ビッグモーターの報道はここ数日は下火になっているが、これは同社が「広報対策部」を設置して世評対策するようになったことがある。人材のいない同社としては「対策部」とは名ばかりで、実際のところは損保ジャパンを初めとする出向者の集まりで、電通や博報堂の社員が入ったものだろう。

 手際は良いようだが、広告収入を押さえて報道を監視するやり口はすでに何百回も行われたおなじみの手口である。なお、元財務官僚で自民党の金融調査会副会長の片山さつきは「性善説」に基づく現行法制では全容の解明は困難としていたが、このように頼まれもしないのにしゃしゃり出て、隠蔽工作を擁護する言質も使い古されたものである。あまりに多用されすぎて義憤すら起こらない。

 損害保険協会(料率算出機構)は保険金の不正詐取に伴う料率の見直しを調査している。事故件数が減っているにも関わらず、自動車保険の料率はこの所上昇傾向にあった。20等級でも5%や10%の値上げは当たり前で、聞くと最近の自動ブレーキ搭載車の修理は以前より高額で、それが料率の上昇に繋がっているという話だが、昨年に損害保険会社が支払った保険金は1.7兆円で、うち物損は1.1兆円である。対物無制限は6千億円を占め、残りは任意保険である。なお、契約者が支払う保険料は4兆円で、事務処理手数料は58%にもなる。

 公的団体が数兆円規模の膨大な金額に影響を及ぼすと表明したことは、詐取の金額は報道にある5千万円どころではない。こちらの見立てではおよそ300億円、ユーザー一人あたり200円ほどだが、請求された保険金額からどれが適当な修理で、どれが不正と見分けることは大変な作業である。それだけで莫大な経費が必要になる。私としては一部に不正があれば、その案件は全て不正と見做し、事務処理を簡略化することを提案したい。



※上記の記事では保険金の水増し額は平均3万9千円とあるが、預かったクルマにキズを付けたりゴルフボールで叩くような会社が正しい修理と不正な修理を帳簿を付けて逐一管理していたはずがない。していたらいたでもはや犯罪組織である。数字はデタラメで、この会社を巡る数字には矛盾したものが多いが、こういう記事をリークするあたり、会社にはまだ再建できると思っている阿呆がいるのだろうか。

 

※この会社ではいつものことだが、先の証拠隠滅(LINE)といい、この会社の上層部は刑事的にはむしろ不利なことしかしていない。上記調査も内容が本当なら(でたらめだが)、会社ぐるみで計画的に詐欺を働いた有力な証拠になる。これは詐欺行為を自白したに等しい。まともな人間が助言していたならありえない杜撰さである。


 三井住友銀行を初めとするメインバンク各社は同社との取引停止を求めている。協議は今月半ばに行われるが、損害保険会社はすでに契約を解消しており、国交省は整備工場の資格剥奪を決めていることから、同社はどうやら先に提示した3(倒産)のコースに入ったようである。

 しかし、埃を被った展示車が何百台も国道沿いの展示場に放置されている光景が何年も続くのは景観を損ねるだろう。たぶん年末くらいにセールスバンクの廉価市が開かれることになると思われる。タイヤ交換もできず、保険も扱えず、クレジットも組めない自動車販売店が存続できる可能性はない。

 自動車オークションの大手にはオークネットがあるが、査定の煩雑さと中古車市場の値崩れを防ぐため、会員資格停止など何らかの措置を取ることが予想される。



 従業員の再就職については、自動車評論家の国沢光宏氏は有能な社員も少なくないことから引く手あまたと書いているが、楽観的すぎるコメントである。報道されている手口を見るに、同社の履歴はスティグマであり、同社出身の社員を雇用することはハードルが高い。私としては従業員個々においても保険募集人資格の剥奪、整備士免許の失効などの措置が必要と考えている。

 確かに不正を指示したのは上層部だが、喜々としてそれに従い、顧客にも保険制度にも損害を与えたのは実際に手を下した個々の従業員である。不正の防止に最善を尽くした形跡もなかったことから、彼らは経営者と同罪で、制裁を免れるべき道理も理由もないものと考える。

 自民党の片山は保険会社が関与した整備料金設定が安すぎるとし、有望な若者を業界に引きつけるには見直しが急務と論点をすり替えていたが、賃金の一時的な向上などはその場しのぎの麻薬にすぎず、堕落した経営そのものに目を向けなければそんなものにはあまり意味がないことがある。「上司の命令だから」、「他でもやっているから」といった抗弁は二度と認めるべきではない。

 「失われた30年」というが、少しづつでも変化はしている。例えばスマホは30年の初期には存在さえしていなかった。変化には良いものもあれば、悪いものもある。少子高齢化の影響が誰の目にも明らかになってきた今日、この事件をどのように処理するかで我が国の資本主義の行く末も占うことができる。ここで政治家と国民が、いつものように馴れ合いと誤魔化しで済ませたなら、暗夜小路はまだまだ続き、現在の日本人が生きている間には決して抜け出せないものになるだろう。

 

 6月初めに始まったウクライナの反転攻勢はザポリージャ、シャフタール、バフムトの3戦線ではウクライナ軍が若干の前進を見せているが、北部ライマンではロシア軍が攻勢してクビャンスクに迫りつつある。

 ロシアはライマン方向の兵力を増強しているが、これは同軍が唯一前進している地域である。増援は予備兵と密かに集められた召集兵が中心で、投入している兵器も兵器の枯渇からやや古臭いものである。ここでの攻勢は陽動と思われる。

 ウクライナ軍の戦略意図は反攻から2ヶ月経った今日でも見にくい。これは大部隊が展開する会戦では異例のことで、3軸のいずれもが攻撃の主軸たりうる。バフムトを攻略すればルハンスクに進軍してドネツク市の背後を衝くことができるし、ヴェリカ・ノボロシカを含む枢軸は突貫すればマリウポリ、ベルジャンスクに抜けられる。そして最大の焦点であるザポリージャでは州都メリトポリとクリミアが射程に入る。ウクライナ軍は選択肢を留保しており、現在戦線に投入されている兵力は全軍の30~40%ほどである。

 ロシア砲兵隊の損害率の高さは収まる気配がない。車両の損失も増えているが、これは装甲された車両が不足し、兵員の輸送をトラックなどより軽便で脆弱な輸送手段に置き換えていることが考えられる。またここに来て戦車の損害が増えていることは、砲撃戦で押され、地雷原突破で陣地が侵食されるに連れ、戦車で交戦する機会が増えていることが考えられる。ペースは緩慢だが、戦況には明らかな前進が見られる。もう少し進めば、これまで被撃墜がほとんどなかった戦闘ヘリや地上攻撃機にも地対空ミサイルによる損失が生ずるようになるだろう。

※ ロシアのKa-52、Su-25は有効な迎撃手段のない現在の戦線では滅法強いが航空機としては二流の機体である。Su-25と同コンセプトのアメリカの地上攻撃機A-10はとっくの昔に退役している。

 戦線が膠着していることにつき、これは戦争の当初からあったものだが、識者の一部にアメリカはウクライナの勝利を望んでおらず、故意に兵器の供給を遅延させて戦争を長引かせているという論調があるが、私はこれは違うと思う。

 戦争を引き伸ばす目的はアメリカにとっては潜在的なライバルとなりうる国の兵力を引き付け、消耗させて自国の利益を確保することだが、現在のロシアはアメリカのライバル足りうる国ではなく、消耗させる前でも政治経済的に影響がほとんどなかったことがある。戦争の長期化はアメリカの利益にはまるで関係がない。

 むしろ兵器供給の遅延はソ連崩壊以降のかなりの長期間、先進国の間では平和が保たれ軍事力の必要性がなくなったことによる。ロシアですらソ連崩壊後はこの国家間フォーラムの一員であり、ほとんどの国にとって、平和的に交易している国家が密かに武器を蓄え、軍事力を増強する必要性は理解できなかったことがある。遅延はそれによるもので、陰謀というのは当たらない。

 ここで長期化に利益を持つのはアメリカよりもむしろ中国といえる。中国においてはウクライナでの戦争と西側支援については先のアメリカの議論がそのまま当てはまり、戦争の長期化はライバルの排除に繋がる。が、現在はアメリカや西側諸国の損失より、ロシアと組んだことによる世界経済での居心地の悪さの方が中国自身の損失を招いており、また公式にはロシアも支援していないことから、ロシア軍の増強にも役に立っておらず、これは中国自身も困っていることのように見える。

 いずれにしろ、2ヶ月続いた強襲作戦の後にウクライナ軍はかなり大規模な攻撃作戦を準備している様子である。緒戦でなし崩し的な消耗を避けていたことがあり、ある程度まとまった規模をぶつける様子だが、ザポリージャがもっとも可能性が高いとはいえ、現在あるどの戦区でもそれなりの作戦展開ができることがある。

 モスクワへのドローン攻撃は軍による統制された空中攻撃かには疑問の余地がある。ウクライナ軍の場合、敵目標を攻撃する際には盲撃ちはあまりやらず、弾着観測のアセットを配している。先のトクマクへの司令部攻撃も目標自体は直接観測のできない水平線のはるか彼方だった。それでも司令部崩壊をリアルタイムで確認でき、司令官死亡を確認したが、モスクワの場合、狙われたのは合同庁舎ビルに相当する建物だが着弾を制御していた様子はなく、戦果の確認もロシアメディア頼みであったことであったことがある。

 

 ウクライナで軍組織以外の組織が戦闘活動を行っていることについては、アメリカからは文民統制の不徹底としてNATO加盟の障壁の一つになっている。自由ロシア軍など準軍事組織の位置づけについては、組織がそれなりの存在感を示すようになっている今日ではゼレンスキー政権の判断が必要なところである。

 

3.典型的なダメ経営者

 無能な経営者のパターンはいくつかあるが、典型的なものの一つは当人自身がまず無能であり、それを自覚しているためにさらに無能な幹部を側近に置き、現場や専門技能を持つ配下と断絶しているケースである。この場合、会社も船も座礁して転覆を免れない。

 以前のブログで私はカルロス・ゴーン氏の経営を評価していたが、彼とビッグモーター兼重の違いは、日産の場合は彼も彼の側近も彼に敵対した日産の幹部もおしなべて立派な人物だったことである。表面的な欠陥のあるような人物は一人もおらず、有罪宣告を受けたケリー元代取も彼を追及した西川廣人社長もゴーン氏を告発したハリ・ナダ専務も個人として見るならば十分に立派な、強い信念を持ち道理に富んだ、堂々とした畏敬の念さえ感じさせるような人物だったことがある。

 ゴーン氏自身も勾留理由書の開示における彼の発言は元日産会長の名に恥じないものだった。逃亡後のレバノンでも英語からアラビア語まで数ヵ国語を使いこなし、フランスなど欧米圏のジャーナリストからアルジャジーラまで記者を向こうに回して数時間も質問に答えていたのは世界的な経営者とはこういうものという姿を全世界に示したものになった。

 行動には毀誉褒貶あるが、その後の彼がレバノンでもしっかりと足を付け、講演や事業で年間10億円以上を稼いでいることは評価すべきである。彼は少なくともあのような形で日本を去って良い人物ではなかった。

 それに引き換えといってはどうかと思うが、ゴーン氏のもたらした害の一つに前任者のシュバイツァーが塙社長に提示した破格の報酬がある。ゴーン氏にはそれを受ける資格があったが、我が国では彼を横目で見た有象無象の経営者たちがお手盛りで自分の報酬を「ゴーン並み」に引き上げたことがある。そういう点、彼の存在は日本企業にとっては害悪であった。

 そういう有象無象の一例はビッグモーターの前社長と副社長に見ることができる。前社長の記者会見は側近に常識程度の助言ができる人物がいないことを示しており、報道では諸悪の根源という副社長(前社長の息子)は雲隠れしているありさまである。早稲田出身でアメリカのMBAとくれば労基法のイロハくらいは諳んじていても良いと思うが、今の日本では学歴はアクセサリーで、金さえ出せば買える代物である。いずれにしろ、ベイルートでアラビア語を交え、記者数十人を向こうに回したゴーン氏とは大違いである。

 同情できる部分もあり、恐怖支配で会社を支配していたということは、裏を返せば言葉で説得しても通じない、分からない社員の集まりだったということである。動物をしつけるには鞭を持ってするしかない。若い彼がそう思ったのも無理もないが、その前に彼は通り一遍で読み飛ばしたまともな本の数冊を読み返すべきであった。いい歳をして人望もないのは親の教育にも問題があろう。

 しかしながら、どのMBAの本をひっくり返しても、クルマをゴルフボールで叩くだの一度査定したクルマの値引きを交渉させるだのといった行いが社員の誇りを傷つけることは明白で、それではミッションを自覚することができず、ミッションが自覚できなければ組織の一員として行動することは難しく、一人ひとりに行動の動機が与えられていない組織が、経営者の采配に従って高度な経営活動を行うことができないことは自明である。こんな組織では数多いMBAのケース・メソッドなどは絵に描いた餅でしかない。

 見た所、前社長も副社長もクルマの知識はもとより、経営についても見識はなかったようである。つまり、大組織を運営する資質に欠けているのだが、そんな会社でも成長でき、経営者に納まることができるのは別の問題といえる。

 別の見方では、彼らの立場は大坂の陣での豊臣親子のそれに近いかもしれない。統治や軍事について知識を有せず、そのため配下の浪人どもを統御することができず、一度は講和したものの約束を守れずに再び攻められて落城したような。同情し過ぎという感じもするが、彼の会社にいるような人種と話す時は私でも会話のスペックを落として話すのが常である。おしなべて教養が低く、社会情勢や時事に関心が薄く、妙な人脈を作りたがり、あるいはスタンドプレーに走り、手近な金儲けにしか関心のない相手はいるものだが、そういった人間を排除していき、ビジョンを持ち、組織を整え、会社を立て直すのが経営者の仕事である。

 

 品性実力共にそれができないのであれば、会社の経営は他の人間に預けるのが正解である。本来株式会社は所有と経営の分離を基礎とする。創業者が惰性で同族経営を続ける会社に未来はなく、また会社法もそのような会社に寛大ではない。会社には規模に応じた機関の仕組み、コンプライアンスの仕組みがある。経営者がそれを理解しなければ、経営者にも従業員にも良いことのない、同様の悲劇は何度でも繰り返されるものになるだろう。

(了)

2.販売から見た会社の状況

 

 会社自体はどうなのかというと、カーセンサーに掲載されている同社の在庫は2万4千台ほどで、うち1.2万台が軽自動車、1万台が2リットル以下の小型乗用車で、普通乗用車も3リットルまでで2千台だがほとんどがミニバンとSUVで、3リットル以上の乗用車やセダンはほとんど在庫していない。また、ハイエース、プロボックスやAD、キャリィやハイゼットといった商用車は軽自動車も含めほとんど在庫していない。

 軽自動車はハイトワゴンが中心で、特にホンダのN-BOXとダイハツのタントは各々1千台以上で、N-BOXなどは2千台になんなんとする勢いである。

 色は白と黒が全体の80%で、これは店舗を実地に見た印象とも一致するものである。特に白系は50%以上あり、平均より10%以上多いが、赤色などマイナー色の在庫は平均を下回っている。

 ハイブリッドについては2千台と業界平均の40%を大きく下回っている。これは売れ筋商品のはずだが、ビッグモーターの在庫は質量共に貧弱である。代表的な車種でも一店舗に一台も在庫がない車種もある。EVに至っては日産リーフは13年も前に発売されているが在庫は一台もない。これは売れ筋中心という同社のポリシーに背馳している。

 店舗の分布は首都圏を除けば西日本が中心で、おおよそ高速道路の敷設状況に沿ったものである。名古屋を含む中京はあまり大きくなく、九州の方が大きな市場になっている。発達した高速道路のない山陰や東北は少なく、高速道路と大都市圏が同社のビジネスの淵源になっていることが分かる。

 総じて見ると在庫も立地も良くセグメンテーションされており、在庫は売れ筋しか置かないという姿勢が鮮明である。ただ、在庫については10年ほど前の市場戦略という感じもし、企業風土もこの10年間ほとんど進歩をしてこなかった(むしろ退化していた)のではなかったかと思わせる。

 ハイブリッド対応の遅れなどは好例であり、これはメーカーで研修を受けた技術者が必要な自動車であるが、研修とはすなわち投資であり、社員を消耗品扱いする会社には望むべくもないものである。収益を板金に頼る経営も自動ブレーキの普及により事故自体が激減している今日では時代遅れである。

 価格が特に安いということもない。むしろプライスリーダーとして販価は平均よりも高めであり、特にこの半導体不足の事情では積極的に吊り上げていた形跡さえある。また、購入に要する諸費用も車検費用もかなり高いことは指摘がある。

 社員の質の低さから提案型の営業を行う余力に乏しく、従って組織的な市場開拓ができず、法人営業も弱いとなると、急激な拡大による固定費の圧迫から会社が早晩行き詰まることは詐欺事件がなくても明らかだったように見える。

 在庫については質の問題もある。同社は非公開会社であることから個々の数字には不明瞭な点が多いが、8710自動車販売を買収した際に同社にあったオークション事業を分割譲渡しており、仕入れはオークションによるものではない。買い取りといっても現在の我が国の平均使用年数は14年で、状態の良い中古車がそう簡単に入手できるものでもない。疑わしい入手経路の自動車が多くあることが予想される。

 先に挙げた板金部門の収益から推定すると、ビッグモーターには板金修理して店頭に並べるだけの修理台数は十分ある(9~10万台)ことがある。全車とは言わないが、かなりの台数があるはずで、それが事故車や水没車だった場合は購入後のトラブルは必ずあると考えたほうが良い。安ければ許せるのだが、先にも述べた通り、同社の中古車はむしろ割高である。色も白と黒しか選べない。

1.保険会社と中古車販売業が結託した巨額詐欺事件

 

 ビッグモーターの事件はその反社会性から波紋を呼んでいるが、近年の同社の収益源はサービス事業(板金修理)で、年収5千万など異常な高所得の営業社員が取り沙汰されているが、実は販売ではあまり儲かっていなかったようである。

 売上高についてはウィキペディアでは7千億円とあるが、別のサイトでは同社の粗利益は330億円ほどで、この数字だと平均的な中古車販売の粗利率から売上高は1,650億円で、これは公表されている数字を大きく下回る。カーセンサーに掲載されている同社の在庫は2万4千台で、これに業界の平均的な回転率3.3と平均的な中古車の販売価格150万円を乗ずると販売では1,200億円ほどになり、先の数字からこの数字を除した450億円がサービスの売上になる。なお、サービスの利益率は業界平均で50%とされる。

 先にも述べた通り同社の粗利益は330億円なので、そこからサービス粗利益230億円を減ずると販売での利益は100億円となり、営業社員を2000人とすると一人あたり平均は500万円ほどになり、さらに税金や経費、兼重など株主の配当も引かれることから求人広告にある年収1,100万円なんかとんでもないという話になる。

 サービス部門の450億円は、保険が適用される場合は実損填補の原則から損害額の7割程度まで補償される。つまり、300億円ほどが保険でカバーされることになるが、この請求には保険会社の関与がある。事故車は保険会社の紹介でビッグモーターに入庫の後、保険会社を通して請求書を送るが、自動車保険の性質から、その送り先は当の保険会社ではなく、事故の相手方の会社である。つまり、水増し査定しても当の保険会社の懐は全く傷まない。

 加えて自賠責保険の紹介まで受けられるのだから保険会社に取っては濡れ手に粟で、ここに結託する有力な動機がある。ほとんど保険を使わず、律儀に保険料を支払い続けている一般加入者こそ良い面の皮である。
 

 ビッグモーターの事件が連日報道されているので、「ビーッグ、ビッグ、ビッグ、ビッグモーター♪」とつい口に出てしまうが、あれはモーターではなくカメラだった。保険会社とグルになった三位一体の詐欺の手口は当然のことながら自動車保険に加入している多くのドライバーの怒りを呼び、保険については制度自体が公正に運用されているのかといった疑念さえ生じさせている。元々保険料率の算定は上乗せされる手数料に不透明な部分が多かった。

 今後のビッグモーターについては、国交省や金融庁に免許剥奪されることから、修理も保険も行うことができないので販売店としての存続は難しく、以下のような将来が考えられる。

1.事業の売却
 最もありそうな選択肢だが、足元を見られて買い叩かれるだろうし、買い手もあまりいるとは思えない。中国の会社か、以前に自動車事業に手を出そうとして収監されたホリエモンのような人物なら関心を持つかもしれない。


 当座の運転資金を捻出するため店舗の一部を閉鎖することはありうる。この場合、不採算店は現下の状況では話にならず、比較的良好な成績の営業所から対象になるので、売却しても販売力は大きく低下し、買取価格も下がってジリ貧になることがある。また、経営体質が変わらなければ離職や有能な社員の確保も困難になる。

2.兼重親子が会社を現物出資して新会社
 社会的信用を失っても店舗や雇用は存続している。固定資産税や水道光熱費の使用料に加え、従業員には給料を支払う必要があり、またこの状況で同社に運転資金を融通する銀行があるとも思えない。現在の兼重親子の支配権は100%だが、これでは官庁もどの金融機関も説得できないだろう。


 そこで、かつての株主で不正に関与していた損保ジャパンほかが運転資金を捻出し、兼重は店舗と従業員を拠出して経営陣を社外取締役を含むものに刷新し、名前も変えて新会社としてスタートさせることがある。「ビッグモーター」だったのだから、次は「ウルトラモーター」だろうか。支配権については兼重がゴネなければ何とかなるだろう。

3.売却も新会社も困難な場合は倒産
 報道しか見ていないが、ビッグモーターのビジネスは既存の自動車販売店の悪い部分と損保と組んだ詐欺ビジネスが結託した極めて特異で悪質なものに見える。事故車はビジネスの中核になっており、修理料金の水増しのほか、損保の紹介を含むあらゆる手段で集めた低品質車を板金工場を含む自社で再生して高い利ざやを付けて売るという方法は同社にオークションに依らない潤沢な在庫と高い利益率をもたらしたが、そのノウハウは特異で普遍性がなく、一部は犯罪で、これは経営者が変わっても同じ方法で経営できないことがある。倒産させるしかない。

 だいたいこの3つが考えられるシナリオだが、おそらくは1又は3で、2はよほど有能な弁護士が付かなければ難しいと思われる。屁理屈でユーザーの請求を反故にする程度の腕前では話にならないが、あの兼重の面相を見るに、そんな弁護士しか雇えそうにないことがある。私だったら2を選ぶ。

 私が金融庁の役人なら、まず兼重親子は保険詐欺や器物損壊罪ほかで収監し、その間に金融機関に話を通し、経営を刷新してリスタートさせることを考える。

 不良在庫車の再生はビッグモーターはそれほど技術は高くなかったように見える。テレビで報道された再生車の修理レベルは見て分かるほどで、ニコイチ車のようなものを日常的に作っていたようにはとても見えない。おそらく軽微な損傷のクルマを全損扱いにして、軽修理して店頭に並べていたのだろう。在庫を見てもハイブリッドなど高度なクルマを扱える従業員はおらず、悪質といっても程度が低いことから、これを普通の販売店に戻すことは見た目ほど困難ではないかもしれない。ただ、給料は以前ほどは払えないだろうし、経営も厳しいものになるだろう。
 

 ウクライナでは戦いが続いているが、進まない戦局にアメリカなど支援国には落胆の声も聞かれる。泥濘期が近づいており、今後2~3ヶ月で戦局の好転がなければ戦争は長期化し、支援を続けている各国もこのまま支援を続けられるものかどうか見直しの必要に迫られるだろう。が、6月初旬から状況を観察していると情勢には変化が見られる。



 上図は反転攻勢が始まった6月初旬から現在までのウクライナ軍参謀本部による戦果報告だが、先に指摘したようにウクライナ軍は諸兵科統合戦術から砲撃戦に戦術を変更しており、現在はロシア軍の砲兵戦力の破砕に重点を置いている。が、6月下旬頃からロシア砲兵隊の損害が増加していることがある。

 現在までのところ、ロシア軍とウクライナ軍の損害比は5~8対1で、この比率だとロシア軍は6月以降358台の戦車を失ったが、ウクライナ軍も40~70台の戦車を失い、装甲戦闘車両は80~140台で計120~210台となり、これは諸般の報告とほぼ一致する。攻撃作戦においては攻撃側の損害が防御側より多いというのがセオリーであるが、どうも見るところ損害率はあまり変わっていないようである。これはロシア側の戦術に問題があろう。

※ これが不思議な所で、ロシア戦車は地雷原や堡塁に隠れて温存されていないようなのである。頻繁に出戦し、その都度ウクライナ軍の砲火やドローンの餌食になっている。思うに地雷が本来必要な数よりだいぶ少ないのではないか。

 肝心の砲熕火器については、報告ではロシア軍1201基だが、上述の損害率を当て嵌めてウクライナ150~240基とはどうも見えないことがある。損害が増大していることは砲撃戦では砲撃に打ち負けていることを意味する。砲兵隊がロシア軍で最も危険な軍種であることは明らかで、砲一門を失うということは、防御装甲の欠如から最低でも2~3名の砲手を失うことを意味する。つまり、勝っている側の砲手は戦いごとに技量を向上させて効果的な攻撃を行うことができるが、負けた側は負傷した砲手の代わりに未熟な新兵が配属され、命中精度でも攻撃力でも劣勢になることがある。ランチェスターの法則がそのまま当て嵌まる状況がある。

※ NATOの影響を受けたウクライナは命中精度に、ロシアは旧ソ連以来の傾向から投射弾量に重点を置く傾向は元々ある。が、スマート兵器の現代戦においては旧ソ連式の戦術は時代遅れである。

 これは戦術にも影響を及ぼす。どんなに革新的な戦略戦術でも、部隊が基本的な技量や訓練に欠けていれば実行することは難しく、抗命が頻発し隊列は乱れ、想定ほどの戦果は挙げられないのが常である。戦機を掴むにはまず部隊がその使用する兵器や戦術に熟達している必要がある。熟練した部隊が必ず勝利を掴むとは限らないが、訓練や技術に欠けた部隊が決定的な勝利を掴むことは決してない。

※ ウクライナの兵力も無尽蔵ではなく、砲兵隊には女性兵士の姿も多く見られるようになっている。戦争に勝てばの話だが、彼女らの存在は戦後のウクライナ社会を大きく変える原動力になるだろう。

 このように見ると、単調な戦闘が続いているが、戦いの秤はどうもウクライナ側に傾きつつあるようである。両軍ともクラスター弾の使用が始まっているが、この弾頭の影響についてはまだ確定したデータがないものの、有効に用いるのはウクライナ軍の方だろう。

 こういう膠着状態では独裁的なリーダーは倦んだ従来の戦いには目を向けず、どこか違う所に活路を見出すものである。ベラルーシのルカシェンコはプーチンに比べれば緩い独裁者だが、それでも何年も前のデモ参加のビデオ映像を証拠に国民を拘束するなど後ろ向きな弾圧を活性化させている。新たに子飼いになったワグナー軍団もある。プーチンの考えではどうもベラルーシを通じルーマニアに戦火を飛び火させたいようだが、予算不足で見送った日本侵略同様、これもうまく行かないだろう。

 もう一つあることとして、穀物合意を巡る黒海海上支配の変質がある。黒海は元々ロシアの海で、旧ソビエトの時代からロシア艦隊が制海権を握ってきたが、トルコが欧米に接近していることにより艦隊通過が議論になる余地が出ている。ウクライナの苦戦は大部分海上支配の欠落に起因する。ロシアの制海権は戦争に決定的な影響をもたらすが、いかんせん誰も議論しないのが惜しいところである。
 

※ ゼレンスキーもレズニコフもこの制海権の帰趨についてもう少し見識を持っておれば、戦いの展開は現在とは違ったものになった可能性が十二分にある。この点、彼らはアメリカ建国の父ワシントンとは異なる。

 

 ウクライナ大統領のゼレンスキー氏に対する根強い批判の一つに「元コメディアンだから」というものがあるが、ここ数年のウクライナの政治はその政治漫才の名手に実際に政治をやらせてみたらこうなった。戦争まで起こってしまったというものかもしれない。「ポピュリスト」という批判も人を惹き付ける才能のある彼に対するやっかみの言葉だが、悪口としては立派に通用している。

 が、実際に作品を視聴すると、これらの批判は必ずしも当たらない。むしろ彼の本質を見誤る危険さえあると思えるものがある。「国民の僕」は確かに最初はウクライナでは定番の政治漫才を基調としたライトな政治コメディで、見るのにそれほど気負いが必要なものではないが、そこでのゼレンスキー氏に国民に媚びるようなムードは微塵もなく、むしろオリガルヒや悪徳政治家に向けられるのと同様、あるいはそれ以上に批判的な視線をウクライナ国民に向けていることが分かる。

※ 最初の彼はウクライナの汚職体質を問題にしているが、汚職が起こる根底として他人任せで無責任、役得志向の国民性を厳しく批判している。「人間として恥じない」、「正しいことをしよう」と国民に呼び掛ける場面はいくつかある。

 制作には時間が掛かったらしく、シーズン2の中頃までは制作中に起きたマイダン革命やクリミア侵攻を予感させる話はない。クリミアやドンバスはウクライナ領で話自体も大統領の半径10メートルの身内コメディなのでそれが問題になることはなかったが、以降は現実に起きた事件をできるだけ取り入れるよう腐心している様子が伺える。見ものはシーズン2後段の選挙戦とシーズン3の28カ国に分裂したウクライナの再統合である。シーズン3では投獄されるゴロボロジコ元大統領だが、出獄した時にはドンバスはUSSR、クリミアはクリミア・タタールと別の国になっていた。

※ おそらく制作環境の変化でロシアの侵略という現実の危機に視聴者自身が楽観的な内容を受け容れなくなったことがある。前半は政治ドラマであるにも関わらず議会勢力や対立する政治家の描写は皆無に等しかったが、後半では応分に描かれる。

 全編を視聴して感じたことはゴロボロジコという主役の役柄を通じて描かれた企画演出で総監督のゼレンスキー自身の健全な懐疑主義と歴史観である。公務員改革で大量の公務員を失職させた彼は自らも辞職して国民に審判を仰ぐ。最終話でも改革を成し遂げた彼はそれに伴って背負った多額の借款の現状を国民に話し、将来世代に借金を背負わせたことを詫びつつ国民に選択を迫る。ドラマでは外債を踏み倒すことが歴代大統領のお家芸と描いていたならなおさらである。IMFの融資では巨額の融資が国土を核廃棄物処理場にすることと引き換えであると知り、理事の面前で契約書を引き裂いて反故にする。


 見ようによっては彼は自分以外の誰をも信用していない人物にも見える。が、一連の行動は彼が筋道を重んじる人間、相手が誰であれ節を曲げない人間であることを示しており、また、過去の歴史から学んでいることとして、権力を行使することに躊躇ない反面、独裁者になることを極度に恐れていることがある。彼が恐れているのは歴史における自分の評価であり、ヒトラーやスターリン、プーチンの同類と見られることに耐えられないことがある。

※ ナショナリストでもある。物語の中盤からは彼に啓示を与える人物はスヴャトラフやフメリニツキー、シェフチェンコなどウクライナ史における偉人が多くなる。序盤ではリンカーンやチェ・ゲバラ、シーザーなどが登場していた。

 彼は教科書には記述はあるものの、実在することは稀な近代的合理人であるが、外国かぶれではない。これはバイデンも苦労した点と伝えられているが、懐疑主義はウクライナやロシアばかりでなく、彼を支援するアメリカやヨーロッパにも向けられている。強いて言うならウクライナという国の持つポテンシャルを最大限に生かし、国を繁栄させることが彼の最大の関心であり信仰といえるものになっている。

 後半では彼とは対照的な人間、ロシアのプーチンの精神分析も試みられている。第3シーズンでアッサリと片付きすぎた嫌いはあるが、庶民の出でゴロボロジコの元妻オリガの恋人スリコフの描写はほとんどプーチンそのものである。彼は銀行家で土壇場でゴロボロジコを罠に掛けて刑務所に送り、オリガルヒを牛耳って大統領の座まで上り詰めるが、民衆デモの際の暴言であえなく失脚する。後に28カ国に分裂したウクライナの一国、オデッサ王国の宰相として再登場するが、彼についてはもう少し尺を取ってもらいたかった感じである。

 最終章は個々の顔ぶれはハッキリとは描かれないが、再統一を成し遂げた大統領とG7との対決になる(日本人らしい面子もいる)。巨額の借款を盾に地域大国となったウクライナの発展を阻害しようとしたG7に対して彼はウクライナの権利と南北格差について語り、国を次の世代に明け渡す。G7首脳が彼に示したウクライナの借款は1630億ドル(20兆円)だったが、戦争における現在の支援額は600億ドルである。このくらいの金額では彼を怯ませるには足りないだろう。

 強大すぎる大統領制など旧ソ連圏特有の事情も描かれてはいるが、全編を通して視聴すると普遍性のある政治ドラマで、特に後半はどこの国でも通用する内容を含んでいる。実際視聴しつつ、我が国の現状も考え合わせて考えさせられる内容が多かった。民主主義の限界や寛容主義の終焉が叫ばれる現在において、「国民の僕」は古典となる資格があり、果敢に戦っているウクライナの現状と併せて、政治に問題意識を持つ全ての人に視聴する価値のあるドラマではないだろうか。

※ ロシア語圏でない地域では視聴は字幕頼みでやや困難が伴う。本作はロシアのウィキペディアでは視聴者数を意識して制作はロシア語で行われたとあるが、実際にはロシアの放送局TNTでは本作は放送されておらず、カザフスタン、ウズベキスタンなど集団安全保障の国々(ベラルーシを除く)でも放送がないために、「ロシア語話者を意識した」は多分に眉唾で、実際はウクライナの民族性を反映したロシア語とウクライナ語のチャンポンでこれが翻訳の困難さに繋がっている。なお、タイトルの”Слуга народу”もウクライナ語である。

※ 現在の戦争と内容の重要性を考えると、この程度の覚え書きでは不十分なので、後に本サイトで逐話レビューも検討しようと思う。

 

 反攻作戦が始まって5週間が経過したが、ウクライナ軍の参謀報告だとロシア軍の損害は戦車300台、装甲兵員輸送車500台、各種榴弾砲1千門に兵員2万8千名で、これをウクライナ軍の損害率に引き直すと戦車40~60台、装甲車60~100台、各種砲130~200門、兵員4~6千名で、これらは諸般の報告と概ね等しく、実際にもこの程度の損害を受けているだろう。

 損害の中には西側から提供された戦車・装甲車が含まれるが、どの程度が回収修理して再使用できるかは定かではない。が、砲撃についてはほぼ互角かやや勝るところに持ち込んでいることから、この損害率で残り9マイル進んでほぼ全滅という事態にはならないだろう。ウクライナ軍は指導された諸兵科統合戦術をいったん中止し、ソ連式の砲撃戦術に軸足を移しつつある。この戦術では損害は抑えられるものの、戦況の進行はやや緩慢としたものになる。

 当初はあまり警戒されていなかったドネツク東部、アウディウカやライマンの戦況がクローズアップされており、投入されているロシア兵器はおしなべて旧式だが、それなりに激しい戦闘が行われ、ここではウクライナ軍が守勢に廻っている。

 ウクライナ軍の特徴として、兵員については概ね充足しているものの、重火器や訓練が慢性的に不足しており、特に航空機に至っては全く足りないことがある。訓練については選ばれた兵士は国外で訓練を受けているが、より多くの志願兵がごく短期間の訓練で戦線に投入されている。ウクライナは後方に訓練基地を建設して帰還した兵士の再訓練を行っているが、訓練に用いる人材とリソースの不足が顕在化している。

 地雷原については、戦線長は千キロもあり、ロシアの保有する地雷の総数もあることから、彼が100万個も地雷を持っていない限り粗密があるはずで、ウクライナ軍も穴を探しているが、現在までのところ突破口は見つかっていない。戦線に比して地雷の数が少ないことが予想されたことが当初作戦での地雷原の軽視につながった可能性がある。

 地雷の設置方法はおよそ分かってきており、車両を擱座させる威力のある対戦車地雷は大きく見つけやすく、それを守るためタバコの箱や木の葉に偽装した対人地雷が周辺に敷設されており、砲撃してばら撒いたり、トリップワイヤー式などさまざまなタイプが用いられている。これらは装甲車を止める威力はないが、兵員の手足を吹き飛ばすには十分な威力を持つ。

 現在取られている戦法は、地雷があるのを承知で西側製装甲車を地雷原に突入させるもので、これだと対人地雷は装甲車に轢かれて爆発し、対戦車地雷は爆発するものの装甲に優れた西側製車両は履帯を切られるだけで停止し、乗員に致命的な負傷を負わせることなく車両は回収して修理できることがある。ブラッドレーを3台乗り換えた兵士の例も報告されている。

 このような方法であれば乾燥する季節である折、草原を焼夷攻撃で焼き払うことも考慮して良いが、ナパーム弾や燃料気化爆弾など禁止兵器のエスカレーションに繋がることもある。他の戦いでは活用されているドローンも地雷除去についてはあまり役に立っているように見えないことがある。現在までのところ、負傷者は地雷によるものの方が砲撃よりも多い。

 ザポリージャではロシア軍のツォコフ中将(南部管区軍)が戦死したが、ロシアの場合、戦争が始まってからの人事異動が激しく、この人物も先月のムラドフ中将(東部管区軍)同様のパートタイム司令官で、トクマクから前線を指揮していたが、司令所がストームシャード―ミサイルの直撃を受けて下敷きになったものらしい。

 ロシア軍はほぼ全軍をウクライナに投入し、北方や極東はガラ空きになっているが、それは広大な領土に比し、軍備が常に不足していることによる戦略上の要請で、プーチンの戦略が優れているのではなく、ロシア軍とは常にそういう戦いを想定した軍隊であっただけのことである。この戦争の結果におけるロシアの運命については別に考えれば良いことである。

 日産元会長のカルロス・ゴーン氏が2019年末に引田天功ばりの脱出マジックでレバノンに逃亡したことは今はもう古い話になりつつあるが、そのゴーン氏がレバノンの裁判所で日産の元役員相手に10億ドルの損害賠償請求を起こしたといいう話はちょうどフランスで彼の二回目の逮捕状が請求されたこともあって、新聞を「少し」賑わせた。

 実際に執行するとすれば管轄の問題とか相互の保証があるかといった話になるが、それ以前の問題として彼が訴えた役員ども、多くはゴーン氏の子飼いである、に、彼はそんなに報酬をやっていたのか。聞けば請求額の半分は損害賠償で残りの半分は慰謝料という話だが、半分の5億ドル(700億円)という金額さえ彼の20年間の役員報酬(200億円)を大きく超える。

 日産の報酬体系は社外含む9人の役員全員につき株主総会で一括して報酬案を提示し、それを報酬委員会で分配するというもので、認められた報酬の大半が実はゴーン氏の報酬だったことから、仮に請求が認められたとしても彼らには支払能力がない。彼も分かっているはずだが、どうしてこんな訴えを起こしたのだろうか?

 二回目の逮捕状というのはRNBV(ルノーと日産の合同会社)からムナ・セペリというルノーの副社長だったイラン人の女性弁護士に2012年から数年に掛けて50万ユーロの不透明な報酬が支払われていた件で、同社の報酬委員会の役員はゴーン、ケリー、セペリの三名のみでRNBVは同じオランダのNMBV同様、ルノー・日産・三菱の会長だったゴーン氏の報酬支払機関だったことから、会長以外で唯一人報酬を受領していたセペリ氏が浮いていたということはあった。どうやらフランスは三社を股に掛けたゴーン氏の報酬スキームを完全に違法と見ることに決めたらしい。

※ ルノーのシュバイツァー前会長が日産に提示したゴーン氏の報酬額は20億円だったが、実際にその金額が役員報酬として計上されたことはない。報酬は最大でも10億円を超えたことはなく、そこで迂回しての報酬スキームが必要になった。提示された金額がどういう根拠で決められたのかは特に分かっていない。

※ 20億円というのは一定の上限で、日産のほかはGM、VWの会長がほぼ同額である。ゴーン氏がルノー副社長(実質的には社長)と日産社長を兼任していたことを見れば、あながち不当に高額とはいえない。

※ 一つの仮説として、日産は執行役員を含む日本人役員と外国人役員とで異なる報酬体系を敷いていたが、「日本人は外国人の半分」という内規があったのかもしれない。税務申告上の問題とおしなべて給与の低い邦人同級社員との均衡を考慮したものと思われる。そうなると元社長の西川氏は9億円で現トヨタ社長と同額であり、国際基準から見て妥当と言える金額になる。


※ 報酬(額ではなく差別)は西川氏がクーデターを起こした主要な動機であり、また日産社員の多くの賛同を得られた理由の一つとされている。

 同時期のEUではイラン核問題があり、経済制裁を含む議論が行われていたことから、イラン市場に並々ならぬコミットメントを示していたゴーン氏が政治工作を指示した可能性はある。もちろん賄賂で、たぶんもっと大きな利権をEU委員会の委員に約束するものだったはずだが、彼は商人で宗教家や聖人君子ではない。セペリを捕らえて吐かせれば済む話だが、今のところ彼女は指名手配されてない。10年前の話で今ごろになって逮捕状というのも政治の臭いがする。

※ トヨタは中東で圧倒的な信頼とシェアを誇るが、その秘密は現地人ディーラーを育成した独特の販売システムにある。ジャミール商事を中核とした販売網は他メーカーを寄せ付けず、ゴーン氏が会社の内部紛争(兄弟ケンカ)でトヨタの販売権を失ったスヘイル・バフワン社に目を付け、同社の経営再建を含むコミットメントを行った背景には同社をジャミール同様の現地の事情に通じた中東ディストリビューターに育てる狙いがあったと考えられる。

 フランス政府とルノー・日産の関係は前者が後者を植民地ないし金づるという見方で一貫していたことは否定しようがなく、そもそも親子会社というのが合法的なそれだし、つい最近もルノーが日産との関係を整理したばかりだ。ゴーン氏の地位は日産に派遣された植民地総督というべきものだったが、おそらく長すぎるウクライナ支援でカネが足りなくなったのだろう。

※ 非難すべきことではない、責任ある立場の人間は感情論に流される前にまずコミットメントすることの利益を考えるべきである。

 もっとも、このアピールはあまり成功しているとは言い難い。私はゴーン氏の行いは経営判断原則の範囲内で犯罪には該らないと考えているけれども、逮捕にまで至ったのは当時が安倍・菅政権だったからである。現在の岸田政権は前政権とは距離を置いており、アベノミクスの諸政策は現在実現している「アベ世界(円安)」も含め現在見直しの最中である。

※ 誰も言わないのだが、今のこの世界が安倍首相が理想としていた世界である。

 ゴーン氏の逮捕でいちばん安堵したのは実は財務省と言われる。国交省の方がありそうだが、噂レベルの話として彼は逮捕されなければそのまま財務省に行き、世界的にも特異な日本の軽自動車規格の見直しを訴えるつもりだったとされる。安堵するくらいだから外堀はかなり埋まっていたのだろう。日産の現行デイズ、三菱ミラージュは設計のかなりの程度で「グローバル軽」の要件を満たすクルマであり、当時その種のクルマを計画中のものも含め最も擁していたのは日産自動車だった。トヨタは完全に出遅れていた。

※ トヨタは世襲の会長がいろいろおかしな経営を行い、会社の利益を損ねているが太鼓持ちばかりで問題にする人間は少ない。

 もっとも楽器ケースに収まり、3年半前に日本を逃れたゴーン氏もその後コロナウイルスの流行があり、ウクライナで戦争が始まるとは全く予期していなかっただろう。そのせいで腹心ケリーの裁判は遅れに遅れ、現在のケリーは控訴して帰国中だが、アメリカ政府に彼を日本の裁判所に戻す考えはないようだ。

※ 裁判はともかく、司法制度の運用に問題が多かった。なお、コロナの流行はゴーン氏の公判前整理手続にも影響を及ぼした。

 彼をプライベート機で脱出させた元特殊部隊員テイラーは息子共々刑務所に収監されたが、現在の彼は刑期を終えて出所し、ゴーン氏に追加報酬の支払いを請求している。トルコで逮捕されたプライベート機のパイロットとMMGジェットの関係者も菅首相が失脚した直後に釈放されている。最終的に彼の逮捕を了承した安倍元首相は昨年に凶弾に倒れてこの世にない。日産以外でゴーン氏のからくりを最も良く知る人物だった三菱の益子元会長もだいぶ前に死去している。

※ テイラーは罪状を見れば執行猶予を付けて良い案件であった。捜査にも協力的で、それを実刑に処したことには外国人に対するダブルスタンダードの批判がある。

 彼が10年掛かりで足場を作り、会長も務めたルノー・ロシア(アフトバス)は見ての通りの状況で、ルノーは事業をロシア政府に売却して完全に撤退したが、皮肉なことにルノーの本国であるEUでのトレンドは彼が先鞭を付けた電気自動車だった。日産リーフは当時はトヨタのミライ同様、頭のおかしい人間の乗るクルマだったが、事件のあおりを受け、今のもあまり進歩してない。少なくともテスラと比べたら。そして日産はゴーン氏の亡霊が去った後、内田社長とアライアンス推進派の役員の間で、また内紛の気配がある。

※ ゴーン後の日産再建に尽力し、評判も良かったアシュタニ・グプタ氏の解任は内田社長の策謀とされる。内田氏より次期社長の声望も高かった関執行役員は日本電産に移籍しているがそこでも解任され、現在は鴻海に雇われている。

 一連の状況にいちばん落胆を感じているのは当のゴーン氏かもしれない。プライベート機から引きずり降ろされた直後に検察官が彼に提示したのは軽微な有価証券虚偽記載の罪状だった。検察のストーリーでは彼が認めることで事件は懲役2年程度の執行猶予付きの軽微な案件で済むはずだったが、彼が抵抗したことでより重罪が積み上がることになった。会社法違反であれば役員の地位を失うことから彼が抵抗したのも無理ないが、その後の顛末を見るとむしろ処罰を受けた方が良かったのではと思えるところもある。おそらく彼もそう思っているだろう。

※ 彼の行動はイェーリング的には正しいが、後を知ったらおそらく違う判断をしただろう。現に米国では彼はケリー共々アッサリと罪を認め、10億円(ケリーは1億円)の課徴金を支払う司法取引に応じている。が、日本では15億円の保釈保証金をドブに捨てても、1億円以上の経費を特殊部隊員に支払い、裁判に出たくないと逃亡している。

 

※ 細君を裸にして携帯電話を取り上げるとか、娘マヤを尾行して嫌がらせをするとか、鍵屋を呼んで社宅に踏み込んだり、ブラジルのオフィスに検事と日産社員が乗り込んで家探しといった、日本司法によるデュー・プロセス違反の諸々の所行が違う価値観を持つ彼の怒りを買ったことは想像に難くない。そういう愚かなマネさえしなければ彼は今も日本にいただろう。


 巨額の請求はその後の日産の経営判断に対して彼が現した怒りなのかもしれない。確かに彼は植民地総督だし、日本とフランスの利害が対立する時は躊躇いなく後者を取った。それは多くの傍証がある。が、裁判で彼が指弾されたリーマン危機の前後では外貨で報酬を受け取っていた彼はほとんど無報酬だったのであり、知己のジュファリに保証金を出してもらってようやく給与を換金できたような状況だった。経営者として日産を立て直したことも本当であり、総じて見るならば功績の方が多い。ゴーン氏なかりせば日産は存続しても「大きなダイハツ」くらいの会社だったはずであり、そういう彼の目から見れば、彼を追った経営陣のその後の判断はいちいち許せないものがあったに違いない。

※ ゴーン後に両者の経営陣が行ったことは先ずゴーン路線の否定からだったが、そのため中東の市場を失い、ロシアを失い、現地メーカーに押された中国は撤退を続け、アフリカは手つかずで電気自動車は周回遅れと良いことは全くない。彼が育成しようとしたバフワンも今やレッド・ノーティスの犯罪者である。なお、現在の日産リーフ、アリア、ルーテシアはゴーン時代に基礎設計のなされたクルマである。

 ゴーン氏の事件については以前にいろいろ調べたが、今思えばウクライナ危機に繋がる内容が多くあったように思えてならない。オリガルヒとオフショア取引についてもこの件で予習済だったし、傍目から横領と見えるほど巨額の金を欲し、本人は高級レストランに通うくらいでそれほど奢侈な人物ではないにも関わらず、ベルサイユ宮殿で結婚式を挙げたり、巨大ヨットを買ったりといった行動はロシアの実情を知ると複眼的に理解できる。惜しむらくは当時の私も視点がそこで止まっており、彼の背後にあるものを見通せなかったことである。

 2016年の賢島サミットはそれまではG8だった先進国からロシアが抜け、当時の安倍首相が7カ国の首脳を接待したものになったが、同年にプーチンも招待され、安倍氏の故郷山口で温泉も含む手厚い接待を受けた。賢島同様、湯本温泉にも堅固な道路が作られ、G7首脳に勝るとも決して劣らない待遇だったが、実を言うと彼がG8から遠ざけられる原因になったクリミア併合やチェチェン、シリアでの残虐行為については、我が国ではほとんど報道されなかったと言って良い。

※ そのためゴーン氏の行動原理も我が国では意味不明なものになっている。

 このことを考慮していれば事件に対する理解も違ったものになっただろうと思う。安倍氏も菅氏もプーチン流の手法を使いこなす和製オリガルヒと言って良い政治家だった。ゴーン氏もオリガルヒであり、この事件は単純な背任などではなく、共にロシアの歓心を買うオリガルヒ同士の場外対決という見方もできたはずである。

※ ゴーン氏のロシアでの活動はプーチンからアフトバスの経営権を奪取することであり、その後のプーチンの逆襲で経営権をオリガルヒに引き渡したことがある。その後のゴーン氏はロシアとは距離を取っており、執拗とも言える捜査と明らかな政権の意向の背後にあるものは、当時の私も気になっていたことだった。が、事件はプーチンの裏切り者に対する私的制裁と考えると辻褄の合う話が多いようには感じる。

 というわけで、ロシアとウクライナ戦争について、私がいちばん考えを聞きたい人物はカルロス・ゴーン氏である。事件がなければ彼はヨーロッパ経済界の総帥としてプーチンと対峙したはずだし、その時に複雑な内面を持つこの人物がどのような行動を取ったか、または取るべきと考えたか、それも興味深いが、まずは以前の話を少し聞きたい。

 

(追記)高額報酬について

 上記の文章だと私が10億円とかウン億円といった超高額報酬をまるで肯定しているかのような書き方だが、別に私はこの制度を支持してはいない。過大だと考えていることは当然で、この種の報酬額には相場があり、その相場の話をしているにすぎない。ただ、内訳には差異があり、例えばGMは警護費用や社用ジェットの経費を報酬に含んでいるが、日産にはそういう細かい区分けがなく、知る手段もないことはある。VWについては調べていないので良く分からない。

 平均的な労働者の生涯賃金を大きく超える年俸が生活費に使われるということはまずない。多くは親族の経営する事業に再投資され、利潤が利潤を呼ぶ仕組みになっている。ゴーン氏には妻と3人の子女がいるが、末娘のマヤを除いては全員事業家である。彼の姉もブラジル商工会議所の理事で、やはり大豆ビジネスの経営者である。

 この仕組みは旧ソ連圏になるとより顕著になり、多くは公務員としての肩書きを有し、見た目の給与もそれなりだが、国営事業を通じ、親族の経営する事業に国家予算が流れる仕組みになっている。さらにオフショア企業に資産を移すことで税金さえ掛からない。

 このことは本質的にアンフェアである。彼らの経営する事業に従事する従業員の多くは兼業が禁止され、全精力を業務に用いることが求められている。したがって彼らの財産は増やす手段がなく、加えて最近は低金利である。いつの時代に作られたのかは知らないが、これは階級上昇の階段を遮断し、少数の企業家と大多数の労働者という構図で社会に断絶を生むものである。

 第二次大戦が終結した時に植民地は解体され、前大戦でも残っていた貴族社会は根本的な変革を余儀なくされた。大戦を戦ったのは彼ら貴族ではなく、貧窮階層出身の大勢の若い兵士であり、彼らがいなければナチスを倒すことも戦争を終わらせることもできなかったからだ。死線をくぐり抜けた彼らに従来の制度化された差別を押し付けることはできないものになっていた。資本家がもし彼らの権利を否定したなら、彼らは銃剣を以てその政府を倒しただろう。

 ウクライナでの戦争では、戦いを通じてロシアの不正で不公平な社会のあり方が白日の下に晒されている。勝つにせよ負けるにせよ、ロシアが現在のままでいることはないだろうし、それはこの戦争を間近で見ている我々にも言えることである。