあった。

自主独立を基盤として、まあ逆に何かあったらちゃんと自分で

自分の尻拭いてみたいな、突き放しというか放牧というか

スタッフは、結構自席で「あーで、こーで」みたいな愚痴を

リアルタイムで回りにバンバン声を上げて話す。

何が起きているか判りやすい職場だ。実に開放的。

 

上司には、「本当にヤバイ」困った場合とか

ちょっと自分だけで責任取れねえな、と思った時だけ

こちらの「都合よく」ご登壇頂く。

だって君はそのための存在だから。

 

本来の管理職は、このくらいが丁度いい。評価なんて気にしないでいい。

だって会社全体でどの道、労働収益は分配されるし均等分配なんて

あり得ないし、世の中不公平が当たり前で且つ低成長経済では尚更。

 

例えば超成長分野の企業とか、完全に労働分配率が成果とリンクしてる

企業であれば、別だが凡そ日本の企業はS字カーブでの給与体系に

基づいていて、大きな乖離は無い。

 

だったら、やはり先述したような、報連相を求めず「舞台演出家に過ぎない」

立場で、困った時だけ多少役立つ上司の元で自分のスキルを磨ける

他でも通用するキャリアを形成する企業なり社会の方が健全だ。

 

小うるさく報連相でスタッフを社畜する職場こそ

生産性、成長性の阻害要因そのものだ。

 

 

50歳を過ぎたら同窓会に出席してはいけない

5/29(火) 18:30配信

東洋経済オンライン

松下幸之助氏(パナソニック創業者)のもとで23年側近として過ごした江口克彦氏。若手ビジネスパーソン向けの連載として好評だった上司と部下の「常識・非常識」に続いて、「50歳からの同調圧力に負けない人生の送り方」について書き下ろしてもらう。第1回は「旧友を捨てる勇気」について。

この記事の写真を見る

■同窓会に蔓延する「病気」「死」「懐古主義」

 道徳的な物言いとしては、「何歳になっても、旧友を大切にしなさい」「ふるさとの同窓会にはなるべく出席して旧交を温め、関係をつないでおきなさい」というものだろう。

 しかし、私は、60歳を過ぎたころから、小学校や中学校の同窓会にはほとんど出席しなくなった。50歳代でうんざりしたこともあり、出席する気になれないのだ。

 だからこれから50代になる人たちには「50歳を過ぎたら同窓会には出ないほうがいい」とアドバイスしたい。

 同窓会に行けば、たいてい病気と薬と副作用の話、そして昔話で会場が埋め尽くされる。

 「最近、手術をしたんだよ」「オレはこの前、具合が悪くて病院に行ってきた」「こういう薬を飲んでいるんだ」「その薬は副作用があるみたいだぞ」ーー。こんな会話が延々と続いている。もう勘弁してほしい、というくらいだ。

 別のグループでは、「最近、墓を買ってさ」「昔は楽しかったな」「お前、彼女とつき合っていただろう?」などといった話をしている。

 病気、死、懐古主義ーー。そういう実のない話で場を温めるのも、たまのことならご愛嬌でいいだろう。その後に、「明日はこんなことをやる。来年はこうしようと考えている」「家庭菜園をやっていてね。今年は茄子がよくできたから来年は……」などと、明るい前向きな話題がつながるのであればいいと思う。が、しかし、同窓会というところでは、そういう風に話がつながるようなことがほぼない。

 まして、「昨年ノーベル物理学賞をとった人の本を読んだんだけど、科学の今後についていろいろ考えさせられたんだよ」というようなことを語ろうものなら、完全に浮いてしまうだろう。

 「2100年になると、日本の人口が5060万人になるというけど、そのとき、日本の行政区域は今のままでいいのだろうか」「あなたは憲法改正についてどのように考えている?」などという、教養に裏付けされたような話、未来の話、時事的な話は一切ない。

 

■「嫉妬」と「後悔」の話もつまらない

 もう一つ、老いも若きも多いのが、「嫉妬(ジェラシー)」と「後悔」の話。とくに高齢者のジェラシーほど憐れなものなはない。そもそも人間として実にみっともない。「お前、まだ仕事をしているのか」などは、序の口。「昔から、お前は調子がいい奴だったからな」と、成功した人を皮肉ったり、有名になった友人に、意地の悪い視線を送ったりする。

 あるいは、勲章をもらった仲間に、わざわざ「中学の頃は、出来が悪かったのになあ。お前が勲章か。勲章と言っても大したもんじゃあないね」などと、言わずもがなの嫌味を言ったりする様子を眺めていると、気の毒な人、負け犬の遠吠えだと憐憫さえ感じる。

 そういう人たちの集まりには、若い頃の陽気さも軽やかさもなく、不快な思いだけが心のなかに沈着する。帰路は足だけでなく心も重い。

 確かに50歳を過ぎ、60歳、70歳ともなれば、人生に大きな差が出てくる。自分の人生がどのようなものか見えてくるから、仕方がないのかもしれない。だが、嫉妬と意地悪さと皮肉が渦巻くのを見ていて、気持ちのいいはずがない。

 だから50歳を過ぎたら、今までの友人との縁を徐々に整理しはじめたほうがいい。70歳になったら、「古い友人」とは出来るだけ縁を切って、「新しい友人」への切り替えを完了させたいものだ。

 いつまでも古い友人と飲み会を繰り返し、クダをまき、過去を恨み、同期を妬む。おやめなさいよ。明日のない、希望のない、身の回り半径5メートル以内の話に終始すべきではない。

 だいたい病気の話に終始するような旧友たちは、時代から1歩も2歩も遅れていることが多い。2025年問題も知らないし、2045年問題も知らない。ビッグデータやシンギュラリティも知らない。それでいて、毎日が退屈だとのたまう。なんとも御し難い人たちばかりだ。

 「どんなときにも過去を振り返るな」とはいわない。だが、そのような過去を振り返るような集まりの時であっても、なるべく「これからの話」をしようではないか。

 私は78歳になるが、以前にも増して、若い人たちと時間を過ごすようにしている。彼らは「お金持ち」ではないが、「情報持ち」だ。会っていて面白いし、刺激的だ。若い人たちといるほうが、気持ちも前向きに明るく楽しくなってくる。

 若い友人たちは、いつも、「新しいことを始めよう」「なにかにチャレンジしよう」という前向きな話をする。自然と私も未来に対して思いを馳せるようになる。

フランスでは、老人と若者のシェアハウスがあって、老人が家賃負担をする代わりに、若者が老人の話相手をするそうだ。こういう共同生活は理想的といえるだろう。日本でも、このような老若共同のシェアハウスを、高齢者が積極的につくったらどうだろうか。そうすれば、もう少しまっとうな年寄りが増えてくるように思う。

■意図的に「友達の切り替え」をやろう

 周囲が若者に変われば、50歳以上の人たちも、新しい情報を知ろう、学ぼうという意欲、よりいっそうの「生き甲斐」も湧いてくるはずだ。新しい活動への意欲も自然に出てくる。ときには、若い人たちが自分を担いでくれたりすることもあり、何歳になっても新しい経験を積んでいける。

 懐古主義の高齢者同士が一緒にいても、なにも始まらない。旧友との付き合いは本当に大切な人だけに絞って、その分だけ若者と友達になったほうがいい。その分、新しい世界が広がる。人生を、いつまでも豊かに生きられるようになる。

 「友達の切り替え」は、意図的に行わなければならない。この切り替えこそが、新しいことに興味を持ってこれからを楽しんでいくための「人生の転轍機(てんてつき)」(路線変更装置)なのである。

江口 克彦 :故・松下幸之助側近


--------------------------------

 

人生100年時代では、とにかく過去に執着してはいけない。

脱皮、変態というか変身というか、進化・進歩し続ける心が大事。

既存を維持する事だけに心を砕き、同じ人としか話す機会が無い

或いは、この記事のように同窓会や同じ会社の人達しか知らない人生は

非常に狭く、内向的、組織権威主義的な固い思考のスパイラルに陥る。

 

温故知新は大事なのだが、グダグダと価値の無い、価値を生まない思考回路は

人生100年時代に適合しない。今ある自分をバージョンアップする事と

全く違う姿へのシフトを、どれくらい躊躇せずに出来るかが大事だ。

 

例えば、ワープロに続きパソコンが登場、懸命にOSのバージョンアップに

追従していった時代が、PDAという亜流も生みつつスマートフォンの登場で

一気にSNSにしても情報のハンドリングが激変した。

 

昔の技術やと取柄が、あっという間に陳腐化してしまう。

少し前までは、博識や物知りが尊敬されたが今はGoogleなり

ネットの検索機能で、大抵の事を知り得てしまう。

暗記能力が人の能力を決める時代は崩壊した。

 

思考力とか問題解決力といった実務では銀行での融資判断とか

医療での診断とかいった分野にもAIが入って、それこそ膨大な

知見、ノウハウ、データベースから最適解を出してしまいつつある。

きっと、あと数年もすれば囲碁やチェスといったゲームでAIが勝利

している姿が懐かしく、日々当たり前にAIが人間の生活を支える

時代になるだろう。

 

そこで昔は花形だった職業が凋落するように現在必要とされている

労働力やスキルが通用しない、求められなくなる時代が来る。

逆に今は、価値が薄いがやがて必須となるスキルもある。

 

生物の歴史自体が「進化」の連続であった事は、これからも不変。

人世100年時代でも「進化」こそがキーワードになる。

 

 

日本企業はなぜ「無能な上司」を生みやすいのか? 管理職たらい回しが生む悲劇

5/23(水) 7:13配信

NIKKEI STYLE

 どのような人がメンバーの心を壊し、チームの生産性を下げるのか。日本のメンタルヘルス研修の草分け的存在で、多くの企業で「壊れた職場」の相談を受けてきた見波利幸氏が、その実例を「上司が壊す職場」にまとめました。今回は、なぜ日本の会社が危険な上司を生み出し続けるのか、その構造要因を考察します。
 ※バックナンバーは記事下の【関連記事】からお読みいただけます

■会社の管理職は、こうして不適格な人だらけになる

 日本の企業の多くは、あるステージ(職位)で働いていて、そこで要件(業績で一定の数字を上げた、など)を満たした人を昇進させる傾向が見られます。たとえば一般社員として成果を出した人を課長補佐に、課長補佐の仕事で成果を出した人を課長に据えるということが多いのです。

 現場で成果を上げられた人は、それだけ環境適応性も高く、下地となる知的能力、ヒューマンスキルも高いと類推して昇進させるため、一見すると合理的なように思われます。

 しかし、何度も繰り返しているように、現場のプレイヤーとマネジャーでは、必要となる資質、スキルが違います。

 マネジャーに必要とされる能力が、現場で必要とされる能力の延長線上にあり、より高度化するだけというのであれば、対応が可能でしょうが、違う種類の資質が必要になるために、「うちの上司は管理職に向いていない」が多発するのです。

 この日本企業の登用の仕組みは、無能な管理職を生み出しやすくする側面もあります。

これは、「ピーターの法則」で説明されます。

 ピーターの法則とは、アメリカの教育学者、ローレンス・ピーターらによって提唱された考え方で、これを組織にあてはめると、能力主義の組織では、人は能力の極限まで出世するため、結局はその組織は無能だらけになる、というものです。

 わかりやすく説明すると、現場社員として能力を発揮した社員が課長になり、課長職で能力を発揮した社員は部長になり、発揮できなかった社員は課長にとどまる、ということが繰り返されると、会社はその職位で能力を発揮できない人ばかりになる、というものです。

 こうした弊害を回避するためか、私がこれまで仕事で関わりのあった何社かの外資系企業では、今いる職位だけでなく、上位職の仕事で求められる能力要件が満たされていることを確認してから、昇進させるという制度を取り入れていました。

 このシステムが有効に機能しているかはわかりませんが、どんなにプレイヤーとして業績を上げても、課長職で求められる要件(スキルなど)を満たしていない限り、昇進はできません。

 

■危険な上司の「たらい回し」は、究極の問題先送り

 このピーターの法則で考えると、キャラクターに問題がある人は、たとえ管理職に昇進したとしても、どこかで頭打ちになるはずです。

 実際、この連載で紹介した4タイプの管理職の人たちも、謀略型、激情型の一部を除いて、かなり多くの人が、それ以上の昇進を果たせていませんでした。

 そのキャラクターが原因となって、トラブルが多発しがちであるうえ、管理職として必要なマネジメントスキルが身につかず、さらに部下の育成もうまくできないケースが多かったのです。

 これらの上司がいる部署が、継続的に成果を出し続けるのは相当難しいものです。

 しかし、ここで問題なのは、成果が出せないからといって、彼らが管理職からはずれるわけではないということです。特に、日本の企業によく見られる傾向です。

 私は、これが大きな問題点だと考えています。

 ある職場で問題を起こしたり、業績を上げられなかったりした上司が、同じ職位のまま、場合によっては昇進して次の職場に異動します。そこでも問題を起こしたり、業績低下を招いたりして、さらに次の職場へ……。

 このように、たらい回しのように職場を転々とするのです。

 多くの場合、異動先は本人にとって本意ではないところが多いため、当初は多少の反省があったとしても、さらに「環境」影響によってキャラクターの悪い部分が肥大していくことすらあり、受け入れる側の職場で働く部下たちは多大な迷惑を被ることになります。

 私が見た例では、最後には受け入れ先がなくなった「危険な上司」が集まった部署があり、まったく統治が働いていない職場になっていたこともありました。

 

■「悪人は経営に向く」という欺瞞

 ただし危険な上司の誰もが、昇進が頭打ちになるかというと、例外があります。

 課長から部長、そして役員へと昇進し、悪い影響をさらに広い範囲に及ぼす人もいます。4タイプのうち、謀略型の多く、さらには激情型の一部です。

 謀略型は、部下を使って結果を出し続けます。不調になる部下や耐えきれず辞めてしまう部下などもいるでしょうが、「社員の健康よりも、結果がすべて」という価値観の組織では、彼らは高く評価され続けます。

 また一般的な会社でも、能力レベルの低めな謀略型であれば、どこかで「あの人は腹黒すぎる」という評判が立って、限界を迎えますが、知的能力、適応能力が高い場合は、うまく周囲を操りながら昇進を重ねていくのです。

 世の中には、「単にいい人では、経営やマネジメントなどできない」という類の言説があり、実在の伝説的経営者などを例に挙げながら、悪人でなければビジネスで成功できないと説いたりする向きもあります。

 しかし、「悪人」の経営者がいて成功した例を見ても、周囲には必ずフォローする人材がいるものですし、その悪人ぶりが伝説になるのも、事例として珍しいからメディアに取り上げられるからではないでしょうか。

 謀略型の人は、自身の支配欲、権力欲を満たすことが目的化しているため、自分の地位を脅かす有能な人を排除しようとする傾向があります。先に挙げた、部下を退職に追い込んだ例などは象徴的です。

 こうした人が支配する組織は、将来を担う有能な人材が育たず、一時の成功は得られたとしても、それが長続きしないはずです。

 また激情型は、わかりやすい「パワハラ上司」になりがちなので、昇進も頭打ち傾向になるのですが、先述した通り、その忠誠心から特定の役員の寵愛を受けるケースが少なくありません。

 このタイプは、好きな相手には強く崇拝や尊敬の感情を示すため、上層部に同じような好き嫌いで人事を決める人物がいた場合、彼らに気に入られて、本来は適性のないポジションにまで引き上げられてしまうことがあります。

 仮に激情型の人が上位の役職に就けば、自分も当然好き嫌いで人事をします。どんな組織であっても、人事にはある程度の「感情」はつきものですが、それが行き過ぎれば大きな悪影響を与えるのは間違いありません。

 

■ライン管理職中心の人事を、見直すべき時代
 

 このように、「危険な上司」の特性を持った人を管理職に登用することは、その部下に対してだけでなく、会社全体にとっても大きなリスク要因となります。

 ですから、なるべく組織のマネジメントとは別の仕事を担当してもらうほうがいいのですが、ここでも日本企業の単線的な処遇システムが障害となります。

 日本企業の場合、その多くがライン管理職への登用を中心に据えた人事制度が構築されています。わかりやすく言えば、「課長、部長と昇進していく人が優秀だと認定され、処遇も良い」となっているのです。

 少し前から、複線型のキャリアパス、人事制度などが取り沙汰されるようになり、実際にこれを採用している会社も少なくありません。

 複線型のキャリアパスとは、会社において、全社画一的な人事制度ではなく、たとえばライン管理職と専門職、全国社員と地方社員、総合職と一般職といったかたちで、本人の希望や特性によって、採用から昇進、昇給などについて柔軟な仕組みにしようというものです。

 ところが複線型の人事制度を採用している企業を見ても、「ライン管理職」を偏重するという組織文化や「制度」は、さほど変わっていないのが実情です。

 そのため、たとえば機械型の人で、明らかに専門職などのほうが、その適性をうまく発揮して成果を上げると思われるケースでも、会社側がライン管理職として処遇してしまう、また本人もそれを希望してしまう、というような現象が生じてしまいます。

 人事制度を変えることは、危険な上司問題を解決するための本質的解決策ではありませんが、やはり「会社員は管理職に登用されてこそ」という組織文化は考え直す時期に来ていると思います。

 かつては昇進・昇格という目標を示すことによって、社員のモチベーションを管理してきた側面があります。

 しかし、最近の若手と面談などをしても、以前のように「何がなんでも管理職になりたい」「人を蹴落としてでも、競争に打ち勝って出世したい」と考える人は本当に少なくなっている実感があります。

 その意味でも、「新しい人事」を考えるべきではないでしょうか。


-----------------------

この記事の通り、少なくとも自身の経験では

尊敬できる上司に会ったことが30年間のサラリーマン人生で

殆ど無い。99.9%は糞上司。人間として大嫌いな奴ばかり。

 

本社と地方の工場をこれまで10回程転勤・異動してきたが

全然、地区の事を知らない関心がない本社。

自分の事ばかりを考えている連中。

どうして本社は、地区を理解し考えてくれないか

まるで江戸時代。江戸城内では地区・外様の事など

考える余裕がない。全然、器の小さな人間的な魅力など無い

そんな人たちばかりが、昇進して更にマウンティングしている

猿山にすぎない。ボス猿、ゴリライモ怪獣に恫喝され萎縮する若手。

毎日がハラスメントの蓄積で、悪い事にそれに耐える事が

サラリーマンの仕事と刷り込まれ、「雇われ癖」が身に付き

ゾンビというか、一人前の過労死出来る奴隷・スードラが作られ続ける。

 

もう、そうなったら身体の彼方此方がアラートを鳴らし

心身分裂しつつ、今日も満員電車に突っ込んでいく兵隊だね。

何が高プロだ。こんな連中ばかりから税金をとりたいだけでしょ。

 

自分の頭で情報を集め、収集した情報に基づいて自分の価値観で

どう自分の人生を創っていくか、というマインドは死滅させられる。

 

結果として、昨今ニュースになっているスポーツ界でのトップ・上司

の指示で、人様にケガをさせたり、様々な資料やプロセスの改ざんや

隠ぺい、人の道を平気で逸脱するという恐ろしい組織になっていく。

 

鬼畜の道だね。何が超優良第企業、有名大学、超有名人だか。

身の回りにも、全く人の事を配慮しない言動をさらっとやる

有名大学出身者がいるが、その人達は正直、猿にも劣る

いや、こんな人は社会に全く不要と思ってしまう。

 

品格とか人格とか、そうした受験勉強や出世競争では養われない

ましてAIが持ちえない「崇高な人間性、寛容で包容力に富んだ

知性、感性、優しさ」こそが、より一層大事な時代ではなかろうか。

 

これだけ労働時間を短くしても、日本人の疲れがとれない根本的原因

4/26(木) 11:00配信

現代ビジネス

 わが国は「疲労大国」といわれています。過労死という言葉を聞くことは日常茶飯事ですし、筆者も所属している文部科学省の疲労研究班が2004年に行った調査では、日本人のなんと60%が常になんらかの疲れを感じていることがわかりました。ほとんど全ての大人が疲れているーー21世紀の日本はそんな国になってしまったのです。

 にもかかわらず、疲労のメカニズムや正しい対処法は、あまり広く理解されていないことも事実です。

 そこで本連載では、最新の研究成果をもとに、「疲れとは、そもそも何なのか」と「どうすれば、疲れを少しでも取り除くことができるか」について、解説していきたいと思います。

日本人は、無理をして生きている

 日本人の多くが疲れを感じているのは、なぜでしょうか。

 決して昔に比べてひ弱になったからでもなければ、かつての日本人に特殊な能力があったからでもありません。最大の理由は、私たちが直面している「環境の変化」なのです。

 現代人には慢性的に疲れを感じている人が多いと述べましたが、疲れの「度合い」には地域差があることがわかっています。ひとことで言えば、田舎に比べて都会で暮らす人は、より疲れを感じているのです。

 それはすなわち、都会人が「生きているだけで無理をしている」ことを意味しています。

 現生人類の歴史はおよそ50万年と言われますが、人間の遺伝子は、その間ほとんど変化していません。しかし、その一方で私たちを取り巻く環境は劇的に変化しました。

 特に18世紀に起きた産業革命以降、文化文明は爆発的な発展を遂げましたが、50万年という長さに比べれば、この200年あまりはほんの一瞬に過ぎません。ほとんど誤差の範囲と言ってもいいでしょう。

 私たちの肉体は太古の昔から比べて進化していないのに、私たちを取り巻く環境のほうは劇的に変化した。これが最大の問題なのです。

 とりわけ日本では、その変化が急激かつ顕著でした。

 特に問題なのが、国土の狭さからくる人と人の「距離の近さ」です。見ず知らずの人と押し合いへし合いしながら満員電車に揺られ、職場に着くと、隣の席に座る人と肩が触れあいそうなほど狭いデスクに座る。食事をする際も、ファストフード店や牛丼屋などでは、隣席との距離が非常に近い店が増えています。

 こうしたことは、自然界ではあり得ない状況ですから、そうした環境への対応方法は、遺伝子の中には組み込まれていません。当然、大きなストレスがからだにかかり、結果として「疲れ」を感じることになります。

 理性をもつ人間だからこそ、こうした過酷な環境にも黙って耐えていますが。おそらく人間以外の動物をこのような環境に長時間閉じ込めれば、短時間で死に至るでしょう。例えば複数のラットをひとつの狭いケージに詰め込んで放置すれば、あっという間にケンカが起こり、あるいは強いストレスで、少なくともどちらかが死に至ります。

 私たちが日々体験している「他人との距離の近さ」と「人口密度」は、ラットのケージよりもはるかに過酷です。まさに、生命の歴史になかった異常事態と言うべきレベルなのです。

 

自然な労働時間は「1日2時間」

 「ホーム」と「アウェイ」という考え方も重要です。動物で言えば巣、人間ならば自宅などの「気を抜いて、疲れを癒やすことができる環境」がホーム、逆に「緊張を強いられる環境」がアウェイと定義できます。

 通常、野生の動物の場合は、1日24時間のうちホームで過ごす時間が22時間程度で、アウェイに出向くのはわずか2時間程度にすぎないと言われています。

 サバンナで暮らすライオンを例に取れば、獲物を追いかける時はもちろんアウェイに出かけますが、それは長くても2時間ほど。それ以外の時間は、自分の縄張りでのんびり寝て過ごしています。ホームの空間にいる間は、身の安全を確保する必要はありませんから、疲れません。

 逆に言えば、ライオンが1日2時間しか出かけないのは、それ以上頑張ると疲れで身体を壊してしまう危険があるからなのです。犬や猫を飼っている方はお分かりかもしれませんが、他の多くの動物も同じように暮らしています。

 ところが現代人の多くは、24時間のうち10時間前後、勤め先などのアウェイで過ごしています。中には、睡眠以外のほとんどすべての時間を外で過ごす人も珍しくありません。生き物として、これはかなり不自然な状態です。

 特に都会では電車通勤に片道1時間以上かかるという人も数多いですが、満員電車のように「超アウェイ」な状況に毎日3時間も閉じ込められれば、心身がおかしくなってしまうのも当然と言えるでしょう。

 問題は、こうした特殊な状況が「たまに」ではなく、何十年もの間「ほぼ毎日」繰り返されるということです。肉体が本来は想定していないようなストレスが、エンドレスにかかり続けるーーそんな極めて特殊な時代に、私たちは暮らしているのです。

 とはいえ、社会状況が根本的に変わらないかぎりは、このような生活から完全に抜け出すのは不可能でしょう。私たちは疲れと一生つきあってゆくしかありません。

 だからこそ、正しい知識を持ち、少しでも疲れない工夫をし、きちんと疲れを取る方法を身につけなければ、健康に生きていくことはできないのです。

 

疲れを感じるメカニズム

 では、そもそもなぜ、人はアウェイの環境で長時間過ごすと疲れを感じるのでしょうか。

 それには「自律神経」のしくみが大きくかかわっています。

 私たちは激しい運動をすると心拍数が上がり、呼吸が荒く大きくなります。体温の上昇を抑えるために、汗もかきます。こうした身体の反応を、刻々と切れ目なくコントロールしているのが自律神経です。

 例えば身体を動かすと、自律神経が処理しなければならないタスクが増えます。その結果、脳細胞の内部で活性酸素が発生します。

 すると、脳細胞は「酸化ストレス」とよばれる状態に陥り、本来持っている自律神経の機能が充分に発揮できなくなっていきます。これが「脳疲労」と呼ばれる状態です。このようなメカニズムで、私たちは「疲れた…」と自覚するのです。

 アウェイに身を置くと、人は自然と緊張します。緊張の度合いが高まったとき、呼吸が速くなり心拍数が増すことは感覚的に理解できると思います。つまり「アウェイで過ごす」ということは、それだけで激しい運動をした時と同じように、自律神経が多くのタスクをこなさければならない状態になるということです。

 ここで重要なのは、疲労の度合いは「時間×負荷」という計算式によって決まるということです。

 労働時間が長いということは、それだけ自律神経を長時間酷使するということですから、疲労の大きさと密接に関係していることは言うまでもありません。

 たとえ肉体的には大きな負荷がかからないデスクワークだとしても、むしろ肉体労働より長時間、緊張と集中を強いられることが多いでしょう。パソコンに張り付いて長時間同じ姿勢を続けるのは、それだけで大きなストレスとなります。このような状態でも身体のバランスを保つために、自律神経が常に心拍や呼吸を微調整し続けているのです。

バブル期には見逃されていた「過労死」

 「疲れの大きさが時間×負荷で決まるとすると、たしかに負荷は増しているかもしれないが、労働時間は昔のサラリーマンのほうが長かった。それでも昔は過労死なんてなかったじゃないか」

 こんな意見もあるかもしれません。

 たとえばバブル時代にも、やはり日本人は長時間働いていました。「24時間戦えますか」と尻を叩かれていた時代です。昔のサラリーマンが皆、今のサラリーマンよりも体力において優れていたとも思えません。

 正確な統計は残っていませんが、おそらく昔も現在と同様、多くの人が過労で亡くなっていたのだと思います。ブラック企業も、むしろ昔のほうが多かったのではないでしょうか。当時は世間がそれを「過労が原因である」と考えなかっただけです。

 こう考えるのには理由があります。私が医師になったばかりの1990年代中頃には、死亡診断書に書く死因で圧倒的に多かったのが「急性心不全」でした。死因が特定できない場合は、とりあえず心不全と書いていたのです。

 たとえ毎日長時間の残業を強いられ、職場で倒れてそのまま息を引き取ったというケースでさえ、直接業務でケガをしたなどの要因がなければ、すべて心不全で処理されるのが実態でした。「過労死」という言葉が広がったのは、労働環境や福利厚生への注目が高まった2000年前後のことです。

 その意味では、現在国が進める「働き方改革」で、残業を抑制しようとする方針は間違っていません。現実に、日本人の労働時間は既にアメリカ人より少なくなっているともいわれます。

 しかしそれでも、「疲れている」と訴える人は減るどころか、増えている。それは一体なぜでしょうか? この「国民総疲労社会」ともいうべき状況を、打破する方策はあるのでしょうか? 
 この記事をここまで読んでくださっている読者は、日頃から「疲れやすい」「疲れが取れない」といった悩みを抱えているかもしれません。ですが、周りを見てみると、疲れ知らずで徹夜仕事をこなす同僚もいる。何が違うんだろう…と思っている人も多いのではないでしょうか。

 ストレスフルな環境で暮らしていても、疲れを強く感じてしまう人と、あまり感じない人がいるのは事実です。それには体質の違いもありますが、それ以上に「うまく疲れを取り除く方法を知っているかどうか」も関係してきます。

梶本 修身


----------------------

こちらも実に的を得た秀逸な記事と思う。

 

あけすけに言ってしまえば、こうして身も心も粉にして

まさに「粉骨砕身」会社に身を捧げ長時間勤めるのは

「税金」を吸い上げられる為。生存するのも足りる収入は

もし納税が無ければハードルは相当低くなる。

 

だから、「税金」が無価値な事に浪費される事に

国民もマスコミもうるさくならざるを得ない。

 

本当に私たちはこれだけイヤな思いをして働いて

手にするだけの価値を得ているのだろうか?

 

私は正直、毎日会社に行くのが苦痛だ。

少なくとも今の職場は、息苦しいし人間関係もイヤだ。

出来る事なら、金銭的自由も時間的自由も空間的自由

そして何より精神的な自由を謳歌して、毎日自分の人生が

愛おしく感謝に満ちて何事にも捕らわれず過ごしたい。

 

会社に行くと少なくとも自分のパソコンを起動して

メールチェックを開始すると間もなくその想いは

木っ端微塵に砕かれる。心に棘が刺さる。体が重く

或る部位は慢性的に痛む。そんな事をもう30年もやってる。

 

それは金銭的な自由を少しでも得たい為であり、且つ

そうして職場であがいているうちは何だか働いている気がして

妙な安心感もある。これは「雇われ癖」という厄介な難治病だ。

 

空間的な自由が欲しくて住宅ローンを組む、精神的な自由

と安らぎが欲しくて結婚して家庭・家族を持つ、そして

いずれも金銭的な自由とのトレードオフという状況になる。

結果、時間的自由も自らの身体的な自由も蝕まれる。

 

都会の高額な不動産では、それはもう顕著になる。

勿論、都会の利便性の高い場所に居宅があれば

通勤時間も短くなり身体的な負荷も軽減出来るだろう。

 

全ての自由のファクターを網羅する事は、言わば

我々人類共通の目標であろう。でも、それは既に

地球上で人類以外の自然界の生物が成し得ている。

 

やはり、一番愚かな存在は、私達自身かも知れない。

 

 

定年後も年金を減らされずに働き続ける方法

4/25(水) 10:00配信

東洋経済オンライン

 60歳で定年を迎えた後も働くサラリーマンが増えてきています。2013年に「高年齢者雇用安定法」が改正されて以降、定年後も働くことを希望する社員については原則65歳までは定年延長や再雇用といった方法で雇用が義務付けられたからです。私はこのように法律で義務付けることが必ずしも良いとは思いませんが、「元気で働けるうちは働く」というのはとてもいいことだと思います。

■一定以上の収入があると年金が一部停止に

 高齢者の就業状況を見ると、65~69歳で働いている人は男性で53.0%、女性で見ても33.3%となっていますから、男性では半数以上、女性においても3人に1人は65歳を過ぎても働いているということになります。(内閣府:平成29年版高齢社会白書)さらに70歳を過ぎても働いている男性は32.5%ですから減りはするものの、依然として3割以上の人は働いているのが現状です。

 ただ、60歳や65歳を過ぎて働く場合、気をつけなければならないことがあります。それは一定以上の収入を得ると、年金の一部又は全部が支給停止になることです。現在、年金の支給開始年齢は徐々に65歳支給開始へ移行しつつありますが、まだ一部の年齢の方については60歳代前半で年金が支給される場合もあります。具体的に言えば、「その場合に支給される年金額」と「働いて得られる給料の合計額が月に28万円を超える場合」に年金が一部支給停止となります。

 65歳以降になると、その金額が46万円となります。ですから少し上限に余裕はできるものの、実際に働いて得る給料が一定金額以上になると、年金が支給停止になる可能性はあります。「政府は1億総活躍社会の実現と言いながら、働けば年金が減る、というのはどういうことだ!」と思う人もいるかもしれませんが、年金制度は魔法の箱ではありません。「それなりに働いて収入のある人には少し支給額を減らしてもいいだろう」という考え方も、あながち無茶なことだとは言い切れません。

 

とは言え、やはり「働いて年金が減らされるぐらいなら、働くのをやめよう」という人が出てきても不思議ではありません。そこで考えたいのが「働いても年金が減らされない方法」です。

 そもそも支給停止になるのは厚生年金だけであり、基礎年金は停止されません。さらに言えば、年金の支給停止という仕組みは、「在職老齢年金」といって、厚生年金保険に加入しながら年金を受け取る人が、その対象になるのです。

■「厚生年金に入らない働き方」をすればよい

 だとすれば、厚生年金保険に入らない働き方をすれば、年金の支給停止はないということになります。具体的に言えば、自営業として働けば、いくら収入が多くても、年金支給が停止されることはありません。

 こう言うと、多くのサラリーマンの人は「自分には経験がないのでとても自営業なんかできない」と思われるかもしれません。確かに会社を辞めた後に再雇用で働くことに比べれば独立して自営となるのはハードルが高いように思えます。

 でもここで少し発想を変えてみてはどうでしょう。定年後、もし再雇用や転職といった形でサラリーマンを続けるにしても、雇用契約ではなく、業務委託契約で働くのです。少し前からIC(=インディペンデント・コントラクター)という働き方が出てきています。これは会社という組織に所属して働くのではなく、会社から業務委託を請け負って働くというやり方です。

 この方法の良いところは、形式としては個人事業主ですから前述の年金支給停止はありません。また、自分の持っている技術をいちばんよく理解している前職の会社の仕事を請け負うわけですから、仕事もやりやすいし、要領もわかっています。契約形態が異なるだけです。会社にとっても雇用契約ではありませんから各種の社会保険料を負担しなくてもよくなりますし、必要がなくなればいつでも契約を解除することもできます。

 さらに働くほうにとってはあくまでも雇用ではなく業務委託ですから、複数の企業から請け負っても問題はありません。何よりもこの方法だと「会社に雇ってもらう」のではなく「役務を提供して対価を受け取る」という対等な関係が築けるのが大きなメリットだと思います。

 実を言うと、私自身、自分が定年になってしばらく再雇用で働いた時期がありましたが、そのときに、このような業務委託契約で働きたいということを会社に申し出たのです。ところが残念ながらそのとき(6年前)は「前例がない」という理由で認められませんでした。しかしながら、この数年で状況は大きく変わりつつあります。副業だってまだ認められない企業のほうが多いでしょうが、「モデル就業規則の改定」によって認められる方向に向かいつつあります。

また会社によっては、業務委託契約は法人対法人の話で、個人には認められないというケースがあるかもしれません。それなら個人会社を作ってしまえばいいのです。新会社法によって株式会社はわずかな資金でも設立することができます。私も社員は妻と2人だけという「超零細個人企業」ですし、実際に私の知り合いでもそういう形で個人カンパニーを作って業務委託を受けている人は何人もいます。

 多くのサラリーマンの人は定年後、同じ会社に再雇用で働く選択肢を選ぶ人が多いでしょう。認められるかどうかは別として、従来と同じパターンではなく、将来的に発展できる可能性のある独立した働き方を提案してみるのは良いことではないかと思います。そしてこれこそが、まさにシニアにとっての「働き方改革」と言えるのではないでしょうか。

-------------------------------

非常に役に立つ「素晴らしい記事」と思います。

 

簡略な式にすると

①前提:厚生年金加入時

・60歳~年金受給時 支給年金額+給与>28万円 が厚生年金支給停止ライン

・65歳~         支給年金額+給与 >46万円 が同停止ライン

こうしてみると、何じゃそりゃ?みたいな感じですが。

②前提 厚生年金非加入となり

・60歳から年金受給資格はあるので・・ 支給年金額+給与で年金支給停止無し。

つまり、60歳までにピン芸人を目指せ!という事ですね。

日本人の平均寿命から、この状態が少なくとも20年続くっていう具合です。

 

 だから、年金停止を回避する為のロードマップは・・・

・学生→社会人・・・ここで、一応社会人になる前提にしていますが・・

 これは別に主婦でもイクメンでもいいワケです。

・とにかく60歳までに、ピン芸、つまり公的資格とか特殊技能とか

 自分自身が「打ち出の小槌」 となる技を保有し、

 社会がそれに対価を払って契約してくれればOKなワケです。

 

 

・一番、アカンのは学生→社会人(会社に就職)~

 以来ずっと、その会社一筋サラリーマンで

  何の資格も特技も無く

 社会的なニーズに応えられる差別化が図れず

  汎用性がなく且つ客観的に力量を示せない場合、

 もう諦めて20年以上・・①の年金支給停止ラインに従順に従いましょう。

 

・「ぼ~っと生きてんじゃねえよ!」っという方、

 是非若いうちに脳が柔らかくてグイグイと可塑性に富んでいる脳神経バリバリのうちに

 「昔とった杵柄」のような第3者に明確に示せる個人力量を身につけて、

 最終的に個人の会社で看板あげて契約して収入を得る

 という事を意識して日々生きましょう。

 

 

 

・意識は何十年と持続させ且つ行動に落とし込み、

 第3者から明確に判る「貴方の特殊性」

  に磨き上げる事が最も重要です。

 そしてその力量の土台となる健康管理・生活リズム・人生観

 という具合にロードマップは裾野を広げていきます。

・人生に於ける人との出会い、

 縁はこうしたロードマップを更にブーストさせていきます。

・誰もが、それぞれたった一つしかない命、たったひとつしかない人生。

  さあ、貴方のロードマップは描けましたか?

 

 

 

バックパッカー世代が築く

「回し車のハムスターにならない人生」

3/24(土) 9:00配信

Forbes JAPAN

現代の経済では、一昔前の世代が当たり前に享受していたインセンティブが労働者に与えられなくなった。自分の全てを捧げても、着実に昇進を重ねられる安定した企業に入れる保証はない

こうした状況の中、普通のキャリアを捨て、数年(必要であれば数十年)をかけて遠い地へと旅し、ハムスターの回し車のような生活を超えた先に何かを見つけようとする人が増えている。グローバル化の時代に育った世代は、特にこの傾向が強い。

米誌アトランティックが2014年に掲載した記事には次のようにある。「ミレニアル世代は(…)可能な限り海外を旅行したいと思う人が前の世代よりも多く、その差は23%だ。(…)若い旅行者は、『太陽と海が輝く砂浜での昔ながらの休日』に前世代ほど興味がない。『メジャーな玄関都市』よりも辺ぴな土地を探索し、ホテルよりもホステルに宿泊し、2週間の小旅行ではなく長期のバックパッキングを選択している」

こうしたバックパッカーたちは、新たなグローバル経済の開拓者となっている。英旅行保険会社ホリデーセーフ(Holidaysafe)が実施した調査などからは、平均的なバックパッカーの年齢が上昇していることが分かっている。従来的なキャリアパスを一旦停止したり、辞めたりした人がバックパッカーになるケースが増えているのだ。



私も中年だが、昨年11月にエグゼクティブレベルの仕事を辞めた。少なくとも一時的に、こうしたバックパッカーの仲間入りをしようと考えたからだ。私は近年、世界のさまざまな場所でこうしたバックパッカーに多く出会った。直近では、フィリピン西端の辺ぴな漁村で数週間を過ごし、こうした旅人から話を聞いた。

そのうちの一人はミレニアル世代の英国人男性で、英国を去ってからいかに人生が一変したかを次のように語ってくれた。

「良い大学を卒業したが、就けたのは製造業の最低賃金の仕事だけ。最後には『もうたくさん』と思い、英語教師になるため中国に来た。中国は、国民が英語を話せるようにするのに必死。今では食事と部屋に加えて毎月貯金できるような良い給料をもらえているので、前よりはるかに良い生活を送っている。こうした機会は、中国などアジア諸国の至るところで見つかる」

 

 

「楽園」と引き換えに耐えなければいけないもの
 

付近にあるカリタンとナクパンのツインビーチを訪れた旅行者の間でも、こうした話が多く聞かれた。出身地はテキサス州、ニューヨーク、欧州各地とさまざまだ。こうした新たなキャリア機会を選択すれば、休暇を柔軟かつ自由に取得し、島巡りを楽しむことができる。欧米諸国など先進国社会の要求から真に解放されたと感じていた人ばかりだった。

しかし、この経験は万人向けのものではない。カリフォルニア州の「ゴールドラッシュ時代」の開拓者たちは、黄金を求めていただけでなく、手に入れるまでの苦労や危険を全て含め、その険しい旅を楽しんでいた。

それと同様、熟練したバックパッカーは、先進国の私たちにはない「筋肉」を持っている。先進国では、生活の大半が不快なものやリスク、細菌を根絶するように作られている。バックパッカーはこうした生活を捨て、ほとんどの人が恐れるような不快な細菌だらけの生活にも耐えている。

こうした開拓者たちは、爪の下に土が入っても、手も洗わず食事を始める。米国のひ弱な子どもたちがほぼ全員、ピーナツやいちごのアレルギーを発症しているような時代に、これは新鮮な(そしておそらく価値のある)変化だ。

宵になると、バックパッカーたちは集まって、産業化時代の煙突が並んでいるかのようにタバコをふかす。こうした冒険者たちが、できるだけ長生きしようと躍起になっていないのも納得できる。神経質な人であれば、デング熱が流行する地域では一晩たりとも過ごせないだろう。

また、バックパッカーたちは自分の身に起きることを全て、禅のような態度で受け入れる。望むところに機会が現れることを求めるのでなく、機会があるところを即座に見つけ、他の人が不便・不快と感じるところに美しさを見出す。

なお、私が最近こうした旅行者と滞在した先述のツインビーチは、地球上で最ものどかな場所の一つだ。私が旅の写真を投稿すると、友人らはうらやましがって「まるで楽園にいるみたいだ」と言う。

「そうだよ」と私は答える。しかし、あまり多くの人が楽園に行かないのには理由がある。到着するまでが一苦労だし、ノミや腸チフス、うだるような蒸し暑さが待っているからだ。しかし現代のゴールドラッシュ開拓者であるバックパッカーにとっては、全てが輝かしい旅の一環だ。

Rob Asghar

 

----------------------------

快適・安全・健康・便利⇔自由・解放・新鮮・変化

という構図だろうか。

 

都会での目標となる生活は、便利で健康的で安全で快適な事だろう。

それを実現する為に、就職し自分の時間や心を拘束される契約をする。

 

まるで、メフィストに魂を売った者のようだ。

いつしか自分自身の人生を自分で決めたり創る事をしなくなり

会社や属する契約によって、自分の意志に関わらず転勤させられたり

納得がいかない業務や指示をされるという人生になっていく。

 

 

 

そして大企業でも中小企業でもマウンティングする事に存在意義を

感じるような、どうしようもない存在しなくていいような輩も多く

そうした自我が強く自己防衛と自己顕示欲の塊のような人間は

一層、この社会を自分も含めて制約だらけの自由が欠落したものに

貶めている。だからといって、不健康で不快な生活を強いられるのは

明らかに不当であり、人権侵害であろう。

 

 

今日、やたらと金儲けの記事や老後のマネー管理の記事ばかりが

溢れているが、本来この世に生まれ生きている限り、思う存分に

自らの魂と体の自由を謳歌する事を目的と認識する事が最重要ではないか。