まもなく始まるブラジル戦、これは見ておく価値がある。
もしもブラジルが本気ならば、という条件付だが。
万が一足元をすくわれたら予選敗退の屈辱である。
もしもブラジルが本気を出すならば、勝てる確率は低いかもしれないが、お金では買えない経験が手に入る。万が一買っても経験値としては無限の価値がある。

一番いやなのは、向こうが引き分け狙いでだらだら来て、0-0の引き分けで終わる展開だが、その確率は低いと踏む。なぜなら、相手日本は神様ジーコのチームだからであり、またブラジルは守りきることが非常に下手なチームだからである。

だから、たとえ主力の何名かが抜けたとしても残りの戦力で死力を尽くしてくる、と見る。

これは、見るべきだろう。
世の中にはいつの間にか慣行として確立してしまって、そのあとは存在意義を疑われないものがいくつかあるが、このブログなんていうものもその一つだろう。

もちろん商業目的での広告まがいのサイトや、タレントの露出の場としてのサイバースペースと言うのは十分意味があることなのだけれども、われわれのような無名の小市民(こんなことば死語か)が多くの場合は無料で、自分のオピニオンなり、意見発表をすることにどんな意味があるのだろう。もちろん書いている本人の自己満足は別にして、プロバイダーとしてこういうスペースをほぼ無料で提供することにどれほどのメリットがあるだろう?

べつにブログをつけたからと言って広告を頻繁に目にするわけでもないし、とくに購買意欲を掻き立てられた、ということもない人にとっては摩訶不思議な話には違いない。

あまりにうまい話なので、こんな下種の勘繰りをしてみた。あくまでもフィクションとして。

つまり時々起きる、「個人情報の流出」は、事故を装った商業取引なのでは…という、話なのだが、まさかね…。

でもそうでも思わなければ説明がつきそうもないほどに、このブログブーム、プロバイダーにメリットが見出せないのだなぁ。

同じようなことはテレビの視聴率と広告のスポンサー料にも言える。テレビ番組の単価と、その時間に放送する広告と、それによって得られる企業の利益なんていうものは、およそ大して強い結びつきは感じられない。広告が派手でなくても売れているものはいくらでもあるし、逆に広告したからと言って売れないものもいくらでもある。

要するにこの辺はいつかの時点の慣習を惰性で引き継いだがゆえに続いているのであって、もはや実質的な意味を失っているのではないか?純粋に比較をするためには、全く広告を打たない期間と、広告を打った期間の売り上げ、利益を比較してみなければ分からないはずなのだが、そんなことは実際問題できないから検証できないだけではないか。
気を回しすぎているのでは、と思うことが多い。
あるいは、人並み以上に、自分が鈍感すぎるために人に負担になっているのでは、と思うときがある。

どっちも自意識過剰の表れか。そんなに一挙手一投足が人に影響を与えるほど、自分は大きな存在じゃないだろうに。
そーらやっぱり、である。

何がって、例のMastercardの情報流出である。

前々からどうもこの手のカードによる決済は簡単すぎて気にはなっていたのだが、こんなに簡単に情報が漏れたりされるとかえってあきれ果てて物も言えない。といいつつ便利に慣らされて海外からの購入にもPayPalだの、カード決済だの使いまくってるこの自分である。こういう新しいシステムが始まるときはいつだって「便利・簡単」をウリにするが、何のことはない、詐欺師にとっても「便利・簡単」なのだ。

まあ、そういう意味では世の中単純だ。自分が使った額をちゃんと把握しているか。クレジットカードだって明細ぐらいは自分でチェックしろ、か。いままで簡単になりすぎて人任せにしてきたものが自己責任に戻っただけである。それがいやなら使うな、というのは言い過ぎでも、カードなんてそんなものと思うべきなのだろう。

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今夜のおやつは、こちら。

あきらかにこれはクレープです。西洋玉子焼き。ただ、半端でないのは、これが中にプリンを巻き込んだ凶悪なお菓子である点。

こんなもん、食ったらおいしいに決まってるだろ!どういうつもりだ、am/pm!
くだらない話かもしれない。

職場の食堂で、「トマト味噌ラーメン」なるものがあって、今日何人かで連れ立っていったときにそれを頼んだ人がいた。ただ、それが配膳されてきたときに気づいたのだが、それは「トマト」と「味噌」が別々になっていて、別に「トマトを味噌にして作った」ものではなかった、ということだ。

まあ、味噌とトマトが意外に合う、というようなシンプルな発想のものであればそれはミネストローネラーメン、ということなのだろう。まあいい。ただそのときに気になったのは、果たして「トマト」を材料にした「味噌」と言うのは概念として成立しうるのだろうか、ということだった。

だいたいが、大豆と麹をつかって発酵させたものが味噌だ、ということなら、それ以外のものは味噌と呼んではいけないわけで、そもそもの定義と矛盾する。しかし、おぼろげながら「ピーナッツ味噌」というものも聞いたことがあるから、大豆に限ったものでもないのかもしれない。

だとすると次の一線は「豆」を使ったものであるかないかなのか?コーヒー豆で味噌はできるか?できたとしても食えるのか?あるいはココアで味噌はできるのか?同じ豆ならできるような気もするが、うまいもののような気はしない。ではえんどう豆ならどうか?

さらに疑問がわいたのは「麹」の材料のことだ。麹は必ず米から作らなければならないのだろうか?そうでなければ、他のどんな材料から作った麹があるのか?麹を使わないと、味噌とはいえないのか?

そういえば、しょうゆだって大豆を発酵させてできるはずだ。ではしょうゆは味噌のファミリーなのかそうでないのか?

謎は深まるばかりだ。
ちょっと前に中古パソコンはオークションで買うと安いと思って、自分の仕事用をはじめとして、何点か購入した。

初めは自分が前から使い慣れていた富士通のちょっと上位機種で、BIBLOのMR-16Hというもの。スタイルが平べったくてかっこいいのだが、熱が半端でなく、いつとは言えずに熱暴走して、マウスごと固まってしまう。どこがどう、と指摘できないので不良品ともいえないし、いまどきのパソコンはそんなもんかとも思い、特にクレームもつけずにだましだまし使っている。まあ、6万円ほどで買ったのだからそう文句も言えないか、という負い目もあった。

もう一機種は父親が古いThinkpadをリースで使っていて、これのOSがあろうことかWindows98で、メモリも96MBしかなかったので、ちょっとあんまり不便だと思い、おなじThinkpadの新しい機種を、と探していたら、R40が5万円ちょっとで落札できた。いまにしておもえばいまどきのパソコンはCD-ROMドライブがついているだけのものは流行らないらしく、軒並み安いのだが、それでも比較的安価だったので誕生日プレゼントのつもりで買ってあげた。

これがなんというか、自分用に買った富士通のものよりもはるかに調子がいいのである。ソフトをあまり欲張らずに必要なものだけ入れている、ということもあるかも知れないが、キータッチ、安定性、トラックパッドの調子など、どれをとってもBIBLOの敵ではない。ハードディスクの容量が小さく、リカバリー CDがつかないのだけがたまに傷だが、それ以外にはほとんど不満らしい不満がない。やはり、これがブランドイメージと言うものだろうか。

ついでにいうと、ハードディスクの健康度を測るHDD Healthの指標も非常によく、2030年まではもつ予定である。容量をよくばらないHDDの方がいいということだろうか、それともメーカーの差がでるのか。ただし、HDDの熱はものすごく、簡単に50℃を超えてしまう。

しかし、頻繁に持ち運ぶならともかく、机に置きっぱなしでもいいならばこれは使いやすいと思い、次に自分用の物を買うときはやはりThinkpadかな、と思い始めている。
勝ったことはめでたい、と思うギリシャ対日本。ただ、あれだけシュートが枠に行かない、というかそれ以前に体勢が崩れた形でしかシュートが打てない、というところに決められないチームの体質があるように思う。

相手の高さを気にしすぎたか、早いシュートが多かったが、大きいチーム相手にもっと低いシュート、クロスで足下で決めていくスタイルが身に付かないと今後は厳しいと思った。

そういう意味ではギリシャのボロボロぶりにだいぶ救われたか。ヨーロッパチャンピオンというのは名ばかりの、動きの緩慢なチームだった。ゴールキーパー以外は仕事をほとんどしていない、というかチームとして機能していない。ゲームメーカーがいないのか、体の大きなコマを使う頭脳の部分がまったくない。よく聞いてみると、ユーロの対戦相手はポルトガル・スペイン・フランスと、すでにピークを過ぎた元強豪ばかりだったらしいので、実力としてはこんなものなのかも知れない。

ヨーロッパチャンピオンを倒した、という看板は大きいが、課題をしっかり残した試合だった。
最近知ったお気に入りのアーティストにKOKIAという人がいる。
とはいえ、デビューは1998年だからもう結構なベテラン?なのだけれども、独特のハイにアクセントのある声質が結構好みで、最近iPodでパワープレイしている。

オリンピックに引っ掛けてプッシュされてた「夢がチカラ」はそれほどの名曲でもないが、そのちょっと前の「so much love for you」はかなりいい曲だと思っている。楽曲によっては月並みな出来だったり、アレンジが一人歩きして楽曲そのものが立ってこないこともあり、さらには事務所があの「19」を育て損なっているmotherlandだというのがちょっと気にはなるのだが、でも実力はある人だと思う。

ただ、どうしても気になるのが歌詞カード。先ほど触れた「so much love for you」のサビに「愛して病まないあなたを」という言葉が繰り返し出てくるのだ。

恋の病に落ちているなら「愛して病む」あなた、だし、「~してやまない」という素直な使い方なら、「愛して止まない」だろう。こんな簡単な間違いをまさかアーティストがする訳ない、と思うのだが、確信犯的にやっているにしてもちょっと狙いが半端すぎて成立していないように思う。ネットで「愛して病まない」を検索するとそれでも同じ使い方をしている人が1900件ほど見つかった。ということは、これはもう世の中に相当広まっている誤用の例なのか?

みなさんはどっちだと思いますか?
映画や小説などで、新機軸、と思えるものに出会わない理由はゲーム文化ではないか、と最近考えた。

もちろん、自分が歳をとって、いろんな経験をしたものが蓄積されているから、新しく見えないのが当たり前、という部分を除いても、世の中に「おはなし」が減っているように思えるのだ。

未来、過去、宇宙、霊界、国内、海外、ありとあらゆる世界におけるお話がすでに展開され、その中で何が新しいか、などはもはや言えないだろう。フィクションでも、「設定」「世界観」の組み合わせでその世界の法則は作り出されるが、テレビゲームのRPGが普及して以来、人類はどんどん加速度的にそれらの「世界」設定を消費しているように思えるのだ。その多くはすでにある名作のリメイクだったり、パロディーだったりするのだが、パロディーなどを含め、子供にとってはそれがオリジナルに見えてしまう現代においては、もはや何が新しいのか、は問われないのだろう。

ある意味、子供たちの世代にとっては不幸なことかも知れない。自分で物語を読んだり、勉強しようと思うとき、すでにそれらの名作的世界は自分がはるか以前にゲームでプレーした世界の二番煎じのように見えるのだ。そのときにその世代が時代に向けて語るべきストーリーを持つことができるのだろうか。