職場のちょっとかわいい女性から、いきなり「virtualpc6さんって実家に住んでます?」と聞かれた。いきなりそういうことを聞くのって、どういう心理なんだろう?

で、正直に「実家のそばに部屋を借りてる」と答えると、次の質問が「家の中も机と同じぐらい散らかってるんですか?」だった。

正直、ちょっとへこんだ。

まあ、文脈上、このあとに「もし散らかってるんだったら私が片付けにいってあげる」とかのセリフが続いたらかなりドラマティックなのだろうが、現実はそういうものではなかった。

だれか女性の心理、教えてください。
西尾維新のモノを書くペースというのは、ちょっと常軌を逸していると思うのだが、一日に80枚だか100枚だかを自らに課して、しかもそれを達成してしまうらしい。まあ、彼の出世作というか代表作は戯言使いのいーちゃんシリーズなのだろうと思うが、いま最終章が絶好調執筆中で、しかも3巻組で、そのうちの中巻まで出ている、という状況で、読む方としてはぜひ下巻が出そろってから一気に3冊読んでやりたいと思うものだから、タイミングとしてはそのすき間を縫って出たファウストのVol.5と、この「りすか」の2巻目を読むのが、一番喜ばしいのでは。

ちょっと間違ったのは、ファウストのVol.5を先に読んでしまったことなんだけど、この「りすか」2巻はその前のファウストVol.3&4に掲載された2本と、書き下ろし1章からなっている。細かい改定・書き直しがあるのかは不勉強で知らないが、この書き下ろしが実は結構重要な部分になっている。とはいえ、順番を間違えて読み飛ばしても、それなりに成立するようにはなっている。というのは、この短編第六話「出征!」は供犠創貴が、ただの無気力な少年から、いかに世界を変革する王を指向する強い少年に変貌したか、の鍵をにぎる人物が登場して、そして忽然と消えているからである。その人物は、母親の供犠きずな。何度目かの継母でありながら、魔法使いを自称し、創貴の将来を透視した人物でもある。

他の話に比べて筆致はややゆるいか、とも思えるし、魔法使いとの対決もなく、りすかもほとんど登場しない、この供犠家の日常は、それゆえに主人公供犠創貴の内省をナイーブに描いていると言えるかもしれない。これを読まずに次のファウストを読むと、きっと後悔すると思う。
こんど仮面ライダー響鬼の劇場版で、戦国時代から仮面ライダーが活躍していたという話をやるんだそうだ。バイクじゃなくて馬に乗って。ride a horseとは言うからライダーには違いないけど。

オートバイ乗らないライダーってどうなん?最近アウトドア志向が強いとかいうのもあるけど。エコロジーなヒーローってどっかインチキくさいよね。
人間がだめになる瞬間がいくつかあるが、その中でも代表的なものが、会社のパソコンでやっているフリーセルが止まらなくなる瞬間だろう。

フリーセルというゲーム自体が、思考のパズルとしては非常によくできているというか、読みを誤らなければ必ず正解できるにも関わらず、せいぜい80%程度の正解率しか出せない、なかなか難しいゲームである。しかも、何面クリアしても延々、次のゲームがやってくる。

別にラスボスなどは出てこないので、非常に単調な作業の繰り返しで、達成感の薄いゲームなんである。でも頭は使い、集中力を持続しないと、すぐに失敗してしまう。

「もう止めよう」と思っても、「あと1回」というのがずるずると続いて、ついやめるタイミングを逸してしまうのが、麻薬的なところだ。つくづく会社でこれをやる人間にはなりたくないと思う。思っていたのに。
昨日一日、マイケル・ジャクソン一色の世の中。NHKのニュース7まで、「M・ジャクソン容疑者の罪状」みたいなタイトルで巨大なパネルを掲げて、10の罪状について解説していたが、無罪の評決が下った段階で、あのパネルはないだろうとおもった。まあ、ほぼ有罪になるだろうと想定して、見切り発車して作ってしまったパネルをお蔵にするのはもったいない、という発想だろうか。せめて、「元容疑者」ぐらいの言い方はできないものか。

また、マスコミが「無罪は無実ということではない」とか、「今後の活動は困難に」とか発言しているが、そんなのあんたらが決めることか、とあきれた。

どっちかというと、こういうときに支配するのは、「有罪になってくれたほうが面白かったのに」「なんかお金があってすき放題やっているやつはむかつく」程度の、ねたみ・そねみに基づく野次馬精神であって、それを、マスコミという一見社会正義の代表者であるかのようなオブラートでくるんだもっともらしい意見で、自分のもって行きたい方向に強引にリードするワイドショーの作りは、正直言って見苦しい。

「朝まで生テレビ」がいつのまにかつまらなくなったのと同様、いつからかそうなってしまったのか、テレビ番組の討論は、あらかじめ司会者が想定している範囲でしか事態が展開しない、自由を装った窮屈さが露呈するものばかりだ。

司法の場で無罪ならば、それは無罪だと国家が認めたからにほかならない。それが不満ならばそういう司法の仕組みをとっている社会機構に対して異議をとなえるだけでよかろう。それを言う度胸がないなら、黙っているほうが潔い。
メールと違って電話はおそろしい。一瞬の失言でとんでもない勘違いが生まれたり、本当は言いたくなかった本音がポロリともれたりする。機転のきいた言い回しで挽回できればいいけれど、中には取り返しのつかない瞬間もあったりする。

ちょっと気まずい関係になっている人がいて、久しぶりに向こうから電話がかかってきた。わざわざ職場にかかってきたから、なにか仕事がらみの用件だろうと思って出たら、ちょっとした頼まれごとについてのうれしい感想だったので、しばらく楽しく会話がはずんだあと、何か本題を切り出すのかな…と思ったら何もないので「え、それだけ?」みたいなことをうっかり口にしてしまった。

その瞬間に先方の息をのむ気配。「あ、しまった!」と思ったがあとの祭りだった。気まずいこと気まずいこと。

向こうにしてみれば「それぐらいのことでかけてくるな」と言われたぐらいに受け取ったかもしれない。かと言って「それはそういう意味ではなくて」という一言がとっさに出ずに、その場で切ったらもう後悔の嵐。

本当はすごくうれしかったんです。ごめんなさい。
ノルウェー出身の女性ヴォーカルデュオ・M2Mに以前から注目していたのだが、2年ほど前に引き抜き?かなにかで解散してしまった。M2Mでもそこそこいい線は行っていたと思うのだが。二人してハンソンとダブルデートとかいう噂も流れたことがあった。

その引き抜かれたらしい方がこのMarion Raven。
以前に比べてもルックス的には洗練されたと思うが、昔はフォーク・ロックという路線だった曲調はハードに変身。ちょっとAlanis Morrissetteを連想させる。日本ではCoccoの「カウントダウン」あたりか。別れた男への恨み節を家具にぶつけて全部半分に引き裂いてしまう、という展開。以前見たHilary Duffのクリップで、自分を振った男のTシャツを盗んで、あちこちでいろんな人に着せたポラを送り付ける、という嫌がらせをしていたが、それに比べるとただ火をつけて終り、というのは物足りない気がした。
全部カメラがフィックスしてあって、あとでズーム、パンなどを加えて作っているように見えるが、リハーサルスタジオでの一発録り的なノリを巧妙に生かした作りだ。画質はわざとズームなどにより荒れをのこしているのだが、もとはハイビジョンで撮っているのだろうか。少なくとも2台は同時に回っているはずで、ホントの粗っぽい収録だったらメンバーの顔など光量不足で沈んでしまうところ、巧妙にライティングをしこんである。

編集技術、演奏、楽曲どれをとっても素晴らしいと思った。
クラシカ・ジャパンというCSのチャンネルでは、常時クラシックのコンサートやらオペラやらを放送していて、市販のDVDなどでは発売されない放送局制作の映像がたくさん見られるのがうれしい。
放送局で制作したものが発売まで権利処理やら、出演者の一部のわがままで発売されないというのも考えもので、いっそ放送をする時点ですべての許可をとったもの、として扱えればいいのになと思う。

そんななかでも掘り出し物といえるのが、チェリビダッケの「マ・メール・ロア」という珍しい映像。他にもプロコフィエフの「古典交響曲」などがあったりして、これもうれしかったが、これらの映像はスイス・イタリア語放送オーケストラというところが演奏して、スイス・イタリア語放送局が放送していたもの。年代的には1975年前後らしい。

どうもスイスという国は複数の言語が入り乱れる(もちろん地域によってだろうが)土地らしく、少数でもイタリア語を話して暮らしている人々がいるらしい。多分南部の方なんだろうと思う。チェリビダッケは元々ルーマニアの出だ、ということもあり、ベルリン・フィルと決別した後はずいぶんイタリアの放送局との仕事が多かった時期があるのだが、地域的にはその中間にある、スイスのイタリア語放送オーケストラとも、ある時期集中的に仕事をしていたみたいだ。海賊盤のCDでは、チャイコフスキーの「くるみ割り人形」とシューベルトの「未完成」などが発売されていたのを知っていたが、映像で見たのは今回が初めてだった。

技術的には演奏・中継の映像とも大したことはない、といってしまうと失礼なのだが、編成も小さく、非常にアットホームな感じのオーケストラだ。なぜかコンサートなのにみんな私服なので、もしかしたらラジオのみの放送を前提にしていたのかも知れない。あるいはこれは公開リハーサルなのか(チェリビダッケは演奏会直前のゲネプロを学生たちのために公開する主義だった)。ただ、小規模で技術が平凡でも、ここでは妥協のないチェリビダッケが見られる。むしろ、編成が小さいからこそ、どのような指向性で音楽作りが進められているかはより明快になっているかもしれない。

また、ここでのチェリビダッケの表情からも、ただ技術的な完璧を指向するがゆえの偏屈ぶりは伺えず、むしろともにより良いものを作り上げるために努力している姿が伺える。聴衆もそんな演奏に対して、非常に暖かい拍手で応じていて、なかなか気持ちが良かった。
ちょっと前に個人情報の流出騒ぎが起きて、その直後からソネットのメールアドレスに頻繁にウィルスメールが届くようになった。自分のアドレスが流出した、という通知も来ないし、これだけで疑うのもどうかと思うが、その後もウィルスメールや迷惑メールは頻繁に来る。幸いなことに、接続IDは変えずに、メールアドレスだけを変えるサービス(有料!)があったので、思い切って変えてみた。1ヶ月は前のアドレスからも転送されてくるので、しばらく我慢だが、これで根絶できればまあ結果オーライ。いままであちこちに登録してあったアドレスも修正する必要があるので、その連絡が結構大変だった。

あと、問題が知人。アドレス帳に登録してあったいろんな友人にBCCで一斉に挨拶を送った。

ここまではよかった。問題は送り方。

古いアドレスのサーバーから送ってしまったので「了解しました」という友人からの返信が次々と廃棄する予定のアドレス宛にとどく。みんなほんとにアドレス帳直してくれただろうか。不安が残る。

まあ、こういうことを知らせる友人がいるだけでもましか。