ふとしたことで、人から連絡が来たり、ふっつり途絶えたりする。そもそもそれほどせっかちなほうではないのだが、あまり音沙汰がないと、もしかして嫌われてるのでは、と感じたりする。それが取り越し苦労か、自意識過剰か、鈍感かは知らない。ところがしばらくすると、手のひらを返したように次々とメールが帰って来る。なにかのきまぐれか。相手の事情をそのつど聞くわけではないので、そんなものかとも思う。
きっと、平安時代にも同じことが手紙や和歌で繰り返されていたに違いない。相手の返事を待って丸一日が過ぎるとき、その時間はとても長く感じたに違いない。
こういう関係において何がよくないかというと、「自分ばっかりが待たされている」と思い込むことである。自分だって何かの都合でメールも読めない、電話もかけられないことがあるだろう。本当に物理的な余裕がないケースは極端でも、ちょっとあいた隙間でうまく処理できないこともある。そんなとき相手を待たせている自分に対する自覚があるかどうか。すぐに返事を返さない相手に対していらだつことがどれだけ理不尽か、自覚することはなかなか難しいものだ。
きっと、平安時代にも同じことが手紙や和歌で繰り返されていたに違いない。相手の返事を待って丸一日が過ぎるとき、その時間はとても長く感じたに違いない。
こういう関係において何がよくないかというと、「自分ばっかりが待たされている」と思い込むことである。自分だって何かの都合でメールも読めない、電話もかけられないことがあるだろう。本当に物理的な余裕がないケースは極端でも、ちょっとあいた隙間でうまく処理できないこともある。そんなとき相手を待たせている自分に対する自覚があるかどうか。すぐに返事を返さない相手に対していらだつことがどれだけ理不尽か、自覚することはなかなか難しいものだ。