バッド・バディ! 私と彼の暗殺デートを見ていて、ちょっと気になった俳優がいます。
ジェームズ・ランソンという俳優さんで、悪役で最後の方まで生きてるけど、けっこう情けない殺され方をする、へたれマフィア役です。

なんかどっかで見たような気がするんですよ。いるタイプの俳優さんではあるのですが。「バーン・ノーティス」にも出てたみたいなのでそこで見た可能性もありますが、他の映画で似た人も見たと思います。

でも、一番似てると思ったのは、Maximo Parkのボーカルの人だったみたいです。GraffitiというPVのビジュアルがすごく似てるのです。写真じゃ伝わらないと思いますが。

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ベートーヴェンの交響曲第6番「田園」は、前半で金管楽器がずいぶん楽をしてることに気づいてしまった。木管と弦が、同じギャラでは納得しないくらいに。
アルコール中毒の元主婦の独白で始まるので、どよーんと重たいなぁ、と思うのですが、次に主人公的な女性の目線がいくつか切り替わるので、やや混乱します。これ、群像劇にするべきだったのかなぁ。主人公はレイチェル一人で十分だったような気がします。一人称の視点から自分の記憶が信じられない、という形にした方が説得力があったような。

それでも、「ゴーン・ガール」の息苦しさよりは、呪縛から解き放たれていく主人公レイチェルの再生劇にはなっているので、カタルシスはありました。

いずれにしても、後半になるにつれて少し謎解きがだれてきて、どんでん返しがあったあとはもっとテンポよく処理してほしかったな、ということと、警察の無能さが際立ちます。こんなの、一人一人がしっかり対処していれば、殺人自体を未然に防げたのでは、と思うのですが、暴力と家庭内の圧力にさらされた女性がいかにがんじがらめになるか、ということもテーマの一つなのでしょう。

気に入ったシーンの一つは、森で呼び出されてまたトムとの情事にふけるのか、と思わせたメーガンが妊娠を告白するところ。かつて赤ん坊を溺死させた時に目を覚まさせた天井からの水滴と似た形で、雨粒が額に落ちて我に返る演出、うまいなと思いました。一見自暴自棄に見えて、いちばん人としての大切なものを最後に取り戻せた、一番切ない登場人物でした。

後半に鍵となる主人公の立ち直りのきっかけを与えてくれる、元夫の元上司の奥さん、という役に、「フレンズ」でフィービー役をしていたリサ・クドローが出ていて、一瞬テリ・ガーを思い出したのですが、ああ、貫祿と気品のある女優さんになったんだなぁ、と感慨深いです。

「ガール・オン・ザ・トレイン」の画像検索結果
笑っていてもどこかおかしいな、と思わせる美女と、一目惚れの経緯がよくわからなかったのですが、依頼人を殺し続ける、という不思議な殺し屋のガール・ミーツ・ボーイ。

殺戮シーンにマヒしてしまう自分が怖くなる、というのは主人公のマーサと同じ次元に観客を連れて行く感覚。最終的には彼女の覚醒こそが約束されたエンディングだったのでしょう。誰と出会ってもうまくいかないどこかズレたマーサが出会った唯一の「正解の彼」=「Mr. Right」が殺し屋だったとは、なんともブラックジョークな。

サム・ロックウェルは「スリー・ビルボード」でも思ったのですが、いかにも主役感のない主役。そのひょうひょうとした余裕ぶりが、なおさら彼のとりつかれた狂気を恐ろしく見せます。

訳ありげに彼を追い続ける師匠的存在ホッパーにティム・ロス。相変わらずの芸達者ぶりで風格を見せつけました。

「ザ・コンサルタント」で可能性を感じさせながらブレイクしなかったアナ・ケンドリックの魅力が全開の1本と言えるでしょう。

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グスタフ・レオンハルト、もっぱらバロック音楽のFM番組などを通じて知りましたが、ボックスが出たのでまとめて聞き始めています。

1枚目のゴルトベルク変奏曲からして、なんとなく今まで持っていたイメージが裏切られました。
本人写真がものすごく学者風なのですが、ぜんぜんそういう感じでなく、もっとしゃれっ気があります。

特にゴルトベルク変奏曲はグールドのピアノの理知的なアプローチが知られているので、8分音符をよれたように崩して弾く、踊るような演奏は新鮮。全曲そう弾かれたら酔ってしまうけれど、そうではないメリハリのつけ方。

貴族の世界での遊びとしての軽さを意識しているかのよう。

オルガン曲も少し聞いていますが、コラール・プレリュードの平和さ。同じくバッハの権威として知られるカール・リヒターのシリアス一辺倒と比べると、音色の柔らかさ、聞きやすさはテクニックとともに際立ちます。

なんでもっと早く聞かなかったんだろう。

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CD黎明期に記憶に残っているのが、ドラテイとデトロイト交響楽団の「春の祭典」LPに比べて圧倒的にSN比のいいサウンドで、CDのメリットを感じさせる録音として話題になりました。今にして思うとやや薄味の、腰高なバランスの録音だったと思いますが、それでも綺麗な音だったのは確かです。

ドラティも、ナチスドイツの影響を少なからず受けた世代でしょう。結果として彼は、アメリカのオーケストラのレベルアップに多大なる貢献を残しています。

http://www.hmv.co.jp/artist_Box-Set-Classical_000000000088040/item_アンタル・ドラティの芸術(75CD)_8764585
籠池氏がやっと保釈されました。なぜこのタイミングで、というのは正確なところはわかりませんが、同じ日に高プロの強行採決が行われたこと、日大の学長の代わり映えのしない記者会見が行われ、マスコミの注目が日大に集まった、ということは記録に特筆するべきでしょう。後世はこれをどう分析するでしょうか。
昔のマンガなどで、ロボットがどんどん普及して、単純労働はどんどんロボットがやるようになってみなさんは楽になります、みたいなバラ色の未来を描いた様子はたくさんありました。

みんなは、もっとクリエイティブな作業に専念できます、という福音を広める人々もいたわけですが、その頃には、そのクリエイティブな仕事が、大してお金にはならなくなる、という観点が完全に抜け落ちていたみたいです。

ツールの発達で、音楽も絵も、アニメも、ハードルが低くなって誰でもチャレンジできるようになった。しかしそれで暮らしていけるか。そんなには甘くない。

今の子供たちがユーチューバーに憧れるのは、そんなクリエイティブな部分で成功したレアケースを目撃しているからなのかもしれません。
ウィリアム・スタインバーグの28枚組のボックス聞き終わりました。

最後に入っていた、「第九」でびっくり。右からヴァイオリンが聞こえます。単純ミスですかね。

いろんな作曲家を取り上げていますが、とにかく特徴としては、明快。なにが他の人と違うか、というと、一番は低弦のリズム感ではないでしょうか。

19世紀後半から、オーケストラの規模がどんどん肥大化し、音響的にも複雑なものが増えました。ホールも大きくなり、残響のコントロールも大仕事。そんな中で、作曲家の書いた音と、現実に聞こえる音、オーケストラの演奏レベル、などに微妙なギャップが生まれたと思っています。

一番割りを食ったのはリズムではないでしょうか。特に低弦はモコモコしたり、遅れて聞こえたりすることが多くなり、オーケストラ全体におけるリズム隊、という位置付けを失い、ただのコード上のルートを弾く楽器、という存在に甘んじていたと思います。

スタインバーグの演奏では、これを奏法やアクセントによって相当改善されています。ある意味、作曲家が譜面を書きながら思い描いたのは、こういう音だったのではないでしょうか。
働き方改革法案だとか、いろいろな言葉だけが独り歩きして、本質がわかりにくくなっているようです。

高度プロフェッショナル、略して高プロは、どういう法律か。

端的に言うと、労働に対する賃金を、時間で測ることをやめる法案です。

これで怖くなりませんか?