50歳を過ぎたら同窓会に出席してはいけない

5/29(火) 18:30配信

東洋経済オンライン

松下幸之助氏(パナソニック創業者)のもとで23年側近として過ごした江口克彦氏。若手ビジネスパーソン向けの連載として好評だった上司と部下の「常識・非常識」に続いて、「50歳からの同調圧力に負けない人生の送り方」について書き下ろしてもらう。第1回は「旧友を捨てる勇気」について。

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■同窓会に蔓延する「病気」「死」「懐古主義」

 道徳的な物言いとしては、「何歳になっても、旧友を大切にしなさい」「ふるさとの同窓会にはなるべく出席して旧交を温め、関係をつないでおきなさい」というものだろう。

 しかし、私は、60歳を過ぎたころから、小学校や中学校の同窓会にはほとんど出席しなくなった。50歳代でうんざりしたこともあり、出席する気になれないのだ。

 だからこれから50代になる人たちには「50歳を過ぎたら同窓会には出ないほうがいい」とアドバイスしたい。

 同窓会に行けば、たいてい病気と薬と副作用の話、そして昔話で会場が埋め尽くされる。

 「最近、手術をしたんだよ」「オレはこの前、具合が悪くて病院に行ってきた」「こういう薬を飲んでいるんだ」「その薬は副作用があるみたいだぞ」ーー。こんな会話が延々と続いている。もう勘弁してほしい、というくらいだ。

 別のグループでは、「最近、墓を買ってさ」「昔は楽しかったな」「お前、彼女とつき合っていただろう?」などといった話をしている。

 病気、死、懐古主義ーー。そういう実のない話で場を温めるのも、たまのことならご愛嬌でいいだろう。その後に、「明日はこんなことをやる。来年はこうしようと考えている」「家庭菜園をやっていてね。今年は茄子がよくできたから来年は……」などと、明るい前向きな話題がつながるのであればいいと思う。が、しかし、同窓会というところでは、そういう風に話がつながるようなことがほぼない。

 まして、「昨年ノーベル物理学賞をとった人の本を読んだんだけど、科学の今後についていろいろ考えさせられたんだよ」というようなことを語ろうものなら、完全に浮いてしまうだろう。

 「2100年になると、日本の人口が5060万人になるというけど、そのとき、日本の行政区域は今のままでいいのだろうか」「あなたは憲法改正についてどのように考えている?」などという、教養に裏付けされたような話、未来の話、時事的な話は一切ない。

 

■「嫉妬」と「後悔」の話もつまらない

 もう一つ、老いも若きも多いのが、「嫉妬(ジェラシー)」と「後悔」の話。とくに高齢者のジェラシーほど憐れなものなはない。そもそも人間として実にみっともない。「お前、まだ仕事をしているのか」などは、序の口。「昔から、お前は調子がいい奴だったからな」と、成功した人を皮肉ったり、有名になった友人に、意地の悪い視線を送ったりする。

 あるいは、勲章をもらった仲間に、わざわざ「中学の頃は、出来が悪かったのになあ。お前が勲章か。勲章と言っても大したもんじゃあないね」などと、言わずもがなの嫌味を言ったりする様子を眺めていると、気の毒な人、負け犬の遠吠えだと憐憫さえ感じる。

 そういう人たちの集まりには、若い頃の陽気さも軽やかさもなく、不快な思いだけが心のなかに沈着する。帰路は足だけでなく心も重い。

 確かに50歳を過ぎ、60歳、70歳ともなれば、人生に大きな差が出てくる。自分の人生がどのようなものか見えてくるから、仕方がないのかもしれない。だが、嫉妬と意地悪さと皮肉が渦巻くのを見ていて、気持ちのいいはずがない。

 だから50歳を過ぎたら、今までの友人との縁を徐々に整理しはじめたほうがいい。70歳になったら、「古い友人」とは出来るだけ縁を切って、「新しい友人」への切り替えを完了させたいものだ。

 いつまでも古い友人と飲み会を繰り返し、クダをまき、過去を恨み、同期を妬む。おやめなさいよ。明日のない、希望のない、身の回り半径5メートル以内の話に終始すべきではない。

 だいたい病気の話に終始するような旧友たちは、時代から1歩も2歩も遅れていることが多い。2025年問題も知らないし、2045年問題も知らない。ビッグデータやシンギュラリティも知らない。それでいて、毎日が退屈だとのたまう。なんとも御し難い人たちばかりだ。

 「どんなときにも過去を振り返るな」とはいわない。だが、そのような過去を振り返るような集まりの時であっても、なるべく「これからの話」をしようではないか。

 私は78歳になるが、以前にも増して、若い人たちと時間を過ごすようにしている。彼らは「お金持ち」ではないが、「情報持ち」だ。会っていて面白いし、刺激的だ。若い人たちといるほうが、気持ちも前向きに明るく楽しくなってくる。

 若い友人たちは、いつも、「新しいことを始めよう」「なにかにチャレンジしよう」という前向きな話をする。自然と私も未来に対して思いを馳せるようになる。

フランスでは、老人と若者のシェアハウスがあって、老人が家賃負担をする代わりに、若者が老人の話相手をするそうだ。こういう共同生活は理想的といえるだろう。日本でも、このような老若共同のシェアハウスを、高齢者が積極的につくったらどうだろうか。そうすれば、もう少しまっとうな年寄りが増えてくるように思う。

■意図的に「友達の切り替え」をやろう

 周囲が若者に変われば、50歳以上の人たちも、新しい情報を知ろう、学ぼうという意欲、よりいっそうの「生き甲斐」も湧いてくるはずだ。新しい活動への意欲も自然に出てくる。ときには、若い人たちが自分を担いでくれたりすることもあり、何歳になっても新しい経験を積んでいける。

 懐古主義の高齢者同士が一緒にいても、なにも始まらない。旧友との付き合いは本当に大切な人だけに絞って、その分だけ若者と友達になったほうがいい。その分、新しい世界が広がる。人生を、いつまでも豊かに生きられるようになる。

 「友達の切り替え」は、意図的に行わなければならない。この切り替えこそが、新しいことに興味を持ってこれからを楽しんでいくための「人生の転轍機(てんてつき)」(路線変更装置)なのである。

江口 克彦 :故・松下幸之助側近


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人生100年時代では、とにかく過去に執着してはいけない。

脱皮、変態というか変身というか、進化・進歩し続ける心が大事。

既存を維持する事だけに心を砕き、同じ人としか話す機会が無い

或いは、この記事のように同窓会や同じ会社の人達しか知らない人生は

非常に狭く、内向的、組織権威主義的な固い思考のスパイラルに陥る。

 

温故知新は大事なのだが、グダグダと価値の無い、価値を生まない思考回路は

人生100年時代に適合しない。今ある自分をバージョンアップする事と

全く違う姿へのシフトを、どれくらい躊躇せずに出来るかが大事だ。

 

例えば、ワープロに続きパソコンが登場、懸命にOSのバージョンアップに

追従していった時代が、PDAという亜流も生みつつスマートフォンの登場で

一気にSNSにしても情報のハンドリングが激変した。

 

昔の技術やと取柄が、あっという間に陳腐化してしまう。

少し前までは、博識や物知りが尊敬されたが今はGoogleなり

ネットの検索機能で、大抵の事を知り得てしまう。

暗記能力が人の能力を決める時代は崩壊した。

 

思考力とか問題解決力といった実務では銀行での融資判断とか

医療での診断とかいった分野にもAIが入って、それこそ膨大な

知見、ノウハウ、データベースから最適解を出してしまいつつある。

きっと、あと数年もすれば囲碁やチェスといったゲームでAIが勝利

している姿が懐かしく、日々当たり前にAIが人間の生活を支える

時代になるだろう。

 

そこで昔は花形だった職業が凋落するように現在必要とされている

労働力やスキルが通用しない、求められなくなる時代が来る。

逆に今は、価値が薄いがやがて必須となるスキルもある。

 

生物の歴史自体が「進化」の連続であった事は、これからも不変。

人世100年時代でも「進化」こそがキーワードになる。