ウクライナ大統領のゼレンスキー氏に対する根強い批判の一つに「元コメディアンだから」というものがあるが、ここ数年のウクライナの政治はその政治漫才の名手に実際に政治をやらせてみたらこうなった。戦争まで起こってしまったというものかもしれない。「ポピュリスト」という批判も人を惹き付ける才能のある彼に対するやっかみの言葉だが、悪口としては立派に通用している。

 が、実際に作品を視聴すると、これらの批判は必ずしも当たらない。むしろ彼の本質を見誤る危険さえあると思えるものがある。「国民の僕」は確かに最初はウクライナでは定番の政治漫才を基調としたライトな政治コメディで、見るのにそれほど気負いが必要なものではないが、そこでのゼレンスキー氏に国民に媚びるようなムードは微塵もなく、むしろオリガルヒや悪徳政治家に向けられるのと同様、あるいはそれ以上に批判的な視線をウクライナ国民に向けていることが分かる。

※ 最初の彼はウクライナの汚職体質を問題にしているが、汚職が起こる根底として他人任せで無責任、役得志向の国民性を厳しく批判している。「人間として恥じない」、「正しいことをしよう」と国民に呼び掛ける場面はいくつかある。

 制作には時間が掛かったらしく、シーズン2の中頃までは制作中に起きたマイダン革命やクリミア侵攻を予感させる話はない。クリミアやドンバスはウクライナ領で話自体も大統領の半径10メートルの身内コメディなのでそれが問題になることはなかったが、以降は現実に起きた事件をできるだけ取り入れるよう腐心している様子が伺える。見ものはシーズン2後段の選挙戦とシーズン3の28カ国に分裂したウクライナの再統合である。シーズン3では投獄されるゴロボロジコ元大統領だが、出獄した時にはドンバスはUSSR、クリミアはクリミア・タタールと別の国になっていた。

※ おそらく制作環境の変化でロシアの侵略という現実の危機に視聴者自身が楽観的な内容を受け容れなくなったことがある。前半は政治ドラマであるにも関わらず議会勢力や対立する政治家の描写は皆無に等しかったが、後半では応分に描かれる。

 全編を視聴して感じたことはゴロボロジコという主役の役柄を通じて描かれた企画演出で総監督のゼレンスキー自身の健全な懐疑主義と歴史観である。公務員改革で大量の公務員を失職させた彼は自らも辞職して国民に審判を仰ぐ。最終話でも改革を成し遂げた彼はそれに伴って背負った多額の借款の現状を国民に話し、将来世代に借金を背負わせたことを詫びつつ国民に選択を迫る。ドラマでは外債を踏み倒すことが歴代大統領のお家芸と描いていたならなおさらである。IMFの融資では巨額の融資が国土を核廃棄物処理場にすることと引き換えであると知り、理事の面前で契約書を引き裂いて反故にする。


 見ようによっては彼は自分以外の誰をも信用していない人物にも見える。が、一連の行動は彼が筋道を重んじる人間、相手が誰であれ節を曲げない人間であることを示しており、また、過去の歴史から学んでいることとして、権力を行使することに躊躇ない反面、独裁者になることを極度に恐れていることがある。彼が恐れているのは歴史における自分の評価であり、ヒトラーやスターリン、プーチンの同類と見られることに耐えられないことがある。

※ ナショナリストでもある。物語の中盤からは彼に啓示を与える人物はスヴャトラフやフメリニツキー、シェフチェンコなどウクライナ史における偉人が多くなる。序盤ではリンカーンやチェ・ゲバラ、シーザーなどが登場していた。

 彼は教科書には記述はあるものの、実在することは稀な近代的合理人であるが、外国かぶれではない。これはバイデンも苦労した点と伝えられているが、懐疑主義はウクライナやロシアばかりでなく、彼を支援するアメリカやヨーロッパにも向けられている。強いて言うならウクライナという国の持つポテンシャルを最大限に生かし、国を繁栄させることが彼の最大の関心であり信仰といえるものになっている。

 後半では彼とは対照的な人間、ロシアのプーチンの精神分析も試みられている。第3シーズンでアッサリと片付きすぎた嫌いはあるが、庶民の出でゴロボロジコの元妻オリガの恋人スリコフの描写はほとんどプーチンそのものである。彼は銀行家で土壇場でゴロボロジコを罠に掛けて刑務所に送り、オリガルヒを牛耳って大統領の座まで上り詰めるが、民衆デモの際の暴言であえなく失脚する。後に28カ国に分裂したウクライナの一国、オデッサ王国の宰相として再登場するが、彼についてはもう少し尺を取ってもらいたかった感じである。

 最終章は個々の顔ぶれはハッキリとは描かれないが、再統一を成し遂げた大統領とG7との対決になる(日本人らしい面子もいる)。巨額の借款を盾に地域大国となったウクライナの発展を阻害しようとしたG7に対して彼はウクライナの権利と南北格差について語り、国を次の世代に明け渡す。G7首脳が彼に示したウクライナの借款は1630億ドル(20兆円)だったが、戦争における現在の支援額は600億ドルである。このくらいの金額では彼を怯ませるには足りないだろう。

 強大すぎる大統領制など旧ソ連圏特有の事情も描かれてはいるが、全編を通して視聴すると普遍性のある政治ドラマで、特に後半はどこの国でも通用する内容を含んでいる。実際視聴しつつ、我が国の現状も考え合わせて考えさせられる内容が多かった。民主主義の限界や寛容主義の終焉が叫ばれる現在において、「国民の僕」は古典となる資格があり、果敢に戦っているウクライナの現状と併せて、政治に問題意識を持つ全ての人に視聴する価値のあるドラマではないだろうか。

※ ロシア語圏でない地域では視聴は字幕頼みでやや困難が伴う。本作はロシアのウィキペディアでは視聴者数を意識して制作はロシア語で行われたとあるが、実際にはロシアの放送局TNTでは本作は放送されておらず、カザフスタン、ウズベキスタンなど集団安全保障の国々(ベラルーシを除く)でも放送がないために、「ロシア語話者を意識した」は多分に眉唾で、実際はウクライナの民族性を反映したロシア語とウクライナ語のチャンポンでこれが翻訳の困難さに繋がっている。なお、タイトルの”Слуга народу”もウクライナ語である。

※ 現在の戦争と内容の重要性を考えると、この程度の覚え書きでは不十分なので、後に本サイトで逐話レビューも検討しようと思う。