昨晩、父親が一人で「笑う三姉妹」を見ていた。
父は、昨年がんを患い、幸い小康を得たものの、一時はどうなるか危ぶまれた。本人もそうだが、母が後に残ることを非常に心配していた。
父親が妻や娘に遺言を残すシーンは、どういうつもりで見ていたのだろうか。

以前は寡黙で怖い父、という印象しかなかったが、こちらが働くようになって、行き来が少なくなってからは、ちょっと寂しげだ。昔は母にも厳しく当たることが多く、その原因がぼくら子供の受験だったり、成績だったりしただけに、父への心理的反発も強かったのだが、なんだかんだで、最近はずいぶん枯れた、仲のよい夫婦になったようだ。

今日も朝早くから旅行なんだと。お幸せに。
仕事柄、子役を見ることも多いのだが、そういうときに改めて思うのは「親って大事だなぁ」と言うこと。親のしつけや趣味が何らかの形で確実に反映されるのが子供だから、それに応じて子供もケバかったり、純粋だったり、天然だったりする。さらには控え室での様子も人に聞いてみると、いかにもなステージママ(パパ)ぶりや、過保護ぶり、スタッフに対するものを言う態度など、オーディションにおける子供の様子と微妙に相似形をなしているように思える。

まあ、それでもオーディションに来るような子供は、いろんな意味で選別されてきているから、質問に対する受け答えがちゃんとできるし、待っている間もじっとしていられるし、世の中一般の子供を無作為抽出するよりははるかに人として扱える気がするし、仕事で付き合うのも格段に楽だ。

それに比べると、小学校の先生と言うのはきっと大変なんだろうな、と思う。教師になるモチベーションがある人も多いだろうから折り込み済みではあるのだろうけど、今の親のしつけなんて千差万別だろうし、教育に対する要求度がどんどん高まっているし、「それは家でちゃんとしつけをしてないからだろ!」って逆切れしたくなるシチュエーションはものすごく多いに違いない。クラスの子供を自分のチョイスでピックアップするわけにも行かないだろうし。

先日教室で自殺した先生がいたらしいが、そういう気持ちも少しは理解できるような気がする。その教室の子供たちの気持ちを考えない先生には教える資格がないとも思うけれど。
世の中の映画というのは、とかく公開されれば何かといろいろなうわさが飛び交うもので、やれあの作品は監督が来日したから出来がよくないのでプロモーションに躍起になっているだ、予算いくらのうちのどれだけが役者のギャラだ、最高の出来だ、いや最低の出来だ、と言いたい人が無数にいる。

ヤフーの映画評でも公開前からレビューを書く人がたくさんいて、期待感を書くならともかく、なぜか星つきの評価まで下されていて「ああ、この人はただ点数をあげることだけが目的なんだ」と分かったりしてやや興ざめなこともある。

極端だったのはやはり「オペラ座の怪人」か。正直、予備知識なしに言って見るとはっきり言って話の破綻振りが常軌を逸していたのだが、世の中のミュージカルファンの組織票というのはものすごく、「感動しました」の嵐。もう話なんてどうでもいいのかもしれない、とあきれたことがある。

今回、「The Forgotten」が興行成績がよいと聞き、ちょっとため息が出た。まあ、行った人が多いというのと、「面白かった」「よかった」と言う人が多いのは全く別のことだから、いいといえばいい。自分の見たいものを見て、思ったことを感じれば、それでいいのだろう。でもぼくは勧めないよ。

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あらためて以前からもっていたつじあやのの「君への気持ち」と「春は遠き夢の果てに」の2枚を聞いた。この人は天才だと思った。

京都でウクレレを弾くお姉ちゃんとして最初に有名になったらしいのだが、どうしてどうして、ソングライターとしての才能と、その歌唱力、声質は、ウクレレ弾きとしての非凡な資質をすでに遥かに凌駕していると思う。

アレンジしすぎてその持ち味を壊すのは反対だが、もっとそのよさが知られていい人だと思う。もったいない。

「涙風にたくして」の疾走する叙情、「たんぽぽ」で描かれる何気ない日常、その音域の広い伸びやかな声質、どれをとっても一級品だ。「女一人スピッツ」とでも呼ぼう。

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前回話題に上った、「でっかいプリンモンブラン」。どうっすか、これ。かなり凶悪でしょ。

ケーキみたいなスポンジ生地はごくわずかで、ほんとにプリンとモンブランで9割がた構成されているんです。これ丸ごと食うともう、人としていけない感じ。

人を殺す気か、am/pm。
やっぱりさすが世界レベル、というか高い授業料を払っている、今日のメキシコ戦。

バーレーンや北朝鮮では決して見られない、早いチェックにディフェンスが不用意なパス回しを強いられている。ここで平常心で、しかも相手をなめない厳しいパス回しで攻撃を組み立てられるかどうか、が世界で戦っていけるチームになるかどうかの分かれ目なんだよな。

点を取られるのはだいたいセンターラインより手前で不用意にボールをとられた後、守備の形ができないうちにスペースに飛び込まれてしまう形なんだな。

逆に先取点はよく取ったと思う。相手の意表をつく、というのが何よりで、柳沢のシュート自体はかすっただけだが、あのスピードで飛び込んでいた、というのが何より相手をあわてさせてゴールに結びついたと思う。

あとは稲本を入れたこともそうなのだが、いかに相手に読まれないパターンで攻撃を組み立てて驚かすか、なのだと思うな。柳沢のパターンがある程度通用しなくなったら潔く入れ替えを含めて常識はずれのことをするくらいでいいと思う。どうせ定石どおりにやってもスピード・テクニックで超えられる相手ではないのだから。

そういう意味では三都主あたりが、切れ込んだ後のボールの処理、間合いの取り方がいつもまだるっこしいのは痛い。特に後半になってスピードが落ちてくると、もうお手上げだ。強引に突破しようとしても奪われてカウンターを食らう危険が大きい。

なんとかシュートまで持ち込める形を作れればいいのだけど。
ふとしたことで、人から連絡が来たり、ふっつり途絶えたりする。そもそもそれほどせっかちなほうではないのだが、あまり音沙汰がないと、もしかして嫌われてるのでは、と感じたりする。それが取り越し苦労か、自意識過剰か、鈍感かは知らない。ところがしばらくすると、手のひらを返したように次々とメールが帰って来る。なにかのきまぐれか。相手の事情をそのつど聞くわけではないので、そんなものかとも思う。

きっと、平安時代にも同じことが手紙や和歌で繰り返されていたに違いない。相手の返事を待って丸一日が過ぎるとき、その時間はとても長く感じたに違いない。

こういう関係において何がよくないかというと、「自分ばっかりが待たされている」と思い込むことである。自分だって何かの都合でメールも読めない、電話もかけられないことがあるだろう。本当に物理的な余裕がないケースは極端でも、ちょっとあいた隙間でうまく処理できないこともある。そんなとき相手を待たせている自分に対する自覚があるかどうか。すぐに返事を返さない相手に対していらだつことがどれだけ理不尽か、自覚することはなかなか難しいものだ。
最近会社では飯を食い損なうことが多く、非常に腹をすかせて終電で帰ると、道すがらいつも前を通るam/pmの店がある。

最近ここである食い物にはまってしまった。

そもそも分量からして尋常じゃないのだが、その名も「でっかいプリンモンブラン」。

だいたいずるいじゃないか。プリンと、モンブランなんていう、うまいものを二つ掛け合わせるような荒業。うまいに決まってるじゃないか。

しかもその量たるや、凶悪なほどに多い。

こんなものを夜食に食って体にいいわけないだろ。何を考えてるam/pm。
世界は「最後の巨匠」と呼ぶにふさわしい人を失った。
カルロ・マリア・ジュリーニ。
ご冥福をお祈りします。
今日なぜか、Coccoの話題になり、今はまたSinger Songerというグループで歌い始めている、という事実の確認から始まったのだが、そもそも彼女のデビュー曲は今よりもかなりハードな路線で、「カウントダウン」という曲のビデオは相当怖かった。当時初めて聞いたときは、業界として「和製アラニス・モリセット」を作りたがっているんじゃないか、と深読みしたりもしたのだけど、ちょっとそういう路線がしんどくなったのか、突如の活動休止は結構惜しまれたものだった。

で、話題はアラニスに飛んで、そもそもYou Oughta Knowで相当衝撃的なデビューを果たした彼女も、もとは子役だった、という話で「ヘェー」ボタン。聞いたら、タイトルだけは聞いたことのある、カナダの「You can't do that on television」という番組のレギュラーだったらしい。曲はずいぶん早くから書き始めてたみたいだったけど。

話をCoccoに戻すと、彼女からだったろうか、裸足で歌う、という行為が音楽のジャンルの一分野になり始めたのは。

鬼塚ちひろ、Cocco、元ちとせ、一青窈、矢井田瞳、Kokiaも入るだろうか?