クラシカ・ジャパンというCSのチャンネルでは、常時クラシックのコンサートやらオペラやらを放送していて、市販のDVDなどでは発売されない放送局制作の映像がたくさん見られるのがうれしい。
放送局で制作したものが発売まで権利処理やら、出演者の一部のわがままで発売されないというのも考えもので、いっそ放送をする時点ですべての許可をとったもの、として扱えればいいのになと思う。
そんななかでも掘り出し物といえるのが、チェリビダッケの「マ・メール・ロア」という珍しい映像。他にもプロコフィエフの「古典交響曲」などがあったりして、これもうれしかったが、これらの映像はスイス・イタリア語放送オーケストラというところが演奏して、スイス・イタリア語放送局が放送していたもの。年代的には1975年前後らしい。
どうもスイスという国は複数の言語が入り乱れる(もちろん地域によってだろうが)土地らしく、少数でもイタリア語を話して暮らしている人々がいるらしい。多分南部の方なんだろうと思う。チェリビダッケは元々ルーマニアの出だ、ということもあり、ベルリン・フィルと決別した後はずいぶんイタリアの放送局との仕事が多かった時期があるのだが、地域的にはその中間にある、スイスのイタリア語放送オーケストラとも、ある時期集中的に仕事をしていたみたいだ。海賊盤のCDでは、チャイコフスキーの「くるみ割り人形」とシューベルトの「未完成」などが発売されていたのを知っていたが、映像で見たのは今回が初めてだった。
技術的には演奏・中継の映像とも大したことはない、といってしまうと失礼なのだが、編成も小さく、非常にアットホームな感じのオーケストラだ。なぜかコンサートなのにみんな私服なので、もしかしたらラジオのみの放送を前提にしていたのかも知れない。あるいはこれは公開リハーサルなのか(チェリビダッケは演奏会直前のゲネプロを学生たちのために公開する主義だった)。ただ、小規模で技術が平凡でも、ここでは妥協のないチェリビダッケが見られる。むしろ、編成が小さいからこそ、どのような指向性で音楽作りが進められているかはより明快になっているかもしれない。
また、ここでのチェリビダッケの表情からも、ただ技術的な完璧を指向するがゆえの偏屈ぶりは伺えず、むしろともにより良いものを作り上げるために努力している姿が伺える。聴衆もそんな演奏に対して、非常に暖かい拍手で応じていて、なかなか気持ちが良かった。
放送局で制作したものが発売まで権利処理やら、出演者の一部のわがままで発売されないというのも考えもので、いっそ放送をする時点ですべての許可をとったもの、として扱えればいいのになと思う。
そんななかでも掘り出し物といえるのが、チェリビダッケの「マ・メール・ロア」という珍しい映像。他にもプロコフィエフの「古典交響曲」などがあったりして、これもうれしかったが、これらの映像はスイス・イタリア語放送オーケストラというところが演奏して、スイス・イタリア語放送局が放送していたもの。年代的には1975年前後らしい。
どうもスイスという国は複数の言語が入り乱れる(もちろん地域によってだろうが)土地らしく、少数でもイタリア語を話して暮らしている人々がいるらしい。多分南部の方なんだろうと思う。チェリビダッケは元々ルーマニアの出だ、ということもあり、ベルリン・フィルと決別した後はずいぶんイタリアの放送局との仕事が多かった時期があるのだが、地域的にはその中間にある、スイスのイタリア語放送オーケストラとも、ある時期集中的に仕事をしていたみたいだ。海賊盤のCDでは、チャイコフスキーの「くるみ割り人形」とシューベルトの「未完成」などが発売されていたのを知っていたが、映像で見たのは今回が初めてだった。
技術的には演奏・中継の映像とも大したことはない、といってしまうと失礼なのだが、編成も小さく、非常にアットホームな感じのオーケストラだ。なぜかコンサートなのにみんな私服なので、もしかしたらラジオのみの放送を前提にしていたのかも知れない。あるいはこれは公開リハーサルなのか(チェリビダッケは演奏会直前のゲネプロを学生たちのために公開する主義だった)。ただ、小規模で技術が平凡でも、ここでは妥協のないチェリビダッケが見られる。むしろ、編成が小さいからこそ、どのような指向性で音楽作りが進められているかはより明快になっているかもしれない。
また、ここでのチェリビダッケの表情からも、ただ技術的な完璧を指向するがゆえの偏屈ぶりは伺えず、むしろともにより良いものを作り上げるために努力している姿が伺える。聴衆もそんな演奏に対して、非常に暖かい拍手で応じていて、なかなか気持ちが良かった。